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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第20回「ベケロの死~森の先住民の行く末・その1」

2014年11月16日

▼ベケロの歌

ベケロという森の先住民の一人が、彼ら独自の楽しい歌を歌いだす。非常に短い。ことばはわからないが、おもしろい。自然にまつわる歌だ。水浴びのときのうた。森を歩いて迷ったときのことをムカデがクネクネ森を歩くのにたとえたうた。サルが木々を飛ぶのを描写したうた。いまからちょうど25年前のことだ。

若いころの森の先住民ベケロ(左)とその親友アンダース(右) © 西原智昭

若いころの森の先住民ベケロ(左)とその親友アンダース(右) © 西原智昭

その節はなぜか心地よかった。とにかく心地よいのだ。意味はわからなくても、ピグミーのことばを聞いているだけでいい。楽しそうにしていれば、その雰囲気も伝わってくる。それは年月がたった今でも同じである。

これまで「森の先住民」といってきた人たちは、従来は「ピグミー」といわれてきた人々である。かねてより熱帯林という自然界-森の生産物-に強く依存し生業を立ててきた狩猟採集民族である。アフリカ中央部の熱帯林で、いくつかの地域に存在している。いまでこそ彼らは基本的には村の定住生活をし、キャッサバなどの畑作物を主食としている一方で、年のうち何回かは森へ行き、集中的に動物猟や掻い出し漁、ハチミツ採集、キノコや食用昆虫などの採集を行なうこともあるが、現在ではたいてい森への行き来は日帰りのパターンが多い。

1989年当時まだ森の中に住んでいた先住民ベケロとその家族 © 西原智昭

1989年当時まだ森の中に住んでいた先住民ベケロとその家族 © 西原智昭

コンゴ共和国北東部の「ピグミー」は全般的に「アカ族」と呼ばれているが、ボマサ村周辺については、サンガ川の対岸カメルーンに住むピグミーと共通な「バカ族」と呼ばれている人々である。

ピグミーは森をよく知っている。森林に棲む動物を追跡する能力に長け、森の植物の名前やその利用法を熟知している。薬用植物やまじないに使用する植物などについての知識は、地球上の貴重な文化財産といってもよいくらいだ。また、どこのピグミーにも共通して見られる文化に、独特の「うた」と「踊り」がある。ボマサ村のバカの人たちも、ときおりそれを演じていた。ぼくはンドキの森で調査を始めたころ、森からの村に戻るたびに、その「うた」と「踊り」を楽しみにしていた。

20年前のある日、森からボマサ村に戻ったら、「今晩はジェンギがあるよ」とバカ族の男が教えてくれた。ジェンギとは森の精霊のようなもので、月夜に村に現れ、バカ族たちのうたと太鼓に合わせて、通常夜明けまで踊る。ジェンギは、ヤシの葉で全身を覆っていてその中は見えない。夜8時過ぎ、小さい子供たちが中心となって、うたと踊りが始まった。ジェンギはまだ現れてこない。その歌声と、とくに女の子たちの身に着けているヤシ製の腰蓑がからだの動きとともに揺れるさまは、とてもかわいらしく見える。やがて、年上の男女もうたと踊りに加わって、ジェンギもやってきた。ぼくのからだも、つい太鼓のリズムと歌声に動いてしまうのを禁じ得ない。ジェンギの狂ったような踊りを見ていると、ますます激しくなるうたと踊りにつられて、こちらまである種の陶酔感に陥ってしまいそうになる。

月夜とヤシ酒と音楽。ピグミーの踊り。このピグミーのエネルギー。こんなことを-しかも延々と-やるのは人間のほかに何があろう。星を見る。美しい。神秘的だ。銀河も見える。しかし、あるのは、その星の下に住む「ひと」なのだ。まさに「ひと」なのだ、すばらしき人たちなのだ。

うたと踊りにモレンゲは欠かせない。モレンゲというのは現地語でヤシ酒のこと。ヤシの木の樹液が自然発酵し甘酸っぱい酒となる。やや甘い点を除いては、アルコール度も喉越しの感覚もビールに似ている。とても飲みやすく、つい飲みすぎてしまう。この種のヤシは河川沿いに多い。古き時代から村人もピグミーも飲んでいたとはいえ、まだまだ川沿いの森には無尽蔵にヤシの木はあるようである。

1989年はじめの半年の調査が終わり、あとは日本へ戻るばかりであった最終日のボマサ村。ピグミーたちはうたと踊りをやっている。ことばの意味はわからないが、ぼくのうたを歌ってくれているようだった。ときおり、歌の中にぼくの名前「トモ」が混じる。そのたびに、みなぼくの方を見て楽しそうにうたと踊りを続ける。

▼ベケロの死

ベケロの死を聞いたのは、つい数週間前のことだ。その一週間前には、ぼくは森の中でごくふつうに仕事をしているベケロとも会っていた。すでに初老の年齢に差し掛かってはいたが、森を歩く彼は健康そうに見えた。しかし、その出会った日の数日後、からだの不調を訴え、ボマサ村に戻ったそうだ。そのときも回りからは病気のようには見えなかったという。村では、ふつうに酒を飲み、たばこをやっていたとのことだ。

まさか、そんな彼が急に逝ってしまうとは信じがたいことであった。話を聞けば、肺を患っていたらしい。医者(近代医療の医者)からは、そのため、酒とたばこを禁じていたらしい。しかし、そんな近代医療のアドバイスなど聞かぬのはベケロらしい。彼らしく、生きたかったのだろう。仮に死と隣り合わせであったにしても。

ベケロはぼくが25年前はじめてンドキの森に入ったときの「トラッカー」の一人であった。彼は森のことに詳しく、森に中でぼくにいろいろなことを教えてくれた。植物の名前、昆虫の名前、サルの鳴き声の種による違い、動物の足跡、何もかもが初めてであったぼくには、「森の先生」であった。

村に戻った時には彼が先導するような形で、ぼくに彼ら先住民のうたや踊りを紹介してくれた。冒頭に記した短い「先住民の歌曲」を披露してくれたこと、彼らの伝統的歌の中に、即興ではあってもぼくの名をとりいれたことなど、ぼくには彼に感謝のことばもない。ちょっと酒好き・女好きの彼ではあったが、いつもウイットに利き、賢く、ぼくと冗談も交わしあった仲であった。ある晩、村で夜一緒に月を見ながら、人間が月に行った話を聞いたことがあると、ベケロがぼくに告げたことがある。ぼくは、人間はロケットという移動手段を開発し、いかに月に到着したかを説明した。また日本では、かぐや姫物語や、月ではウサギが餅をついているという伝説についても、語り合った。その日々が懐かしい。

先住民ベケロと談笑する筆者(2012年当時) © 永石文明

先住民ベケロと談笑する筆者(2012年当時) © 永石文明

彼の死は、彼を知る周囲の人間の悲しみをもたらしただけではない。今後の先住民の未来を問う重要な人物の一人を失ったことでもある (続く)。

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