【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭
ホタルの宿る森からのメッセージ第49回「メガトランゼクトへ〜2」
▼奇跡の続き
セスナで不時着を起こし、奇跡的に助かった話はすでに、連載記事第12回で紹介した。それが起こったのは、1999年。そのセスナ機はメガトランゼクトの下調べにマイク・フェイが使用していたものと同じであり、しかも、事故はメガトランゼクト開始の数ヶ月前に起こったのだ。
ここでは、その時の記事を補完する形で話を続けたい。
すでに述べたように、不時着のために古いブッシュ滑走路に着陸した機体は、密生した藪の中に突っ込み。その数十m先で止まった。その瞬間ぼくは「ホオー!」と奇声をあげる。燃料がないとわかってから飛行機が降下して行く間も、ぼくは悲鳴も上げなかったし、騒ぎもしなかった。心の中では「神風よ、吹け」と唱えていたが、あとは諦念があるのみだったからだ。後日、マイクは当時を振り返り、「トモは機体の中でパニックになり、ギャーギャーうるさかった」と、冗談でぼくのことを笑い飛ばす。しかし、実際にぼくが奇声を発したのは機体が止まったその瞬間だけだった。
着陸した場所がどこのへんぴな場所なのか正確には知らない。かつての伐採会社基地とそのブッシュ滑走路であったことは確かだ。
ただ生きていることにぼくのからだはふるえるばかりであった。
不時着後も、マイクは交信を続ける。なかなか応答なし。やがて交信に成功。上空のAir Afrique(アフリカ航空)らしい。とりあえず無事着地、われわれも生きている旨は伝えられる。必要物を手荷物にパッキングし、上空から見えていた古い道路の方へ、歩き出す。汗が出る。とりあえずそこを歩いていけばいつかどこかの村か町にたどり着くであろう、それがマイクの提案であった。通りがかった「空港」の先端はややぬかるみ。もちろん上空からは気付かなかった。ここに着地したら、ぬかるみにはまって、機体は、ひっくり返っただろう、とマイクはいう。滑走できず、つんのめり、反転、こっぱ微塵になったにちがいない。また一見上空からは平地に見えた滑走路も、長い距離に渡って段差ができていた。セスナの二つの後部車輪のそれぞれが段差のある場所に接触したら、着陸時のスピードからして機体は傾き、これまた機体は破壊されただろうともいう。奇跡の中の奇跡だったようだ。
そのとき、どこか遠くの方からか鈍いエンジン音が聞こえてきた。トラックの音か、いや、川が近くにあったはずだからそこを行き来するボートのエンジンの音か?否、音源は頭上から聞こえる。それは、ヘリコプターだった。レスキュー部隊か。信じられない。われわれは助かったのだ。空を見上げ、ぼくは帽子を手にとって、大きく振る。ヘリコプターはやがて高度を下げ、われわれのいた草原へ着地した。冷たい水も支給してくれる。なんと、ありがたいことか。マイクがガボンでの仕事で大統領とすでにつながっていたので、彼からのSOS通信で、空港管制塔の情報で大統領府が動きヘリを派遣したのだった。
そして、われわれはそのヘリに乗り、首都リーブルビルへ向かったのである。首都についてから早速、空港警備隊や空港関係者からの尋問を受ける。身分証明だけでなく、なぜ、事故が起こったのか、なぜ不時着したのか、などなど。しかし、彼らの応対も概してよかった。
▼土木作業開始
草原に残されたセスナを救出するために、ぼくは数日後に控えていた日本への一時帰国予定を変更し、現地の情報を得ながら陸路と水路にて不時着地点の現場へ向かうことにした。近くの村人を何人か雇いあげて、草原の草刈と整地を実施するためだ。怪しいセスナが不時着したのではないと確認するために、国家警備隊による調査も行なわれた。マチェット(山刀)とオノ、スコップを使った炎天下での土方作業は来る日も来る日も続いた。ぼくは現場監督とはいえ、やることがないので、草刈りに従事した。ギラギラの太陽、汗、虫、とくにアリ、小アブはかなわない。頭はクラクラで、皮膚はあらゆる場所がかゆい。食事は缶詰ものばかり。夜になると、ぼくはセスナの機体の中に寝泊りした。約一週間弱かけて、ついにセスナが飛び立つくらい十分な距離の「にわかブッシュ飛行場」が完成した。
ブッシュ滑走路;通常はこんな感じである©WCS Congoその作業が終わる頃、ぼくと同じ陸路と水路を利用してマイク・フェイも航空機用ガソリンを持って現地入りした。マイクの入念な機体チェックの結果、主翼のボルト一箇所が何らかの理由で緩んでいて、そこから飛行中に燃料が徐々に漏れていたということが判明した。離陸前ガソリンを入れたのはわれわれ自身である。そのときは明瞭なガソリン漏れは確認されなかった。飛行中何らかの理由でボトルが緩んだとしか考えられない。
マイクはボルトを締め直した。そしてガソリンを注入した。ガソリン漏れはもはや確認されなかった。次にエンジンテスト。プロペラは勢いよく回る。しばらくそのままで放置する。そして翌朝、マイクはぼくを地上において、セスナを飛ばした。ぼくも当然同機に乗り、一緒に首都リーブルビルに迎えると期待していた。しかし、マイクは「いや、オレ、一人で行く。何が起こるかわからないしなあ」と、ぼくの搭乗を拒否した。
機体の滑走時、前夜の大雨で地面が多少ぬかるんでいてセスナのタイヤが土にはまりかけた。その直後勢いよく機体は前進。そして見事に滑走路中ほどで離陸。マイクは上空を何回か旋回、飛行にまったく問題ないようであった。機体はそのまま首都リーブルビルへ向かって飛んでいった。ぼくは同時に水路と陸路を通じて、リーブルビルへ向かい、同日先に到着していたマイクに遅れて無事たどり着いたのだ。
▼生存できた理由
マイクのパイロットとしての腕のよさによるところは大きい。ガソリンの切れたという危急の事態に際し、きわめて落ち着いて管制塔と交信をし、なんとか着陸できる地点を探そうとしてこと。そして何があるとも知れぬ状況で、冷静なパイロット裁きで不時着へ向かっていったこと。
いくつかの幸運な事情が重なったことも事実だ。上空からは存在を気付かなかった沼地。そこによくぞ着地しなかったものだ。少し間違えれば機体ごとわれわれは微塵となっていただろう。また不時着後の滑走面に偶然大木がなかったこと。そのため衝突による大破を免れたこと。またその滑走した場所に大きな溝や段差がなかったこと。もし何かあれば車輪がはまる、あるいは機体がバランスを失い、横転していた可能性もある。すべて偶然の賜物としかいいようがない。
しかしセスナの事故で死ぬことを回避できた最大の理由は、偶然にも「古い空港」に巡り合えたからである。ふつうなら熱帯林の真ん中で、墜落する運命しかなかったはずである。その「空港」はまさに熱帯林の中に偶然作られたものだ。当時-おそらく10年前くらい-現場にいた伐採会社が交通の便を図るために、自然の草原を整地し小型機が離着陸できる程度の滑走路を作った。自然のままの草原なら、地面も平らでなく、シロアリ塚などの障害物もあったりして、いくら草原とはいえスムーズには不時着できなかったであろう。
皮肉といえば皮肉である。伐採などの開発業とは立場を異にする「保全業」に従事するわれわれ二人の命が、伐採会社の残していった旧滑走路によって救われたのである。熱帯林の真ん中にそうそう楽に不時着できる草原はない。沼地でもなく、かつ、熱帯林を切り開いて人為的に飛行場用に整地されていなければならなかった。そんなことをするのは、伐採業くらいしかない。アフリカ熱帯林における昨今の伐採業のはげしい勢いはとどまるところを知らない。もしその地域で伐採業が営まれていなかったら、われわれは不時着する場所も見つからないまま熱帯林の中へ激突していったか、一縷の望みを託して川へと突っ込んでいったのだろう。
われわれの命の引き換えとなったともいえる伐採業。自然利用なしで人間は生きられぬ、それを象徴する出来事であるともいえるかもしれない。
倒木後の風景©西原智昭撮影現時代に生きるすべての人類は、程度の差こそあれ、開発による恩恵をこうむっている。初期人類の狩猟採集生活にはじまり、われわれの社会は野生生物など自然を利用する仕組みを持つに至った。それは疑いのないことである。伐採業の例をとるにしても、われわれが日常生活で必要としている木材は、植物という野生生物から得ているのは明らかである。問題は、利潤追求の欲望が嵩じて、必要最小限以上の開発を行なってしまう点にある。その結果、野生生物の生息域は急激に減少し、ある野生生物種は急速に絶滅の危機に陥る。
経済発展のための伐採などの開発業。それと、国立公園管理などは、いかに両立しうるのであろうか?そこには、一般論はない。そのそれぞれの地域での最善のあり方を探らなければならない。1999年当時のぼくは、そうしたことを漠然としか考えていなかった。そして、その両立の方途があることを知ったのはその後10年経ってからであった。それは、また別稿に譲りたい。
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