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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第43回「保全の仕事など決して華やかなものではない〜人事の難しさ」

2015年11月15日

▼  雑用専門官

1997年から都合2年、マイク・フェイのもとヌアバレ・ンドキ国立公園の基地のマネージメントに携わってきた。その仕事は国立公園のプロジェクトにとって「核」をなすものでもあった。お金、食料、燃料、その他すべての物資・活動のアレンジメント、要するに雑用係というもの。しかしそれは、ンドキの場合「保全」プロジェクトの運営の中枢部分でもある。ほとんどすべての物資は町からあるいは自分の国からの持ち込みである。限りある資金で、限りある食料・物資ストックを無駄なく計画的に使っていかなければならない。それが切れたら国立公園管理・運営に関わるすべての活動-調査研究、パトロール、基地マネージメント、訪問者受け入れ、外との通信など-はアウトだからだ。

ボマサ村での筆者と村人たち©西原智昭

ボマサ村での筆者と村人たち©西原智昭

しかもこうした仕事の相手は世界で有数の「原生」熱帯林なのだ。もちろんぼくは誇りをもっていたし、誇りをもつべき仕事だといって構わないと思う。ただ多忙である。その結果、「森」へ行くチャンスはほとんどない。まるで基地が牢獄のごとくである。そんな中でも、ぼくがまずとりかかりたかったのは、パソコンを駆使して、マネージメント業が効率よく行なわれていくように、一つずつ簡単な管理システムを開発していくことであった。それは、給料支払いや会計に関するものでもあったし、物資の調達・管理、移動手段・コミュニケーション手段に関わるものでもあった。それがないと、すべての業務を、ただでさえ不便な場所で、効率よくかつ十全にこなしていくことは不可能であった。その上で、日常のパトロール隊や調査研究などの遂行が可能になるのだ。

▼どついたろか

マネージメントでいちばん頭の痛い仕事の一つは、雇用者の適切な管理、つまり人事だ。こちらは給与を支払っている。仕事の内容はお互い理解済みだ。しかしなかなか思うとおり仕事をしない。雇用側として、つのるイライラ、たまる不満。

ある日それは爆発した。遅刻したこと、遅刻したのにふてくされた態度、遅刻したことへの理由にならない言い訳、そして遅刻したことに対しまったく反省の色がない基地で雇っているコンゴ人コック長の一人をどついてしまった。むなぐらをつかみ、押しただけだ。しかしいかなる暴力は善しとされない。白人が黒人に暴力を振るったという構図でしか判断されない。こちらの言い分は、仮に正当であってもまず通用しない。逆にこちらがある程度謝罪し、慰謝料あるいはそれに相当する物品を渡すことで和解が成立する。ここでは、そうした植民地時代的な構図がまだ根強く残っていたのだった。

マネージメントの重要な仕事のひとつに、村人への魚網の配給があった。国立公園の設立に伴い、生活狩猟域は確保されているものの、村人にとっては従来からの狩猟は多少制限されてきたことになる。その分のタンパク源を川の魚から補ってもらえるように、魚網を安価で提供するシステムである。

しかしその漁網の配給も一筋縄ではいかなかった。何10mという長さの魚網を一時に購入し、それを希望する長さにあわせて切り、提供するのである。簡単な算数計算ののち、長さに応じた値段を算出し、さらにその通常値段より安価にするわけだが、なかなかその料金を納得してもらえなかったりすることもあった。そのことで怒りに満ちた村人も出てきた。そうしたときに残される手段は、こちらからの誠意ある説明と双方の間の交渉のみだ。

ボマサ村で村長らと酒を交わす筆者;お酒はスムーズなコミュニケーションに時には必要だ©西原智昭

ボマサ村で村長らと酒を交わす筆者;お酒はスムーズなコミュニケーションに時には必要だ©西原智昭

▼雇用の困難さ

ボスであるマイク・フェイは移動が多いが、ときおりボマサへ来ては、ぼくのマネージメントぶりをチェックしに来た。ある日、プロジェクトの基地運営にとって重要な人物(電気技師と大工)の二人が不在していたことに事を発する。両者とも100km離れた大きな町にいる家族が病気になるか、死亡したかで、許可を取って何日か休暇をとっていた。休暇をとる前にいくらか前借を請求してきたので、ぼくはそれを彼らに渡した。しかしマイクによれば、お金は渡しすぎだ、仮に家族のことで町へ出たにせよ、大金があれば別の用事にかまけ、決してすぐにはボマサにもどらないだろう、と。

確かにそうしたケースは過去に多い。かといって、彼らの許可や要求をはねつけることもむずかしい。無視すれば、彼らの仕事への意欲すらそぐ結果になりかねない。しかしお金を下手に渡せばスポイルしかねない。むずかしい選択だ。ほんとうに人のマネージメントは容易でない。

ぼくは雇用者の給料計算もすべて担っていた。コンゴ共和国の国内法に基づいた基本給があり、それに特別手当などを加え、国家への税金などを天引きし、さらに前借やプロジェクトからの食糧購入代や薬品代を差し引く。まじめに働いても、借金が多かったりすると給与明細書がゼロとなることは多々あった。給料日となると、みなお金が入ると見込んで、昼間からすでにみな酔っ払っている。村で目倒しで、すでに酒を購入し飲んでいたからである。しかし実際の給与はゼロに近い。そうなる前にあまり前借をするなよと、これも毎度のように説教する。

仮に給与が出てもその金額が少ないと文句をいいに来る人は耐えない。ぼくは給与計算システムを作ったので、そうそう誤りは出ない仕組みになっている。ぼくに文句を言っても埒が明かないのを知っている人たちは、マイクなどに文句を言いに行く。マイクは親身に彼らの言い分を聞く。しかし正確に計算したのはマイクでなく、マネージャーであるぼくなのだ。マイクでもわからぬことなのだ。そうしたことの繰り返しだった。毎月の給料支払いが終わると、ぼくはグッタリと疲れた。

人間関係の難しさはコンゴ人だけではない。白人スタッフ同士でも理不尽な言動がある。あるアメリカ人は当時ンドキ南部の伐採区に入り込み、伐採会社と共同で伐採区の野生生物マネージメントを進めようとしていた。しかしもし彼がボマサの基地へ来て、衛星電話を利用すればその使用料を請求する。そうした請求書の作成と提示もぼくの役目だ。もちろん相手は彼だけではない。研究者などすべての白人が対象だ。しかし、ぼくの提示した請求書に彼は納得しようとしない。ぼくに文句を言う。そうやって人を非難するのも楽だ。しかし疑いがあるのならば、きちんと確認をしてから文句を言ってほしい。それが筋というものだ。

また村人にありもしない罪をかぶせられたこともある。

ある日、ボマサ村を通ったときある男の家の横でタバコや缶詰めなどが商売用に並べられていた。男は商人ではない。村人のひとりである。ふつう物品を仕入れることはこの僻地では難しい。村人による盗みは現実的に日常茶飯事だから、ぼくは念のため彼に問いただしたのだ。「この物品はどこから来たのか」と。嫁が商人に金を渡して手に入れたのだ、と彼は説明する。

そもそも村の中で商売による流通経済が進行するのは保全政策にとっては留意すべきことである。その商店を目的に人々が村に集まりかねないからだ。人が集まり出すと、食糧問題が出てくる。まかないきれなくなれば狩猟や密猟を助長する可能性が大きい。だから保全政策に関わっている近郊の村の人たちにはこのことを理解してもらわなければならない。むしろこのことの同意に基づいて、プロジェクトが始まり国立公園に認定されてきたのである。そして今や村はプロジェクトからさまざまな恩恵を受けている(雇用があり給料や薬も支給される)のだから、ある程度は双方協力関係にあるべきことは了解済みなのだ。

だから、プロジェクトに無断で開始された商店を発見したぼくにとっては、それを問いただすのは任務の一つであった。アンケートを遂行しただけである。ただ聞き取り調査のとき口調はきつかったかもしれない。ただでさえ雑用で気が立っていたし、このような村での問題は忠告しても何度も繰り返し起こっているからでもあった。

ところが後日ぼくに「罪状」が提示された。「トモは、彼がタバコなどを森のキャンプから盗み出したと彼を泥棒扱いし、彼の嫁・子供の前で恥をかかせた」と。なんだと?彼を「泥棒」呼ばわりした覚えはひとつもない。もちろん「盗み」の可能性はあったにしても、口にはしていない。ぼくは確認もせずに、あるいは証拠もないのに人に罪をかぶせたりはしない。だいたい森のキャンプにタバコなどは置いていない。ぼくはこの目で何日か前に確認している。なんでこんな作り話ができたのだ?確かに口調がきつかったから、彼に恥はかかせたかもしれない。それで彼は逆上したのか?

ぼくはきちんと論理的に答弁する。多くの村人はたいがいそれで納得したのだが、それでぼくの「罪状」の論点は、ぼくが彼に恥をかかせたという「人道上の」問題へ移行していく。それで村の「裁判員」の最終判断は「トモは彼に15000フランCFA(約3000円)支払い、恥をかかせたことへの償いとせよ」と。ぼくが彼を泥棒呼ばわりしたという「うその」告訴状に対しての、ぼくへの名誉回復についてはひとことも言及されなかった。どうせ「筋」は通らないのだ。

屈辱的ではあるけれども、ぼくは支払いに同意した。だいたいこんなつまらないことで時間を失いたくないというのが第一にあったからだ。しかし必ず彼らには天罰でも降るだろう。偽りの罪をぼくにかぶせて、金をとったのだから。あとでわかったことは、どうやらこの一連の事件はぼくらプロジェクトに反感を抱いている男が、当の雇用者をうまくとりこんで、ぼくを責める格好なきっかけにしたかったらしいということがわかった。いずれにしても同じだ。グルになってぼくを呼び出した連中は同罪で、業火の「地獄」で裁かれるに違いない。

ボマサ村で筆者と先住民;プロジェクトの人事は楽しいことではない©西原智昭

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