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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第11回
 インディアン寄宿学校の遺体が問う国家の誇り

2021年7月9日

小笠原みどり (ジャーナリスト・社会学者)

 
 白いサンダル、緑のスニーカー、黄色い長靴――無数の小さな靴がブリテッシュ・コロンビア州議事堂の正面階段を埋め尽くしていた。寄宿学校に連れられていったきり、二度と家に戻ることはなかった、幾千の幼いいのちの足跡を模して――。人々が持ち寄った靴の傍らには、木製の十字架や色とりどりのぬいぐるみが捧げられ、ヨーロッパ風の石造りの議事堂を、先住民族の子どもたちを弔う巨大な祭壇に変えていた。

ブリティッシュ・コロンビア州議事堂の正面階段には、遺体が見つかった子どもたちへの哀悼の意をこめて靴や花束、ぬいぐるみが捧げられていた。正面の数字1505はカナダ・デーまでに発見された遺体の数を示しているという=撮影はすべて2021年 7 月、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアで、溝越賢

 今日は 7 月 1 日。カナダ・デーと呼ばれる祝日で、いつもならカナダ国旗の赤と白を身にまとった人々が街に繰り出し、市や町は花火を打ち上げる。短い夏の始まりを歓迎するように、または、数日後のアメリカの独立記念日 ( 7 月 4 日) に対抗するかのように。15世紀末からヨーロッパの入植者が居住地を広げ、フランスとの争奪戦の後にイギリスの植民地になったカナダが、1867年に自治領となったことを祝う「建国記念の日」に、カナダ人は自分たちが「いい国に住んでいる」と確認しあってきた。自由主義国家の一員として、難民・移民を多く受け入れ、安全で民主的で多文化共生の国、カナダ。だが、多くの人々が信じていた国家像は2021年のこの日、地に墜ちていた。

 ヨーロッパから入植者たちがやって来る何千年も前から、この地で暮らしてきたファースト・ネーションズ (初めに国をつくった人たち) の子孫であり、政府によってインディアン寄宿学校 (Indian Residential School) に送られた子どもたちの遺体が、各地で次々と発見されているのだ。墓標もなく、声もなく、忘れられていた無数の子どもたちが地中から、カナダという近代国家の成り立ちを暴露し、激しく揺るがしている。

カナダ・デーを祝う国旗を頭につけた女性が、子どもの靴で埋まった階段を見つめいた。オレンジ色の T シャツは、インディアン寄宿学校問題の追及に連帯する人たち

 最初の探知は 5 月末だった。ブリテッシュ・コロンビア州のカムループスで、インディアン寄宿学校のあった場所に215人の子どもたちの遺体が埋まっていることをレーダーが探知した、とファースト・ネーションズのリーダーが発表した。カムループス・インディアン寄宿学校は1890年から1969年まで、カトリック教会が運営していた。

 インディアン寄宿学校は、カナダ政府の政策で先住民の子どもたちを教育するために設立され、カトリックを始めとするキリスト教団体が各地で運営してきた。白人たちとの「条約」の下に、土地や狩猟の権利を段階的に奪われてきた先住民族は、いまではリザーブと呼ばれる僻地に囲い込まれ、リザーブには学校や教育施設がなく、水道すら通っていないこともある。そのリザーブから子どもたちを集めて教育を施す、といえば聞こえがいいが、実際にはカナダの建国者たちが、先住民をヨーロッパ文化に同化させるためにインディアン寄宿学校を設立した。インディアンという蔑称が示すとおり、先住民の文化や言語を否定し、英語の読み書きとキリスト教を強要し、白人が経営する工場で役に立つような人間をつくろうとした。「子どものうちにインディアンの性質を殺す」 ( “ Kill the Indian in the child ” ) のが目的だった。それは比喩にとどまらなかった。

 政府は先住民の子どもたちを捜し出し、親が寄宿学校に子どもを送ることに同意しない場合には、警察官を派遣して子どもを暴力で奪い、学校に送り込んだ。寄宿学校は劣悪で不衛生な住環境で、食事は十分に支給されず、結核などの感染症にかかる子どもが多発し、神父や教師、職員による暴行、鞭打ちや電気イスによる処罰、そして性的虐待が横行した。インディアン寄宿学校が教育施設として問題があり、子どもの成長にとって有害な場所であることは、20世紀の初頭に政府の査察官がすでに怒りを込めて報告している。しかし、寄宿学校は拡大し続け、全国で約15万人の子どもが送り込まれ、サスカチュワン州で最後の 1 校が1996年に閉校になるまで存続したのだ。

 カムループスの遺体発見から 1 カ月もたたない 6 月末、今度はサスカチュワン州の州都リジャイナの東160キロにあったマリーバル・インディアン寄宿学校の跡地で、751人の遺体をレーダーが探知した。ローマ・カトリックの墓地だったが墓標はなく、地元では寄宿学校で亡くなった子どもたちが埋められていることが何十年も言い伝えられてきた。1960年代まで墓石があったらしく、教会が墓石を取り除いた痕跡もあるという。カナダでは墓石を取り除くことは違法であるため、ファースト・ネイションズのチーフは「私たちはいま、この場所を犯罪現場として取り扱っています」と語った。

 インディアン寄宿学校で多くの子どもたちがいのちを落としたことは、秘密ではなかった。寄宿学校の暴力と栄養失調と抑圧を生き延びたけれど、引き離されてわからなくなった親を捜したり、虐待のトラウマに苦しみ続けたりする人々の訴えは、カナダ社会を徐々に動かしてきた。政府は2008年、インディアン寄宿学校の調査を目的とする「真実と和解委員会」 (The Truth and Reconciliation Commission of Canada) を設立し、委員会は 6 年かけて139校の約6500人の生存者から証言を聞き、2015年に最終報告書をまとめた。いまわかっていることの多くは、この報告書に基づき、少なくとも3200人の子どもたちが死亡したことが記録されている。しかし、記録されていない死者――神父などに強姦され、生徒が産んだ新生児なども含め――がいることは明らかで、少なくとも6000人と見積もられてきた。

 しかし、いま発見されている遺体の数は、この見積もりをも遥かに上回る現実を示唆している。あるファースト・ネーションズのチーフは「計算は簡単です。このペースで (他の学校に行っていた) 我々の子どもたちが発見され続けたとすれば、 7 万人になる。国家と教会が積極的に消そうとした記憶とともに、すでに地に返ってしまった遺体を除いて」とコメントした。

靴やぬいぐるみとともに、州議事堂に置かれたメッセージ。「家に帰れなかった215人の子どもたちのために」と書かれている

 そして数字の見積もり以上に、カナダの心臓部に刺さったのは、数字が立ち上がらせた生身の子どもたち一人ひとりの存在だろう。一人ひとりが感じた恐怖、痛み、怒り、苦しみ、悲しみが、その未来とともに地中へと叩き込まれ、土でふさがれた。しかもそれは、遠い昔の話ではない。地中に身体の輪郭をとどめている子どもたちが生きていれば、私を含めて、いま生きている大人たちや、その親たちの世代に当たるだろう。一人ひとりに様々な可能性があり、かけがえのない人生があったはずだ。カラフルな子ども靴が並んだ州議事堂の祭壇を見上げるとき、子どもたちの無数の足音と声と時間が立ちのぼってきて、私を圧倒した。

 私が暮らす西海岸のビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都で、カムループスから約440キロ離れているが、215人の遺体の発見の衝撃は大きかった。勤務先のビクトリア大学は、すぐにキャンパスに掲げられた旗々を半分に降ろした。ウチの子どもが通っている高校も、弔意を表す校長のコメントとともに、子どもたちが大量虐殺の事実にショックを受けた場合のケアについての資料をメールで送ってきた。ビクトリアの市長はカナダ・デーのお祭り行事を、今年はキャンセルすると発表した。

州議事堂正面の広場では弔意を示し半旗が掲げられていた

 衝撃は全国にも波及した。数年前から議論になっていたカナダ建国の父たちの銅像が、ついに各地で撤去され始めた。私が昨年まで暮らしていたオンタリオ州キングストンの公園にあった、初代首相ジョン・ A ・マクドナルド卿の銅像はマクドナルド宅へと移され、プリンス・エドワード島のシャーロットタウンでは引き倒された。その他の寄宿学校を推進した建国者たちの像や、通りに付けられた名前も、「偉人」たる資格を失って、急速に取り除かれている。

 カトリック教会への放火も何カ所かで発生した。寄宿学校の 6 割を運営していたカトリック教会は、真実と和解委員会の調査に非協力的で、資料を提供しないことで批判を浴びてきた。カムループス寄宿学校の資料も公開されていない。カナダにいる神父が個人的に謝罪しても、ローマ法王はトゥルードー首相やカナダ議会による公式謝罪の求めに応じてこなかったため、公式謝罪を求めるオンライン署名が広がっている。

 真実と和解を口にしながら、行動しない政治家たちの怠慢もあぶり出されている。真実と和解委員会は94項目の行動提言を出したが、政府はほとんどを実行に移していない。寄宿学校を可能にした「インディアン法」は、なんと150年後の現在も存在し、トゥルードー首相は2018年 2 月に下院で抜本的な改定を約束したにもかかわらず、放置してきた。つまり、先住民族を差別し、抑圧してきた法制度は存続し、先住民から奪った土地と資源で財を築いた白人の子孫たちが、この国の富と権力を独占している構図にはまったくメスが入れられてこなかったのだ。

 こうした政治家の不作為は、まだ植民地支配の罪を受け入れきれない、受け入れたくない、そして特権を享受し続けたい白人たちの心情にも支えられている。ウチの近所に暮らしている老婦人も、気のいい人だが「カナダ・デーがキャンセルされるなんて・・・カナダ・デーは楽しい日なのに」と受けとめきれないようだった。インディアン寄宿学校の悲劇は理解できても、マクドナルド卿の像が撤去されたことには「彼は鉄道もつくったのよ」と話し、「先住民は、次は感謝祭を中止しろと言ってくるかもしれない」と目を見開いて、怯えていた。アルバータ州の保守系ケニー知事も「パーフェクトではないが、それでも (カナダは) 偉大な国だ」と、国家の誇りにこだわっている。

インディアン寄宿学校の跡地で子どもたちの遺体が見つかった場所には、目印として遺体の箇所にオレンジ色の小旗が立てられた。それを模して、州議事堂前にも同じ小旗がたくさん立てられていた

 植民地支配の負の歴史へのこうした反応は、日本でもなじみのあるものではないだろうか。「日本は朝鮮に鉄道や学校をつくった」「台湾を近代化した」「満州に五族共和の王道楽土を築こうとした」「やり方は悪かったかもしれないが、理想は崇高だった」といった発言は、日本の内側では珍しくない。が、人ひとりのいのちは鉄道より学校より重い。まして、人間を組織的に殺めてきた植民地制度に、誇れるものなどあるだろうか。鉄道も学校も日本の支配のためであったのに、植民地に進歩をもたらしたと強弁するのは、支配者が犯した罪を過小評価し、隠蔽し、責任を回避する態度以外の何ものでもない。

 植民地支配に殺された子どもたちを追悼する靴は、そんな近代化ならいらなかった、と国家の誇りに蹴りを入れている。償いへと突き動かされる人々がつくった祭壇は、ブリティッシュ・コロンビア州議事堂だけでなく、オタワの国会議事堂の前にも、小さなコミュニティにも出現している。その周りで、“Every Child Matters” (子ども一人ひとりが大切) と書かれたオレンジの T シャツを着た人々が集い、祈り、不正義と不平等を是正するために行動している。

 世界のどこであれ、植民地の地中にはおそらく、無数の子どもの死体が埋まっている。その一人ひとりを見つけ出し、愛されて呼ばれたその名を、建国者たちの像に代わって、碑に刻まなくてはならない。足元に埋まった植民地の残酷のすべてを、私たちはまだ知らない。
 
 
追伸
 カナダの先住民差別の現状と歴史を知るのに格好の書籍『命を落とした七つの羽根 カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』 (タニヤ・タラガ著、村上佳代訳) が、青土社より出版されました。原書を、第 8 回「北オンタリオの旅 (中編) 先住民の若者が消える街」で紹介しました。カナダ在住の村上佳代さんが自ら日本語訳されて出版に尽力し、原書以上にわかりやすい地図と豊富な参考資料を作成した労作です。著者による日本語版序文も入っています。ぜひお読みください (2700円・税別)。
〈了〉

 
 

 
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。
 
 
 
 
 

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