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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見  
イスラム教と今後の日本社会

2015年12月28日

2001年9月11日、「アメリカ同時多発テロ事件」が起きた。

3千人以上の犠牲者をだした。

その「事件」の深層については、いまだに謎の部分があるとされるが、結果としてアメリカの政権の中枢と国民に甚大なる衝撃を与えた。

その衝撃波は、対外的には、アフガニスタン紛争、イラク戦争に連動していった。

イラク戦争は、さらに現在のシリア内戦に連動していることは、周知のとおりである。

現在は「IS(イスラム国)」とそれに同調するような様々な勢力が、世界各地でテロ活動を引き起こしている。

***

世界的にイスラム教に関心が高まっている最中、タイミングよく、東京・渋谷の映画館「ユーロスペース」で「イスラム映画祭 2015」があった(12月12日~18日)。

イスラム教徒が多数を占める様々な国を舞台にした全9本の作品のうち、「ガザを飛ぶブタ」(パレスチナ)、「長い旅」(フランスー>サウジアラビア)、「神に誓って」(パキスタン)、「カリファーの決断」(インドネシア)、「法の書」(イラン)、「ムアラフ改心」(マレーシア)の6本を観た。

各作品とも見応えがあり、イスラム世界にどっぷりと浸かったような気分になった。

すべての上映で、映画館の全144席が、ほぼ満席か補助椅子や通路階段に座る観客もでる程の盛況だった。

特に気に入ったのは「ガザを飛ぶブタ」( Le Cochon de Gaza ;When Pigs Have Wings )だ。

パレスチナ人(イスラム教徒)の漁師が海でベトナム産のブタを引き上げてしまった。

そのブタの精液を、金網で隔離されたユダヤ人区域でブタを飼育しているロシアからきたユダヤ人の若い女性に売り込むのだから、奇想天外の話である。

ブタは、ユダヤ教でもイスラム教でも汚れた動物と見做されていることは周知のとうりである。

その奇想の映像のなかで、漁師と妻の夫婦関係の描写は、まるで落語にでてくる夫婦のようにほほえましい。

ユダヤ人とイスラム教徒が命掛けで対立している状況の一断面を描いた「ガザを飛ぶブタ」は、タイトル自体が豊穣なエスプリを暗示しており、日本人の想像を絶するような見事なユーモアに満ちた作品である。

因に、原題はフランス語で「ガザのブタ」だが、日本語のタイトル「ガザを飛ぶブタ」は英訳に近いようで、見事な訳のタイトルである。

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過去の複雑な経緯はともかく現在の状況において、いったい、なんのためにユダヤ人とパレスチナ人が争わなければならないのか、武器を消費するためだけの戦闘ではないのか、国連安全保障理事会常任理事国とは、いったいなんのためにあるのか、こんな戦闘は巨大な妄想ではないのかと、「ガザを飛ぶブタ」は、ブタが我々に問いかけているように思えた。

ちなみに、武器輸出国の上位6カ国は、アメリカ;31%、ロシア;27%、中国;5%、ドイツ;5%、フランス;5%、イギリス;4%(「ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)」報告書「世界の武器取引2014」)。

巨大な世界の武器市場に関しては、いまだに米ロの冷戦構造が持続している。そして、敗戦国のドイツが、5常任理事国の武器市場に食い込んでいる。

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かなり濃密な映画体験をした「イスラム映画祭 2015」であったが、イスラム教に、私はこれまでまったく関わりがなかったわけではない。

私のささやかなイスラム教体験は1968年12月から翌年2月末までインドを放浪していた時だ。

インドでは、各地で人と牛との雑踏の中、百数十人のイスラム教徒が一斉に地べたに座って一定の方角に向かって礼拝している姿があった。

1969年1月、ニューデリーを出発、パキスタンのラホールとペシャワールを経由してカイバル峠をバスで超えてアフガニスタンのカブールに数日滞在した。

カブールの地元の宿屋で出発の時、一言も通じない同宿の髭もじゃのおじさんから一握りの干しぶどうをもらった。

異教徒であろうと、旅している者に施しをするというイスラム教徒の美風なのだろうと思った。

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三島由紀夫が割腹自殺した年1970年から3年間、在日マレーシア大使館に勤務した。

毎日イスラム教徒と付き合っていたが、大使館を退職後、夏に再度カブールを訪れた。

カブール市内と郊外を見物しようとタクシーを利用したが、見物後に運転手が自分の家庭に招待してくれた。

三家族が同居しているようだったが、奥さん方や子供たちがでてきて、ともかくなごやかな家庭の雰囲気を味わった。

あの時の子供たちは、成人して、今はどうなっているのだろうか。

アフガニスタンは複雑な部族国家だったが、貧しくてもそれなりの安定した生活が営まれていたようだった。

それが、今日もまだ続いている、とんでもない不安定な政情になろうとは、当時は想像もつかなかった。

いったいアフガニスタンの人々に、なんの責任があるというのか。

この地域にいたずらな介入をして素朴な人々に塗炭の苦しみと混乱を引き起こした国々や組織に憤りを覚える。

私が、世界史の専門家でもないのに、西欧文明の光の背後に、特に西欧の植民地政策に偽善の闇を感じるのは、アフガニスタンでのささやかな体験に関係している。

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私の50年来の知人は、世界の貧困国に奉仕したいという志をもって、バングラデシュの女性と結婚し、30年程前にダッカに孤児院を開いて、現在も日本とバングラデシュを往復している。

現在、「イスラム国」による残虐な映像がインターネットに流されている。

テロの行為を、まったく認めることはできないが、過去の西欧史における異端審問や魔女裁判は、それを上回る戦慄すべき残酷性である。

そしてイスラム圏における、西欧の植民地支配の過去の実体を振り返る視点を忘れてはならないだろう。

現在、日本には、約5万人から最大で20万人のイスラム教徒が居住していると推定されている。

宗教法人日本ムスリム協会は、 日本国内のムスリムの数を10万人前後としている。

現在日本に在住しているイスラム教徒と、今後移住してくるイスラム教徒は、どのようにして「和」の日本社会に共存して、安心した生活を営んでいくのだろうか。

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私の理解する伝統的「和」の理念は、妥協とか曖昧ということではなく、宗教的「信念(信仰・信心)」は個人的精神的価値であり、教理にもとづく教団組織としての「宗教」は社会生活において相対化された価値である、ということだ。

「社会的に相対化された価値」とは、宗教の「文化」化である。

日本におけるキリスト教は―― 一部のキリスト教徒の批判があるだろうが――周知のように日本流のクリスマスとして「文化行事」化され、歳末の商戦の一部ともなった。

つまり、宗教の「マツリ(祭り)」化であるといってもよい。

マツリは、だれもが参加でき、一定の教団への帰属性のない期間限定の「文化」化された宗教である。

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今年の元旦は、久方ぶりに明治神宮と浅草寺へ行った。宗教的動機というより社会学的世相観察のためだ。

明治神宮では、ずいぶんと大勢の外国人が行き交っていたのに驚いた。

かなりの数は中国人のようだ。

頭のかぶり物の様子から南東アジアからのイスラム教の女性や家族、その他のアジア人、もちろん欧米系の人々もいた。

雑踏にかかわらず一種の整然とした人の流れ、「マツリ」の華やかさ、そしてこれだけの人数にもかかわらず、路上にゴミはまったく見当たらない。

時に身体がぶつかって「すみません」という若者たちを何人か見た。

明治神宮の入り口の近くには、あるキリスト教のグループがプラカードをかかげていた。

やはり明治神宮は、宗教学的に非常に興味のある場所だ。

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かって、神道は「宗教ではない」として、それを劣位の政治情念にしてしまった。

廃仏毀釈があった。

日本人の情念を分断しようとした思想的流れがあった。

明治維新を前後にして、歴史的に、西欧列強に対抗する西欧流のピラミッド的政治権力体制をつくりあげなければならなかった、という意見もあるだろう。

しかし今後は絶対に、天皇を「元首」化してはならないと考える。

万歳三唱をするなら、「天皇陛下、万歳」ではなく、「天皇陛下と共に、平和な国、万歳」でなければならない。

これが今上天皇のお心ではないのか。

今日、宗教は教団組織としては、ある種の「精神産業」である。

私は仏教徒だが、神道が日本の社稷を守る、つまり日本の水と大地を守る心の礎であってほしいと願う。

イスラム教徒を、易い労働力として経済効率の視点からのみ考えて移民政策を考えてはならない。

「和」国日本は、様々な宗教の人々が、イスラム教徒も、楽しく集うことのできる異次元の「マツリ」の場を提供しうる伝統をもっていることと信じる。

(2015/12/26 記)

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