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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第36回 コンサート 『吉田隆子の世界』 ご案内と、 驚くべき女性差別の数々、今なお…

2013年5月5日

早や如月も終わりに近く、一年の七分の一ほどが消え去ったことになる。
けれど私自身の本連載担当は今年初めて…遅ればせながら、今後ともよろしくお付き合いくださいますよう、お願い致します。
今回は、まずお詫びとお知らせから、そして標題のように近頃接した、あるいはようやく見聞きした女性差別のいくつかの例についても、愚考をめぐらすことにしたい。

お詫びはいずれも、このところ何回も触れたETV特集 「音楽・女性・戦争=吉田隆子を知っていますか?」 の再放送に絡む事柄。 まずは先回昨年12月9日(日)22時よりに再放送決定と予告した件が、勘三郎急逝という事態を受けて中止、 しかしともかく延期してでも…とのNHK側の配慮で、本年4月5日(金)深夜24時45分から、と変更になっていた。 ところが担当ディレクターから新たに連絡が入り、年度を越えた4月に入っての、しかも深夜では不親切だから、 年度内の見やすい時間帯に移しました…と差し替えられ、実は2月2日(土)午後にすでに再放送がなされてしまったのだ。
急遽こじ入れてこの変更を本欄で通知していただくわけにもいかず、予定を立てていた方には本当に申し訳なく、心よりお詫びいたします。 ただしこれは確かに有り難い処置だった。実際に、初めて問題の番組に接した何人かの方から、大変好意的な反応をいただけたのだから。 今回も、最初の再放送中止の理由と同様、團十郎急逝というニュースとニアミスのタイミングであったから、 ともかく、再放送が無事実施できたことをもって良しとせねばなるまい。時期に縛られる放送というメディアの巧拙? を改めて考えさせられたプロセスでもあった。

もう一つ、先回の記事で誤解を招く書き方をしてしまった。 番組内で山田武彦さんが見事な演奏と分析を披露された隆子のピアノ作品 『カノーネ』 の楽譜は出版・公刊されていると記したが、 実はこれ、雑誌 「音楽の世界」(1931年10月号)の付録として出されただけ、今日では入手は難しいだろう。 『君死にたもうことなかれ』 も、葬儀が不当にも禁じられたため結局演奏できなかった 『小林多喜二追悼の歌』 までも含め、 現在、歌曲の楽譜はほとんどすべて上記 「音楽の世界社」 から出版されているので、そのあたりを確認しなかったのはなんともお粗末。 おまけにナレーション原稿を全部予めチェックできなかったから、と、あたかもNHKの責任のように書いてしまった…幾重にもお詫びせねばならない。

とはいえ、どうしてもそのNHK側の不注意に帰さなければならない問題点も残った。 番組最後ちかく、隆子の代表作としてかなり時間を割き、ヴァイオリニスト太谷康子さんのコメントも含めて紹介された 『ヴァイオリン・ソナタ』 が、 作曲以後今日まですっかり忘れ去られ、演奏暦がないかのような語りが流されたことである。 隆子と久保栄のコラボレーションの結実である 『火山灰地』 の舞台音楽を下地に作られ、隆子最後の完成曲(1952)でもあるこのソナタはまず、 作曲者在世中の1955年、鈴木共子によって果された(隆子の死はその3ヵ月後)。
本連載22回でしっかりお伝えした通り、直近では2010年12月5日、作曲者生誕100年記念コンサートにももちろん取上げた。 同コンサートの主催者 「女性と音楽研究フォーラム」 では、それ以外にもすでに度々取上げていたし、 2003年イラク戦争開戦当時には、パリ日本文化会館での 「日本の女性作曲家とタイユフェール」 にて小林美恵のヴァイオリンで披露、 パリ在住の日仏音楽愛好家を驚かせてもいる。CD録音も1999年、「日本の作曲・21世紀への歩み」 シリーズの一環として青木調による充実した演奏が聴かれるし、 100年記念コンサートでの長尾春花の力演も、辻浩美の評伝 『書いて、恋して、闊歩して』 の付録音源としてCD化済みだ…つまり女性の作品であるが故に、 メジャーな音楽シーンや巨大メディアが気にも留めず、知らなかっただけ…だが現実には、重要で意味深い企画や出来事でも、 ひとたび女性が関わるとなると、あたかもなかったことのように歴史や記録に残されず消えてしまうケースが多々あるのだ…今回のNHKの一件で、 またしてもそれを痛感させられた次第である。

以上、吉田隆子絡みのまとめとして、第34回で触れたコンサート 『吉田隆子の世界』(4月10日、水曜日、 市谷ルーテル・センターにて)のチラシを掲載させて頂こう。 表裏両面〔図版I,II〕をしっかりご覧いただき、曲目および素晴らしい出演者のこともご確認の上,是非多数ご来場くださいますように。

さて、今回後半の、誰にとっても快くないタイトルは、例の女子柔道選手たちによる監督告発事件から思いついたもの。 トップ選手とナショナルチーム監督の間に生じたこの問題、体罰・暴力の面に焦点化されてしまった感があるが、根源は何を置いても男女の上下関係、 つまりは女性差別にあることは明白であろう。同じような最高レヴェルの男子選手にからむ同種の噂は聞こえてこないのだから。 “なでしこ” の座席差別事件の記憶もまだ薄れてはいないけれど、ことはスポーツ界に限った話ではない。
今を盛りの?AKB48のメンバー 一人が恋愛禁制破りの罪を丸坊主姿で謝って見せた一件は、 真っ先にナチスへの協力を理由にフランス女性の頭を丸刈りにして街路を引き回した第二次世界大戦時代のフランス史の暗部が思い出される。 だが現在に照らしてみれば、女性や若者など、弱い立場にある雇用者に非人間的な働きを強要するいわゆるブラック企業の、 身体的な疲弊・損傷にまでぎりぎりに追い込む営業形態とも通じるもので、 単に芸能界アイドルの約束破りの出来事として見過ごせない日本社会の荒廃が背景にあることを、日ごろ尊敬する女性ジャーナリストから教えられた。

もうひとつ、どうしても看過できないのが、六本木・森美術館で開催中の 「天才でごめんなさい・合田誠展」 が引き起こした 「表現の自由」 をめぐる論争…問題は四肢を切断され、犬の首輪で繋がれた美少女を対象とした作品群である。 私のような美術音痴の高齢女性には全く共感できない、 およそおぞましい性的情景を描いたこのような展覧会にお金を払って観に行くのはどう考えても馬鹿らしいので、 友人のパソコン画面から断片的に覗いただけだが、驚くのはフェミニストとしても著名な女性知識人が 「人間の自由な性的ファンタジーの発現で、 ことさら騒ぐまでもない」 と、むしろ肯定的な発言をしていたことだった。
東京のど真ん中、美術館という公的使命を帯びた空間でこうした展覧会が可能になること自体、とても不思議なのだが、この際、思い切って別の見方をしてみよう。 もしもこの作者が女性で、描かれた対象が男性 〔のイケメン少年〕 であったなら…? 「“人間” の自由なファンタジー」 などという言い方が女性に対しても成り立つだろうか? つまり、“人間” 即ち “女性” が含意されているか? 否、決して! 芸術、表現といった言説が、あくまで社会的な知名度を獲得済みの男性のみを基盤に成立しているものであることを、 「天才でごめんなさい」 というふざけたキャッチ・コピーがいみじくも証明している。 生命の産出という女の力に対抗し得る男の力が創造、即ち天才なのだから、女に 「天才」 はありえない、という理屈が、このキャッチの裏につながっているのだから。

史上最悪の原発事故から二年もたつというのに収束の道筋もまったく見えないなか、上記のようなニュースが絶えないこの国のありように、 恐怖と寒々しさを覚えるばかりだが、ならば外国はましなのか…と思いきや、これまた驚かされる情報が次々、各方面から伝わってくる。 インドではレイプ殺人がますます凄惨さを増しているらしい。中東では、選挙権はすでに認可されているのに、自由な外出や移動を抑えるため、 いまだ女性に運転免許を与えない国があるという。自由・平等・博愛を国是とするはずのフランスでも、女性のズボンン着用を禁じたナポレオン時代の法令が、 やっと先ごろ公式に撤廃されたばかり。 女の子には教育をさせない慣習も地球のあちこちで相変わらず健在だ…女性に関する愚かでばかばかしい規則や出来事が執拗に生き残り、 幅を利かせているのが21世紀も10数年を経た世界の現状なのだ。
女性作曲家を介して私が女性問題に目覚めた1990年代以降、音楽界にいっかな好転の兆しが見られないのも当たり前、と諦めるほかないのだろうか…? 吉田隆子の特集番組はNHKのまぎれもない快挙ではあったが、これとても、本来の音楽番組ではない。 前年に放映され好評だった 「美術と戦争」 という、当時の戦時体制と文化の相関を社会史的に見直す企画の続編であり、 当初の案では男性の作曲家が候補に挙がっていたのだが、たまたまその作曲家の知り合いであった吉田隆子の名が浮上してきたのだという。 音楽業界の意識変革がもたらした結果ではなかったことを、本当に残念に思う。

だがしかし、まもなく弥生3月、あの 「国際女性デー」 がやってくる。103歳を祝うことになるその3月8日に加え、 2012年、新たに国連が制定した 「ガールズ・デー」、すなわち10月10日が今年はどのように扱われるのか、ぜひ注目してほしい。 この、「少女」 という存在、今日までまったくの無為権利状態で放置されてきたことが、 上記森美術館の 「美少女」 テーマの問題発生とも無縁ではないように感じるのは私だけだろうか? 音楽の場合でも、 「ウィーン少年合唱団」 は世界中でもてはやされており、子供ながら彼らはすでに立派に? 権威的存在だ。 反して 「少女合唱団」 は?あるにしてもあくまでローカルな扱いに留まっているのだろう、私は一度もそのニュースに接したことがない。 声変わり前の男の子と女の子では、声の質も量も高低も、ほとんど同じで違いがないにもかかわらず…なかなか気付きにくいが、 これも音楽の性差別の根源と思われてならないのだが、いかがであろう…。

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