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【NPJ通信・連載記事】エッセイ風ドキュメント 新しい日本の“かたち”を求めて/石井 清司

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エッセイ風ドキュメント 再開第6回
-日本はどんな国だったか-「ある夜池上の駅頭で」

2015年5月23日

幼少年時に残像するおぼろなとぎれとぎれのそれは、宇宙生成期や地球若期のわずかな痕跡に比される、一生命体の貴重な軌跡痕である。

前回わが残像の一端に触れた。

他人にとって何ともないそれらが、この世に生を得た一人間個体の生存した証のカケラだからだ。古墳発掘時の、あるいは地層内に潜む貴重な生物存在の科学的証のカケラだからだ。

それらを自ら発掘し光を向け晩節生存したことを確かめる。生を終える前の残照行動だ。

1945年8月15日、正午。米爆撃機B29群により同月9日夜半、無差別市街爆撃を受け全焼失の東京大森町から一家6人で逃避した福井市から次は群馬県新町へ、その途路停車した列車の熊谷駅ホームで天皇の大東亜戦争(太平洋戦争)終結す、のラジオ放送を拡声器から聞いた。

群馬県新町への逃避行のあと、わが一家は東京大森区(蒲田区だったかもしれない)池上の母方の母(祖母)の一間だけのアパートへ強引にころげこんだ。とにかく住んだ東京へ戻りたかった。東京はほかに行くあてなどなかった。

池上-そこは囲碁でいえばまだ一石も置かれていない碁盤の空白の木目に取りあえず打ち置かれた一石と同じだった。池上駅。省線の(現JR)蒲田駅と五反田駅(現山ノ手線)を結ぶ私鉄池上線の2つめの駅。始発蒲田駅からひとつめは蓮沼駅だった。

この池上から明瞭に記憶に遺る少年期が始まる。偶然引きずり込まれるようにわが一家は着地した東京の一地点。囲碁盤の始動の一石だった。

この偶然置かれた人生の一個の碁石が、卵巣へ泳ぎついた一匹の精子のように、生き物として動き始め時を刻み始める。自我人生の始まりだった。宇宙を遊泳流星してその一点(池上)に落下流石し種となり芽となって生を開始したように。一人間個体の生命意識の始点だった。

だから池上の名は終生私の脳の中心点に在る。

わが生命体少年きよしは自我意識を発動はじめ「ぼく」を多用し始める。「いま」「ぼく」「ここに」と。われ思う故にわれありである。デカルト風にいえば私きよしと池上は一体となり少年の意識「われ」となった。 晩年の夜半、暗い池上本門寺公園やその大墓地苑内を彷徨して樹木などの気を吸うと、意味もなく気持ちが逸(はや)ったり気合いが入ったりするのも、少年初期の池上という土地の揺籃感覚によるものかも知れない。池上という名だけで気がときめくのである。モーゼにひきつれられた一族が乱れずながい年月河と砂と山と丘の広大な土地を横切り旅し切れたのも、ひたすら蜜の地を目標に歩いた一族の本能の命ずるまま-私のもそれに似た何かがあったからだろうか。

晩年のある日、意味もなくなつかしい池上線駅前、商店街の広場に立った。

遠く、日蓮の大本山池上本門寺正門のながく高い石の階段を萬灯を振り振り江戸の町中からやって来て登っていく日蓮各講衆の列とその太鼓の連打音が聞こえてくる。

遠い少年期の記憶が向こうから呼び出される。講衆の打つ平たい手太鼓のリズム音がむかしこう憶えてきた。ナンダナンダサッサナンダサッサ。太鼓音はそのあとこういう句になるという。〽あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ、ナンダナンダサッサナンダサッサ。

10月、池上本門寺のお会式(えしき)の夜、晩節になってもきまって賑わう道脇で萬灯行列を進む夜店の並ぶ道を観衆に合わせて歩く。ながい正面階段を登る。登り切り正面本堂へ向かわずふと右横道へ入るともう薄暗い森閑とした本門寺公園の深い木立ちと墓地苑の迷路のようななか。そこには堀田善衛の「広場の孤独」ならぬこの充ち足りた独り歩きをさせる何かがあった。

意味もなく本門寺山の一年一度の喧噪へ魅き寄せ足を運ばせる何かが。

池上駅と私の生きることとは何のつながりもない。だが必ずあの夜池上駅前商店街の入口、交番の近くに立ち、私は本門寺山公園の森閑の奥へ身を潜ませていくのである。夜が呼び寄せるのか、森が呼び寄せるのか。心奥の何か生前の記憶が甦るのか。まさかそのときだけ宇宙の周波に偶然私が反応できたわけではあるまい。しかし、宇宙に比しうる短生の私の一箇の人間生命体にも宇宙に反応するそれらの能力は秘められていてただそれを機能させる機会があるなどとは考えてもみず、その宇宙的力を收っていただけだったのかも知れない。自分も宇宙の流星一箇体だと自覚するその時までは。

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