【NPJ通信・連載記事】読切記事
SEALDsを通じてみた社会運動の今日的特質(後編)――92歳市民社会科学者の試論
後編では、前編(http://www.news-pj.net/news/34128)で見たSEALDsの特徴に即して、これからの運動にどう取り組んでいったらよいのか、より具体的な形で、現在のNPOの活動や過去の経験を踏まえながら考えていく。最終的には3つの方向性を打ち出しているが、それが今後の運動に少しでも役立つことを願っている。
■将来への展望
これまで見てきた社会運動の今日的特徴を、どのような形で将来にわたって残すことができるのだろうか。そして、そのよさを伸ばしていくためには何が解決されるべき課題なのだろうか。これは運動の中で経験を積んだ活動家たちの間で討議されるべき問題だが、そのために多少なりとも参考になればと考え、私個人の見解を述べることにする。先に挙げたSEALDsの特徴に即して考えてみよう。
まず、第一の個人の考えによって行動を決め、意見を述べるという点に関して、である。安保法制反対の運動に参加している人の多数(学生以外も含め)がこの特徴を持っていることは明らかだ。しかし、日本の人口全体の中で考えれば、運動参加者はいうまでもなく、少数派である。実際にこれまでの選挙を見ても、20代、30代の若者に棄権率が高いだけでなく、全世代を通してみても、約半数は棄権している。これは政治への不満や不信を感じている者も含めて投票行動には無関心層となっているからである。この多数派を形成している無関心層を動かさなければ、政治の方向を変えることはできない。
この層を生み出している大きな要因としては、メディアによって生み出された雰囲気が、空気を読むという傾向によって、社会で支配的になっていることが挙げられる。メディアが政官財の鉄の三角形を中心とする権力に従属しているのであるから、これに対抗するのは容易ではない。この権力(それは形の上では国会の多数によって正当化されている)は既成事実を積み重ね、その重みによって、既定の方針を「粛々」と実現していく。それにはとても抵抗できないし、やってもムダだというあきらめも無関心層には含まれている。
■個人的対話の持つ重要性
しかし、メディアの影響には二段階あり、第二の段階では個人間の対話によって、媒介される要素が強まるという理論がある。それに示されるように、重要なのは、二段目のレベルで、面倒でも個人的な対話によって、報道された記事の背後にあるものの検討も含めて、自分としての判断を下す能力(いわゆるメディアリテラシー)を高める努力だ。少数派として、今日の運動がその影響力を大きくするためには、そうした草の根の努力の積み重ねが必要になる。
もうひとつ注意すべき点は、個人として考え、発言するといっても、今日の格差社会の中で、新自由主義イデオロギーの影響で自己責任論に取り込まれ、声を出せない人が多くなっていることだ。したがって、社会活動家の湯浅誠のいうように、活動家の任務は誰もが声を出せる場を作ることにある。声を出せない人が正当な方向で発言できるようにすることは、格差社会の不満を排外主義の方向へと誘導する傾向に対抗するためにも有効だ。極端な場合、ヘイトスピーチにまで及ぶ排外主義も、実は現代の格差社会の抑圧をより弱い者に移譲しようとする構造が生み出したものであることを明らかにすることで、克服する方向も見いだせるのである。
■立憲主義の消極面と民主主義の積極面からの抵抗
第二の主権者意識の成熟、あるいは誰かが社会を変えてくれることに期待するのではなく、自分が民主主義を実現する主体と考えることに関して、検討してみよう。これには、立憲主義が権力の乱用に制限を加えるという消極面と、よりよい社会を生み出す方向に権力を動かそうとするという民主主義の積極面との両面から考える必要がある。
消極面の具体的な例をあげれば、政官財を中心とする現在の権力が武器輸出や武力行使に貢献することで、「国力」を大きくしようとする方向に対して、どのように規制を加えていけるかというである。例えば、1997年設立のNPO団体「ピースデポ」(参照1)は横須賀、佐世保、沖縄への原子力艦船の寄港状況をはじめ、米軍や自衛隊の艦船・軍用機の事故などのデータを集め、毎年出版している。このような形で、日本だけでなく、米国の情報公開制度、メディアも利用して、事実関係を明らかにし、その政策の及ぼす影響について予測することで、て、安保政策についても、必要な修正を加えるように国会議員に圧力をかけることが可能になる。
積極面についても具体例をあげれば、格差社会の生み出した貧困の解決に向けて、「年越し派遣村」という運動によって、2008年の年末から2009年にかけて、厚生省の部屋を派遣切りされた労働者の宿泊用に提供させたことがある。その後、そこで中心的な役割を担った湯浅誠が内閣参与に就任したこともあり、生活保護などの生活相談や申請に関する窓口を一本化させた。もちろん、権力に参与する場合には、逆に権力に利用されないよう注意しなければならない。その点から見ると、湯浅が参与を辞めたり、引き受けたりということを具体策の実現と結びつけて行ったのは、貴重な経験といえるだろう。その後、2013年に成立した生活困窮者自立支援法をも活用しながら、全国で伴走型支援に取り組む自治体やNPOなどが連携する「生活困窮者支援全国ネットワーク」(参照2)が結成された。そして、現在、各地域で持続的な活動が取り組まれており、それらは、自治体や中央省庁の施策に対して、確実に規制力を発揮しつつある。
■砂川闘争と沖縄
この例は貧困問題についての主として民主党政権下でのものであり、平和と戦争の問題についてではない。そこで少し古くなるが、平和と戦争に関する事例として、1950年代初めから後半にかけて、米軍立川基地の拡張を阻止した砂川闘争について付け加えておこう。砂川闘争が闘われたのは、「革新国民運動」の型が生まれる以前の時期である。立川市の北隣の砂川町の農民が中心になった町ぐるみの運動を労働者と学生が支援し、立川基地の拡張を阻止した。その後の長い闘いによって、政府は土地の強制収用をあきらめ、現在、反対闘争を担った農民の孫世代がその土地を地域興しの拠点に活用しようとしている。
1950年代半ば、時期を同じくして、米軍統治下の沖縄で「銃剣とブルドーザーによる」基地建設に対する「島ぐるみ闘争」が行われており、砂川闘争ではそれとの連帯が強く意識されていた。そして、基地拡張反対の先頭に立っていた砂川町長は「沖縄と砂川は兄弟です」という激励電報を沖縄に送り、沖縄代表が砂川を訪れて交流した。また、砂川で強制測量が予定されていた1956年10月13日の朝には、砂川町長は「国際電話」で、屋良朝苗(復帰前最後の琉球政府主席。復帰後初代、2代目沖縄県知事)全沖縄土地を守る協議会会長と30分話し、激励と決意をかわしあった。今日、辺野古基地建設に対する沖縄の新たな「島ぐるみ闘争」が行われている中で、もう一度当時の連帯感を思い起こし、「国ぐるみ闘争」に向けて、全国の運動を盛り上げていくことが期待される。
第三の日常性の重視という特徴に関しては、特に何を短期目標とし、何を長期目標として、その関連はどうかという時間的な基軸の中での視点が重要である。60年安保当時の全学連の運動は短期目標達成に有効だと考えた急進的な方針と行動が現実には死亡者を出し、その後の運動の衰退を招く要因ともなった。1990年代以降の運動では暴力を伴う短期決戦方式が有効な結果を招かなかったことに学んで、政府に対する運動の中で、暴力を伴うやり方は完全になくなった。古い「闘士」の中には現在の学生の運動を生ぬるいと思う人がいるかもしれないが、それは過去の見方にこだわった無責任な意見というほかはない。
■権力による日常的不安の戦争への誘導にどう抗するか
ここで注目しておきたいのは、現在の運動が対抗する相手である権力(政府)の動きである。今の運動が非暴力的戦術を貫く限り、これを暴力的に弾圧することには世論の抵抗がある。そうだとすれば、権力が考える対抗策は、運動がなお少数者によるものであることに対して、多数を占める無関心層を自分の側に引きつけて、運動を孤立させることだろう。
そのための権力のやり方は、多数者がその日常性の中で感じている不安を「強い国家」による解決への期待に誘導することである。この方向はやがて、排外主義的ナショナリズムに支えられ、その「強い国家」による戦争へと導くことにもなる。安倍首相は安保法制に関する答弁の際、この法制は国民の生活と安全を守るために必要だと述べた。これを聞いて、90年以上を生きてきた老人として、私が思い起こすのは、昭和恐慌後の生活不安が「強い国家」による解決を求める空気を生み、1931年の「満州事変」以後の戦争を日本の平和と安全を守るためのものとして、支持する世論を作り出したことである。そしてその戦争の惨禍が本土への空襲という形で、自分たちの生活に及び始めた時にはもはや後戻りができず、1945年の敗戦に至ったのである。
これと同じことが繰り返される危険があるだけではない。今日では新しく付け加わったグローバル化によって、遠く海外で行われた武力行使への加担が、どこでどのような形での報復を招くか、予想がつかなくなっている。もし日本がテロに対する戦争に加担すれば、どこで日本人がどのような報復を受けるか分からない。9・11をきっかけとした対テロ戦争の結果が何を生んだかは、アフガニスタン、イラク、そして欧州および米国の現状を見れば明らかだ。その中で、生活と安全を守るという名目での武力行使に加われば、長期的に見た時に、何が起こるかを考える必要がある。50基以上の原発を持つ日本では、それへのテロは核攻撃と同じ意味合いを持ってしまう。
■今後の運動の3つの柱
このような安倍政権の向かっている方向を確認した上で、当面有効な運動を展開するために何が必要かについて、もう一度確認することにしよう。
第一には「積極的平和主義」、あるいは「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」(2015年7月、「集団的自衛権行使を容認する閣議決定」で繰り返された表現)という名目で、採決を強行した安保法制が長期的にどのような危険を招くかについて、一人ひとりが自分で考えて、その意見を明らかにすることである。第二に、戦争に向かう政策に対して、立憲主義を守る主権者の立場から、権力を制限することで阻止するとともに、民主主義の主体として長期的に平和を実現する方向に向けて、地域レベルから国政レベルまで政治を根底から動かしていくことだ。
第三に、この運動を持続性あるものとするため、日常性に根ざした草の根からの活動として、ひとりでも多くの人が「誰の子どもも殺させない」という声を大きくする努力を行うことで、長期的に非暴力の手段で、武器を使わずに紛争を解決する世界を求め続けることである。
これらはいずれも、今まで述べてきたSEALDsを通してみた今日の社会運動の歴史的特質を生かすことにほかならない。SEALDsについては、期待を込めた一面的なものだという批判があるかもしれない。もちろん活字になったものだけを頼りにした特徴づけなので、SEALDsそのものの分析としては不十分であることは私も自覚している。しかし、そこで何より重要なのは、第三者的にSEALDsの今後に期待することではない。SEALDsの運動は歴史的な運動経験の蓄積の上に成立したものであることを考えるならば、そのさらなる発展はSEALDsメンバーの責務ではない。私たち一人ひとりが主権者としての自覚を持ち、積極的に活動するか否かにかかっているのである。そのことを明らかにすることが本稿の目的であり、私が強調したいことなのだ。「ボールは投げ返されている」のである。
参照1:「ピースデポ」
参照2:「生活困窮者支援全国ネットワーク」
http://www.life-poor-support-japan.net
筆者紹介 石田 雄(いしだ たけし)
1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から旧東北帝国大学法文学部に進学、在学中に学徒出陣し、陸軍東京湾要塞重砲連隊へ入隊。復員後、東京大学法学部を経て、東京大学社会科学研究所教授・所長、千葉大学法経学部教授などを歴任。著書多数。近著に『ふたたびの〈戦前〉~軍隊体験者の反省とこれから』(青灯社 2015年3月)がある。
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