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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ ~ アフリカ熱帯林・存亡との戦い 
第12回 熱帯林を保全しようとする者が死の直前に熱帯林伐採に救われたことの意味

2014年7月16日

いまから15年前のことである。

「死」が目前に迫っていた。でも不思議と恐怖感はなかった。くちびるが多少乾いた以外は、パニックにさえならなかった。「あーあ、こんなかたちで死ぬのか」「しかしまだなにもやってないよな」ぼくはそんなようなことを心の中でつぶやく。セスナの燃料計は完全にゼロを指していたのだ。それも唐突であった。それに気付いたぼくは、操縦席にいるマイク・フェイに示す。“Fuck me, men (こんちくしょうめ)!”を繰り返しながらも、マイクは冷静に、わずかに残っている燃料の蒸気を出そうと燃料レバーを押し引きしている。まだエンジンは辛うじて動いていて、プロペラも回っている。が、機体はすでにノックをし始めている。ちょうど燃料が切れ始めたときの車みたいだ。“Sorry, Tomo, we are fucked up. Are you scared?(申し訳ないな、トモ、俺たちはダメみたいだな。恐いかい?)”とマイクはぼくに話しかけ、ぼくはふつうの声で“But, no way, Mike(いいや、仕方ない、マイク)”とだけ応える。静かにではあるが高まる心臓の鼓動の中で、近づく死への確認をする。

WCSのマイク・フェイは、当時、コンゴ共和国においてコンゴ政府のパートナーとして、ヌアバレ・ンドキ国立公園の設立・管理・維持をサポートする目的で、1991年からヌアバレ・ンドキ・プロジェクトを開始し、同国ヌアバレ・ンドキ森林区の国立公園化に尽力したアメリカ人野生生物研究者であり、優秀なセスナ・パイロットでもあった。容易には踏破しにくいアフリカ熱帯林を、セスナを使い上空からアセスメントすることによって、熱帯林保護計画などに役立てる仕事も同時並行して行なっていた。飛行経験は豊かであり飛行中に燃料を切らすような無計画な飛行は決してしない。1989年から同国立公園で野生類人猿などの調査を手がけてきたぼくは、このマイクのもと、1997年から2年間国立公園のマネージメントの仕事にも携わってきた。そしてこのとき-1999年4月-、ぼくはボス・マイクの操縦するセスナの助手席に座っていたのだ。国立公園の基地から隣国ガボンの首都リーブルビルに行くためだ。

眼下には変わることなく、広大なアフリカ熱帯林が広がっている。まだこの辺には伐採の手は伸びていないのであろうか。上空から見える森には緑豊かな色が映える。きっと地上ではマルミミゾウがゾウ道をゆっくりと歩いていくといった悠然とした野生生物の世界が残っているのかもしれない。マイクは落ち着いてリーブルビルの空港にSOS交信を続ける。われわれはリーブルビルまでおよそ100kmの距離にいた。しかし熱帯林のまんなかにあっては、“We cannot pass the forest area(この森林地帯を抜けるのは無理だ)”とマイクは絶体絶命の危急を空港管制塔に告げざるを得ない。このまま熱帯林の中に激突か。近くには村も町も見えない。親も友人もWCSの人たちもどうやってぼくらの「事故」と「死」を知りうるのであろうか。奇跡的に助かったにしても、ぼくは、どうやって、どこに、向かえばいいのだろうか。わずかな水をもっているだけで食料はない。そんなことを思い始める。

「あの先方の森林地帯を越えれば川があるはずだ」とマイクはいう。最期のわずかな希望に託す。森に激突するよりは、川に不時着する方がまだ助かる見込みはある。管制塔は近くの町の空港の位置を教えてくれる。しかし燃料の切れた機体はそこまでは辿りつけない、と、いらつくマイクは、管制塔にいるガボン人との交信を無線言語である英語からガボン人の公用語である仏語に切り替えながら、明瞭に答える。燃料は、マイクとぼくの目の前で前日に満タンにしたはずだ。マイクもはじめは燃料メーターが壊れただけだと解釈していた。燃料計のプラスチック・カバーを何度もたたく。計測器の単純な機械的な故障なら針が正常に戻るかもしれない。だが残念ながら、燃料が切れたのは事実のようであった。

「神風よ、吹け」ぼくはと何度か繰り返し心に念じる。ほとんど助かる見込みのない状況で、何かにしがみつきたかったのかもしれない。これまで長年アフリカで研究や熱帯林保全の仕事をしてきたが、病気になっても大病になったことは一度もなかった。1996年森の中でゾウの鼻に巻かれたときの事故でも、1997年コンゴ共和国内戦の銃撃戦の中でも、奇跡的に死にもしなければ、怪我すらしなかった。だから今回も死ぬはずはないのだ、と確信したかった。マイクも「今はまだ死にたくない」とひとりごとをいう。騒いでも、悲鳴を上げても、助かる見込みはなかったのだ。

幸い機体は最後の森の峠を越えた。川が向こうに見える。森林の中に未舗装の道路も見えてきた。伐採会社の木材搬出用道路だろう。管制塔は「近くの森の中に古い空港があるはずだ」と別の可能性を指示してくれる。ぼくはちょうどそのとき、越えたばかりの森の裾野に、長く開けた場所を見つけた。草原のようである。“Mike, that’s it(マイク、あれだよ)”マイクは現在の経度・緯度を冷静に計測し、そこが首都の管制塔から伝えられた「古い空港」であることを確認する。マイクは機体を一度旋回させ、そこが着陸可能な場所であるかどうか観察する。仮に「古い空港」であっても今はどういう状況かわからない。ましてやもしそこが熱帯林に典型的な開けた沼地であれば、滑走できないからだ。そこへ着陸すれば、それは直、「死」を意味する。

草がぼうぼうに生えていて多少の小木がある以外は、問題がなさそうだ。ぼくはマイクを信頼した。生きるか死ぬかもマイクの操縦の腕次第なのだ。ここに強制着陸するしかない。ほかに選択の余地はない。機体は高度をグングン下げ、着陸態勢に入る。地上が近づくに従い、ひどい草地であるのが如実に見えてくる。草の丈はセスナの機体の高さをはるかに上回っている。しかしもう引き返せない。機体は草地に突っ込むように、いざ不時着へ。見事なタッチダウン。小型セスナとはいえ、さすがに飛行機のスピードは速く、滑走で草や小木は次々になぎ倒されていく。と、目の前に壁のような深い草地が見えてきた。しかし機体を止めることはできない。ぼくらはそこに突っ込んで行った。急ブレーキのようなショックを感じ、からだは前のめりになっていった。

ぼくらは助かった。幸い怪我すらしなかった。マイクの最初の一言は、「プロペラすらまだ回っているぜ」。確かに、不時着したのにエンジンは正常のようだ。そして、ぼくを心配してか、「おまえ、まだ、腕や脚はついているか?」と笑みを浮かべて尋ねる。”Yes!” とぼくも笑って答える。ぼくらは、外に出て、大きく息を吸う。そして、一時間くらいのうちに、SOS信号を送り続けた首都の管制塔から、大統領府のヘリコプターが現場に送られてきた。それに搭乗し、ぼくらは、とりあえず事故機は現場に残し、無事首都リーブルビルに向かうことができたのだ。

後日ぼくはこの不時着地に地上からアクセスし、近隣の村人を雇って、この古い草地の空港を山刀で開いた。マイクは燃料を手に入れ、それをいくつかの小タンクに入れて同じくその地にやってきた。マイクは機体を点検し始め、前回同じ飛行機を使った研究者がカメラを取り付けたときの翼のかすかな穴から、燃料が漏れていたのをマイクは発見した。それを修繕し、燃料を入れ、飛行機は無事、再度離陸することができたのだ。

同型のセスナ機©西原智昭

同型のセスナ機©西原智昭

ぼくはこの経験談で、死を危うく免れた英雄談を披露する気は微塵もない。死に目に会ったのも、アフリカに来てからこれで3度目であった。危険はいつも隣にあるということをさらに学んだだけでなく、だからこそ今の一日一日「いかにやるべきことを為し得るか」ということを覚悟の上で今の仕事をすべきだと肝に銘じる。さらに重要なのは、森の中に墜落せずに済んだのは、伐採会社が以前その場所に滑走路を作っていたからにほかならない。熱帯材目的の森林伐採は環境破壊にはちがいないが、地域・国家の経済発展、雇用の拡大による貧困防止、道路や病院、学校、そして滑走路等のインフラ整備などなど、自然保護の側からの「伐採は悪い」という一方向の感情論だけでは済まされない面があるのを忘れてはいけない。問題は、それをいかに「マネージメント」していくかにかかっているといっても過言ではない。 (続く)

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