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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第12回
 1 年の沈黙と 3 年ぶりの帰国

2022年9月5日

小笠原みどり (ジャーナリスト、社会学者)

 まずは、昨年 7月以来、この連載をなんの説明もなく休んでしまったことを、読者のみなさんとN P J編集部の方々にお詫びしたい。私はパンデミック下の2020年秋、カナダ東部のオンタリオ州から西海岸ブリテッシュ・コロンビア (B C) 州に引っ越し、それ以来、新しい土地と新しい仕事に馴染むのにてんてこまいしている。B C州に引っ越して来たのは、州都のビクトリアにある大学に教員として採用されたからだが、これが生半可な仕事ではなく、4 つの新講座を立ち上げることから、英語で論文を執筆・出版することまで、今もって右往左往している。

ブリテッシュ・コロンビア州バンクーバー島のカウチン川沿いに茂る雨林=2022年 8 月、撮影はすべて溝越賢

 
 大変なのは仕事だけではなく、まず生活の基盤を築くことに苦労した。なにしろパンデミックなので、私が到着した頃の大学はすべてオンライン授業で、新規採用の教員向けオリエンテーションはキャンセルされ、キャンパスには人がいなかった。家探しも健康保険に加入することも、誰かに聞きたくてもメールしか手段がなく、メールしても返事が返ってこないこともあり、みんなコロナで苦労しているんだろうとは思いながらも困った。具合が悪かったり、病院で検査が受けたかったりするときにも、クリニックに電話が通じればいい方で、もともと不十分な医療制度がほとんど崩壊していることを、身をもって感じた。住宅は借りるのも買うのも、価格が異常に高騰し、間借りしていた家が突然売りに出されるというピンチもあって、不安定な生活が続いた。パンデミックは、新しい場所で暮らす孤独と緊張を高めるばかりだった。

 そんな危機的状況が長引いて、新しい生活と仕事を軌道に乗せるために、日本語での仕事を制限せざるをえなかった。日本からの記事や講演の依頼も、ほとんどお断りし、気づけば日本語の世界で 1 年以上の「沈黙」が続いてしまった。

ビクトリアの中心地インナーハーバー。正面はエンプレス・ホテル。この夏はクルーズ船で観光客が戻ってきた=22年 3 月

 
 コロナ以前、私はほぼ毎夏、日本に一時帰国し、家族や友人と再会し、講演や研究会、仕事の打ち合わせに駆け回っていた。それが2020年は鎖国状態で、21年は東京五輪のカオス状態で戻れず、日本は遠くなるばかりだった。 3 年目の今夏、帰国するにはまだ様々なハードルがあったが、意を決して飛び越え、 1 カ月だけ滞在することができた。日本にいる間に、この連載を楽しみにしてくれる方々の声を聞いて励まされ、再び今、パソコンに向かっている。待っていてくださって、ありがとうございます !

 連載の再開を機に、少し身近なところから時計の針を巻き戻していきたい。まだパンデミックは終わっていないので、人々は行きたいところには行けないし、会いたい人にも会えず、私は大学の仕事に追われていて、以前のように取材に出られない。だが、私の生活も激動の時代のあおりをもろに受け、カナダもインディアン寄宿学校の問題のように、植民地支配の歴史を見直す大転換期を迎えている。この夏は、ローマ法王がついにカナダを訪れ、寄宿学校で多くの先住民族の子どもたちが虐待され、命を落としたことを謝罪した。その一方で、冬には、パンデミック対策への不満から、オタワの国会議事堂周辺を人々がトラックで占拠するという「トラッカー」事件もあった。アメリカの連邦議事堂占拠を思わせるような、右翼的、白人至上主義的な蠢きはカナダでも広がっている。そして、その間にもカナダ各地を異常気象が襲い、B C州は今夏も猛暑と山火事に苦しんでいる。こうした事象を毎月、ビクトリアの大学で働く私のレンズを通しながら振り返っていく。

ビクトリアはバンクーバー島南端に位置し、ビーチが多い。地元の人々が散歩する夕暮れどきのオーク・ベイ=21年 1 月

 
 そこで今回は、少し趣向が異なるが、直近の日本体験を記しておきたい。毎夏、日本に戻ると私は軽い逆カルチャーショックを覚えるのだが、今回は 3 年ぶりで、しかも新型コロナによる社会全体の変化で、ことさらギャップが大きかった。

 日本は訪れる度に、今どんな服装や髪型がはやっているのかがよく分かる国だ。街を歩いている人、電車に乗っている人を見れば、同じようなスタイルの人が多いので、一年留守にしていても、はやりものがすぐに分かる。もちろん、ファッションの流行は世界各地にあるが、どこでもすぐに分かるかと言えばそうでもない。カナダは、ファッション業界の意図はあるだろうが、判定が難しい。強いて言えば、スパッツとかジャージとかウィンドブレーカーとか、老いも若きもスポーツウエアを日常着にする傾向が続いていて、着心地はよさそうだが、見た目にはおしゃれではない。だからスタイルとして何が流行なのかよくわからない。そもそも、人々がスタイルに注意を払っているように見えない (週末に何をするかとか、家の修繕とかで頭がいっぱい) 。だから、日本で買った服を来ている私などは、簡単に「ファッショニスタ」 (ファッションおたく) と呼ばれてしまう。

 今夏は、成田空港に降り立った途端に、歩いている女性たちの格好がまるで制服のように地味で驚いた。ふわふわした白いブラウスやカットソーに、やはりふわふわした黒や紺のスカート。髪型は、前髪を真っ直ぐに整え、後ろで一つにまとめている人が多い。ふわふわした服は体に張り付かないので、猛暑対策になるし、長い髪は結んだ方が確かに涼しい。そういう意味では理にかなっているのだが、なんだろうか、この色のなさは。プリントの入った T シャツや、チェックやストライプといった柄のある服を着ている人はほとんど見当たらず、誰が誰だかわからないほど、人間の存在が風景に沈み込んでいる。

 パンデミックで在宅勤務やオンライン授業になり、服を来ていく社交の場がなくなったことは大きいだろう。これは女性にとっては、お化粧や格好に気を使わなくてよくなり、解放的な面もある。しかも職を失ったり、物価の上昇で家計が苦しくなったりすれば、服飾費を切り詰めて当然だ。ファストファッションの安い服は山のように売られている。同じようなデザインなら安い服でいいし、人にもさして会わないのだから、これで十分、というのは私の生活感覚にも通じる。

 しかし。それらの合理的な理由だけでは説明しきれない、集団心理の落ち込みぶりを、私は何よりも感じた。おカネはなくてもファッションに一番興味があって、人生で一番キラキラしているはずの年代の人たちまで、自分の存在を消すかのように集団に溶け込ませて、昔の言葉で言えば「ぶりっ子」のような格好をしている。清潔感はあるが、面白みも、華やかさも、とんがりもない。学校に押し着せられているのではなくて、自分から制服をまとってしまう時代精神とはなんだろうか ?

 人と違わないように、何か言われないように、攻撃されないように――日本社会に以前からある同調圧力は、これまで何度も指摘され批判されているのに、パンデミックでぶり返したのだろうか。なにしろ頼まれもしないのに、「自粛警察」がうろつく土地だ。みんなが後ろ指さされないように、自分の挙動に気をつけながら、他人をも見張っている。しかし、感染症の爆発だけが原因ではないだろう。過去10年、異なる声を聞かず、批判を認めるよりは否定し、排除する強権的な政治文化がひたひたと広がった。官僚たちが政治家たちの意向をうかがい、部下たちは上司の顔色を見、誰でもがその場の空気を読むことを求められる社会は、子どもまでが「忖度」 (そんたく) という言葉を覚えてしまうほど度々指摘されているのに、なりを潜める気配すらない。そうした社会に、誰であれ恐れを感じずに出ていくことができるだろうか。少なくとも、心浮き立つことはないだろう。実際、成田よりはファッションに多様性が見える渋谷の街でも、人々の表情は明るいよりは暗く、スマートフォンの画面だけを見つめて、周囲を視界から遮断していた。目立ってはいけないという強い恐怖に縛られながら、恐怖と折り合いをつけ、恐怖を意識しないですむような服が2022年の日本の流行、と私の目には映った。

ビクトリアの八百屋の上に広がった夕焼け=21年 1 月

 
 日本は、買い物天国の国でもある (おカネさえあれば) 。店員さんたちは皆親切で、何か買えばお辞儀までしてくれる。カナダではまず、店員さんを探すことから始めなくてはならない。どこもネット販売に押されているからか、売り場の人員が削減され、しかも人手が足りていない。店員を見つけて探している商品を告げても「私は知らない」と言われることもあるし、「ないね。ごめん ! 」で片付けられることも多い。もちろん、親切な人に当たることもある。が、個人差が大きくて、あてにできない。私がイエロー・スキンなので、軽く見られて相手にされていないのかもしれない。

 だから、日本のお店はなんて丁寧で、サービス満点なんだろうと、ハッとした。しかし、そこまでして頂かなくても・・・と思うことも。横浜で服を買ったら、ほんの数メートルの店先まで店員さんがわざわざ商品の入ったバッグを運んでくれた。福岡空港でだしパックを買ったら、去っていく私の背中に向かって 3 人の従業員が手を前で揃えて深々とお辞儀をしていた。これには、16歳になった私の子どもが振り返って、仰天していた。私は申し訳なくなって、早足で角を曲がった。誰がここまでの奉仕を彼女たち (全員が女性) に求めているのだろうか。会社か。だったら経営者が頭を下げればいい。コロナで小売販売や接客業の人々は感染の危険にさらされ、いつも以上に疲れているはずなのに、その上、客に感謝するという感情労働まで課さないでほしい。客は求めていません !

 そんな売り場の女性たちの姿とは対照的に、男性たちは、コロナ太りか肉肉しい人が目立ち、幅をきかせていた。以前からだが、日本の空港は平日、男性客が多い。ほとんどの人が仕事で飛ぶからだろう。カナダも平日は商用の人が多いが、リタイアした夫婦とか小さい子どもを連れた母親も混じっている。今年の羽田空港も、平日は男性だらけだった。逆に言えば、仕事で飛行機が使えるような職についている女性が増えていないことが見て取れる。航空会社は、客をダイアモンドだのプラチナだのゴールドだのと細かにランク付けして、搭乗の順番や待合室で差別するのをサービスと呼んでいるので、客同士の貧富の差が知りたくなくてもはっきり出る。先に颯爽とゲートに入っていくダイアモンド人やプラチナ人は、圧倒的に中年以上の男性だ。

 飛行機を頻繁に利用するビジネス客が、良い扱いを受けるのは当然だろうか ? 特別扱いされるためにおカネ払ってるんだから、仕方ないだろうか ? しかし、そのカネを握ったビジネス客がほぼ全員男性だったら ? ジェンダー・ギャップ指数146カ国中116位の日本 (2022年) を実証する風景が、空港では簡単に見つかる。が、私はそのことに自分が仕事でバンバン飛んでいた新聞記者時代、気づかなかった。「これはビジネスに名を借りた差別なんだよ。ほら見てごらん、みんな男でしょ ? 」と、搭乗を最後まで待ちながら、私は息子に話した。

ビクトリアのインナーハーバーの夕暮れ=20年12月

 
 最後に受けた衝撃は、カナダでは経験したことのないコロナ対策だった。レストラン、電車、空港で見た「黙食をお願いします」「会話を控えてください」という張り紙である。

 カナダや欧米諸国の政府は、日本よりずっと厳しいロックダウンと行動制限を敷いてきた。人々は昨年まで外出を控えるよう求められ、家族や友人と自宅で集まる人数まで制限された。日本と同じように、屋内ではマスクの着用が義務づけられ、人との間に 2 メートルの距離を取ることは、今でも張り紙で奨励されている。しかし、政府や組織から「しゃべるな」と命じられたことはない。私は自分の心の中にいきなり踏み込まれたようで、ギョッとした。というのは、人は言葉を発する前、まず心の中で何かを思うからだ。発話を抑制されるのは、マスクをするのより、私にとってずっと重い。「言いたい」「言わなければ」という思い自体が押し込められて、思考しようとする力が奪われてしまいそうだ。

 もちろん、飛沫感染を防ごうとしているのは理解している。しかし、仮に感染予防の効果があったとしても、政府や組織はどこまで個人の行動に介入できるのか。世界保健機関 (W H O) が繰り返し言っているのは、人権を侵害してはならない、ということだ。マスクと比べて、会話の禁止は、人権をおかす可能性が高いのではないか。話すことはコミュニケーションの基本で、人間関係の土台でもある。それを堂々と禁止できる権限を誰が持てるのだろうか。

 カナダ人の多くはマスクですら我慢ならなかったから、会話の禁止は受け入れられないだろう。念のために断っておけば、私はカナダが正しくて日本が間違っているとはまったく思っていない。各国のコロナ対策の違いを、文化の違いとして片付けることもできなくはない。けれど、私は個人に対して「話すな」とまで言える権力の存在する集団に危険を感じ、それが「常識」として疑われない文化に疑問を持つ。

 ここに点描した風景は、読者の皆さんにとってもうコロナ以降のニューノーマルかもしれない。今さら何で驚くの、と。 3 年太平洋の向こうで過ごし、 1 年沈黙している間に、私が浦島太郎になったのだろうか。しかし、沈黙の人間関係に耐えられないのはカナダ人ばかりではないだろう。今回、日本で再会できた友人の 1 人は、人づきあいがよく、冗談好きで知られている。その彼が「話すなっちゅーことは、死ねってことよ ! 」と叫んだことが、忘れらない。

 話すなと言われ、話すことの価値が再認識できた。私はビーバーテール通信を通じて、あなたに話し続けよう。

〈了〉
 
 

 
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。
 
 
 
 
 

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