【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―
【緊急寄稿】ビーバーテール通信 番外編 国葬が隠そうとするもの ――または、何が犯罪とされるのか
小笠原みどり (ジャーナリスト・社会学者)
カナダは今、イギリスのエリザベス女王死去 ( 9 月 8 日) のニュースであふれている。マスメディアは昨日まで、カナダ中部のサスカチュワン州で10人の死者、18人の怪我人を出す大量殺傷事件を伝えていたが、一斉にクイーンの生涯に報道を切り替え、名君だったとほめ称えている。女王の戴冠式からカナダ訪問時の写真まで、美しい衣装をまとった微笑みの映像が繰り返し流され、英連邦としてのカナダがいかに女王のお気に入りだったかを伝え、ニュース・キャスターたちが「カナダにとって今日は悲しい日だ」と宣言している。
一方、サスカチュワン州の大量殺傷事件は、先住民族の居留地を中心に起き、容疑者二人が死亡したために、動機や原因についてまだほとんどが謎のままだ。だが、背景に先住民族の人々が日常的に苦しんでいる社会問題――貧困と家庭の崩壊、高い自殺率、暴力、アルコールや薬物への依存症――があることを、コミュニティーの人たち自身が語っている。こうした先住民族コミュニティーに共通する問題が、イギリス植民地政府が先住民の土地や資源を奪い、差別と同化政策を進めてきた結果であることは、今のカナダのメディアでは広く認識されるようになった。にもかかわらず、クイーン死去のニュースはあっさりと先住民族の悲劇を紙面の片隅に追いやり、きらびやかな宮廷の写真が、安全な水をも欠く居留地の風景を覆い隠してしまった。
エリザベス女王の死去を伝える (右) カナダの全国紙グローブ・アンド・メール。前日まで報じられていた先住民族居留地で起きた大量殺傷事件 (左) は紙面の片隅に追いやられた=2022年 9 月10日、溝越賢撮影
そんななか、日本では安倍晋三元首相の国葬が、世論の反対が強いなか、挙行されようとしている。カナダでは日本の国葬問題はほとんど伝えられていないが、女王の死が先住民族の苦しみを押し流したように、元首相の国家による弔いが何を隠そうとしているのか、目を凝らしてみたい。
安倍氏が 7 月の参議院選挙期間中に銃撃、殺害されたことは、確かに大きな衝撃だった。私はそのとき日本に一時帰国していて、子どもが数日前に駅前で応援演説する安倍氏を見ていたので、新型コロナへの無策などで辞めざるをえなかった元首相が選挙の応援に来るほどまだ人気があるのか、と思っていた矢先だった。
テレビをつけると、事件を「言論の自由への弾圧」「民主主義への攻撃」「テロ行為」と、与野党の代表者からコメンテーターまでが皆一斉に興奮して語っていた。銃撃の原因はまだ謎だったが、数日後には、安倍氏は「民主主義の擁護者」 (英霊 ? ) として扱われていた。
私たちは近現代史の分岐点になるような出来事に何年か一度、出くわす。それは、実際に起きるとはほとんど誰も思っていなかったことで、出来事の強度は人々の度肝を抜く。私が生きてきた時間軸でいうと、9.11と対テロ戦争 (2001年) 、日朝首脳会談と拉致問題の発覚 (2002年) 、東日本大震災と福島原発事故 (2011年) 、新型コロナのパンデミック (2020年) など。後から考えれば、起きる予兆がなかったわけではないし、警告を発していた人もいたのに、世の中は耳を傾けず、多くの人は事件が起きたとき、頭が空白になって言葉を失ってしまう。どう理解していいのかわからないのだ。私がそうだった。
世界史的出来事をマスメディアを通じずに知ることはできないので、ショック状態の頭にメディアからの情報が降り注ぐ。悲劇を伝える生の映像や音声は人々の感情を激しく揺さぶり、そうした情報をどう受けとめるべきなのか、新聞の論考やテレビのニュース・キャスターが認識の枠組みつくる。私は全国紙の記者として10年以上働いたので言えるが、メディアの人間が、世界史的出来事をどう伝えるべきか分かっているわけではない。むしろ、新しい出来事を古い感性のまま、慌てふためいて伝えている。
しかし、新しい出来事は、昨日まで隠されていた世界の一面を容赦なく剥き出しにする。事件が起こる原因は、長い間蓄積されてきた社会問題に根ざしていて、実はひたひたと、潜在的に進行していたのだ。特に、すべての犯罪は何らかのかたちで社会の矛盾と関係している。社会の矛盾が噴き出すのが犯罪と言ってもいい。実際、安倍氏の銃撃事件から一週間後には、山上徹也容疑者が旧統一教会によって家庭を壊され、壮絶な人生を歩んできたことが報じられるようになった。安倍氏をはじめとする自民党の国会議員たちと、野党の政治家までもが、この詐欺的な宗教団体と関係を持ち、選挙の応援を受けたり、金銭を受け取ったりしてきたことも明るみに出た。なぜ山上容疑者が安倍氏を狙ったのか、因果関係が浮き彫りになり、社会的弱者を見捨てるだけでなく、そこから利益を得てきた政治の実態が、事件によって暴かれたのだ。
殺人は犯罪なので、山上容疑者は法の裁きを受ける。殺人は誰にとっても明らかに許されない行為だ。私たちは通常、殺人、傷害、暴行、窃盗、強盗など、個人による暴力的な行為を犯罪として思い浮かべる。しかし、会社など組織による詐欺、密室で進行する金融取引、エリートたちの職権乱用などはどうだろう ? これらの犯罪は、あからさまな暴力を伴わないので隠しやすい。「ホワイトカラー犯罪」とも呼ばれる、カネと権力を持った人々の犯罪だ。今回の事件で言えば、旧統一教会の集団的犯罪や、詐欺教団と利益を共有し、他者の苦しみの上に地位を築いた議員たちの罪は、これから裁かれるのだろうか ?
安倍氏は首相時代にいわゆる「モリ・カケ・サクラ」事件で、土地の不正取引、公金の不正使用、公文書の偽造、職権の乱用が疑われ、ホワイトカラー犯罪疑惑の見本のような人だった。が、裁かれなかった。さらに、特定秘密保護法、新安保法、共謀罪法など、いずれも世論の反対が強かった国家主義的な法律を次々につくり、政府に都合の悪い真実を暴くメディアやジャーナリスト、自分の政治を批判する市民を脅し、取り締まる制度を整えていった。安倍氏が疑惑のデパートでありながら、警察官僚を取り立て、検察人事にも影響力を及ぼし、監視国家化を着々と進めていったことは偶然ではない。すべては、権力の座にある自分とその取り巻きは犯罪者とされず、自分につべこべ言う民が犯罪者とされる、「楽園」の建設作業だったのだ。
岸田首相が、多くの人が銃撃事件でショック状態だったときに、安倍氏の国葬を決めた意味は、もはや明らかだろう。安倍氏は何者だったのか、という私たちの認識に枠をはめようとしたのだ。が、白昼の凶弾は図らずも、安倍政治の犯罪を暴いた。自民党と旧統一教会の癒着を暴いた。この国に生まれてくる人々の苦しみを顧みず、生活を破壊してきた政治のあり方を暴いた。昨日まで覆われていた認識のベールが剥がされ、すでに弱っている人々から養分を吸い取りながら、まだ恥ずかし気もなく太ろうとする権力者たちの犯罪の数々がさらけ出された。その新たな認識の破れ目に、岸田氏はふたをしなくてはならない。国葬はいまや、最大級の「臭いものにはふた」なのだ。
国葬というショック・ドクトリンが、民主主義と相容れない問題を多くはらんでいることは、すでに様々な人が指摘している。人のいのちに軽重はなく、追悼は個人の心の領域に属することで、特定の人物を国家が奉ることは法の下の平等にも、税の公平な支出にも反する。さらにコロナで人々がいまだ生活に苦しみ、葬儀をしたくてもできない人が多いなか、16億 6 千万円を費やす葬儀ショーが政治の優先課題とは考えられない。しかし、こうしたすべての民主主義と矛盾する要素をなぎ倒してでも、国葬という装置によって、岸田首相は人々の認識をもとのベールに包もうとしている。安倍氏は美しい国をつくった、日本人はよい国に住んでいる、政府は人々のために働いている――「モリ・カケ・サクラ」が裁かれなかったように、自分たちの権力犯罪が裁かれず、すっかり忘れ去られる日を待ち望んで。
エリザベス女王への礼賛が、カナダの先住民族に対するイギリス植民地政府と聖職者たちの犯罪を見えにくくするように、安倍国葬は、安倍政治の犯罪的行為だけでなく、まさに安倍氏がこだわり続けた歴史認識、日本政府による近隣諸国への侵略と植民地支配という犯罪をも隠す効果を生むだろう。国葬は後世に、安倍氏を日本の将来を歪めた人物としてではなく、国家の英雄として認識させる装置になる。私はそれを最も恐れ、許したくないので、国葬に反対する。権力者のための「楽園」はいらない。認識の破れ目こそ、新しい世界をつくるチャンスなのだ。
〈了〉
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。
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