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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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連載「ホタルの宿る森からのメッセージ」
第35回「虫さん、こんにちは(番外編)」

2015年7月13日

▼おばあちゃんのウジ

今から25年前、アフリカに行き始めて二年目のことである。

偶然村にいたとき、ある女性がひとりのおばあちゃんを連れてきた。右目の横から頬にかけて膿んでいる。けっこう傷は深い。薬をつけてくれ、という。ヤレヤレだ。持ち合わせているオキシドールはただの消毒薬であるが、医者でもないぼくにできることはそれで消毒することぐらいだ。まずは安心させるためにも、とりあえず少しでもオキシドールを塗ることにする。どこかでオキシドールが目に入らぬよう注意せよと聞いたことを思い出し、目の横に綿をあて押さえ、オキシドールを塗る。たくさんつけて、しみる痛さにショックでも起こしてもらったら困るので、オキシドールも少量にとどめた。思っていたほど膿もひどくないようだ。消毒綿をあててとりあえずの「治療」を終える。

少したった別の日、このおばあちゃんがぼくのところにやってきた。よく見ると、右目の右側の傷にウジがわいていた。見るにも無残だ。自分でガーゼをはがしたあと、深い傷の中に小バエが入り、ウジをわかしたのだろう。綿棒で深い傷の中を消毒しようとするが、届かない。ウジも逃げて傷の中に入り込む。ピンセットでもウジはつかめない。ぼくの手にはとても負えそうになかった。

近くにいた別の村人らが荒治療を始めた。沸騰した湯を傷口に「噴射」し、すりつぶしたキニーネ(注:キニーネはマラリア用の錠剤)をまぶしこむ。キニーネは万能薬と信じられているのか。残念ながら、ぼくには傷口を直すことはできない。これ以上、何もできない。ただそれを見ているだけだ。

ヨーチンを直接傷口に注入するという方法は残っている。ヨーチンはオキシドールよりも強いので、それで恐らく一発でウジは死ぬかもしれない。しかし危険すぎると思い躊躇する。あんな深傷にヨーチンはきつすぎるはずだ。ましてや老人だ。それに一回ヨーチンを施したところで、すぐハエがたかりに来るに決まっている。その繰り返しであろうと予測する。

病院で傷口を切開してウジをきれいに取り出し、消毒し、傷口をふさぐしかないだろうと、おばあちゃん側近の村人に説明する。「そうした作業は、ぼくにはできないんだ」というと、「でも、ウジが奥に入って失明するんじゃない」と人々は心配する。「病院に行った方がいい」「でも病院は遠い」「でもぼくは病院の医者ではない。ぼくにはできない」と問答が続く。最後には、ウジが目よりも脳に侵蝕することより、ヨーチンという強い薬などの注入によるショック死の方を恐れているんだ、とはっきりいう。

▼強硬手段から治癒へ

結局ぼくも村人も何もできないまま数日がすぎた。気になっていたおばあちゃんのケガを見に行くと、ウジは目の後方と耳の方へとさらに奥へと二方向に入っていた。そこで、ヨーチンは強いが、少し薄めて使ったらどうかと思いつく。ただ、薄めるためのきれいな水など村では手に入らないので、おばあちゃんの娘に沸騰したあとのさめた湯を用意させ、ヨーチンと混ぜることにした。それを、麺棒で傷口の奥へと、次第にヨーチンをしみ込ませる。しかし、表層近くのウジを取るので精一杯だった。そのうち傷口から血も出てくる。

娘に、「彼女は町の病院へ行った方がいい。もうすぐ村にボートが来るはずだから、それに乗って町に行くがいい」と繰り返し言う。傷はもうそのままにガーゼを当てようとしたが、「もっと薬を付けてほしい」とせがまれ、傷の深い位置までヨーチンの注入を決行した。やっとの思いで、弱ってはい出してきたウジ2匹をピンセットで取り出すのに成功する。ヨーチンでは、死なないらしい。まだ元気な他のウジは、傷口から首を出しては引っ込め、ヨーチンから逃れようとする。むしろヨーチンのせいで、ウジを穴のどんどん奥へ行かせてしまっているようなものだ。

翌日「町に行っても、まず地理がわからない。それに、病院では莫大な金がかかるから、とても払えない」とおばあちゃんの家族は心配する。事態は袋小路だ。

そこへ、別の村人が来て、おばあちゃんの耳側のウジはすべて出たと知らせる。急いで、おばあちゃんの傷口を見に行く。確かにきれいになっている。なるほどヨーチンの威力で、耳側のウジが死に絶えたらしい!ただ目側のウジはまだいるようだ。そこで、そちら側に同じ要領で薄めのヨーチンを流し込む。その後、傷口にガーゼをあてた。

その翌日もおばあちゃんのところへ行く。耳側の傷口にも再度ウジが侵入したらしい。昨晩は眠れなかったという。耳に近いために傷口の中でゴソゴソと音がして、夜中うるさかったのだろう。傷口から大きいウジを2匹、なんとかピンセットでつまんだ。あと少しのところだったが、それ以上他のウジはつかまらなかった。ひどい疲労感を覚える。

続く日もおばあちゃんの治療へ向かう。だいぶ傷の周辺部の腫れがひいている。つまり、傷口の中のウジが撤退したとみてよいのだろう。あとは目の上の傷口だけだ。しかしよく見ると、傷口はふさがり始めている。経過よしとみなしてもよいと確信し始めた。

▼お礼のニワトリ

小さな傷口が化膿し、そこにハエがたかる。そして度を過ぎてハエがその傷口にウジを産みつける。ウジは皮膚の柔らかい部分からやがて肉をも掘り出して、皮膚の内側にトンネル状のものを作り出す。そうしたトンネルが目の脇から耳の方へと数本できていた。ウジはその奥でぬくぬくと生活している。それがこのおばあちゃんの症状だったのだと思う。ぼくが滞在していた国立公園近くのボマサ村には病院はもちろん消毒薬すらなかった。たまたま村にいて、少々の薬をもっていたぼくが怪我の手当てに関わったのだ。

そうした「にわか病院」はボマサ村にいるときは、当時日常茶飯事だった。胃薬、頭痛薬、マラリア薬、それと簡単な怪我の消毒など。ぼくは無論何の見返りも期待しなかった。大義名分も正義感もなかった。村には近代医療の薬はない。時間の許す限り、ぼくで役に立つことであれば、ごくふつうに所有していた薬を供与していただけの話だ。しかし、このおばあちゃんの例はもっともたいへんなものであった。ぼくには手に負えないと思った。しかし彼らに町の病院に行くお金もなければ、滞在する場所もない。結果的に悪戦苦闘の末、ウジを全部取っ払うことができたのである。

とうとう傷口もすっかりきれいになる日が来た。おばあちゃんはぼくに感謝の意を込めて、大事なニワトリを一羽くれた。傷口が治ったことだけでもぼくはうれしかったのに、めったな日しか絞めない貴重な食料であるニワトリを一羽贈呈してくれるとは、最大の感謝のしるしである。

ンドキの国立公園、そしてボマサ村を出入りするようになって、もう20年ほどの月日が経つ。ここは、当時ひよっこの研究者であったぼくを培ってくれ、今のときまでお世話になっているのは疑いない。

いつか、この場所から去る日が来ても、ボマサ村を生涯決して忘れることは決してないであろう。

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