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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第30回「虫さん、こんにちは(その4)」

2015年4月30日

▼尻を上げて歩く<ジョノ>

ほかにも特徴的なアリはたくさんいる。

現地語でジョノ。日本語ならば「シリアゲアリ」と呼ばれている。幾種類かいるが、どれも体長は最大で数mm程度。昆虫の死骸などを食べる集団生活のアリである。

木の上の枝を取り巻くように、場合によっては長径1mほどの大きな巣を作る。

彼らの巣の近くであったり、彼ら自身が興奮しているとき、あるいは何らかの妨害を察すると、アグレッシブな行動をとる。このときお尻の部分を上に上げる格好をするので“シリアゲ”アリという名が付いている。格好は滑稽である。サファリアリほどはひどくはないが、噛む力はするどい。ときどき服の中でちくっとした痛みを感じるとする。その部分に手を伸ばして噛んでいたものをつまみ出すと、たいていこのジョノであったりする。つぶすと、アニスに近いような特有のにおいを発する。

▼きりきり舞いさせられる<キリ>

さらに、現地語で「キリ」と呼ばれる同じく凶暴なアリがいる。それは、大集団は形成しないが、スワンプ林に棲むアカアリで、せいぜい数mmの体長。彼らのいる小さな木の枝などにうっかり触れるとたいへんなことになる。首筋あたりにワアッとたかられ、そこを噛まれる。幹部は熱を持ち赤く腫れる。その痛みはなかなか引かぬ。重症のときは頭痛がし、吐き気も伴う。そのまま半日くらい横にならないと収まらないときがある。

沼地に入ったらそういうアリがいると知っておくだけでも助かる。そして、注意して歩くしか仕方がない。何事においても、注意散漫は災いのもとなのである。

大胆かつ繊細に行動を。

▼ツムギアリ

名の通り、葉を紡ぐようにして、その巣を作る。常に集団で行動し、その女王アリと思しき大型のアリを大勢のツムギアリで運ぼうとしている場面にも出会った。
全体的に赤茶色で、最大長1cm位のアリだ。

人間に対し、特に“悪さ”はしない。その一方。このアリのキチン質がゴリラの糞から見つかった。ゴリラは巣ごとこのアリを食べるようで、大好物なのだ。

▼けなげな<ササ>

前出の大型のキノコシロアリには天敵がいる。現地語名で<ササ>と呼ばれる軍隊アリである。黒いアリで、最大長は2cmくらい。ササもサファリアリのように縦隊列を作り、まるで軍隊のように一列になって移動するが、兵隊アリがその縦隊列をガードするようなことはない。ひとつの集団は数百の数。彼らも狩りをするが相手はもっぱらシロアリである。サファリアリ同様、顎も鋭いが、尻に針を持っておりこれに刺されると痛い。しかもそれはハチのように使い捨てではなく、何度でも使用可能であるようだから性質が悪い。われわれが痛い目に会うのもこの針による。

とくにサンダル履きなどで足が無防備の状態であるときだ。たとえば夜寝る前にトイレにたつ。もうこのときはたいてい靴を脱いでいてサンダル履きになっている。そしてうっかりササの隊列を踏んでしまう。怒ったササはむき出しの足をめがけて針を刺す。飛び上がるような鋭い痛さである。たいていの人は悲鳴をあげる。毒もないし、腫れたりもしないが数分は痛い状態が続く。

対策は簡単だ。夜でもきちんと靴を履くか、必ず懐中電灯で足元をよく確かめながら歩くこと。それはヘビ対策にも共通して重要なことである。

さて、ササのシロアリへの戦闘である。ササはたいてい地中に巣を作っていて、みなそこから出てシロアリの「狩り」に行くのである。大集団のシロアリ相手でもだいたいササが勝ちをおさめる。無論、大きな鎌を持つシロアリにやられるササもいる。シロアリは鋭い鎌をもつからだ。しかしシロアリは、腹部から尻にかけてはぶよぶよでやわらかいという決定的な弱点があるため、集団としての戦いに最終的に勝つことは少ない。ササは殺したシロアリはもちろん巣にもって帰るのだが、興味深いのは味方で死んだ仲間もついでに巣にもち帰ること。けな気であり、律儀であると形容したいくらいだ。

つい先日、国立公園基地の台所近くで「狩り」帰りのササたちに出会った。どこに巣があるのだろうと何mか、彼らの行列についていく。簡単に巣の入り口は見つかった。どうも巣は「新築中」か「増築中」らしい。「狩り」に行かずに残ったほかのササたちが、一生懸命巣を掘っているではないか。土を直径0.5mmくらいの大きさに丸めて、それを口にくわえて穴の中から地上へと、一つずつ運んでいるのである。運び終わってはまた穴にもぐり、次の塊を運び上げてくる。何匹かのササが文句も言わずに、休まずひたすら穴掘りという肉体労働をひたすら続けているのであった。

「狩り」に行くとき、みんなで整然と隊列を組んで、一心に歩く姿。巣を作るのに一心不乱に土を運び出す姿。ぼくは、これだな、と思った。理由はない。そこに「生」があるのである。何にもじゃまされずに、自分の生でのなすべきことを実行しているのである。そこには「死」はない。「生」という厳然とした事実があるのだ。「死への恐怖」さえ感じられない。ただぼくはその全うしつつある現在進行中の「生の姿」を目の当たりにしたのである。

ぼくの居住している小屋のわきでも、また別のグループのササを発見した。せっせと巣の中から土を運び出している個体もいるが、他の連中は、外に出された長径1cmくらいの楕円球形をした数百個の卵のまわりをうろうろしている。卵を巣の中に入れてはまた出してくる。いったい彼らは何やっているのだろう。まったく意味がわからない。みんなで卵を外に出して、様子でも見ているのか。日光欲でもさせているのか。近くに空になった卵の殻を見つけたので、ちょっといたずらに、その殻をみんなのいる卵の上に落としてやる。すると、必ず1匹のササがその「異物」をくわえて脇の方にしっかり置きに行く。これを2、3度やる。まったく同じだ。「異物」は「異物」としてすぐに判断できるわけだ。それで、きっとすごく目の前の卵を大事にしているかということも容易に想像がつく。

この奇妙な光景は連続して何日間か、いつもほぼ同じ時間帯に観察できた。「科学的な」説明だと、きっと行動生物学者あたりが遺伝のどうのこうのといいだすのだろうか。ぼくが観察したことは、仮に科学的な意味は不明瞭ではあっても(きっとササたちもわかっていないにちがいない!)、ひたむきになにかやっている姿である。なんて「真っ直ぐに」生きているのだろう、と思う。純粋で、そこにはねたみも欺瞞もない。表も裏もないのだ。

多くの人は、生物というと、たいてい大型の哺乳類などに強い関心が行きがちだ。しかし、こうした昆虫を見ているだけでも、ぼくの好奇心が止まることはない。そして何より、「生」とは何かを物語ってくれるのだ(続く)。

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