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【NPJ通信・連載記事】高田健の憲法問題国会ウォッチング/高田 健

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戦争法発動と明文改憲に突き進む安倍政権とのたたかい

2016年5月1日

動揺と暴走、安倍首相の改憲発言

現在開会中の第190回通常国会の冒頭から安倍晋三首相は、明文改憲をめざして異例の前のめりの発言を繰り返している。歴代内閣で9条改憲など明文改憲を正面から取り上げたのは、過去には50年代の鳩山内閣の総選挙があるが、その時は有権者の支持を得られなかった。その後の政権は積極改憲論者の中曽根康弘元首相なども改憲に慎重であり、「政権担当中は改憲を政治日程にのせない」という立場をとった。第1次政権時も含めて安倍首相のように、憲法99条の憲法尊重擁護義務を顧みず、立憲主義の精神に反して公然と明文改憲を主張する立場は異例中の異例だ。

安倍首相は3月2日の参院予算委員会で「(明文改憲を)私の在任中に成し遂げたい」と述べた。自民党では総裁任期は連続2期6年となっており、安倍総裁の任期は2018年9月までの2年数ヶ月になる。この間、参議院選挙は本年7月の選挙の1回だけだから、首相にとって参議院は今回のみということになる。まさに、この発言は来る参院選で3分の2を確保するという背水の陣の表明でもある。安倍首相は2月3日の衆院予算委員会で「憲法学者の7割が9条1項、2項を読む中で、自衛隊の存在に違憲のおそれがあると判断している。違憲の疑いを持つ状況をなくすべきだという考え方もある。占領時代に作られた憲法で、時代にそぐわなくなったものもある」とのべ、憲法9条2項の改憲をめざす意志を表明した。

一方、昨年末以来、緊急事態条項(国家緊急権)の創設の必要性を強調している安倍首相は、3月14日の参院予算委員会で、自民党の山谷えり子元防災担当相の「この規定(緊急事態条項)が憲法にないがゆえに東日本大震災でも混乱が起きた」との発言に呼応して「大規模な災害が発生したような緊急時に国民の安全を守るため、国家、国民がどのような役割を果たすべきかを憲法に位置付けるのは極めて大切な課題だ」とのべ、憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性を強調した。安倍首相は9条改憲をめざしながらも、まず野党の一部も含め比較的賛同を得やすいと思われる緊急事態条項挿入から手をつけるという明文改憲の2段階戦略をとろうとしている。そのため、「お試し改憲」と指摘されることも多いが、この国家緊急権の導入による改憲は「お試し」というような軽いニュアンスのものではない。これは憲法の基本原則にかかわる改悪だ。

しかしながら、3月13日の自民党大会での演説では肝心の憲法改正について全く触れず、改憲争点化を回避しようとするなど、安倍首相の改憲発言にはブレがみられる。3月7日の参院予算委員会では「(9条改憲については)国民的な理解と支持が広がっている状況ではない」と答弁した。安倍首相は3月4日の衆院予算委員会で「(2012,2014年衆院選と2013年参院選で改憲を公約に掲げ)大勝をえた」「夏の参院選でも今まで同様、訴えていきたい」などと発言した。しかし各方面から指摘されているように、自民党のこれらの選挙の公約では数百あった項目のうち、改憲は末尾に掲げられただけだ。公約の筆頭に改憲を掲げた2007年の参院選では大敗し、第1次安倍政権の退陣の要因の一つになった経験のトラウマがある。だが安倍首相はもしも参院選で勝利するようなことがあれば、自民党の主張する改憲が有権者に支持を得たと強弁するであろうことは間違いない。

解釈改憲の極地ともいうべき戦争法採決を強行した安倍政権が、2016年3月29日の同法の施行を経てなお、この時期に明文改憲を主張するのはなぜか。

憲法学者をはじめ大多数の識者が憲法違反と指摘した戦争法が安倍政権によって国会で強行された結果、平和憲法と憲法違反の戦争法が併存している。安倍政権にとって、こうした状況での戦争法の発動は極めて窮屈になっている。それだけではない、もともと「戦争法」はムリヤリ憲法解釈を変えて制定したものであり、第9条など憲法上の制約があって、集団的自衛権がフルスペックで行使(全面的な行使)できるものではない。安倍首相にとって、この制約を取り払う課題はひきつづき歴史的使命である。戦争法の発動が可能になったにもかかわらず、火中の栗を拾うが如く明文改憲を唱える理由はこのことに他ならない。

自民党改憲草案の国家緊急権(緊急事態法制)導入の危険

明文改憲の手始めに安倍首相らが狙う憲法への国家緊急権の導入はどのようなものか。

「緊急事態条項」について、本誌4月号で名古屋学院大学の飯島滋明教授が詳細に論述しているのでできるだけ重複を避けたい。安倍首相らは大規模自然災害や国に対する急迫不正の侵害があった際に、これに対する対応措置としての国家緊急権条項(非常事態対処条項)が憲法にないのは重大な欠陥だとして喧伝している。

しかし、国家緊急権は非常事態において、「国家」を守るため人権や3権分立原則を制限するものであり、「国民の」人権を守るためのものではない。

国家緊急権の規定が憲法に必要だという理由にはいくつかの論点がある。

第1に、先の東日本大震災のような事態が生じた時に、憲法に緊急事態条項がなければ、うまく対応できないという議論がある。

自衛隊幹部出身の佐藤正久参議院議員は、東日本大震災時の例を出して次のように説明する(産経新聞15年1月23日)。

「被災地ではガソリン不足が深刻だったが、福島県の郡山市まで行ったタンクローリーの運転手が、原発事故の影響がある沿岸部の南相馬市へ行こうとしなかった。そこで南相馬から資格を持った運転手を呼ばざるをえなかったが、憲法に緊急事態条項があれば元の運転手に『行け』と命令できた」と。まさに基本的人権を保障する憲法18条の規定を、憲法に国家緊急権を挿入することで否定しようとするものだ。

災害対応についてはすでに「災害対策基本法」その他の法制があり、災害時の緊急措置が定められている。ここでは政府や都道府県知事に一定の「強制権」も認められている。しかし、災害対策基本法の制定においては、国会の議論で法の濫用にしばりをかけ、濫用を防止するための議論が積み重ねられている。災害対策に必要なことは憲法に国家緊急権を挿入するなどではなく、「むしろ被災地に権限を」「震災時は、国に権力を集中しても何にもならない」(陸前高田・戸羽市長)というのが被災地の意見に多いのが実情だ。国家緊急権は災害対策には無用なのだ。

必要論の第2は、現行憲法では衆院選が緊急事態と重なった場合、国会に議員の空白が生じてしまうので、特例として会期の延長を認めるべきだという類のものだ。しかし、この問題には日本国憲法54条2項の規定があることを指摘すれば十分であろう。

第3の必要論に、テロ対策からの必要性が語られる。これは国家緊急権が発動される事態ではなく、従来、問題が多い法律だが諸法律で対処してきたところだ。

第4、日本に対する急迫不正の侵害が起きたときだという。歴代政府は個別的自衛権の行使という立場で専守防衛を旨とした自衛隊法などで対応してきた。しかし、私見では、「専守防衛論」も含めて、外部からの侵略に対して武力で防衛するという議論には賛成できない。21世紀の今日、まず戦争が起きないような国際環境を外交努力、民間外交などを尽くして、いかに形成するかという課題がある。戦争は自然災害とは異なり人災であり、防ぐことは可能だからだ。

憲法に国家緊急権を規定していないのはアジア・太平洋戦争、15年戦争の結果、ポツダム宣言を受け入れ、それを基礎に日本国憲法を制定したことに由来する。それまでの大日本帝国憲法には非常事態条項が存在し、それらがこの国をアジア・太平洋戦争に導いた。現行憲法が先に述べた54条のような規定を除いて非常事態条項を持っていないのは、アジア・太平洋戦争に至る帝国憲法下での侵略戦争の反省によるものであり、欠陥などではない。

第90回帝国議会(1946年7月15日)の衆議院の議論で金森(徳次郎)国務大臣

(憲法担当)は「言葉を非常ということにかりて、その大いなる途(みち)を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実をそこに入れて、また破壊されるおそれが絶無とは断言しがたいと思います」と、憲法に非常事態条項を作らない理由を述べていることを想起しなくてはならない。

改憲反対運動はこれとどうたたかうか。2015年安保闘争の経験から

私たちは今後の闘いを展望するにあたって、2014年はじめから2015年にいたる戦争法廃案をめざした「15年安保闘争」の教訓を学び、さらに発展させることが必要だ。

「2015年安保闘争」の特徴は、まず第1に、2014年末の総がかり行動実行委員会の成立の画期的な意義を確認する必要がある。14年初めからの集団的自衛権の解釈改憲に反対する3団体、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、「戦争をさせない1000人委員会」、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」の鼎立状況が克服され、2014年末に「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の誕生に至ったことだ。60年安保以来といってもいいほどの長年にわたる反戦平和運動の分岐の状態に終止符が打たれ、共同行動の機関の結成へと歴史的な飛躍を果たした。これが核となってさらに反原発関連諸団体などの多くの団体が加わり「2015年5・3憲法集会」実行委員会に拡大し、さらに9月19日の法案の強行採決後はこれがSEALDsやママの会、学者の会、立憲デモクラシーなども加わって「2000万人署名実行委員会」に発展した。

第2に、この運動には大量の「自立した市民」が参加し、「潮流」として登場した。分岐していた反戦平和運動の統一がこの市民の大量の登場を促進した。これらはツイッターやフェイスブックなどSNSをツールとして急速に拡大した。また総がかり実行委員会がくり返し実施した新聞への「意見広告」なども市民個人の結集に極めて大きな役割を果たした。従来、運動に全く参加したことのない大量の市民が行動に参加した。かつて小田実が提唱した「一人でもやる、一人でもやめる」のごとく、自立した市民の行動が全国いたる所で発生し、かつてないほど広範に展開された。のちにこうした行動は他の課題、例えば「保育園落ちたの私だ」のスタンディングなどにもつながった。

第3に、広範で多様な市民の参加を保障するうえで、運動の現場では「非暴力」の市民行動に徹するよう最大限の配慮が払われた。これらの行動のなかで、8月30日と9月14日の両日、国会正門前の車道(並木通り)が参加者によって開放されるという60年安保以来初めての事態が生まれた。再三にわたって総がかり行動実行委員会が警視庁に「正門前車道の開放」を要求したが、警備当局がかたくなに拒んで、鉄柵や車両で市民の行動を包囲してきた警視庁の警備方針の破産だった。市民が主権者として表現の自由を行使するという壮大な運動の過程で、のべ数十名に及ぶ不当逮捕者がでたが、全体として大きな負傷者はなく、非暴力の市民行動として、たたかいは自覚的・自律的な意思表示の場として貫徹されたことは、大多数の参加者の自覚の高さを表現するものだった。これがその後今日までつづく運動の展開を保障する重要な要素だったことは疑いない。

第4に2015年安保闘争は、その初期から国会内の野党各党に対する共同行動の働きかけを重視し、その実現に熱心に取り組んだ。集会への野党各党の参加呼びかけはもとより、「野党は共闘」のシュプレヒコールにみられるような野党共同への働きかけを繰り返した。9・19以降は戦争法の廃止法案の野党共同提出の働きかけと、「総がかり行動実行委員会」を含む、2015年安保闘争を闘った5つの団体が共同して、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という新しいプラットフォームを生みだし、参議院選挙において野党の共同を要求し、安倍政権に挑戦している。

いま運動圏では戦争法廃止の全国2000万人統一署名が展開されている。ほとんどの反戦平和の団体が同一の署名簿で共同して運動に取り組むという画期的な署名運動だ。くわえて戦争法の違憲訴訟(国賠訴訟)や、差し止め訴訟に取り組んでいる。同時に、総がかり行動実行委員会は、戦争法だけでなく、安倍政権下での民衆の喫緊の課題でのたたかい、沖縄の辺野古埋め立て反対、原発再稼働反対、差別と格差社会などに反対する課題、東アジアの民衆連帯などの課題と結合して安倍退陣の運動を展開しつつある。また全国各地で戦争法が強行された9月19日を忘れない19日行動を展開し、全国統一街宣(毎月第3火曜)を実施するなど、さまざまな形態での行動が展開されている。

こうした努力のなかで、戦争法強行採決から5ヶ月目の2月19日、戦争法廃止法案の野党共同提出と、画期的な参院選での野党共同の道が開かれた。

以下は野党5党の党首会談での確認事項だ。

(1)安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする。

(2)安倍政権の打倒を目指す。

(3)国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む。

(4)国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う。

廃止法案は安倍政権の卑劣な策動で審議入りしていないが、参院選の共同は着々とすすんでいる。「市民連合」はとりわけ全国32選挙区ある「1人区」での野党共同を重視し、その実現のために働きかけを強めている。来る参議院選挙で与野党逆転がならずとも、改憲は発議可能な議席を安倍政権に与えないこと、野党が3分の1以上の議席をとることは、安倍内閣に痛撃を与え、任期中の改憲を公言した安倍政権の退陣は現実のものとなりうるし、戦争法廃止への道を開くことになる。

                (月刊「社会民主」5月号所収 高田健)

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