【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭
連載「ホタルの宿る森からのメッセージ」第37回「森の中で生きるということ(その2)~食糧と物資」
▼基本のたべもの
虫。スワンプ。雨。ことば。ただでさえ不便な森での生活。「そんなところで生活するのはさぞかしたいへんなことでしょう」いつもそう人に言われる。次には必ず「“ジャングル”ではどんなものを食べているのですか」と質問して来る。
食料品の原則は、町での買い出し、森への担ぎ込みである。町の商店や市場に行けば基本的な食料はたいてい手に入る。とはいえ実際に森へ持っていくものは保存の利くものでなければならないので、勢い種類は限定されてくる。主食とおかず、それと若干の味付け用の品と最小限の嗜好品のみだ。
塩
食用油
いわしの缶詰
コンビーフ缶
干し魚
米
スパゲッティ
タマネギ
ニンニク
トマトペースト缶
ピーナッツ・ペースト
固形マギーブイヨン
砂糖
ミルクパウダー
コーヒー
紅茶
これに現地の主食でもあるキャッサバのイモが加わる。イモの加工の仕方・食べ方は何通りかあるが、日持ちがよい点で森へ持っていくのに都合がよいのは、現地でフフと呼ばれる粉上にしたものである。調理するときは、この粉を熱湯でとき、餅状にする。慣れないと酸味がかった独特のにおいが鼻につくが、餅感覚は日本人にとって違和感を感じさせないので、たいていの日本人は問題なく食べることができる。難点は餅状であるのであまり一度に多く食べられず、しかも消化がよいせいか、すぐに腹が減ってくる点である。
▼動物肉と魚
はじめの時期は調査中に動物猟もしていた。銃猟である。当時の調査地は保護区以外の場所であったし、現地の省庁からも特に何の規制はなかった。ただ調査地より遠い村側の場所で狩猟すること、無論、森での生活に最低限必要となる量のみ、狩猟禁止の動物種以外に限るという合法上の条件付で、現地の人が動物猟を行なっていたのである。たとえばダイカーとか、カワイノシシ、幾種類かのサルなどがそれに相当した。
肉料理はぶつ切りで煮込みである。塩とピリピリ(唐辛子)で味付けする。もしトマトペースト缶があればそれも使うことがある。ぼくがもっとも好んだのは、内臓の包み焼きである。とれたての動物の内臓。心臓、肺、胃、肝臓、腎臓などを小さく切って、塩と唐辛子だけ加える。血が汁代わりだ。これをクズウコン科の大きな葉で包む。そして弱火の焚き火で蒸し焼きにする。これがうまい。肉はときにぼくの歯では固いときがあるが、内臓は柔らかく歯にもよい。ビタミンも豊富だ。
ダイカー、イノシシ、サルのほか、ぼくが食べた経験があるのは、ワニ、リクガメ、センザンコウ、ヘビ(後出)、そしてゾウ(実際はゾウの肉と知らずに出された肉を食べたのだ)である。ダイカーは肉の固さに個体差があるが、柔らかいのとウシ科だけあって味は悪くない。イノシシは脂肪分がすごく、ちょっとくどい。サルは概して肉が固く、あまりうまいとは思わなかった。ワニは、ちょうど魚とトリ肉の中間くらいの食感であった。カメはあまり食べるところがない。肉も生臭い上に、内臓も捨ててしまう。センザンコウはヒョウによって今しがた殺された死体であったが、味は少しくどかった。ゾウについては脂っこかった記憶がある。
キャンプでは魚釣りもやっていた。ある時期から網も使った。町から持っていく保存食・干し魚も決してまずいものではない。とくに、燻製魚よりも、塩で干した魚は日本人の口に合うようだった。いずれも熱湯でもどし、身を細かくして煮込めばよい。しかし干し魚の続く生活で、川の取れたての魚の煮込みものはうまいものであった。問題は、網で魚を取り始めると、数度ワニがそれにひっかかってしまったことだ。
ンドキに国立公園が正式に設立されるまでは、どの動物をどの方法でならとってよいという判断基準は、コンゴ共和国の法のもとであれば、われわれ研究者と同行していた関連省庁のスタッフに一存されていた。調査地から遠いところでなら銃でダイカー、イノシシ、サルなどとってよい。カメやヘビは構わない。死体の肉は食べて問題ない。川で魚は取ってよい。網にひっかかったワニは捕獲してよい。食用昆虫は採集してよい。ハチミツ採りも基本的に問題ない。食用果実や葉、イモ、キノコは採集してよいなどなど。
とはいえ、なにか矛盾のようなものを感じはじめていた。自分の研究対象であるゴリラやチンパンジーは絶対食べない(法律で禁猟種に指定されていた)くせに、ほかの動植物は研究者の滞在に必要だからという正統的な理由で狩猟採集していたのだ。それは、研究を続けたいがための研究者のエゴのようなものであるのではないかと。
無論1993年の国立公園設立後は、動物の狩猟・捕獲、漁撈は一切禁止された。たとえ調査・研究遂行のためでもその規範は適用された。例外は、食用昆虫、きのこ、イモ、葉、果実だけとなった。ハチミツ採集も木を切り倒すことがなければ許可されることとなった。
▼森の産物
動物、魚を除けば、食用となる森の産物の種類は意外と少ない。主要な食用果実は種類はいくらかあっても、季節が限定されている。たいがい甘酸っぱい味だ。東南アジアの市場に行くとカラフルな果実がところ狭しと並べられているのを思い起こすが、アフリカの市場では対照的に非常に果実が貧困である。種子をピーナッツのように食べられる種類もあるが、種類は多くない。先住民などにとって従来から重要であった数種類の種子は、炒ってすりつぶしてから、ペースト状にして、煮込みものの味付けとする。
食用葉で代表的なのはココと呼ばれる葉だ。つる性植物で、細かく刻んでから煮込み料理に入れる。これはうまい。町の市場でも日常的に売られている。野菜の不足する森でのキャンプ生活には欠かせないものである。食用の野生イモも数種類あるが、あまり頻繁にはお目にかかれない。キノコは主に2種類。これも煮込みに入れる。季節限定だがおいしい。
食用昆虫は、幾種類かある。まずはシロアリ。羽化する時期にその飛びはじめのシロアリを集める。それを炒ってからすりつぶす。すると、まさにピーナッツクリームのように香ばしいものとなる。そして毛虫。これは塩とピリピリで味付けし、串に刺して焚き火であぶる。うまく焼けるとほんとうに香ばしい。実際は火加減がむずかしく、表面だけがこげてしまい、それを食べると中がまだ生のような感じがするときがある。先住民たちはそれでも平気で食べていたが、ぼくはその中身のブチュッとしたあの感覚がどうしてもだめだった。カブトムシも食用だ。外殻の付いたまま煮たきをして、そのあと、固い殻をむきながら中の柔らかい部分を食べる。
他にはアフリカマイマイだ。殻の長さは15cmくらい。殻のまま中に塩とピリピリを入れ、それをそのまま焚き火の中でサザエの磯焼きのようにする。中の液体がぐつぐつしてきたらできあがりだ。ただこれも少し生臭く、あまりおいしいものとはいえなかった。それに生煮えだと寄生虫の心配もあったので、あまり食が進むものとはいえなかった。
▼一日二食の生活
森の中で生活するときは、日中は通常歩いているので、昼飯は抜きだ。それで朝と夜の一日二食の生活となる。朝は雨でも降っていなければ、6時ごろにキャンプを出るのを基本としていたので、朝食は当然その前に食べなければならない。まだ未明の暗闇である。時間がもったいないので、朝は前の晩の残り物をあたためて食べるのが普通だ。
一日二食の生活はぼくにはまったく違和感なく受け入れられた。森に出発する前のまだ暗い明け方に、ももりもり食べることができた。ただ朝にあまり押し込むと歩きづらくなるので、そのかわり夜は山盛り食べた。初期のころは毎日のように、お皿に大盛りのご飯を4杯も5杯も食べていた。おかずは少ないけど、とにかく米はよく食べた。1991年から1992年にかけて13ヶ月森の中に滞在したときは、終わってみれば5kgも体重が増えていた。野菜等はほとんどとることはできなかったが、便秘に困ることはなかった。栄養補給にはビタミン剤をたまに飲んでいたくらいだ。
▼補給体制
とはいえ、毎日食べ放題食べるわけにはいかない。ひもじい思いをしない程度に、一回の食事の量を制限する必要はあった。キャンプの食料ストックが切れれば、森での生活そして調査や活動は中止となるからだ。経験を重ねていくうちに、ふつうに食事ができるための必要量がわかってくる。これをわれわれ研究者、ガイドとして雇う森の先住民などの分も合わせて、月間必要量を試算できるようになった。これに基づいて、町で買い込み、森へ持ち運ぶ食料の量の目安が立ってくる。
この食料の量については、初期のころは試行錯誤の連続であった。もちろん食料が底をつき始めればいやおうでも村へ出て補給しなければならなかった。しかし頻繁に村へ出るわけにもいかなかった。第一に村まで30kmの道のりで、遠い。第二にもし村に出るとなると往復だけで最低4~5日、食料の準備とかに追われれば一週間も調査を棒に振ることになるからだ。可能な限り継続して森に残り、調査を進めたかった。
そこで、しばらくは村からの補給体制というのを作り出してみた。つまりわれわれ研究者は森に残ったまま、補給役の役割を担った村人が食料とポーターを編成して、月に一度指定した日に森へ物資を運んでくるというシステムだった。概算して、たとえば合計6人のキャンプ生活者で3ヶ月に必要な食料や装備は、約15人から20人のポーターを雇えば森に運び入れることができた。なにぶん当初はお互い連絡の取れない状態にあり、どうしても定期的にきっちり補給が進むというわけにはいかないときもあった。
しかし、食料がなくなればそれまでだと、割り切ればそれでよかっただけである。
▼運搬物
もちろん何でもかんでも森に運び入れることはできない。生きていくのに必要でありかつひもじい思いをしない量の食料が最優先となる。嗜好品はカットせざるを得ない。せいぜいコーヒーや砂糖、先住民にとって欠かせないタバコ程度だ。酒の持ち込みは一切禁止した。これは荷物になるばかりでなく、翌朝の仕事に影響が出る可能性を防ぐためであった。
個人の希望にあわせてありとあらゆる種類のものを持ち運べば、ポーターの数も下手をすれば30人、40人に膨れ上がる。ポーターの数を最小限にしなければならないというのは、忘れてはいけない大原則である。ピクニックではないのだ。こうしたことは、原生林という自然界へ入るには、人間によるインパクトを最小限にするべきだという全員お互い了解の上で我慢しなければならないことだった。
それに森に持ち込むものは食料だけではない。鍋、皿、コップ、スプーン、水用タンクなど炊事道具に始まり、マッチ、ローソク、マチェット(山刀)、ヤスリ、懐中電灯、電池、トイレットペーパー、石けんなどの日用品、それにテント、グランドシート(簡易小屋の屋根代わりにする)、スリーピング・マット、シュラフなどのキャンピング装備が加わる。調査に必要な道具(ノート、筆記用具、地図、コンパス、双眼鏡、カメラなどなど)も忘れてはいけない。
▼食料・物品管理
こうして必要でかつ十分な量の食料や装備を運び込む。しかしそれをある一定期間きちんと管理しないと食料も装備も劣化していく。その点キャンプでの物資の保管方法には最大限の注意を払わなければならない。もし食料が悪くなれば森での滞在期間を縮める結果となるし、カメラなどの機械類が動かなくなれば十全な調査を履行できなくなる。もっとも留意すべきは、湿気と雨である。
ポーターを使ってキャンプに食料などを運び込むのは、アクセスの悪かった当時はうまくいって最小でも1泊2日だった。この間に雨にいつ出くわすかわからない。したがって雨にぬれては困るものは、ビニールなどでしっかりくるんで防水対策をとらなければならない。雨でなくても万が一スワンプで沼にはまれば荷物がぬれてしまう危険性は常にあった。とくに、米、フフ、干し魚、塩、砂糖ほか、機械類などはその重要な対象である。
キャンプでは、タープで臨時に覆った屋根の下に物品を置くので雨の心配はない。問題は湿気対策だ。熱帯林の中のキャンプ。雨季ではほぼ毎日湿度は100%に近い。比較的乾燥する乾季の間でも湿度が70%を下回ることはめったにない。米とフフについては常に風通しをよくする。そのためにそれらの入った大きな袋ごと少し太めの丸太からつるす。干し魚は焚き火の上に台を作り、そこでつねに乾燥させておく。タマネギやニンニク、トウガラシなども同じ台の上においておく。
同じキャンプにしばらく滞在すると、野生のネズミが出没するようになる。もちろん食料などをねらってくるのだ。上記のように、吊るしたり台の上におくのはネズミなどの小動物対策である。塩や砂糖、スパゲッティなど缶詰以外のものは、つねに密閉の箱などの中に収納しておく。またネズミは紙やビニールの類を噛み散らしてしまうので、そうした物品も箱に収納するか、簡易小屋の天井からつるすなど工夫をする必要があった。
またカメラなど精密機械はキャンプでは常に密閉容器にシルカゲル(乾燥剤)とともに保管する。湿気でこうした機械類が動かなくなった例、あるいはレンズなどがカビでやられてしまう例はいくらでもあったからだ。シリカゲルは再利用可能なものがよい。湿気をある程度吸ったらそれをフライパンで炒るとよい。そうするとシリカゲルそのものが再度乾燥し吸湿在として機能する。この作業も定期的に怠ることはできない(続く)。
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