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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第15回
 諜報機関は情報源として信頼できるのか :
「国家安全保障上の脅威」のつくり方①

2023年8月14日

小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)

 カナダのメディアではここ数カ月、中国を敵視するキャンペーンが燃え盛っている。発端は2月17日、全国紙グローブ・アンド・メールが「2021年の国政選挙に中国政府が介入した」と報じたことだった。中国政府はこのカナダの選挙で、ジャスティン・トゥルードー現首相率いる自由党が保守党に対して勝利し、なおかつ、国会議席の過半数を取れずに「少数政府」の位置に留まるよう策動した、というのだ。パンデミックの最中に開催された2年前の選挙は実際、その通りの結果に終わった。要は現状が維持されたわけだが、中国政府は保守党に対する偽情報を流して結果を操作しようとした、という。記事は、在バンクーバー前中国領事が二人の保守党議員を落選させることの手助けをしたとし、それ以外にも、中国人コミュニティを動員してカナダの民主主義に様々に介入している、と書いている。

中国による2021年のカナダ総選挙への介入疑惑を報じる2023年2月17日付のカナダの全国紙グローブ・アンド・メール = 写真はすべて溝越賢撮影

 問題は、この1面を飾った特ダネの情報源だ。それはC S I S と呼ばれる「カナダ安全保障諜報サービス」(Canadian Security Intelligence Service) の匿名職員。C S I Sとしての公式発表ではなく、内部告発者が極秘情報・秘密情報ファイルをグローブ・アンド・メール記者に提供した。C S I Sはカナダ政府のスパイ機関で、「国家安全保障上の脅威」を追跡し、監視し、妨害するために活動している。スパイ機関の内部告発者という点で、アメリカ国家安全保障局
(National Security Agency, 通称N S A) の内部告発者エドワード・スノーデンを彷彿とさせるが、注意を要するのは、スノーデンがN S Aによる電話、メール、インターネットの大量監視というN S Aにとっての都合の悪い真実を暴いたのに対し、C S I Sの内部告発者は、C S I Sの仕事を後押しする性質の情報をリークしている点だ。

 では、C S I Sの内部文書は、中国政府がどんな手段で選挙に介入したと記録しているのか。記事は「中国は2021年の国政選挙期間中にカナダの民主主義を崩壊させるために洗練された戦略を用いた」という書き出しで始まる。C S I Sの報告書は、カナダの政府職員とファイブ・アイズと呼ばれる諜報同盟国(アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)とも共有されることなどが説明された後、中国が習近平政権下で政治、経済、軍事的な影響力を世界に広げようとしている、と続く。実際何が起きたのか、肝心の事実はなかなか姿を表さない。

 記事は7段落目でやっと、C S I S文書が「北京の中国共産党指導部は、カナダ社会にいる政治的に活発な中国人コミュニティーのメンバーや団体に影響力を及ぼす戦略をつくるように、領事館に圧力をかけている」と書いていると述べる。「北京はカナダの組織を使って自分たちの利益を擁護しながら、(それらの団体の) 中華人民共和国とのつながりを隠している」と。そして、最も重要な点として、中国政府が2021年の選挙で、中国に批判的な保守党が勝利しないよう、自由党を支持する声を広げるため、中国系移民の多いバンクーバーやトロント都市圏で、中国系カナダ人団体などを使って虚情報の拡散 (disinformation) を実施した、と記す。その虚情報とは、もし中国に批判的過ぎる保守党が選挙に勝てば、トランプ前米大統領がアメリカでしたように、中国人学生がカナダの大学で教育を受けることを禁止するかもしれない、という情報だ。「これは有権者の子どもたちの未来を脅かすものだ」という中国領事館職員の言葉を、C S I Sは引用している。だが、この情報が果たしてまったくの虚偽といえるのか、記事は検証していない (アメリカでは中国人留学生へのビザ発行の制限は実際に起きていて、次回書くように、カナダでも留学ビザの発行が大幅に遅れている)。

 C S I S文書の引用は続く。中国政府が選挙に介入する戦術としては、支持する候補者に対して秘密裏に現金を寄付したり、事業経営者に中国人学生を雇わせて、選挙活動にフルタイムのボランティアとして送り込んだりした、という。そして、在バンクーバー前中国領事が海外の中国人に影響を及ぼすための情報操作機関と直接のつながりを持っていると続ける。この前領事が、選挙で保守党候補者が落選したことに対し、自分たちの「戦略と戦術が奏功し、地域の政治的慣習にそった賢い方法で目標を達成することに貢献した」とコメントした、とも書いている。

ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアにあるチャイナタウン。ビクトリアに移民を受け入れる港があったため、19世紀半ばに自然発生的に中国人の街ができた。カナダで最も古いチャイナタウンだ = 2023年7月

 では、C S I Sはどうやってこの前領事のコメントを入手したのか? 前領事はどこでいつ、誰に対してこの発言をしたのか?――選挙介入、偽情報キャンペーンと、まがまがしい見出しの下で、個々の事実関係は必ずしも明確でない。すべてはC S I S文書の伝聞で、記者による直接取材で得られた情報がこの記事には登場しない。中国領事館のコメントもなければ、中国系カナダ人コミュニティへの取材もない。何より、諜報機関自身がどうやって情報を入手したのかを明かしていない。記事が明確な事実を描写できないのは、諜報機関の内部文書に全面的に依存しているからだ。

 ファクト・チェックもなしに全面的に引用できるほど、諜報機関は信頼のおける情報源なのだろうか? バランスの取れた、多角的な見方を提供しているのだろうか? 否。諜報機関は、初めから「国家安全保障上の脅威」という前提で、監視対象者の情報を集める。2003年のイラク戦争の際には、イラクに「大量破壊兵器がある」という情報がC I Aなどの諜報機関からもたらされ、この情報がアメリカのイラク侵攻を正当化する理由としてアメリカ国内はもとより、世界中でメディアを通じて使い回された。この情報が事実無根だったことが公にされたのは、イラクが破壊され尽くした後だった。その結果、イラク戦争開始から20年目になる今年3月までに、実に20万人の人命が失われた。諜報機関こそ、こうした誤情報もしくは偽情報の作成に加担してきたのだ。

 戦争中の日本軍や特高警察が、政府に反対しそうな人間を標的にし、横浜事件のように犯してもいない犯罪をでっち上げて投獄したことも、もちろんこの例に入る。フランスの諜報機関が集めた情報がもとで、カナダの社会学者ハッサン・ディアブさんがテロ容疑者として訴追され、証拠を欠いたまま再投獄の瀬戸際にあることは、連載第13回で書いた (事態はその後、悪化している) 。諜報機関の集めた不正確な、意図的な、あるいは偏見に満ちた情報が、戦争を導き、個人の人生を破壊した例は枚挙にいとまがない。諜報機関の情報こそ、ファクト・チェックだけでなく、情報収集の意図を見抜く冷静なジャーナリストの目が必要なのだ。

 日本で10年新聞記者をしていた私は、少なくとも政府の発表文をそのまま右から左へ流すことはジャーナリズムに反すると教わった。特に、公安・警備警察の情報をそのまま一方的に書くほど危険なことはない、と身を持って感じた。なぜなら、公安警察は基本的に外国人、特に日本の旧植民地出身の人々を潜在的犯罪容疑者とみなしているからだ。それは警察担当になればすぐにわかる。C S I Sは警察ではないが、国内の治安管理を目的にしているという点で公安とよく似ている。だから私は、C S I S文書に疑問を持たず、全面引用するグローブ紙に率直に驚いた。そして日本の公安と同じく、C S ISの眼差しに中国への敵視と偏見を感じずにはいられなかった。

チャイナタウンは多くの観光客をひきつける。カナダはイギリス系移民の国という印象が強いが、中国系移民もイギリス系と同じくらい古くから足跡を残している = 2023年7月、ビクトリアで

 しかし、この記事の事実関係がはっきりしない理由はもう一つある。諜報機関は日常的に違法な手段を使って情報を集めている。だから、どうやって情報を集めたかを公にしたくない。盗聴や潜入、おとり捜査、そしてスノーデンが暴いたメールやインターネットの監視といった諜報活動は違法性が高く、たとえ違法でなかったとしても倫理的に問題があるため、フェアとはいえず、人々の怒りを買い、組織としてのイメージの失墜や社会的信頼を失う可能性が高い。記事を読めば、中国領事館がC S I Sの監視対象になっていることは明らかだ。領事館を盗聴したり、内通者をつくったりすることは、外交特権や互恵関係を踏みにじる行為で、C S I Sが隠したいのは当然だろう。

 さらに、情報収集の手段や情報源を秘密にすることは、スパイ組織の最優先事項だ。情報収集の手段が明らかになってしまえば、監視対象者が警戒したり、盗聴器を発見したりしかねず、同じ方法では情報を集められなくなるかもしれないからだ。

 ディアブ事件でも指摘したように、警察が違法な方法で証拠を集めた場合は、その証拠は裁判で証拠能力を失う。けれど諜報機関は刑事訴追のために証拠を集めているわけでも、裁判で証拠を提出する必要もないので、違法な方法で永遠と情報を集め続けられる。情報を公開して証明する必要がないので、第三者が真偽を確認することもできない。ジャーナリストが、諜報機関の提供する情報に対して距離を取り、注意深く、真偽を見極めなくてはならない理由はここにもある。

 スパイ機関の監視能力はますます広がっている。実は、カナダ政府は2014年から15年にかけて、C S I Sの違法な活動を合法化する法案を次々と成立させた。2014年の「テロリストからカナダを保護する法律」では、国内安全保障が管轄であるC S I Sが国外で活動することを認め、令状の取得によって活動先の国の法律に違反することを可能にした。他国の主権を侵害する違法なスパイ活動を、カナダが法律で認めることは敵対行為といえ、他国との緊張を高めることは避けられない。また、「法の番人」たる裁判官が、他国の法律に違反するお墨付きをスパイ機関に与えるというのは、あまりにグロテスクではないだろうか。

 さらに、2015年の「反テロリズム法」はC S I Sに、国家安全保障上への脅威を減少させるためなら、たとえカナダ権利自由章典やその他の法律を犯すことがあっても対策を講じることができる、という新しい権限を与えた。カナダ権利自由章典は、日本でいえば日本国憲法に匹敵する。C S I Sはなんと、人々の基本的人権を定めた憲法の上に立つ、超法規的権限を手に入れたのだ。

 当時 C-51 法案と呼ばれた、この反テロリズム法は、世論の強い反対にあったが、当時の保守党政権が押し切って成立させた。保守党は直後の選挙で敗れ、トゥルードー自由党へと政権は交代した。が、反テロリズム法の廃止を約束していた自由党は、約束を果たさずにきた。

 そして8年後のいま、絶大な権限を手にしたC S I Sから、匿名職員を通じて「中国による選挙介入」情報が主要メディアに流され、トゥルードー政権を揺るがす事態へと発展している。諜報機関は、「国家安全保障上の脅威」をつくり出すことで、自らの存在意義である治安活動やスパイ行為を正当化できるだけでなく、民主的に選ばれた政権を脅かすこともできるのだ。

 もちろん、外国政府による選挙介入や世論操作はあってはならないことだ。が、だとすれば、その監視の目は中国だけでなく、あらゆる国の政府に向けられるべきだろう。例えばアメリカは、他国の政治に介入することでよく知られている。なぜアメリカではなく、中国だけがいま「国家安全保障上の脅威」とみなされるのか?

 諜報機関は長い間、情報を動かし操ることも任務としてきた。私はカナダのスパイのアジェンダに現在、「反中国世論の形成」が載っているような気がしてならない。それはC S I Sの絶大な権限を正当化すると同時に、中国との緊張関係を受け入れ、対立から戦争までをも支持する、少なくとも仕方ないと受容する社会心理を生み出すことへと向かっていないだろうか。日本でも似たような動きが今後出てくるかもしれない、いや既に始まっているのかもしれないと感じながら、次回もこの問題の行方を報告する。

〈了〉

 

【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。

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