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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見  
自衛隊員に捧げる・あこがれの日本のために

2015年10月14日

極西のグレートブリテン島と極東の日本列島に挟まれた広大なユーラシア大陸において、過去二千年余にわたって繰り広げられてきた人類史は、歴史の諸段階における戦争に関わる根本問題を未解決のままにして現代にまで続いている西欧文明主導の歴史である。

それは、光と影、歓喜と悲劇、正義と虚偽の対立の構図において、つねに光と歓喜と正義を表看板したオクシデントによるオリエント制覇の歴史である。

この世界覇権史の中で、授かった命を享受せずに悲しみにくれて亡くなっていった人々は、ガンジス川の真砂の数になることだろう。

ただ今も、子を亡くして泣き叫ぶ母親たちの声が世界の各地から聞こえてくる。

***

かってマルクスは 言った「一匹の妖怪がヨーロッパに出没している、共産主義という妖怪だ」と。

現代の妖怪は、政府の組織を壟断し、情報を独占し、国民国家の伝統と文化に配慮せず、あたかも世界の全国民にID記号を与えて世界を支配しようとしていくかのようなグローバリズムの金融支配である。

共産主義の妖怪も、無邪気に見えるようだ。

内戦、難民、自然災害、貧困地域の人々の困窮と無知の状況さえも、時に宗教さえも利用して金儲けのチャンスとし、刑務所の経営、NGO活動もビジネス化している金融主導の資本主義の実体に我々は直面している。(Antony Loewenstein「災害を食いもにする資本主義(Disaster Capitalism from the Migrant Crisis to Afghanistan and Haiti )」、J. Scahill 「汚い戦争・世界が戦場となった」(Dirty Wars: The World is a Battlefield)

***

そこで、国論の争点を背負って職務に従事する、生命にかかわる危険をおかす覚悟を要請される日本の自衛官の皆さん。

世界の良識ある人々は、非覇権の「和」国に21世紀の世界の目指すべき理念を求めているはずです。

鈴木大拙師のいう「世界人としての日本人」として、世界が求める「和とまことのこころ」を志の支えにしてほしいのです。

日本の自衛隊は、あくまで国民国家としての「日本の自衛」のために存在しているはずです。

覇権国からの軍事の誘惑に命をかけてはならないはずです。

自衛隊は、日本と世界各地の善良な人々の生活の安定に汗することを誇りにしなくてはならないはずです。

世界の若者があこがれる、「軍隊の上位理念としての自衛隊」に誇りをもってください。

***

やまとのこころ讃歌

ーあこがれの日本のためにー

夢をもとめてユーラシア

幾千万里さまよいて

あまたの國をめぐりきて

ついに至りし日の本の国

永い戦 (いくさ) に疲れはて

なみだは枯れて身はやつれ

まほろばの里にいたりてぞ

はじめてふれし、やまとのこころ

明き、 浄き 、直き、こころ

あはれのこころ、 恋こころ

やまとのこころは、和(やはらぎ)のこころ

そらこと、ひがこと、まがことの

あまた繁れる世のなかに

やまとのこころは、まことのこころ

やまとのこころは、アジアのこころ

世界にひろがる和のこころ

外 (と) つ国人 (ひと) と輪になって

共によろこぶ和のこころ

やまとのこころは、まことのこころ

貧しきものに寄り添うこころ

まことのこころを、 つたえたい

四方 (よも) のひとびとと分ちあいたい

***

* 「やまとのこころ」とは聖徳太子の「和とまこと」のことである。

聖徳太子が夢殿のなかで想い抱いていたことは、人々が愚の自覚にうらづけられた「まこと」にめざめて、社会生活に実現されるべき理念としての「和」である。

「聖徳太子」とは、「事実論」として歴史的人物であるが、「意味論」としては、神々と仏たちの宗教的意義の棲み分けと共存を歴史的に象徴的に体現している理念的人格のことであり、その後の日本的文化醸成の基本的情念である。

彼以後の日本の知的情念は、その深層において、親聖徳派、反聖徳派、非聖徳派に分かれていって今日に至る。今日の知識人も、だいたいこれらの範疇で仕分けできる。

* 「やまとのこころ」は、国粋主義の「やまと心」と「大和魂」の批判である。

本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」と歌った。

これに対して上田秋成は「しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」と皮肉る。

宣長の「大和心」は、敷島に限定された、彼なりの美学の説明としては肯定できるが、それが国粋的、排外的な偏見であってはならない。

* 「國」の字は、「或は城郭の形である口を戈で守る意で、武装した城邑を示し、國の初文。或にさらに外囲の口を加えたものが 國で、もと国都をいう…國は国都で武装都市を意味する字」( 白川静『字統』)。

武器を蓄えた城壁都市を原型とする「國」は、現在まで続いている国家の基本的観念であり、これについては西欧諸国も中国も同様である。

西欧の王族が住む堅固な城と比べて、天皇の御所の驚くべき無防備をみれば、その違いは一目瞭然である。

因に、日本以外の王は、ピラミッドの頂点に位置して軍事力をもって統治するが、天皇は伝統の円の中心に居て「和歌」を作り「稲」の豊作を祈年し、和国の平安を念じるのが基本的役割である。

* 「明き、 浄き 、直き、こころ」は、文武天皇の宣命にある「 明き 浄き 直き誠の心を以て・・・」からの言葉。

私見によれば、このような「誠の心」の可能なかぎりの象徴的体現者として、天皇の意義はある。

* 「和」の理念は、「憲法十七条」に表明されているが、第二条以下はすべて第一条の「和」に集約される。

「憲法十七条」は「和」国を守る公僕の金科玉条である。

「和」の和音「ワ(呉音)」は、和訓では「やはらぐ」である。

宗教教理にとらわれない“柔軟思考”であり、他人を精神支配しない自覚であり、宗教的価値は個々人の内面のことがらであるとみなすことである。

様々な宗教教理的区別は歴史的縁起の所産であり、組織的に人々に改宗を迫るイデオロギー化した宗教的情念や、日本においては政治的支配のイデオロギーと化した国家神道が「和」の理念にとっての最大の否定概念である。

「和」とは、利害的妥協や馴れ合いとは非なるものである。

これが、聖徳太子の憲法第一条に「和」が第二 条の仏教より上位に置かれている意味である。

しかし聖徳太子は「和」国の発展的維持のための独立の気概と批判の精神を放棄しているわけではない。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」(聖徳太子の煬帝への国書)・「悪しきを見てはかならず匡せ」(太子憲法第六条)。

* 「和」は、国家経営の最高理念としての「憲法十七条」に託された、常に生成してゆく平等思想であり、それは厳粛な「まこと」の決意によって保たれている。

* 「和」とは、諸宗教、様々な民族的イデオロギーの止揚の原理であり、日本においては民族的情念 (自然への畏敬の心情にもとづく社稷の尊重精神としての神道) と普遍的宗教 (仏教) の共存である。

* 「和」とは、国家神道は、特に西欧の列強による外圧に対抗するために、徳川末期より効用が知られてきた一神教的統治原理へと伝統的「天皇」を「天皇制」化して組み込んでいった非神道的政治イデオロギーであり、廃仏毀釈政策の導入などにより「政治が神道の上位に位置する」異質の情念へと次第に変質していった。

その深刻な瑕疵は、指導的立場にある者において、自己に甘く、差別心に依存して、さまざまな責任は祭りあげた「天皇制の中の天皇」に集約的に託して自己責任を回避する「ひが・こと」、「まが・こと」、「たは・こと」であり、「ま・こと(誠)」の自覚の欠如である。

* 「和」とは、国家関係においての平等観であり、支配・被支配の上下関係に関わらないことであり、非覇権主義である。このことは、日本以外の国々の政治について、それらの戦略は研究し理解しても、「和」国日本として は、常に各国との友好関係を維持して、隣国はもとより世界の政治に“ 戦略的”に参加しないことである。

けだし戦略も戦術も諸行無常の世界において必ずいつかは失敗するものであるが、戦略的失敗はその規模が大きく、「和」国の存立の基盤をおびやかすからである。このような国家間における平等観は「憲法十七条」の各条を貫いている人間の平等観にもとづいてい る。今日までつづく覇道の政治世界において、日本国民は「和」国の理念を世界に誇る精神的文化資産とし、この生成的維持に努め、これを国際社会にも反復して明示すべきである。

これが21世紀以降の日本人に託された世界に発する日本の夢・浪漫である。

*  「アジアのこころ 世界にひろがる和のこころ」・・・東大寺は、「四聖(ししょう)建立の寺」といわれ、聖武天皇(政治家)・行基(百済系僧)・ボーディセーナ(インド系僧)・良弁(日本僧)の四人の合作である。

「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」は行基の歌と伝える。

* 「貧しきものに寄り添うこころ」・・・「財あるものの訟(うつた)へは、石をもって水に投ぐるがごとし。乏(とも)しきものの訟へは、水をもって石に投ぐるに似たり。」(「憲法十七条」五)には、共に凡夫として窮乏にある者への同情がしめされている。

* 「四方 (よも) のひとびと」とは、「四海兄弟」のことである。

「商これを聞く『死生命あり、富貴天にあり』。君子敬して失うなく、人と恭しくして礼あらば、四海みな兄弟なり。」(『論語(十二顔淵)』は、特に現実的な立場での平等観を説明している。

しかし、仏教者・曇鸞法師(476-542;山西省出身)は「遠く通ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり。」(『浄土論註』)といい、平等性を人類にまで普遍化している。

さらに 親鸞は「一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり」(『歎異抄』)と共時的な平等性から通時的関係において人間関係の在り方を指摘している。

そして、明治天皇は、「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」(御製 明治三十七 年「四海兄弟」)と謳って、日本文化の平等円の中心の責任をみずからに付託して国家ではなく、まず国民の平安を祈っている。

(2015/10/12 記)

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