【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑
音楽・女性・ジェンダー ー クラシック音楽界は超男性社会!?第54回 コンサート「音を紡ぐ女たち」を巡って
2016年も早20日も過ぎてしまった。新年を寿ぐ気持ちにはとてもなれない、相変わらずの国情だが、ともかくもまずは皆様のご健勝をお祈りいたします。
年末から体調を崩したまま、なかなか回復できずに来たため、昨年11月7日のコンサートのご報告がこんなに遅れてしまった。予告のチラシも掲載していただいた以上、どんな結果に終わったか、お伝えする義務があろう。当初より今回はそれに費やす予定でもあったので、回収できたアンケート結果を中心に、まとめてみたい。
会場のウイメンズ・プラザは青山通り沿い、外苑前駅近く、という地の利もあって、250席は満杯。19時開演、21時には完全撤退、という条件も何とかクリア、アンコールもしっかりお届けできた。「音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く Women Composers―Weaving Sounds into Music」というテーマにひかれて来場された向きも多かったようだ。チラシを手渡しした段階から、「ええっ、こんなこと考えたこともなかった」とのリアクションも多く、”女性作曲家”の認知が相変わらず一向に進んでいない21世紀日本の現状に、落胆を超えてさらなる怒りが湧き上がったのだが…
プログラム前半はピアノソロによる『乙女の祈り』をイントロに、吉田隆子の歌曲集『道』からの一曲「頬」と独立した与謝野晶子詩に拠る歌曲『君死に給うことなかれ』で休憩。後半はクララ・シューマンのピアノ協奏曲第二楽章「ロマンツェ」で始め、ルイーゼ=アドルファ・ルボ-『チェロとピアノのための4つの小品』と続き、最後はポリーヌ・ヴィアルドのドイツ語歌曲2つ『夜に』と『星』。ヴィアルドの合唱曲『アヴェ・マリア』を演奏者3人(歌=吉川真澄;チェロ=江口心一;ピアノ=河野紘子)用にアレンジしてアンコールにお応えし、“祈り”の音楽で最初と最後を締めくくった次第である。
選曲と作曲者についてひとこと。『乙女の祈り』はクラシック音楽でも突出して有名だが、作曲したテクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカというポーランド女性の名前を知る人は少なかろう。ただし作曲当時はまだ17歳、結婚前だったので、“バラノフスカ”は不要。吉田隆子については本欄でもすでに繰り返し触れたので、ここでは割愛する。だが二つの歌曲の詩がいずれも女性の作であることだけはしっかり記しておきたい。クララの「ロマンツェ」は彼女が結婚前の天才少女ピアニスト時代の作、従って厳密には作者名も初版譜通りクララ・ヴィークと記すべきで、夫婦別姓というアクチュアルな問題はバラノフスカとも共通する。だが何より、コンチェルトと言いながらこの第二楽章はチェロとピアノの対話に終始、その夢のような美しさはオーケストラという大仰な伴奏なしでこそ醸し出せることを知らせたかったのだ。ルボーのチェロの小品も、膨大な作品群で高い評価を得ていた彼女の実力を確認するために好適なもの。クララとルボーが実はピアノ演奏を通して師弟関係にあったことも意味がある。最後に取り上げたヴィアルドは私がもっとも拘る女性だが、今回は初めて二つ、ドイツ語歌曲を並べた。スペイン系フランス人ながら様々な言語を駆使して圧倒的存在感を全ヨーロッパ音楽界に及ぼしたヴィアルドだが、元はロシア語の歌曲集を彼女の最大の讃美者だったツルゲーネフがドイツ語訳に協力し世に出た事実を確認するために選んだ。ちなみに後半に登場した3人がいずれも、バーデン=バーデンの地で交錯していたことも、孤立して語られがちな女性たちの交流の歴史に着目するうえでも押さえておくべき点と考える。
さて、アンケート結果について。
最初にお断りしなければならないが、「アンケート」には普通、否定的な回答は見当たらない。だが一点、おそらくコアなクラシック・ファンが書かれたらしいものが、「もっと音楽的な側面の説明が欲しかった」。しかしこれ、実は私が意識的に避けているところ。専門的な用語や解釈は、あくまで自由な鑑賞の妨げになるし、まして「女性作曲家」という未知の対象に接近する助けにはなり得ないと確信しているからだ。同じ方がもうひとつ、ルボーという姓はフランス系なのに、なぜドイツ人とされているのか、とごもっともな質問。時間が足りず、ルボーの先祖が改革派のユグノー教徒であったことに由来するという説明を省いてしまったからで、これは反省材料としなければならない。
一方、40通を超えた励ましや賛同の回答の中から、いろいろ考えさせられた例をいくつか紹介したい。まずは「女性の問題を話し合える友人がいない中、唯一ほっとできる企画だった」と書かれた女性。私自身も定年退職前の本務校では女性作曲家を巡る認識をまったくシェアできずにストレスを溜め込んでいた記憶を思い出さずにいられなかった。
今後取り上げて欲しい作曲家は?との問いに、セシル・シャミナードと答えられた男性は、その理由を、女性作曲家としての位置付けは知らないけれど、昔フルート協奏曲を聴いて興味を覚えたのに、そのLPを失くしてしまったから…と。シャミナードこそはヴィアルドと並び真っ先に復権させなければならない作曲家と評している私にとって、こうしたリクエストは強い味方となる。
同じ質問に対して別の男性はメル・ボニスを挙げていた。21世紀に入ってようやく復興が進んだフランス女性で、ほぼシャミナードの同時代者だが、ドビュッシーとパリ音楽院の同級生でもあったこのメル・ボニスを巡っては、復興運動の先頭に立つ曾孫娘からびっくりの発言をじかに聞いたショックはいまだ残っている。ポピュラーで軽やかな作風のおかげで?大人気を博したシャミナードなんかとうちのひいおばあちゃんを一緒にしないで!というのだ…!これでは女性作曲家をめぐる連帯が女性間でも壊れてしまうし、何より、ここにはポピュラー音楽を蔑視するクラシック界の度し難いエリート意識が露呈しているからだ。
ついでながら上掲のメル・ボニスファンの方は、コンサートで最も印象に残った曲としてチェロの助奏つき歌曲『星』を挙げていた。これらヴィアルドの歌曲については、作品としての完成度の高さに驚いた、とやはり業界人と思われる別の男性が書いており、ヴィアルド伝播に向けて、さらなる支えとなりそうだ。
最後に、女性作曲家のコンサートを継続するうえで、ことさら励みになった回答を挙げておきたい。ある女性協会の役員を務める方は、政府の”輝く女性”という謳い文句とは裏腹に、ジェンダー問題は根深くなるばかりだが、音楽の分野から社会問題へのアクセスと同時に音楽の美しさを届ける企画、と評価してくださった。よくぞ言ってくださった!の一念あるのみ。またウイメンズ・プラザで是非毎年1,2回、こうした企画を実施してほしいと熱のこもった要望も。私自身も津田ホールが閉鎖されたいま、今回初めて使わせていただいたこのウイメンズ・プラザ・ホールこそは、女性作曲家の音楽を歌い、鳴り響かせる場として最適と感じている。この実現に向け東京都に、あるいは都知事に対し積極的な働きかけが必要とあれば、もちろん全力を尽くす覚悟である。
今回最大の収穫は次の2点。
幕明けに置いた『乙女の祈り』が、女性の作曲とは知らなかった!と反応した人、それもかなりの音楽ファンがいたことがわかり、まさに狙い通りの結果となったこと。
もう一つは『君死に給うことなかれ』が驚くべき熱い共感を呼んだこと。そもそもほとんど初めて聴く女性作曲家たちであったろうに、中で吉田隆子にひかれた参加者が断然多かったことは想定外…”やったぁ!”と叫びたいほどだった。なにしろ、戦争法強行採決という事態を許したこの国の人々に等しく聴いてもらいたいと願ったればこそ、私自身吉田隆子の研究者でもなく、まして与謝野晶子についてはほとんど知識がないにもかかわらず、敢えて『君死に給うことなかれ』をプログラミングしたからだ。おまけにこの名高い反戦詩が「歌になっていることを知らなかった」と驚かれた方もいれば、9条の会に連なる知人は「今後も、コンサートでは必ずこれを聴かせてください」とまで書いてくれた…
ところが、あの日ウイメンズプラザに集まった人々の期待や思惑に冷水を浴びせるような情報(図版参照)が二つ、東京藝術大学がらみで飛び込んできた。11月半ばのことだ。卒業生の私としては何とも気味の悪い、腑に落ちないこのニュース、決してそのままにやり過ごすことはできない。ただしこれはさまざまな角度からのしっかりした検証や確認作業が必要であろうから、ここでは単に事実関係をお伝えするにとどめたい。しかるべき形で論議を尽くし、それが公になることを願うばかりだ。
図版のIが、問題のコンサートその一。
信時潔作曲/北原白秋作詞、皇紀2600年”奉祝“の交声曲[カンタータ]『海道東征』の上演である。これはまず産経新聞社の主催により大阪で(11/20+11/22)、次いで藝大主催で東京(11/28)にて、戦後70年間、ほとんど封印されていたものがあえて今、全曲演奏されたのだ。伝え聞いたところでは、大阪では信時が作曲して、戦時中、第二の国歌に擬せられた『海ゆかば』がアンコールで歌われたという。
実は私も、是非ともこれは現場で聴き、検証しなければと焦ったのだが、その筋の動員があったのか、大阪でも藝大でもチケットは完売。藝大奏楽堂での上演までも取り上げた産経の記事(11/29)によれば、「満席の聴衆が壮大な調べに酔いしれた」とか。卒業生として私も呼びかけ人に連なった「戦争法に反対する自由と平和のための藝大有志の会」からは、公式に抗議すべしとの意見が当然上がったものの、結局「藝大の作曲科創設の立役者である信時を、没後50年に際して顕彰する純粋な音楽的行為であって、政治的意図はない」という理由で収められてしまった。
そして図版IIが問題のコンサートその二。
来る2月14日、やはり奏楽堂にて、藝大ウインドオーケストラが、なんと!海上自衛隊音楽隊とコラボすることとなったのだ…昨年末であったか、NHK番組「戦争とプロパガンダ」の放映中に、硫黄島での日本軍の残虐行為のBGMとして、名曲の誉れ高い交響曲が大音響で流されていたことも、反射的に思い出された。
芸術までも軍国主義に加担させられる…戦前の悪夢が蘇らないよう、今こそさらに強く自覚しなければなるまい。
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