【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭
ホタルの宿る森からのメッセージ第55回「アフリカの野生生物の利用(2)〜野生「植物」の生存を脅かす伐採」
※ この記事は、よこはまの動物園機関誌ZooよこはまNo. 94 P. 16-17(2015年9月)に掲載された拙記事「アフリカの野生生物の利用とその行方2野生「植物」の生存を脅かす伐採」より転載・一部加筆修正したものです。
●伐採ということ
伐採というのは、意外と日本人にはなじみがないという風に感じられるかもしれない。しかも前回の記事で述べた「アフリカ熱帯林での伐採」といえば、日本人には遠い場所での出来事と思うに違いない。日本で木材利用といえば、植林したスギやヒノキのことを思い浮かべると思うが、しかし「熱帯材」利用といえば、ピンと来る人もいるにちがいない。日本でも長年にわたって、東南アジアの森から、ラワン材とかマホガニーを「高級材」として輸入してきたいきさつがあるからだ。
その熱帯材が、需要が高くなり輸送手段の発達した今や、アフリカの熱帯林からも切り出され、世界各地に運び出されている。しかも、日本で典型的な植林後の樹木を切り出すのではなく、これまで人間による大規模な活動のなかったアフリカの「原生の森」由来の樹木を切り出すのである。ほとんど日本人には知らされていないことだが、近年のある資料では、日本は世界の中でも、アフリカ熱帯材の輸入のトップクラスに位置する国であることが示されている。日本で「熱帯材」として売られているものは、東南アジア由来だけでなく、アフリカ由来でもある可能性が大きい。それを買っているのは、われわれ二本の消費者であるのはいうまでもない。
したがって前回の第54回記事の続きでいうと、論理的には、日本は、アフリカでのブッシュミート問題に拍車をかけた国の一つとして言われても仕方があるまい。アフリカ熱帯林の伐採と過剰なブッシュミートの問題は、日本人とは無関係とは言えないのだ。
●いつも植物は二の次
「野生生物」というと、おそらく多くの人は「野生動物」を思い浮かべるに違いない。しかし、「野生生物」は動物だけではない。その周囲には何らかの形で「植物」または「菌類」などが存在し、むしろそれは、動物の生存を可能にし、自然環境を作り出している大元締めだといえる。詳しいことはここでは省くが、動物と植物との関係には、切っても切れない強い生態学的関係があり、それがネットワークとなりエコシステムを成立させている自然界を維持しているといっても過言ではない。それは、植物は動物の食べ物だという単純な関係だけではないのはいうまでもない。
この点、自然界のことを語るとき、あえて、「野生動物」とはいわず、「生き物全体」を含む「野生生物」ということばを使いたい。しかし、たいていの場合、植物は無視されているか、よくて「二の次」の位置にしかないのが現実である。たとえば、動物を飼育している動物園でも、その動物の本来の生活環境を構成している植物のことが語られる機会は稀であるし、動物園と植物園との間で何か積極的な交流や共同関係があるようにも思えない。
「動物好き」が悪いと言っているのではない。自然界の中の関心を持つ対象として、「動き」の見える動物は関心の対象になりやすいことは確かである。しかし、これが「ブッシュミート」などの問題になると、反対派は歯をむき出す。それは血が出るからなのだろうか?悲鳴を上げるからなのだろうか?しかし、同じく生物利用として伐採という形で、同じく生命である植物も大量に切り出されているのに、ブッシュミートほどには騒がれていない。植物からは血が出ないからなのか。植物は声を上げないからなのか。
しかし、植物の観点が抜けてしまうと、「動物の保全」ということばを持ちだしても、多くの場合は、動物の「個体の保全」か、よいところまでいって、その対象である「種の保全」でとどまってしまう。動物園での「保全教育」が植物をも含めた「生態系全体の保全」の域まで達しない理由のひとつは、こうした植物無視という落とし穴のせいではないかと思わないではいられない。動物園の課題についてはまた別稿に譲りたい。
●菜食主義の是非
「私は動物肉は一切食べません」。それには、野生動物だけでなく、家畜の肉や卵も含まれていることがある。健康上の理由、主義主張のため、事情はさまざまだと思うが、しかし、「かわいそうだから」という理由のみで、肉を拒否することは真に理にかなったことなのだろうかといつも考えざるを得ない。
または「肉はダメだけど、魚はOK」という人は少なくない。しかし、その人は「魚はかわいそう」と思わないのかと逆に問いたい。魚も捕獲するとき悲鳴こそあげない。しかし、切り身にするとき血は出る。最近はスーパーですでに切り身にされ血のない魚しか知らない人がいるところからすると、魚はいわゆる動物のようには見なされていないのかもしれない。
さらに、肉も魚もダメな人は、「菜食」専門となる。健康上のことはもちろん議論はできないが、菜食「主義者」が菜食を他の人にも勧めるのはどうかとも思う。もし仮に全世界の人が菜食主義になったら、いったいどれだけの広さの菜園が必要となるのか?それには、同じ「生物」である樹木を切って、大きな畑を作らなければならない。「菜食」のために、樹木という「植物」が殺害される。そしてそうした自然環境が少なくなれば、野生動物も生きていけなくなる。さらにいえば、野菜も果物も、栽培ものであることが多いとしても、生命の一つであることはいうまでもない。逆に、「血が出ない」「叫ばない」から、野菜は「殺して」食べてよいのか、と問いたいところである。
●FSC認証の必要性
熱帯林伐採の話に戻る。「生物利用」の一環として、世界各地に木材需要があるだけでなく、木材以外の資源に乏しいアフリカ中央部の熱帯林を有する国々にとって、熱帯材輸出は大きな国家経済を担う資源である。したがって、熱帯林伐採をただちに中止せよというのは、非現実的な言動だ。問題は、樹木伐採(大規模な植物の「殺害」と呼んでもよいはずだが)による熱帯林生態系全体での負の影響をどれだけ最小化するかという点であると考えられる。これには、熱帯林生態系全体を壊す皆伐方式を防ぐために、すべてを伐採するのではなく、計画的に限定された区画で伐採すること、その伐採される植物種の対象を厳格に選抜し直径も一定以上の大きさのものに限定すること、ある地域を伐採したらしばらく手を入れず自然回復を待つこと、などの配慮が必要となる。
キーとなるのは、植物である樹木は「合法的」に商業伐採されるにしても、その伐採区に棲む野生動物も合法的に保護されなければならない点にある。詳細は小生による記事(下記註*)を参照されたいが、たとえばアフリカの熱帯林に生息するマルミミゾウなどは、果実の種子散布を通じて次世代の植物を育む重要な存在である。無論マルミミゾウの狩猟は違法行為であるが、それを伐採区内で阻止することで、その熱帯林の生態系が持続的に再生維持され得るといえるのである。
こうした計画的伐採管理と野生動物の保全、そして労働者への社会的配慮などが一定の条件をクリアすれば、伐採会社は「環境・社会配慮型」のFSC(Forest Stewardship Council)とよばれる国際認証を持つことができる。アフリカの熱帯林では、主にヨーロッパ系の伐採会社でこうした動きが強く、ヨーロッパの熱帯材市場では、実際、認証付きの木材が中心となっている。こうしたFSC認証の林業が、環境保全と経済発展の両面を成立させる
現段階でのベストな方途であると考えられる。仮に伐採道路が、ブッシュミート狩猟や密猟、密輸を加速化する可能性があっても、認証制度にしたがい、伐採の対象である植物だけでなく野生動物を含む野生生物全体を適切に永続可能な形で管理することは不可能ではないからである。実際、コンゴ共和国では、各伐採会社がレンジャーを雇い、伐採区内でのそうした野生生物への違法行為を取り締まることは、FSC認証をもつための重要な受験の一つとなっている。
そして、われわれ消費者も紙製品や木材製品を買うときには、FSCラベルの有無を確認すべきである。それが、ブッシュミート問題だけでなく、地球の肺と呼ばれる熱帯林の保全につながり地球環境全体をも救う手段の一つになりうると考えられる。
●エボラと伐採の関係
2014年、西アフリカ諸国に大勢の死者が出て、さらに欧米にも一部波及したことで、エボラはより多くの人に知られるようになった。しかも、それを治癒する特効薬の危急の開発が待たれている。しかし、仮に薬は開発されても、エボラ・ウイルスがなぜ昨今猛威をふるうようになったか、その根源的な問題を無視すれば、その猛威はまたいつやってくるかはわからないのが現状である。
詳細は小生が解説文を書いた書籍(下記註**)に譲りたいが、昨今のウイルス出現の原因は、伐採など過剰な熱帯林の開発であるとされている。その結果、元々ウイルスの宿主であったフルーツバットやそれに汚染された果実等に動物が出会う頻度が高くなり、類人猿のようにそのウイルスに耐性のない動物があっという間にやられてしまう。結果的に、感染したそうした動物に触れた人間も死に至る。
こうした未知のウイルスの出現を抑えるためには、仮に熱帯林伐採を継続することになっても、FSC認証のような形で、熱帯林生態系という環境の永続的な保全を目指した人間の経済活動が望まれるのである(続く)。
(註)
* 『森のゾウが消える-マルミミゾウの頭数激減と象牙需要』(西原智昭、岩波科学 岩波書店、2013年8月)
**『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』(デビッド・クアメン著、西原智昭・解説 日経BP社、2015年1月)
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