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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第16回
 諜報機関と学問の自由、そして狙われる研究者たち :「国家安全保障上の脅威」のつくり方②

2023年9月22日

小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)

 カナダの全国紙グローブ・アンド・メールが今年2月、諜報機関からのリークをもとに「中国政府がカナダの国政選挙に介入した」と報じて以来、中国を敵視するニュースが主要メディアを席巻していることを前回報告した。今回はその後、急速に緊迫したカナダの政治状況を追いながら、大学の研究内容に諜報機関が「国家安全保障」という物差しを持ち込み、主に中国系の研究者たちが監視されるはめになっていることを伝えたい。

カナダの大学は9月に新年度が始まる。新入生や留学生を迎えたばかりのキャンパスは多くの学生でにぎわっている = 2023年9月、ブリティッシュ・コロンビア州のビクトリア大学で (溝越賢撮影)

 カナダ安全保障諜報サービス (C S I S) の報告書を丸ごと引用したかのような一報の後、グローブ紙は同じ情報源から、保守党の議員ら数人が「中国政府の攻撃のターゲットになってきた」と続報し、野党とメディアが政府に対し公式に調査するよう求める事態へと瞬く間に発展した。報道内容を否定していたジャスティン・トゥルードー首相も対応を迫られ、公式調査の是非を提案する特別報告者を選任する事態へと追い込まれた。C S I Sの匿名情報は事実関係が不明瞭なまま、現政権を転覆させかねない威力を発揮している。

 グローブ紙はさらに、現首相の亡父ピエール・エリオット・トゥルードー元首相の業績を継承する財団が、中国の実業家から14万カナダドルの寄付を受け取っていたと、同じ情報源にもとづいて報道し始めた。また、その実業家がピエール・トゥルードーの卒業したモントリオール大学に「毛沢東の銅像を建てようとした」と、センセーショナルに伝えた。記事をよく読めば、トゥルードー元首相と毛沢東は1970年にカナダと中華人民共和国との国交を成立させたので、それほど唐突な提案でもないのだが、銅像は結局建たなかった。これは選挙介入とは何の関係もないニュースだったが、トゥルードー財団は「外国政府の影響は受けるべきではない」と寄付金を返金し、理事たちは辞任した。中国がカナダに侵食しているという主旨の報道が、すでにどれほどのインパクトをカナダ社会にもたらしているかがわかるだろう。

 こうして選挙介入に関係のある記事も、関係のない記事も、「中国」の文字さえあればどれほど新味にかける記事でも1面に掲載される日々(繰り返しの内容が多い)が続き、ついに5月8日、メラニー・ジョリー外務大臣は在トロント領事館に勤務する中国人外交官ジャオ・ウェイ氏を国外追放する。ジャオ氏が、保守党国会議員マイケル・チョン氏をスパイしていたという理由だった。香港出身のチョン議員は2021年2月、中国政府のウイグル族に対する弾圧はジェノサイドに当たるという決議案を国会に提出していた。中国政府はジャオ氏のスパイ行為を否定して、追放に反発、すぐに在上海カナダ領事館の外交官を追放した。グローブ紙は「カナダは代償を払わされるだろう。慣れることだ」という見出しの論考を掲載した。主要な貿易相手である中国から仕返しをされて、すでに高騰している物価がさらに上昇し、生活に影響が出ても読者は我慢しろということだ。だが、なぜ、何のために、カナダ人は中国との急速な関係悪化を受け入れなくてはならないのだろうか。

 こうした緊張の高まりのなかで、選挙介入問題の特別報告者に選ばれた元カナダ総督のディヴィッド・ジョンストン氏は5月24日、「公式調査は必要ない」という報告を発表した。選挙介入を「我々の民主主義システムに対して増大している脅威」としながらも、メディアが主張するような選挙への影響はなかったとし、関連する情報の多くは機密性が高いので公表することはできない、と結論づけた。翌日からグローブ紙はジョンストン氏とトゥルードー家のつきあいなどを批判し、あまりの個人攻撃の激しさに、ジョンストン氏は特別報告者を辞任してしまった。

 まさに燎原の火の如くと言っていい勢いで、中国とかかわっていれば誰でも国家の敵と言わんばかりの空気が広まっている。なぜ中国が脅威なのかという中身の議論はまったく乏しいままに、「中国は脅威」という合意が形成されている。これは、マッカーシズムの再来だろうか? それとも新しい黄禍論だろうか? 明確な証拠もなしに、敵のイメージをつくりあげる諜報機関のまなざしが、じわじわと社会に浸透している。この猜疑心に満ちたまなざしは、中国系の隣人を侵入者として警戒し、中国人留学生を「中国政府の手先」と見る偏見を社会に広めている。新型コロナの流行し始めた頃、中国系・アジア系の人々への攻撃や暴力が頻発したばかりなのに、分断を煽る恐ろしさに、どうして政治家たちは気づかないのだろうか。

 カナダで暮らす中国系の研究者たちは、このことを私よりずっと早く感じ取っていた。C S I Sは数年前から、カナダの大学が中国の技術系企業から研究費の援助を受けることを問題視し、大学側に研究費を受け取らないように圧力をかけるようになった。政府は2021年7月、「研究パートナーシップのための国家安全保障ガイドライン」なるものをつくり、自然科学・工学系学術団体の研究費選考過程にこれを適用しだした。

 このガイドラインは「研究パートナーシップの育成、評価、財源に、国家安全保障上の考慮を統合する」ことを目的とし、「カナダの研究エコシステムを外国政府の影響やスパイ活動から守り、カナダに脅威をもたらす国やグループの軍事、安全保障、諜報能力の発展、またはカナダの経済、社会、重要基盤の混乱を引き起こす知識の望まない移転を防ぐ」ことを意図する、とうたう。どこにも「中国」とは書いていない。しかし、「カナダに脅威をもたらす国」に対象を限っているという点で、どの国にも平等に適用されるものではない。例えば、ガイドラインは軍事転用されやすい技術の分野として核、化学、生物学、放射線学、宇宙工学の分野を挙げているが、こうした技術の研究が問題視されるのは、外国の利用によってカナダの脅威になるという場合のみだ。軍事研究を一律に規制しているのではなく、「我々」ならO Kで、「奴ら」ならダメ、というダブル・スタンダードである。しかも、「我々」と「奴ら」の線引きに定義はなく、「脅威」は極めて政治的に判断できるようになっている。言い換えれば、C S I Sが中国やその他の国・地域を「脅威」と判定しさえすれば、それらの国・地域との共同研究を支援から外し、研究費から排除できる仕組みなのだ。

 このガイドラインは今年2月、当初の自然科学・工学系から、社会科学・人文系、医療・保健系分野の政府系学術団体へも適用が拡大されることが決定した。国家安全保障という大きな枷 (かせ) が、カナダの学術研究全体にはめられたと言っていい。諜報機関が定義した国家安全保障が、あたかも最高の価値であるかのように学問の自由の上に立ち、研究内容に介入し始めたのだ。

 その矢面に真っ先に立たされたのが最先端技術を研究するエンジニアたちだった。今年6月、私はカナダの大学で働く中国系大学教員たちが集う学会に招待された。学問の自由に関するパネル・ディスカッションでC S I Sの監視活動について話してほしいと依頼された。その場で私は逆に、C S I Sの介入がすでに想像以上の深刻な影響をキャンパスに及ぼしていることを知り、衝撃を受けた。

カナダ政府が研究費申請について設けた「国家安全保障ガイドライン」について、大学教員たちにアンケートを取り、結果を発表するチャン・ジャ教授 = 6月23日、ビクトリア大学で (カナダ中国人教授学術会議提供)

 ヨーク大学 (トロント) のチャン・ジャ教授(教育学)は、昨年11月から今年2月にかけて、カナダの大学教員を対象に政府の介入についてのアンケートを実施し、中国系の教員約200人と、ほぼ同数の非中国系教員から回答を得た。その結果、中国と共同研究をしている人がすでに研究の内容を変更したり、中国にいる共同研究者との通信を控えたり、共同研究への参加を一時的に中断したり、完全に取りやめたりしていることがわかった。中国系教員の4割がカナダ政府による監視に恐怖や不安を感じていると回答した。さらに深刻なのは、約2割の中国系教員は、自分が人種的プロファイリングの対象にされていると感じ、政府だけでなく、大学や同僚からもプロファイリングされていると感じていた。さらに3割以上が政治的な緊張を理由に、カナダから出国することを考えている、と回答した。

 私が働いているビクトリア大学のリン・ツァイ教授(電子・コンピューター工学)は、国家安全保障ガイドラインの不明瞭さ、不公正さについて話した。研究費を申請する際に、応募者はリスク評価用紙を提出しなくてはならず、その中には共同研究のパートナーが「外国政府の影響、介入、または管理の対象になっている可能性があるか」という質問がある。こんな漠然とした質問には答えようがない。しかし「わからない」と答えようものなら、そのことについての「リスク要因」を詳しく書くように求められる。

学問の自由についてのパネル・ディスカッションを企画し、発表するリン・ツァイ教授 = 6月23日、ビクトリア大学で (カナダ中国人教授学術会議提供)

 ツァイ教授は、これまでに1000件を超える研究費申請がC S I Sによってチェックされ、そのうち4%がC S I Sによって却下されたことを報告した。却下の理由は明らかにされていない。オンタリオ州のウォータールー大学は2018年から中国の通信機器会社ファーウェイと共同研究してきたが、4件の研究費申請が政府系学術団体から理由不明のまま却下され、ファーウェイとの共同研究を終了すると今年5月に発表した。国際共同研究はそれまで大いに奨励されてきたのに、だ。こうしたケースが萎縮効果を生み、多くの中国系研究者たちは C S I S の注意を引くことを恐れて、または不明確なリスク評価にさらされる困難や屈辱感から、研究費を申請しなくなっているという。競争の激しい研究職に身を置きながら研究費を得られないことは業績に響き、ただでさえ白人中心の大学制度で不利な立場にいる中国系の研究者を、さらに差別にさらすことになる。

 影響は大学教員だけではなく、学生たちにも及んでいる。C S I Sに目をつけられたウォータールー大学は今年4月、学生向けの「C S I Sとの接触についての手引き」を配布した。C S I Sの諜報員が「話を聞きたい」と接触してきた場合の対応として「落ち着いて丁寧に応じる」「その場で話をする必要はない」「大学の担当者に連絡を取るよう要求していい」「大学の機材は大学の財産なので、C S I Sが調べることに同意してはならない」などと指導している。が、スパイ機関の追跡対象にされていると知ったときの学生の衝撃は計り知れないだろう。「落ち着け」と言われても無理がある。協力しなければどんな不利益があるかわからないと怯えるのが、普通ではないだろうか。C S I Sはムスリムの学生にも接近して、ムスリム・コミュニティについての内部情報提供者にしようとした前歴がある。

 C S I Sの存在がキャンパスで受け入れられていくことを懸念したウォータールー大学の教員たちは、学長宛に公開書簡を出し、こう求めた。「直ちに取るべき措置として、大学行政が職員と学生の側にしっかりと立ち、C S I Sの存在が秘密と威嚇による険悪な空気をキャンパスにつくり出していることを、C S I Sにはっきりと伝えることを求める。さらに、C S I Sは知りたいことがあるなら、個人に直接連絡するのではなく、大学行政を通じて個人に連絡するべきだ。」この書簡には学部を超えて77人の教員が署名したが、うち何人かは匿名だ。それこそがC S ISの振りまいている恐怖を象徴している、と書簡は説明する。職員と学生の多くは移民であり、C S I Sとの接触が、自分や家族の永住権の申請、終身在職権の獲得や昇格などに影響することを恐れ、カナダでの将来を憂いている、と。

 学会では、中国人留学生にカナダ政府がビザを支給しないケースが増えていることも報告された。アメリカではすでに中国人学生のビザ申請が多く却下されていて、カナダの場合は政府からの応答がなく、大学から入学を許可されていてもカナダに入国できない学生が出ているという。カナダの大学は財政的に留学生が支払う高い授業料に多くを依存してきたので、大学は留学生たちに戻ってきてほしい。が、降ってわいた政治的緊張がそれを阻んでいる。すでにカナダで勉強している中国人大学院生たちは「自分たちがカナダで就職できるだろうか」「会社や大学でスパイとして疑いの目で見られるのではないか」という不安を口にしていた。

木陰で思い思いにくつろぐ学生たち。大学は異文化交流の場でもある = 2023年9月、ビクトリア大学で (溝越賢撮影)

 留学や国際交流は、個人の人生を豊かにするだけでなく、異文化間の相互理解を深め、平和の基礎をつくるという社会的な役割がある。その相互チャンネルが急速に細っていくことは、人々が自国の価値観のなかに閉じこもり、お互いへの誤解や偏見を強めることにつながっていく。他国への誤解、偏見、無知、無理解は戦争を煽り、戦争を受け入れる社会心理をつくり出すことにも利用される。戦争中の日本が「敵国」文化を禁止し、大真面目で「鬼畜米英」と子どもたちに教えていたように。スパイ機関は「中国がカナダの選挙に介入している」という不確かな情報をメディアにリークするだけでなく、中国との交流を抑制させることでも「反中国」の世論形成を促し、「国家安全保障上の脅威」をつくり出すことができるのだ。

 諜報機関の猜疑心に満ちたまなざしを、社会が共有してしまっては、安全保障どころか平和が訪れることは永遠にないだろう。諜報機関は自分たちこそが国を守っていると考えているかもしれないが、平和はスパイ活動や軍事行動ではなく、相互理解と友好関係からしか生まれない。大学だけでなく、地域の、民間の、市民団体の、個人の様々な交流から、日々の平和がつくり出されているのだ。

 だがなぜ、C S I Sは技術研究者を狙い撃ちしているのか。なぜ技術が即、安全保障の問題になるのか。次回は、カナダと中国の関係の転換点になった5年前の事件にさかのぼる。

〈了〉

 

【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。

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