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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(19)「村山談話」を改めて読む

2015年6月27日

50回目の終戦記念日にあたる1995年(平成7年)8月15日、当時の村山富市首相は、閣議決定された「戦後50周年の終戦記念日にあたって」、いわゆる「村山談話」を発表した。

60回目の終戦記念日には「小泉談話」が発表された。

戦後70年の今年、安倍首相は本年1月5日、三重県伊勢市で記者会見を開いたが、そこで、「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たすか、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく」と述べ、「集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制の整備などに取り組む」考えを強調した。(「アジアや世界に貢献」 安倍首相、戦後70年談話に 藤原慎一;2015年1月6日;朝日新聞デジタル)

そして、安倍晋三首相は、今年(2015年)8月の終戦記念日に、彼「の」談話を発表する予定であるという。

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伊勢市での記者会見の発言で気になることは、「 国際情勢が大きく激変する中で、国民の命と暮らしを守り抜くための新たな安全保障法制を整備する」という趣旨である。

任期の長短、業績の評価はまちまちの歴代首相であるが、たとえば愚昧な首相が選ばれて、その経済政策が失敗しても、日本国民の伝統的生活能力によって国力は回復してくるから、経済にかかわる政策の瑕疵が国家の命運を左右するほどの打撃を国民にあたえることはない。

経済的困窮と戦争との関係はあるものの、今日、食糧や石油の不足が原因で、日本が外国に戦争を仕掛けるようなことがあると想定することは、言葉遊び以上のなにものでもない。

つまり経済政策の失敗は、日本国民の潜在的能力によって修復できるのだが、問題は「安全保障」である。

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かってアイゼンハワー大統領は、当時350万人の男女が防衛部門に直接雇用されていた自国の軍産複合体が歴史的流れの中でできあがってしまったことを認めていた。

しかしこの事態を、アイゼンハワー大統領は、アメリカが世界の戦略的リーダー国であるとの自負のもとに前向きに受け入れていた。(アイゼンハワーの国民への離任演説;1961年1月17日;Cf; Eisenhower’s Farewell Address To the Nation ; January 17, 1961)

かっての米ソ冷戦の時代は、イデオロギーとして明確な、または意図的に明確化された「自由主義圏と共産主義圏」の対立構造のもとに二大軍事大国が、つねにアメリカが優位の立場で世界を差配していた。

しかし今日、 諸行は無常であり、歴史に繰り返すことなどなく、常に新たな歴史的状況が展開している。

かって想像だにしなかったコンピュータ技術に支配されたグローバリゼーションの時代である。

さらに経済大国としての中国が世界史へ登場し、イスラム教圏での様々な不安定な動きが加わって、かっての単純な二分的世界支配は通じない複雑な政治的世界があらわれてきている。

やがてインドが着実な経済発展をしてゆけば、予想もつかない政治地図が現われるかもしれない。

そのような流動的な世界史的状況において、日本が、世界的戦略における軍事大国のリーダーシップに関与してゆくことは、日本の歴史的性格に照らして、まったく不適切なことであることは明白である。

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改めて「村山談話」を読んでみた。

この「談話」には外務省の中国語訳、韓国語訳、英訳もありウェブサイトで公開されている。

その後「小泉談話」を読めば、趣旨は大体似ているが、内容の普遍性と格調の高さは「村山談話」が圧倒している。

「小泉談話」で、「私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にある」との認識自体は一定の事実であるが、その「多くの方々の尊い犠牲」者たちが散って行った戦場は、つねに中国を中心としたアジア諸国である。

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「村山談話」は述べる;

「・・・米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。・・・とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。・・・わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。・・・」

「村山談話」は、特にアジアの人々に対するが深い思いが切々と伝わってくるような文章である。

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」の談話を読んで、村山首相が、文中で「私」と「私たち」とを適切に使い分けて、自らの深い覚悟は「私」としていることにも感心させられた。

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一国の宰相の人格的品性は重大な意味をもっている。

一国の宰相の心に潜む、わずかな傲慢や配慮の無さ、人間観に対する見識の過誤にもとづくメッセージが、特に旧陸軍の組織の末端における上官の劣情を刺激して、不当な下級兵士への残酷的行為を助長していったことは周知のとおりである。

平時でさえも、経済的に貧窮しているわけでもない少年らが状況的に劣勢の立場にある仲間の少年に苛めや暴行を加える可能性があるのが、人間性というものである。

一つの象徴として、権力者の権威の下で公示された「生きて虜囚の辱めを受けず」(『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」)の言葉が、恣意に拡大的に悪用されて、戦場という殺伐として状況下で、どれだけの災厄を下級兵士たちと無辜の民にもたらしたことか。

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安倍首相は「首相の談話」を発表する予定であるといわれる。

わずかな文言が、国民の精神生活に多大な影響を持続的に与えることに深い配慮をしてほしい。

怨親平等の東洋の叡智に学びつつ、米国との民間レベルでの親交の維持に努め、日本はアジアの一員として中国をはじめとするアジア諸国の国民との友好と相互理解の重要性を改めて確認しつつ、諸国民の豊かな生活の実現を目指して、特に民間人のレベルの信頼関係の育成を外交の核心においてほしいものである。

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一国の宰相が示す「まこと」は、国民の心の隅々へと浸透してゆく。

「まこと」が日本の精神文化と伝統の根幹にあることを深く了解することが、 日本人として政治にたずさわる者の基本条件である。

「談話」は、 次の言葉で 結ばれている。

「「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。」

「杖るは信に如くは莫し」(よるはしんにしくはなし)の出典は中国の古典からの引用といわれるが、私には公僕の志の要諦をのべた「憲法十七条」が想いだされる。

「九にいはく、信(まこと)はこれ義(ことわり)の本なり。事(わざ)ごとに信(まこと)あるべし。それ善(よ)さ悪(あ)しき、成(な)り敗(な)らぬこと、かならず信(まこと)あり。・・・」

「信義を施政の根幹とすることを内外に表明」することは、 欧米とアジアとを問わず、 謀略と偽善にみちた権謀術数を操ることを政治と心得ている、一部の「内外」の政治家と政治学者に対する批判ともなり、「和」国の宰相としての強い矜持の姿勢であると了解したい。

(2015/06/25 記)

 

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