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「空気」に左右されない主体性

寄稿:飯室勝彦

2015年11月25日

安全保障関連法案を強行採決して国会が閉幕すると安倍内閣の支持率が回復し始めた。たとえばNHK放送文化研究所2015年11月の調査では、内閣支持率は47%、不支持率は39%で、37対46だった8月とは正反対だ。他の調査も同じ傾向が見られる。

首相の安倍晋三が「狙ったとおりの展開だ」とほくそ笑んでいるだろう。

2015年9月、安保法案の強行可決から間もなく国会が会期満了で閉幕した後、毎年恒例となっており、野党議員が要求したことで憲法上の義務ともなった臨時国会召集を無視したのも、外遊続きのスケジュールを組んで国会論戦を避けたのも、「次は経済だ」と新スローガン「一億総活躍社会」を打ち出したのも、「ほとぼりが冷める」のを待つためだった。

憲法違反の安保法制定に怒った国民の関心が時間とともに別の問題に移り、「安保問題はすんでしまったこと」「元に戻すのは難しい」というあきらめに似た「空気」が広がるだろうとの思惑があった。

案の定だ。法律の成立後、「今後も国民に丁寧に説明を続ける」という公約を反故にした安倍の沈黙や、議論の舞台となる国会が開かれないためなどで安保法制に関するニュースが減るにつれ、安倍の思惑通りになってきた観がある。

法案に反対した民主党の中にも「安保法の廃止は現実的ではない」と言い出した議員がいる。はっきりとは見えない漠然とした「空気」を読んでいるのだ。

自民党内には、安保法案が国会を通過する前から通過後を先読みし、異論はあってもそれを表明しないで政権に迎合した議員がたくさんいる。若者の戦争反対を「エゴまる出し」と攻撃し、「政権に批判的なマスコミを懲らしめるために経団連に働きかけて広告収入を断とう」と得意げに提案した「教養のなさまる出し」の議員も、安倍を支える勢力のメンバーだ。

政府のしっぺ返しを恐れるのか、「抵抗はむなしい」と先読みするのか、憲法や政治に関する催しの後援を拒否したり、公的施設の利用を制限したりする自治体も多い。

「空気を読む」のは必ずしも悪いことではないが、無批判に読むと「何でも現状肯定」になりやすい。権力側が意図的に作った「空気」には大きな罠が隠されている。

いったん出来上がった既成事実を覆すには、出来上がるのを阻むよりはるかに大きなエネルギーがいる。だが、懸念は早めに解消しておかないと、新しい事実が次々積み重ねられ取り返しがつかなくなる。

軍の暴走を止められなかった日中戦争、第2次世界大戦の戦線拡大など日本の現代史には実例がいくらでもある。警察予備隊で始まり、いまや世界有数の軍事力を保有するに至った自衛隊も一例と言えよう。

安倍政権は、歴代自民党政権の実績の上に、自らの描く構想による安保体制を着々築き重ねている。米軍、オーストラリア軍などとの共同演習、親日国への自衛艦寄港など軍事プレゼンスを高めている。

法律成立後、安倍は東アジアサミットなどに出かけ外交日程をこなしながらますます軍事に前のめりの発言を繰り返した。

中国が南シナ海で人工島を造成し基地建設を進めている問題をめぐって、中国を牽制する米軍の「航行の自由作戦」への支持を表明したばかりか、南シナ海での自衛隊の活動について「検討する」とオバマ米大統領に伝えた。記者会見では「さまざまな選択肢を念頭に置きながら十分な検討を行ってゆく」とさらに踏み込んだ。この調子では自衛隊が米軍と一緒に中国牽制作戦を展開することになりかねない。

エジプト大統領との会談では、過激派「イスラム国」(IS)掃討を目指す米軍などのシリア領内での空爆について、「国際秩序全体の脅威であるイスラム国が弱体化、壊滅につながることを期待する」と支持した。

繰り返されるISのテロは許されないが、空爆する側に立つことをあえて宣言し、空爆の巻き添えになる人々に対する配慮は示さなかったことに、軍事力重視の安倍の体質が表れていると言えないだろうか。

安倍は日本国憲法が成立して以来、定着していた「集団的自衛権は行使できない」という憲法第9条の政府解釈を、「憲法の番人」である内閣法制局長官の首を差し替える異常手段を使って逆転させた。

その解釈改憲を足場に“数の力”で強引に作り上げた安保法制という新しいエンジンを得て、安倍は「戦争のできる国」の現実化へ加速している。

「安保問題は終わった」のではなくこれからが本番だ。社会に広がり始めた「空気」に左右されない主体性、それを支える理性と勇気をもって、安倍政権と対決しなければならない。

政権暴走を見かねた濱田邦夫・元最高裁判事は、いろいろな場で安倍政治を批判するようになった。現職中はもちろん退官後も政治的問題については発言を慎しむ裁判官の習慣をやむにやまれぬ気持ちで破ったのだ。

その濱田元判事はある市民集会で講演を次のように締めくくった。

(「そのうちにやる」と言っても)「そのうち」とか「いつか」は決してきません。過去に学びながらそれに囚われることなく、未来の姿をイメージしながら……いまを精一杯生きる。……行動すべき時は「いま」なのです。

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