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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015に出かけて 谷戸基岩

2015年5月24日

今年もゴールデン・ウィークは東京国際フォーラムで開催された日本版「ラ・フォル・ジルネ」(以下、「LFJ」と略記)に出かけた。思えば「日本版LFJ(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン)」がスタートしてからほぼ毎年出かけている。唯一の例外は2011年で、東日本大震災の影響もあってか、一度買ったチケットが一旦全てキャンセルになってしまったのに腹を立て、結局ひとつも行かなかった。

私が最初にLFJに出かけたのは2000年1月末のこと。大学の在外研究制度(サバティカル)を活用して1年間パリに滞在していた妻を訪ねてフランスに行った折だった。「こんな面白そうな音楽祭があるからナントに行ってみようよ・・・ピエール・アンタイ、ダヴィッド・モロニー、フランク・ブラレイといったあなたの好きなアーティストたちも出演するみたいだし・・・」とミーハーなことが大嫌いな妻が熱心に言うので、行くことにした。当時はこのような催しは日本では全く話題になっておらず、その音楽祭の在り方が実に興味深く、帰国後に私はソティエ音楽工房が発行していた情報誌VRAI第43号(2000年6月24日発行)に報告記事を書いた。その後同地でのLFJには行っていないので現状は知らないが、当時はひとつの「町おこし事業」という風に捉えられていた。すなわち1月は閑散としているナント市に観光客を集めるためのイベントという位置づけだった。

2000年はちょうどJ.S.バッハ没後250年の記念年であり、この作曲家をテーマにモダン派、ピリオド楽器派の演奏家たちが集合し、ナント市の会議場(シテ・デ・コングレ)にて3日間で170公演が成された。チケット価格は演奏時間が45分程度と短いこともあってか60フラン(当時のレートで約1,200円)前後のものが多く(最低35フランから最高140フラン)ハシゴして聴くには好適だった。10の会場で異なる内容のコンサートが同時に開催されるので好きなものを選んで朝9時から翌日の深夜0時半まで一日中コンサートを聴いていることが可能。チケットが入手できなかった時間に関してもオープン・スペースでの無料のコンサートがある。また出演アーティストや研究者による講演、バッハ演奏をめぐる座談会なども随時行われていた。大ホールは指定席だったがそれ以外は自由席。とにかく良い席を確保しようと開場前から長い行列が出来た。これは聴く側にとって苦痛ではあるけれど、熱心な人が良い席を獲得できるという点ではとても民主的で良いとも思った。日本版でも最初の頃はそうだったがある時から小さな会場まですべての公演が指定席になってしまった。チケット入手が困難な小会場だからこそ自由席の先着順が私は望ましいと思うのだが・・・。会場ではまたCDだけでなく関連の音楽書籍も販売されていて私も何冊かバロック関係の珍しい本を入手することが出来た。深夜まで市内を巡回する2両編成のバスがホテルまでの帰りの足を保証してくれるのも素晴らしかった。

ラ・フォル・ジュルネ 2000年ナントの公演一覧の表紙

ラ・フォル・ジュルネ 2000年ナントの公演一覧の表紙

文字通り一日中バッハとバロック音楽漬けになれる音楽祭が3日間続く。その企画の大きさと手頃な価格に驚くとともにこんなものは日本では絶対にできない、と決めつけていた。ところがその5年後の2005年にLFJの日本版が開催されることになった。ただしこちらは「地方都市の音楽による町おこし」ではなく東京のど真ん中、有楽町の東京国際フォーラムでの開催だ。実はゴールデン・ウィーク中というのがミソで、帰省や旅行で東京の人口が少なくなり、そのためかコンサートの少ない期間の催し物だから却って行き易い。なおかつ私にとってありがたかったのは、毎年、有名作曲家を全体のテーマには据えるのだが、その一方で同時代の知られざる作曲家たちの珍しい作品が取り上げられることも少なくなかった点。そのため私は自分なりに計画を立て、コンサート・マラソンともいうべき朝から晩までコンサートのハシゴをするつもりで通った。家にいったん帰るのが面倒なので、時間潰し用に買った公演もあった。

「ベートーヴェン」がテーマだった2005年の第1回は19公演、「モーツァルト」の2006年は14公演を購入。そして「民族のハーモニー」と題された2007年には5日間で何と41公演を買ったが、最終日に体調を崩し7公演は聴かずじまいだった。その翌年にある業界関係者から与えられた忠告がこの音楽祭に対するその後の私の方針を変えた。曰く「この音楽祭はホテルのバイキングと同じです。豪華な料理が沢山あるからあれやこれやとどうしても詰め込もうとしてしまう。だから程々にしておいた方がいいですよ・・・」 かくして2008年のシューベルトは21公演買ったものの、2009年のバッハは9公演、2010年のショパンは15公演、2012年の「サクル・リュス(ロシアの祭典)」は9公演、2013年の「パリ、至福の時」は16公演、2014年の「10人の作曲家」は13公演といった具合に私も抑制するようになった。今年の「パシオン」は11公演で、3日間(5月2日~4日)とも午後の時間帯にLFJとは関係の無い別なコンサートに出かけるという有様だった。ようやくこの音楽祭との付き合い方が体得できたような気がする。チケットの購入は成り行き任せで、必要なものを厳選した。

それに当初¥1,500が主体だった小さな会場の入場料もいつの間にか¥2,100もしくは¥2,600。買うチケットの量が多くなればなるほどこの値上げは深刻な問題となる。さらに私が通うような公演は小さな会場がほとんどなのでチケットを確保するのが大変。どうしても欲しいチケットはLFJの「会員優先予約」に申込むので1枚ごとに特別料金が発生し更に高くなる。それでも買えない時は、3月の一般発売の土曜日に、朝10時に近くのセブン・イレブンの発券端末機も兼ねるコピー機を占領してチケットを買う手続きを延々と続ける。タッチの差で売り切れる事が多いので、コピー機を使いに来たお客さんの厳しい視線は無視しつつ・・・

評論家なのだから主催者に頼んでパスを出して貰えばいいのに、と私にいう人もいる。そもそもLFJは今年に至るまで一切ご招待いただいてないし、仮にご招待をいただいたとしてもそれはお断りするだろう。価格が安いこともあり、小さな会場でのチケットが入手困難なコンサートだ。そのため様々な購買のプロセスを経て確保できたかどうかの結果として自分のゴールデン・ウィーク中の行動が決まる。そうしたゲーム感覚がとても重要なのだ。勿論、普段、様々なマネージメントからいただくご招待を私は全て拒否している訳ではないし、ありがたく出席させていただいている公演も少なくない。しかしこのLFJや仙台で毎秋開催される「せんくら」のような入場料が安くて入手が困難なものはどうしても自分で買うことにこだわりたいのだ。普段コンサートで顔を合わせるヘヴィー・コンサート・ゴーアーの方々が苦労してこの音楽祭のチケットを買っているのにどうして自分だけ楽をするのが許されようか?

さて日本版LFJ、最初の頃はコンサートの総演奏時間の計算がいい加減だったりしてコンサートの接続が上手くいかない(前のコンサートが長引いて次のものに間に合わない)トラブルがあったり、曲目や作曲家に関する解説が間違っているという問題にしばしば遭遇した。最初のうちはしっかりとクレームをつけていたが、次第にこういうものだから仕方がない、まあ珍しい曲が聴けるのだからそれだけでももうけものという気持ちになってしまった。もっともここ数年はプログラムの保守化というか、日本では普段聴けないような珍しいロマン派の作品というのは少なくなっている。やはりありきたりの有名名曲の方が売り易いという厳然たる事実があるのかもしれない。確かにこの音楽祭を運営する側から見るなら、クラシック音楽ファンの一般教養の範囲内で対応できる作品でプログラムが組まれている方が楽に違いない。

ただ今年は古楽団体「ラ・ヴェネクシアーナ」の公演でトラブルがあり、私は怒り心頭だった。というのも私が買った2日の公演はバロック初期イタリアの作曲家たちジェズアルドとモンテヴェルディの作品が予定されていたのだが、それが急にオール・モンテヴェルディ・プロに変更になってしまったのだ。正直に言えば私はモンテヴェルディなどどうでも良かった。ジェズアルドが聴けるのでこのチケットを買ったのだ。しかも私の怒りの炎に油を注いだのは私が関係者を問い詰めた際に出て来た「本日と明日のプログラムが入れ替わります」という説明だった。つまり歌手の体調が悪いので難しいジェズアルドは明日にして、多少は負担の軽いオール・モンテヴェルディ・プロに変更したというのだ。彼らの公演を両方買っている人にとってはそれでもいいのかもしれない。けれども私はジェズアルドにしか興味が無いので今日のチケットを買ったのだ。苦情に対応する係員に私と一緒に文句を言っていた男性は埒があかないと判断し、とうとうチケットを係員に投げつけて「あなたたちはそんないい加減な気持ちで公演をしているのか!」と吐き捨てて帰って行った。聞けばかなり遠方から交通費をかけてわざわざジェズアルドを聴きに来た、とのことだった。そもそもジェズアルドは演奏至難なレパートリーなのだからリスク回避のため最初から2日目にするべきだったのだ。長時間の飛行による疲れ、時差とか、気候の急な変化による体調異変などなど、リスクはいくらでも予期できるのだから。そんな初歩的な危機管理をこのグループやLFJの主催者は出来なかったのか? 関係者から、翌日は翌日で、プログラムにジェズアルドなどという異物があるのでけしからんと怒った人がいたという顛末を聴いた。この曲目変更は二重の意味でファンに対する背信行為だったのだと改めて思った。

ただ同時に私は昔からクラシック音楽業界は全体的に曲目変更には余りにも寛容過ぎるように思えてならない。アーティストを聴きに行くのだから演奏曲目は二の次という考えである。アーティストがその日のコンサートを気持ち良く演奏するためには曲目の変更は止むを得ないとする発想であり、「演奏者の希望により曲目が変更になりました・・・」という一言で全て許されるという甘えである。勿論そうした説明を可能にするために、予めチラシやチケットに「曲目・演奏者が変更になる場合があります」という断り書きがあるのだからそれは法的に問題ないということなのだろう。しかし中には私のようにある特定の曲目が目当てで聴きにくる客もいるのだ、ということを業界関係者は決して忘れてはいけない。たとえこうした演奏曲目の変更を可能にする事前の断り書きが告知されていたとしても、曲目変更は可能な限り避けるための努力をするのが主催者のチケット購入者に対する責任であり義務なのだ。

話をLFJに戻そう。当初から私は珍しい作品を聴くこと以外にもうひとつの目的を持ってこの音楽祭のチケットを買っていた。好きなピアニストたちの定点観測とでもいうか、毎年この時期に聴いてその状態を確認することだ。なぜピアノかというと残響の少ない会場でのコンサートが多いLFJは現代のピアノのリサイタルには最適なのだ。ただ当初はクリスチャン・イヴァルディ、フランク・ブラレイら外来アーティストでも聴きたいピアニストが多かったが、来日メンバーが変化してしまい、最近ではもっぱら日本人の優れたピアニストたちを聴くのがメインの目的になっている。特に児玉麻里、児玉桃、広瀬悦子、萩原麻未の4名のピアニストの何らかの公演を聴くことが優先課題だ。今年もそれぞれとても充実した演奏を聴かせてくれていたのでまずは一安心した。

最後に今回のLFJで最大の収穫について触れなくては。それは最後に聴いたよみうりホールでのポルトガルの歌手、アントニオ・ザンブージョとそのグループによる公演。特に予備知識もなく、さほど期待もしていなかった。ただ私は昔からカルロス・パレデスのポルトガル・ギターが大好きなので、公演欄にこの楽器の名前を発見したため買った次第。ザンブージョの歌唱はマイクを巧みに使った、言うなれば究極の「ソット・ヴォーチェ唱法」。文字通り囁くように情感を込めて歌う。私にとっては理想の歌唱だ。考えてみれば私がクラシック音楽の中で声楽が嫌いなのは大ホールでもマイクを使わずに歌うために大声で叫ぶので、言葉の明瞭な発音と表情づけが疎かになりがちなことが原因。正にザンブージョは本来ならサロンなどで歌うべき歌曲を大ホールで歌う場合に何をするべきなのかお手本を示してくれたようにさえ感じられた。巧みに電気増幅されたベルナルド・コウトのポルトガル・ギターの響きの美しさ、ニュアンスの豊かさも期待通りだった。ポルトガルの伝統的な歌謡であるファドの要素は取り入れているものの、ブラジル音楽やジャズなどの影響、バス・クラリネットやトランペットなどの特殊奏法なども散りばめられ、実にオリジナリティに富んだものだった。全体にアンニュイな感覚があり、それがフランス人好みなのかもしれない。

基本的にクラシックがメインの音楽祭を聴きに来て、そうではないものに最も感激するのも変な話と思われるかもしれない。しかしながらポピュラー音楽と並べることによりクラシック音楽が抱える問題点が明らかになる、理解しやすくなるという例は決して少なくない。それゆえにこうしたクラシックがメインの音楽祭に本格的なポピュラー音楽の公演があるのは大変好ましいことだと私は思う。クラシックのアーティストがピアソラやビートルズを演奏してお茶を濁すというのではなく、本物の良質なポピュラー音楽があることは・・・。

こんなことを考えてみて欲しい。もしベートーヴェンの時代に電気増幅の技術があったらクラシック音楽の歴史は果たしてどのような発展をしていただろうか? 恐らく現在のクラシック音楽業界とは全く異なる世界になっていただろうと私は想像する。私はそこにこそ、クラシック音楽の今日における様々な問題を考えるためのヒントがあると思うのだ。

2015年5月23日 谷戸基岩

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