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真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はない
朝日新聞社・報道と人権委員会見解によせて

寄稿:海渡雄一

2014年11月17日

1F構内待機指示は、東電プレスリリースと柏崎刈羽メモに明確に記載されていた

東電は、15日朝8時30分の記者会見で、650名の2Fへの移動の事実を隠した

650名の2Fへの移動は所長の指示命令に明らかに反している

事実と推測を混同しているのは吉田調書報道ではなく、PRC見解の方である

真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はない

 

原発事故情報公開弁護団 弁護士 海渡 雄一

第1 前提問題

 

1 東電撤退問題の本質

 

ウクライナではチェルノブイリ原発事故の収束作業で命を喪った消防士たちを悼む碑をみることができる。社会全体で、原発事故の危機の中で、命を捨てて市民を守った作業員に対する感謝の気持ちが表現されている。

福島第一原発事故を引き起こした東京電力の経営幹部の法的責任は徹底的に追及しなければならないが、命がけで事故への対応に当たった下請けを含む原発従業員に対しては、社会全体で深く感謝するべきである。

私は、そのような思いで、原発労働者弁護団を組織し、福島第一原発の収束のための労働に従事している労働者を代理して、不必要な被曝を強いられた従業員の慰謝料請求の裁判や今も引き続いている危険手当のピンハネに対して東電と下請け会社各社の責任を問う裁判などを担当している。

多くの東京電力社員や関連企業の社員の生命の危機に際して、企業のトップとして社員の命と安全を考えたことは責められないかもしれない。原発事故災害の拡大を防ぐために労働者の命まで犠牲にしなければならない、原子力技術のもつ究極の非人間性が浮かび上がってくる。深刻な原発事故が生じて、これに対する対処作業が極めて危険なものとなったとき、このような労働は誰によって担われるべきなのだろうか。東京電力などの作業員の撤退という事態は、作業員の生命と健康を守るための措置であった。しかし、もし作業員の大半がいなくなり、事故対応ができなくなれば、その結果は多くの市民に深刻な被害をもたらしうる。

13日に追加公開された調書の中に、東電の下請けの南明興産社員の調書が存在する。この社員は15日の朝に2Fに避難しているが、その後4号機で火災が発生し、「あなたたちの仕事なんで戻って下さい」と東電社員から言われたが、上司が「安全が確保できない」として、この依頼を断り、柏崎に向かったと証言している。まさしく、火事が起きても、これを消しに行く者がいない深刻な状況が発生していたのである。

朝日新聞の吉田調書報道は、このような15日の朝の事故現場の衝撃的な混乱状況を「所長の命令違反の撤退」と表現した。事故対応作業を停滞させる異常な混乱が生じていたことは事実であり、個々の作業員に指示が届いていなかった場合があったとしても、本稿で客観的な証拠とも照らし合わせて論証するように、所長の指示命令に明確に反した事態が生じていたことは事実なのである。

取り消された朝日新聞の記事は、「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。現実を直視した議論はほとんど行われていない」とその末尾で述べている。

この記事の指摘は極めて重要であり、吉田調書が社会に突きつけている課題である。そして、今回の記事取消によって、このような重要な指摘・問題提起までを葬り去るようなことは、決してあってはならないことである。そのような観点から、このPRC見解の問題点を掘り下げてみることとする。

2 PRC見解の内容

11月12日、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会(PRC)」は、東京電力福島第一原発対応の現場責任者であった吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会に答えた「吉田調書」についての朝日新聞5月20日付朝刊「命令違反で撤退」との記事を朝日新聞社が9月11日に取り消した件について、「報道内容に重大な誤りがあった」として記事取り消しを「妥当」と結論づける報告を出した。

PRCは1面記事「所長命令に違反 原発撤退」について①所長命令に違反したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない②撤退という言葉が通常意味する行動もなく、「命令違反」に「撤退」を重ねた見出しは否定的印象を強めている、とした。2面記事「葬られた命令違反」についても「吉田氏の判断に関するストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず、吉田氏が述べている内容と相違している」と指摘した。

この報告報道に接した多くの人は、9月11日の社長謝罪会見に続き、朝日新聞が極めて重大な誤報を行ったと信じたものと思われる。

しかし、私は、吉田調書などの公開を求め、情報公開訴訟を提起してきた原発事故情報公開弁護団の一員として、このPRC見解については以下のとおり重大な疑問を提起せざるをえない。そして、膨大な量のPRCの報告内容を読み込んでも、以上のような結論に至った明確な論拠を見いだすことは困難であった。PRCは取材記者に対しては事実と推測を峻別せよといいつつ、客観的に事実を確定できない経緯について推測の積み重ねにもとづいて論旨を組み立て、吉田調書報道を論難しているにすぎないように見える。

この問題をめぐって、私は雑誌「世界」11月号において、「日本はあの時破滅の淵に瀕していた」と題する論考を発表したが、今回PRCの報告を読み、ここに引用されている後記の原資料にも当たって確認した結果、朝日新聞の当初の「命令違反による撤退」とする報道の方が正確なものであって誤報とされるようなものではなく、記事全体を取り消した朝日新聞の判断は誤りで、これを追認したPRC見解こそが誤報であると確信するに至った。その理由を以下に詳述する。

朝日新聞社とPRCは、3月15日の福島第一原発の真実が何であったかを解明できておらず、真相をあいまいなままにして記事全体を取り消すことは、明らかに行き過ぎである。行われるべきであった作業は、続報記事をまとめ、一歩ずつ真実に近づこうとする努力を継続することだったはずである。事実の評価とその表現方法を理由として記事全体を取消すことは、調査報道に当たる記者を著しく萎縮させ、報道機関の取材報道の自由を損なうものであることをここで改めて強調しておきたい。

3 未解明の謎の究明こそジャーナリズムの責任

 

このPRC見解について、論評する際に、最初に確認しておくべきことは、3月15日の福島第一原発において、どのような事態が発生していたかについては、未だ解明されていない謎が多数存在するということである。

たとえば、

○清水社長が発言していた最終避難と吉田所長が午前6時42分に指示した福島第一原発構内での待避とは、どのような関係なのか。同じなのか、異なるのか。両者はどのように交錯しているのか。

○小森常務がテレビ会議で発言していた退避基準は作成されたのか。そこでは、どの部署の何人の要員を残すこととなっていたのか。

○緊急事故対策本部の要員は400名とされているが、この原子炉のコントロールのためには、どれだけ要員が必要だったのか。現実に残った69人の人員で十分な作業ができたのか。

○吉田所長ら69名が福島第一原発に残ったが、何をしていたのか。2号機では午前7時20分から午前11時20分までパラメータの計測をしない「空白の4時間」が発生し、この間に火災など深刻な事態が次々と発生した。

このように、真相はなお不明といわざるを得ない。今回の見解は、この謎を明らかにしようとしたものではなく、むしろ謎に挑んだジャーナリストの言葉尻を捉えて、矛先を鈍らせ、結局のところ真実にふたをしようとする者に手を貸したといわざるをえない。

まず、私は、真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はあるのかと問いたい。

4 東日本壊滅の危機が迫っていた(3月14-15日の1Fの状況)

この考察が対象とする3月14日夕から15日朝にかけての状況を整理しておく。

当時は、2号機の格納容器圧力が下がらず、炉を冷やす水が注入できない事態が続いていた。この当時は注水には消防車を使っていた。消防車は水を押し出す力が弱く、原子炉の圧力が高いままだと水を入れることができない。このため、炉圧を下げることが急務だった。格納容器上部の圧力を外気に逃すベントや核燃料を収めた圧力容器から直接水蒸気を逃すための減圧操作(SR弁の操作)を試したが、うまくいかなかった。ところが、2号機のSR弁がどういう理由かは不明だが、いったん開いた。

ここで消防車でも水が入れられる状態にまで炉圧が下がった。ところが、午後6時28分、テレビ会議を通じて、吉田所長に報告が届いた。消防車に搭載してある注水装置を動かすガソリンが切れて、動かないという報告だった。消防車が燃料切れを起こし、消防車のポンプ動かないという報告だった。給油に向かおうとした車もパンクしていた。吉田所長はこの時、「東日本壊滅」「チャイナシンドローム」といった深刻な危機感を抱いていたことが調書に記載されている。

吉田所長はこうした危機感を官邸の細野豪志首相補佐官や東電本部幹部にも伝えている。

そのころ本店ではこの時、福島第二原発へ本部機能を移転することや移動手段としてバスを手配することなどが急ピッチで進んでいった。福島第一原発の現場ではいったん安堵した空気が広がったが、2号機の圧力は下がらなかった。

18:34-20:34にかけて東京電力の清水正孝社長は寺坂信昭保安院長、海江田万里経済産業大臣や枝野幸男官房長官に繰り返し同意を求めるための電話をかけた。

清水社長は「2号機が厳しい状況であり、今後、ますます事態が厳しくなる場合には、退避も考えている」と報告し、その了承を求めた。この時、清水社長は、「プラント制御に必要な人員を残す」とは言っていないと政府事故調報告書は認定している。海江田大臣は午後8時頃の電話で、「残っていただきたい」と断ったと証言している。

19:28  OFCの小森明生常務は「退避基準の検討を進めて下さい。」と発言している。

19:45には武藤栄副社長から退避手順の検討が指示されている。(ヒアリング及び国会事故調での発言による)

19:54 やっと19:54には消防車での注水が再開できそうだという報告があった。この時間まで、吉田所長が調書で吐露した「本当に死んだと思った」という緊迫した事態が続く。

本店ではこの時、福島第二原発へ本部機能を移転することや移動手段としてバスを手配することなどが急ピッチで進んでいった。福島第一原発の現場ではいったん安堵した空気が広がったが、2号機の圧力は下がらなかった。

19:55 高橋明男フェロー「武藤さん、これ、全員のサイトからの退避っていうのは何時頃になるんですかねえ。」という発言が記録されている。

20:16 高橋フェロー「今ね、1Fからですね、いる人達みんな2Fのビジターホールに避難するんですよね。」という発言が記録されている。

20:20 清水社長「現時点で、まだ最終避難を決定している訳ではないということをまず確認して下さい。それで、今、然るべきところと確認作業を進めております。」「プラントの状況を判断・・あの、確認しながら・・決めますので。」という発言が記録されている。

23:33  テレビ会議で「ベントができないと格納容器が壊れる」という悲鳴のような発言が記録されている。15日になっても、次のような状態が続いた。

00:04-00:06  テレビ会議で、ドライウェル(格納容器上部)の圧力が下がらないという報告が続いている。

0:20  東電が2号機の燃料棒が露出していることを記者会見で報告している。

04:17  清水社長は、官邸に着き、菅直人総理と一対一で面会した。菅総理は、「ご苦労さまです。お越し下さり、すみません」とあいさつしたあと、いきなり結論を述べた。「撤退などあり得ませんから」と。これに対して、清水社長は、意外にも「はい、わかりました」と応じたとされる。(映画「日本と原発」を参照)

06:12  2号機方向からの「衝撃音」と格納容器下部の圧力抑制室(サプレッションチェンバー)の圧力が「ゼロ」になったという報告が吉田所長に届いた。いったん、14日夜から準備されていた福島第二原発への撤退が実行に移されることになり、前夜からの計画に従って所員が福島第二原発に移動をはじめた。

ところが、午前6時42分、吉田所長はこの指示を変更し、2Fへ行ってしまうのではなく、1Fの構内にいったん留まるよう待機の指示をテレビ会議を通じて出したのである。

9割の所員が福島第二原発に行ったのは、吉田所長のこの指示が伝わらなかったことが原因なのか、それとも現地とは別に本店からの指示がなされていたのか、未だに真相はわからない。

私は「ダブルのライン」があったとみている。この点については、拙稿「日本はあの時破滅の淵に瀕していた」(「世界」11月号)を参照していただきたい。この点は私の推測であり、まだ、解明されていない点が残されている。

 

第2 吉田所長は、近くに退避して次の指示を待てと明確に指示していた

 

1 「近くに退避して次の指示を待つ」という吉田所長の指示には裏付けがあることをPRC見解は認めている。

 

PRC見解は、「近くに退避して次の指示を待つ」という吉田所長の指示には裏付けがあることを認めている。このことは、記事の取消の相当性を判断するうえで決定的に重要なポイントである。該当部分を引用する。

「吉田氏は調書で「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもり」と述べているが、それは①東京電力柏崎刈羽原子力発電所の所員がテレビ会議を見ながら発言を分単位で記録した時系列メモ(柏崎刈羽メモ)が、6時42分の欄に「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との吉田氏の発言を記録していること②東電本店が午前8時35分の記者会見で「一時的に福島第一原子力発電所の安全な場所などへ移動開始しました」と発表していることなどから、「近辺」か「構内」かの相違はあるが、裏付けられる。」

私は、PRC見解のこの部分を見て、「おや」と感じた。柏崎刈羽メモがあるという噂は聞いたことがあるが、そこに吉田調書と同様の指示が書かれていること、また、東電の記者会見でも、2Fではなく、1Fの安全な場所などに移動したと発表されていたというのは初耳であった。

不勉強かもしれないが、私はこのような明確な情報があることを知らなかった。PRC見解には、この情報についてこれ以上の詳しい説明はないが、東電本店会見時の配付資料や録画などはインターネットで簡単に確認できた。また、PRC見解に引用されている柏崎刈羽メモもマスコミには広く行き渡っているようで、簡単に手に入った。

2 3月15日朝8時30分の東電記者会見

東電が3月15日の朝に環境中に最大量の放射性物質を放出したのは(例えば午前9時には事故後最高値を記録)、1Fにいた720名のうち、650名が2Fに移動した後だった。PRC見解も、この650名の2Fへの移動が、吉田所長の構内待機の指示に反する状態であったことは認めている。その論拠として上げられているのが、吉田調書の記載と一致する柏崎刈羽メモと3月15日の東京電力記者会見のふたつであることは前述した。

午前8時30分過ぎ。東電本店で、撤退問題に絡む重要な記者会見が開かれた。会見者は吉田薫広報部部長であり、脇に技術者が座って会見は進められている。冒頭に、吉田部長は「本日はこのような事故を引き起こしまして、広く社会の 皆様、市民の皆様をはじめとして広く社会の皆様にご心配とご迷惑をおかけし心よりお詫び申し上げます」と深々と頭を下げている。そして、手元に置いた紙を読み上げた。同じものが会見出席者にも配られた。

この文書タイトルは「福島第一原子力発電所の職員の移動について」であり、読み上げられた内容は次のとおりである。この文書は今も東電のHPで閲覧可能である。

「本日午前 6 時 14 分頃、福島第一原子力発電所2号機の圧力抑制室付近で異音が発生するとともに、この室内の圧力が低下をいたしましたことから、同室で何らかの異常が発生した可能性があると判断いたしました。今後とも原子炉圧力容器への注水作業を全力で継続してまいりますが、同作業に直接関わりのない協力企業作業員および当社職員を一時的に同発電所の安全な場所等へ移動を開始しました。現在福島第一原子力発電所では残りの人員において安全の確保に向けまして全力を尽くしております。なお、2 号機の原子力圧力容器および原子炉格納容器のパラメーターに有意な変化は見られておりません。立地地域の皆様をはじめ、広く社会の皆様には大変なご心配とご迷惑をおかけしておりますことに対し、心よりお詫び申し上げます」

この発表文のポイントは、所員の移動先として、福島第二原発ではなく、「同発電所」、つまり、福島第一原発の「安全な場所等へ移動を開始しました」と発表している点である。この記者会見が行われている時間帯にはすでに所員は福島第二原発に移動しすでに到着している時間である。しかし、この事実はペーパーの中で書かれなかっただけでなく、記者会見でも完全に伏せられた。

後に詳述するように、吉田所長は国(保安院)や本店に「異常通報連絡様式」という文書をファクスしており、そこには午前7時25分に福島第二原発に対策本部が移転し、所員が「退避いたしました」と連絡している。原子力災害特別措置法にもとづく通報文書である。

しかし、東電はこのような通報を国に行ったという重要事実を記者会見で公表しなかった。この東電本店会見の内容は、午前6時42分に吉田所長が発した一時待機命令に沿った発表内容だったと評価できる。

会見ではこの撤退問題に関する質問も出たが、残った50人(この時は50人で発表されている。これが後に「フクシマ・フィフティー」と呼称されることになる)がいる場所などが質問される程度だった。主なやりとりを末尾に紹介するが(以下の会見問答①と同②を参照)、結局、約1時間にわたる会見で東電は所員の移動先が福島第二原発だったことを一言も言及していない。

会見での質問は主に2号機で何が起こったかに集中し、所員がどこに移動したかについての質問はない。その理由は東電自身が移動先として、福島第一原発の「安全な場所等へ移動を開始しました」と会見冒頭に発表しているからだ。

この会見からは次の3点の事実を確認できる。

①    本店は所員の移動先として「福島第一原発内の安全な場所など」と発表している。

②    東電は質疑でも福島第二原発に所員が移動したことは言及していない。

③    東電発表は吉田所長が発した一時待機命令に沿った内容になっている。

朝日新聞が報道したように、吉田所長が福島第一原発に一時的に待機するよう指示する命令を発していたことは東電自らの公式文書と会見内容から明らかだ。

東電は、朝日新聞が5月20日朝刊で報道して以降、所長の指示は2Fへの移動も視野に入れたものだったと突然主張し始めており、PRC見解も、このような見解に立っているように見える。しかし、だとすれば、なぜこの会見で2Fへの移動の事実を隠したのか、説明がつかない。

東電が本店会見で2Fへの移動の事実を隠したのはなぜであろうか。まさに、このとき発生していた2Fへの移動という事態が、吉田所長の前記の指示命令に反していたからであると考えるほかない。

3 柏崎刈羽メモが明らかにする吉田所長の1F構内待機指示

この最も重要な瞬間については、テレビ録画の音声が収録されていない。なぜ、音声が記録されていないのかについての論争にはここでは深入りしない。

吉田所長は3月15日午前6時42分、緊急時は福島第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、第一原発近辺にとどまるように、吉田所長としてテレビ会議を通じて指示した。このことは、柏崎原発でテレビ会議内容を記録していたメモに残っていた。このいわゆる柏崎刈羽メモを入手したので、本件に関連する部分の内容を以下に添付する。この事実もPRC見解が取材記者の主張としてはじめて明らかにしたものである。

この記録から判明することは次のとおりである。午前6時18分の爆発を境に退避を考える方向に転ずるが、午前6時30分には、所長は一旦退避してからパラメータを確認するという冷静な指示を行っている。午前6時33分には、必要な人間は班長が指名することと指示されており、所長が現場を何とか維持しようとしていることがわかる。このような経過を経て、午前6時42分に、「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう。(所長)」という指示が発せられているのであり、所長の指示としては、一貫していると評価できる。

 

6:16

1F

S/C圧力0 減圧沸騰している模様

6:17

1F

1F2:炉水位 -2700/炉圧0.612MPa/D/W    Mpa    /S/C    Mpa   CAMS(D/W)       (Wet)

6:18

1F

S/Cの底が抜けたか、先ほど音がした。

6:20

1F

退避も考える

6:21

1F

現場の人間を引き上げる

6:22

1F

チャコールマスク着用の準備を指示

6:24

1F

メルトの可能性(所長)

6:27

1F

退避の際の手続きを説明

6:29

1F

炉水位が上がっている

6:29

1F

TSC15~20μSv/h

6:30

1F

一旦退避してからパラメータを確認する(所長)

6:32

本店

最低限の人間を除き退避すること(社長)

6:33

1F

必要な人間は班長が指名すること(所長)

6:34

1F

TSC内線量変化なし

6:35

本店

残る人、所属等を連絡すること

6:40

本店

注水機能は維持すること

6:42

1F

構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう。(所長)

6:43

1F

(6:20)131.5μSv/h   (正門)    北西 1m/s  n:検出されず

6:48

1F

SRV1弁開いている。

6:50

1F

(6:50)583.7μSv/h   (正門)

6:51

1F

15条通報事象確認

6:53

1F

原子炉建屋周りの線量率を確認する。

6:54

1F

TSC内線量変化なし

6:54

1F

(6:53)369.8μSv/h   (正門)

6:55

1F

1F-4  原子炉建屋の上部に変形を確認

6:57

1F

(6:55)456.5μSv/h   (正門)

7:00

OFC

国より、警察をTSCに誘導するよう指示あり

7:02

1F

(7:02)882.7μSv/h   (正門)

7:05

1F

TSC30μSv/h

7:06

1F

1F-4  原子炉建屋の屋根に穴があいている、破片が下に落ちている

7:07

1F

(7:05)387μSv/h    (正門)

7:13

1F

(7:10)431.8μSv/h   (正門)

7:14

1F

免震棟周辺5mSv/h   前回より若干低下

7:18

1F

(7:15)360.8μSv/h   (正門)

7:23

1F

(7:20)320.1μSv/h   (正門)

7:40

1F

TSC内ダスト濃度 問題ない

7:41

1F

TSC内現在50名ほど。

7:41

1F

(7:38)1390μSv/h  (7:40)520μSv/h   (正門)

7:46

1F

(7:45)537.4μSv/h   (正門)

7:48

1F

当直員は中操に戻した1/2号、3/4号とも

7:52

1F

(7:50)1941μSv/h   (正門) 現場では雨がパラパラ降ってきた(東風)

7:59

菅総理

1F-4 プールに水を入れないと危ないのではないか。要請が必要であれば早くだすこと。

8:08

1F

(正門)378μSv/hまで低下

8:13

1F

1F-4 R/Bオペフロ 何らかの爆発により損傷し、放射性物質放出の可能性があると判断

8:13

1F

(8:10)268.9μSv/h   (正門)

8:15

1F

1F2:炉圧変化なし/D/W変化なし /S/C 0MPa

8:17

1F

TSC内69名

8:22

1F

735.9μSv/h       (正門)

8:23

1F

(8:20)約800μSv/h   (正門)

8:25

1F

1F-2 R/B白煙確認

8:26

1F

(8:25)1413μSv/h    (正門)

8:32

1F

8217μSv/h   (正門)、北東、1.5m/s

8:38

1F

2406μSv/h       (正門)

8:43

1F

チャコールマスク、ガソリン400L、軽油400Lを要求

8:44

1F

8:40 1726μSv/h   (正門)

8:45

1F

2号機は建屋から湯気が出ており、職員は待避中。新しいデータは採れない状況。

8:50

1F

8:45 1811μSv/h   (正門) 北風1.9m

8:55

1F

8:50 2208μSv/h   (正門) 北風1.8m、中性子検出無し

8:58

1F

プレス案(概略):4号で6時頃大きな音。原子炉建屋の屋根に損傷。外部への影響等は調査中。燃料はすべてプールにある。

 

4 残っていた吉田所長から保安院へのFAX報告<監督官庁への報告内容と取り消された報道の内容は一致し、PRC見解は一致しない>

 

吉田所長の所内での待避の指示を裏付ける第3の証拠が存在した。これは、公開資料であるが、これまで顧みられることがなかったものである。

福島原発事故時、福島第一原発は吉田所長名で、監督官庁である原子力安全・保安院(当時)に原発の状況を逐一、ほぼリアルタイムでファクシミリを使って伝えていた。「異常事態連絡様式」と呼ばれる公式な報告書で、いまでも保安院を引き継いだ原子力規制庁のホームページに誰でも見られる状態で保存されている。これは、東電本店にも送られている。

事故発生時に送付されたこの報告書「異常事態連絡様式」に書かれた内容と、今回PRCにより記事取り消しが「妥当」と判断した5月20日付朝日新聞朝刊の報道の内容を比較すると、両者の間には全く矛盾がないことがわかる。

一方、PRCが出した見解の中で示されているストーリーは、この「異常事態連絡様式」からは裏付けられない。PRC見解は、2014年5月20日付朝刊2面の報道を指して、「吉田氏の判断に関するストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず、吉田氏が述べている内容と相違している」と結論づけている。しかし、PRCがほかに拠るべき裏付け資料を持っていないのであれば、推測に基づくストーリーを展開しているのはむしろPRCの方と言わなければならない。以下、詳細に検討する。

吉田氏が「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」と指示した2011年3月15日午前6時42分前後に送付された「異常事態連絡様式」のうちこの問題に関わるものは次の3枚である。なお、この3枚のFAXが実際にいつ送信されたのかは、判然としない。FAXのヘッダーに印字された受信時刻と手書きされた発信時刻にはかなりのずれがある。この点には未解明な部分が残っていることを明記しておきたい。

①午前6時37分送付とされる第15条—70報(以下①報とする)

②午前7時00分送付とされる第15条—71報(以下②報とする)

④  前7時25分送付とされる第15条—70報の訂正報(以下③報とする)

 

5 対策本部を福島第2に移す指示を消したFAXは指示の変更を裏付けている

 

①報には「2号機において、6時00分〜6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、念のため対策要員の一部が一時避難いたします」と記述されている。

2号機において、6時00分〜6時10分頃に大きな衝撃音がしました。対策要員の退避準備ができ次第、対策本部を福島第二へ移すこととし、避難いたします」という下書きがあり、そこから「対策要員の退避」と「対策本部を福島第二へ移すこととし」を削除し、「作業に必要な要員を残し、」「念のため対策要員の」「一部が一時」を挿入して作られた跡が残っている。この①報の原文から発信文になるまでの変化の過程と5月20日付朝刊2面の報道内容とは完全に一致している。

②報には「先ほどの退避については、念のため監視、作業に必要な要員を除き、一次(ママ)待避することに内容を訂正したします」と記述されている。「退避」ではなく「待避」とすぐ現場に戻れる一時的な避難であることを示す言葉がわざわざ加入して使われている。これも5月20日付朝刊2面の報道と矛盾する点はない。①報と合わせ読むと、矛盾がないだけでなく、14日夜から準備されていた2Fへの「撤退の方針」が「待避の方針」へと転換されたことが明確に読み取れる。

6 7時25分FAX通報の対策本部の2Fへの移動は「撤退」にほかならない

 

ところが午前7時25分に送信したとされる③報には「6時00分〜6時10分頃に大きな衝撃音がしました。準備ができ次第、念のため対策本部を福島第二へ移すこととし、避難いたします」と記載されている。注目点は「対策本部」を福島第二原発に移動したと書いてあることである。対策本部自体の移動は、残された人員がいるとしてもそれは対策の主力ではなくなるということであり、まぎれもなく撤退である。

PRCは「約650人が第二原発に移ったと言っても、第一原発には吉田氏たち69人が残っており、本部機能はまだ第一原発にあった」などとして、「撤退」という言葉が通常意味する行動もなく、朝日新聞5月20日付朝刊「命令違反で撤退」との記事は「命令違反」に「撤退」を重ねた見出しは否定的印象を強めている、と批判している。しかし、福島第一原発自体が吉田所長名で監督官庁に対策本部を1Fから福島第二原発に移動したと公式な報告を行っていたのであるから、その批判の根拠は完全に崩れている。PRC見解は、この重要な客観証拠と両立しない。

 

7 吉田所長の1F内待機の指示は明確

 

確かに、吉田調書の記載だけをもとに議論すると、3月15日朝の吉田所長の指示には、不明確な印象がある。

しかし、3月15日午前6時42分、テレビ会議を通じて吉田氏は緊急時は福島第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、福島第一原発近辺にとどまるように指示している。この指示は、前記のように、柏崎刈羽原発側で正確に記録されている。そして、同日の午前8時30分からの記者会見においては、東電の広報文書に、この指示内容が明記されている。

この指示は、福島第一原発の最高責任者としての発言であり、本店の会見においても、発電所名義の公式文書に記載されているのであるから、まぎれもなく、所長の公式の指示命令にあたる。

テレビ会議の映像には、所員を指揮するはずのGM(グループマネージャー) とよばれる部課長級の幹部社員も何人か 映っている。彼らはこの指示を認識していたはずである。

にもかかわらず、所長の明確な指示と違う結果が生じており、その過程にはGMとされる幹部職員の中に、東電が明らかにしていないために誰とは特定はできないが、この指示に背いた者がいたことが推測できる。実際、吉田所長は調書の中で「2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」と答えている。

PRC見解は、「吉田氏は、周囲に対し、これまでの命令を撤回し、新たな指示に従うようにとの言動をした形跡は認められない。」「吉田氏は調書で、部下にうまく情報伝達されなかった理由を「伝言ゲーム」 とも言っている。吉田氏の指示が所員の多くに的確に伝わっていた事実は認めることができない。」「すでに第二原発への退避行動が進行している最中における重大な計画変更であるから、通常は計画の変更を確実に伝えるため、何らかの積極的な言動があるべきであると思われるが、そのような事実も認められない。」「吉田氏は調書の中で「2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。(多くの所員が詰めていた)免震重要棟はその近くです から、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一 回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな 全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と述べている。所員が2Fに行ったことを肯定しており、第一原発やその近辺への退避指示は適切ではなかったことを認めている。」などとして、吉田所長の指示は明確でなく、末端に徹底されていなかったとする。

しかし、客観的な資料と対比すれば、吉田所長の指示にはなんらあいまいさはなく、柏崎刈羽メモにも記録され、その指示に符合する公式のプレスリリースが公表されていたのである。また、保安院や東電本店へのFAX報告においても、明確に吉田所長の指示内容に即した報告がいったんはなされていたことが確認された。

650名の2Fへの移動は明らかに吉田所長の公式の指示に反している。東電本店も指示違反の状態が生じていることを認識しつつ、これを記者会見の場で隠蔽したことになる。

 

第3 なぜ、吉田所長は1F内待機を命じたのか

 

1 PRCの分析

 

PRC見解は吉田所長による1F内待機の指示の存在を認めながら、以下のような点から、実質的には、「命令」と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて「命令違反」と言うことはできないとしている。

しかし、吉田所長による1F所内待機の指示は、テレビ会議を通じて発せられている。当時の社内の指示はすべてこのシステムを通じて、緊急時対策本部長席に座って発話する方法でなされていたのであるから、この記録に指示が記録されていることをもって、このような指示命令が存在したことの証拠は十分である。さらに、前述したように、これを明らかに裏付ける、東電記者会見のプレスリリースと、保安院宛のFAX追加の指示などが存在していたことが明らかになった。指示命令は明確であり、指示があいまいであるとするPRC見解には根拠がない。

 

2 PRCが無視した吉田調書の記載

 

8月9日の聴取記録で、吉田所長は次のように語っている。ここでは、格納容器破損による放射線量の上昇の有無を確認してから「次のステップを決める」という、判断の過程を詳しく証言している。

「○回答者(吉田所長、以下同)…(中略)…それは、どちらかというと、ストップして何したかというと、周辺の放射線量 だとか、そこをまずしっかり測れと。だから、何かあったと。何かあったから、まずは引き上げろと。一番重要なのは、放射線量が急激に増加する、格納容器が破れるということで、急激に放射線量が上がるわけですから、それをまず確実に測定して連絡しろと。その値を見て、どう操作をするかとか、次のステップを決める、こういうことですから、まずはそういう対応をした。

○質問者(政府事故調、以下同) その後、例えば、パラメータとか、要するに、何が起こたかと。

○回答者 中央操作室も一応、引き上げさせましたので、しばらくはそのパラメーターとかは見られていない状況です。いずれにしても、まずは放射線量がどうかということで、それが大きく変化するようであれば、またそれは考えないといけませんし、まずはそこをしっかり見ましょうと。」(カッコ内は筆者の補充)

もとより、証言には記憶違いや意図的な隠蔽など様々なバイアスがかかっており、その検証をすることが求められる。それでは、そのような検証をする際には、どのような資料に依拠すべきだろうか。私はできる限り、事故に近接して作成された客観性の高い資料を重視すべきであると考える。

柏崎刈羽原発側で記録していた柏崎刈羽メモは当時、テレビ会議を通じて交わされたやりとりをリアルタイムで記録し、整理したもので、資料的価値は高い。これは吉田所長への聴取が始まる2011年7月以前に作成されたもので、吉田調書の内容を検証するには欠かせない資料である。少なくとも政府事故調の中間報告書が発表される同年12月以降の証言、特に当事者である東電関係者の証言を使い、遡って吉田調書を検証することは政治的なバイアスなどを無視することはできず、客観性や信頼性は低くなると私は考えている。PRCはこうした報道の手法を全く理解していないように見受けられる。

この柏崎刈羽メモには「6:42 構内の線量が低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」と記載されている。さらにその11分後には「6:53 原子炉建屋周りの線量率を確認する」との記載もある。

PRCが無視した「一番重要なのは、放射線量が急激に増加する、格納容器が破れるということで、急激に放射線量が上がるわけですから、それをまず確実に測定して連絡しろと。その値を見て、どう操作をするかとか、次のステップを決める、こういうことですから、まずはそういう対応をした。」という吉田所長の証言とよく合致している。PRC見解を読むと、PRCは朝日新聞側からこの時系列メモの提供を受けていると推測される。にもかかわらず、柏崎刈羽メモと吉田証言についての分析と考察はない。この最も重要な部分をなぜ無視するのか、このような検討姿勢が公正なものといえるのか、誠に疑問である。

 

3 2F退避の指示が途中で変更されたことは下請けの作業員の調書でも裏付けられる

 

2Fへの退避という方針は確立されたものではなかった。この日、本店で午前6時頃に演説をした菅首相の「撤退はあり得ない」という演説がなんらかの形で、この方針の動揺に影響した可能性もある。

このことは、今回新たに公開された東電下請けの南明興産社員の陳述書からも裏付けられる。該当箇所を、以下に掲げる。

この調書では、14日の深夜に菅首相の演説があったことになり、客観的な事実とは完全に符合はしないが、いったん決められた2F退避の方針が官邸の意向で中止となり、その後、2号機の爆発(実際には4号機であった)によって、再度退避することとなった状況が説明されている。下請け社員の受けた印象の記録として貴重なものである。

 

4 所内に線量の低い箇所はあったのか

 

PRC見解の中で技術的に疑問な点は、福島第一原発構内には免震重要棟内より線量の低い箇所などはなく、所内待機の指示には合理性がないとしている点である。

PRCは所員が6時42分の時点では、すでに免震重要棟の外にいるという事実を見落としているのではないか。柏崎刈羽メモに記載されている各地点の放射線量を比較すれば、このような主張には全く根拠がない。

PRCの見解によれば、午前6時42分に発せられた吉田所長の「構内の線量の 低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との指示(5月20日付朝刊報道は命令と表現)があったとき、「すでに第二原発への退避行動が進行している最中」だった。だとすれば、所員は全員でないにしても免震重要棟の外に出ている、あるいは外に用意されているバスに乗車していると考えるのが相当である。これは、PRCの見解によらなくとも、柏崎刈羽メモには午前6時27分に「退避の際の手順を説明」とある。東電が開示したテレビ会議の映像を見ても午前6時30分ごろから人の移動があわただしくなっていることが確認できる。福島第二原発に向けた退避行動がいったん起き、所員が免震重要棟から外に出始めているのは事実であろう。

そこで、各場所の放射線量をみると、柏崎刈羽メモの記述では、免震重要棟内の放射線量は15〜20μSv/h(6時29分)と外部より低い値が報告されている。しかし、免震重要棟の周り、すなわち所員が全員と言わないが存在している場所の放射線量は5mSv(5000μSv)/h(7時14分)と記述されている。そこに12分居るだけで一般の人の年間許容線量1mSvに達してしまうほどの高い線量である。したがって、所員を免震重要棟に安全に戻すこと自体が難しくなっていた。ただちに、別の場所に移動させる必要があったのである。

一方、例えば福島第一原発正門付近の放射線量は当時131.5μSv/h〜882.7μSv/hと柏崎刈羽メモには記録されている。所員が居る免震重要棟周辺の38分の1〜5分の1と低いエリアが存在している。所内の線量はバラバラであり、免震重要棟からでている作業員にとっては、極めて線量の高い免震重要棟付近より、線量が大幅に低い場所もあったのである。このような場所への移動の指示は合理的なものであるといえる。

福島第一原発の敷地は東西方向より南北方向の方が長い。正門は1〜4号機のほぼ真西にあり、敷地の北端や南端に比べて近い位置にある。吉田所長は調書の中で「免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言った」と述べている。正門付近は、所員が現に居る免震重要棟の周辺より「比較的線量の低い」ところであり、南北に長い敷地、あるいは風向きを考えると、この正門付近よりさらに「比較的線量の低い」ところが存在していたともごく自然に考えられるのである。

PRCは吉田所長の午前6時42分の待機指示が発出された時に所員の居た場所について、正確な理解を欠いていると言わざるを得ない。所員の多くがまだ免震重要棟にいるかのように誤解し、放射線量の比較に免震重要棟を基準としている。しかし、このような間違った前提から導き出された「所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった」「実質的には『命令』と表することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて『命令違反』と言うことはできない」などという総括はまさに誤った前提に基づく推測であると言わざるを得ない。

 

5 PRCが見解の基礎とした吉田証言には客観的裏付けが欠けている

 

吉田所長がいったんは格納容器の爆発の危機を想定したのは事実である。しかし、「その後は一貫して、格納容器の爆発を疑って、所員を退避させたと語っている」と断定する論拠をPRCはいったいどこに求めているのか。この柏崎刈羽メモによれば、時間が経つにつれて、格納容器の爆発の可能性があるかどうかを冷静に判断し、2Fに移動するのではなく、1F構内での待機へと判断をシフトさせた根拠となる記載が散見できる。

たとえば、午前6時30分には、吉田所長は「一旦退避してからパラメーターを確認する」としている。また午前6時42分の指示よりは少しあとになるが、午前7時6分の「1F-4  原子炉建屋の屋根に穴があいている、破片が下に落ちている」などの記載も、重要である。当初から、吉田所長は格納容器の爆発までは起きていない可能性があると考え、まだ残留できると考えて、指示内容を変更したと推測する根拠となりうる。そのことが、徐々に裏付けられて行っている過程と言えるだろう。

PRCは「以上からすれば、2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の『第一原発の所内かその近辺にとどまれ』という『命令』から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる」と結論づけている。しかし、柏崎刈羽メモという客観的資料を元に証言の裏付けをしているのは当初の朝日新聞の吉田調書報道の方であり、資料の裏付けのない証言をそのまま引いているPRC見解こそ、「推測にとどまるもの」といわざるをえない。

第4 結論

 

以上のとおりであって、吉田所長の1F構内待機指示は、柏崎刈羽メモに明確に記載されていたし、15日朝8時30分の東電本店記者会見で配布された資料にも明記されていた。

そして、東電は、この会見時には、650名の2Fへの移動の事実が判明していたにもかかわらず、この事実を明らかにせず、退避した社員は1F近くに待機していると発表していた。

650名の2Fへの移動は所長の指示命令に明らかに反しており、だからこそ、東電は記者会見においてこの事実を隠蔽したのだと考えられる。

吉田所長の1F内待機の指示の存在を認めながら、この指示があいまいなものであったかのように分析するPRC見解は、これらの客観的資料やこれと符合する吉田調書をあえて無視し、推測にもとづいて議論を組み立てている。事実と推測を混同しているのは吉田調書報道ではなく、このPRC見解の方である。

真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はない。

朝日新聞社も含めて、すべてのジャーナリストには、3月15日朝の福島第一原発の真実を明らかにするという責任が残されている。

第5 資料

 

1 本論考作成のために参照した資料

 

(1)海渡雄一「日本はあの時破滅の淵に瀕していた」(「世界」2014年11月号)

(2)2011年3月15日東電会見配付資料

(3)同上会見録画http://www.youtube.com/watch?v=QXxDQuX8UPc

(4)東電福島第1原発所長から原子力保安院に対する「異常事態連絡様式」3通(2011年3月15日付)

(5)2011年3月15日柏崎・刈羽メモ(データ)

 

2 吉田調書の該当部分

 

吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

——— そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。

吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

——— 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」

 

3 2011年3月15日午前8時30分頃開始東電本店記者会見の概要

 

会見問答①

質問者 なぜ移動させたんでしょうか。

質問者:いつ移動し始めたの。

質問者:それから、どこに移動してるんですか。何人?

東電 人数ですとか、具体的な場所については確認次第またご報告いたします。申し訳ございません。

質問者 それは把握してない?

質問者 放射性物質を避けるための移動と考えていいんですか。

東電 放射性物質を避けるためもありますし、線量が上がるのではないかと、上がる可能性があると判断したということだと思います。

質問者 つまり、避けるためですよね。それは。

東電 そうです。はい。

 

会見問答②

質問者 残った 50 人には混乱とかは見られませんか?

東電 我々テレビ会議につないでもうずっとやってますけれども、なんとか頑張ってまだ冷静に対処しているというふうに認識しています。

質問者 50 人はどういうところにいらっしゃるんですか。

東電 事務本館横がですね、免震棟と言われる建屋がございまして、そこにおります。

質問者:それはどれ位放射線を防げるんですか。

東電 建屋自身が放射線を、特殊で防ぐということではなくて、一般の建屋で防げているという状況ですので、線量はちょっと今、具体的な数値は持ち合しておりませんが、線量の監視をしながら続けているという状況でございます。

質問者 炉を閉めるって選択肢はないんですか。

東電 炉を閉める? 炉を閉めると? そういった 選択肢も当然あって、すぐにはできないですから、当然それは選択肢の中ではあると思います。

質問者 さっきあの、ポンプ車4 時間位で燃料切れるって話だと思うんですけども、その辺についてはどうするつもりですか。

東電 補充して対応してると。ポンプ車を変えるかもしくは補充するということで対応しているというふうに聞いております。

質問者 これは 50 人の方が?

東電(黒田):そういうことですね。はい。

 

4 枝野幸男官房長官会見(2011年3月午前6時45分開始)

 

原子力発電所の件について、総理が東京電力に入りまして、改めて現状の把握を行いましたところ、先ほどの私(官房長官)の会見での時点では把握できていなかった事象が認識をされましたので、まずは国民の皆さんに速やかにご報告をさせていただこうというふうに思っております。第一原発の二号炉の中の格納容器に繋がるサプレッションプールと呼ぶそうでありますが、水蒸気を水に変える、少し出っ張っている部分だそうであります。その部分に欠損が見られている模様であると。繰り返します、格納容器に繋がるサプレッションプールと称する水蒸気を水に変える部分、少し出っ張っている部分のようであります。その部分に欠損が見られるということであります。ただし、周辺の放射線濃度の測定値は急激な上昇等は示していない。国民の皆さんの健康に被害を及ぼすような数値を示したり、急激な上昇等を示したりはしていないということであります。しかしながら、こうした事態に対して、迅速な対応を取らせていただきたいと思いますので、私自身は東電の方から総理等のご指示を受けたいと思いますので、この後戻らせていただきたいと思いますので、ご質問、1問か2問ございましたらどうぞ。

 

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