NPJ

TWITTER

RSS

トップ  >  NPJ通信  >  一水四見(35)ー虚偽と真実の狭間に生きる現代ー

【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

過去の記事へ

一水四見(35)ー虚偽と真実の狭間に生きる現代ー

2016年5月23日

親鸞「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつて そらごと たはごと、まことあることなし」、「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」

G. オーウェル「世界的に虚偽が浸透している時代に、真実を語ることは革命的な行為だ」「戦争は平和 自由は奴隷 無知は力」(『1984年』)

親鸞とオーウェルに共通していることは、歴史的世界における「虚偽」についての鋭敏な感覚であり、ものごとにおける善悪の共存性の認識である。

***

ゴールデンウィーク中、二泊して風水にくわしい知人と、出雲大社を中心に近辺の歴史を探訪、古代日本の「クニゆずり」の逸話に思いを馳せつつ、とりとめもなく日本の行く末を語り合った。

その後、元アメリア海兵隊員から現代アメリカの現状報告を聞く機会があった。

彼は、アメリカ社会が、かなり不安定になっているとの見解を具体例をあげて説明した。

戦場における兵士の性欲についても体験的に忌憚のなく語った。

TPPが施行されたら、やがては日本で銃器の販売がおこなわれるかもしれないなど、冗談半分の話もでた。

とにかく現代は、液状化するカオス的世界状況だ。

このような状況にあって、世界の人間を均一化して、一定の秩序へ動かして行く大きな計画が実行されつつある、といえば当然、陰謀史観だ、といわれるだろう。

しかし、H.G. ウェルズは「数えきれないほど多くの人々が「新世界秩序」を憎むだろう、そして、それに抗議しながら死んで行くだろう」(THE NEW WORLD ORDER; 1939 ) と言った。

そしてオーウェルは、当初「ヨーロッパ最後の人」と名付けた遺作を、作品完成の1948年の最後の二桁を逆にして、デジタルの響きをもつ倒錯した世界を描いた『1984年』で、「新世界秩序」の政治学をさらに意味的に深化させた。

そこで黙示録的に描かれる世界は、正義と不正などの反対概念の情報操作にもとづき、世界がいくつかの大きなブロックに分けられ、永続的に互いに対立させられている世界である。

現代は、コンピュータとインターネットの発達により、情報と金融とを格段に効率的に操作して虚偽の政治学の応用が一層容易になったかもしれない。

そして、最近開示された「パナマ文書」は、世界政治と政治家の表の顔と裏の顔の併存的状況を黙示的に顕在化させるような現象だ。

そこで、『1984年』の逆ユートピアの世界に描かれているような、整理のつかない複雑な虚偽の世界状況の中で絶望しないためにも、西欧の政治情念の歴史的流れを様式的に大観し相対化してみることも必要だろう。

***

現在まで続いている複雑極まりない、西欧に主導された世界史の政治状況を、大きな人類の情念の流れとして文学的直感にもとづいて大観してみたい。

大観する者は、米国に生まれ、英国に帰化し、欧州の知的風土の本質を直感していた詩人・批評家 T.S. エリオット(1888-1965)である。

1922年、エリオットは、第一次世界大戦後のヨーロッパ人の精神的荒廃をうたった433行の詩 『 The Waste Land(荒地)』を発表した。

この長編詩の最後の部分はヒンズー教のヴェーダ聖典の奥義書「ウパニシャッド」からの引用である。

西欧文学の広範な知識とインドの思想についての深い感心をもっていたエリオットが、この詩の中で、ガンジス河の沈没とロンドン橋の落下のイメージで象徴的に表現しているのは、インドとイギリスを結ぶ現在の西欧政治情念に内在する、いわゆる古代 “アーリア人” の原初的情念を暗示するものである。

アーリアはサンスクリット語の ārya で、その動詞語根の意味は、「行く、移動する、敵に向かって前進する、攻撃する、侵略する(“to go, move, advance towards a foe, attack, invade” ;Monier Monier-Williams; A Sanskrit English Dictionay, 1899 ) 」を意味して、この語がアーリア人の歴史的な移動の過程を見事に反映している。

ナチズムにおいて、「アーリア人」なる人種的に優秀な民族を捏造したことは周知のとおりである。

***

神話は、一定の民族情念に内在する集合的性格を類型的に表現している。

「ウパニシャッド」の神話では、当時のインド亜大陸で直感された人間の根源的情念の内容を、宇宙の創造神・ブラフマンに先立って信じられていた父性の造物主・プラジャーパティの三人の息子たち ー デーヴァ(神)・人間・アスラ (阿修羅; 古代イラン語;ahura)ー に象徴させている。

父・プラジャーパティは、三人の息子のそれぞれに “ダ!(Da)” という同一のシラブル(メッセージ)を与えて、彼らの理解を試す。

神の息子は答える。

それは “ 自制せよ!( dāmyata)” という意味であると。

父は「汝は了解せり」という。

次に父は人間の息子に “Da” といって尋ねる。

“施せ! (datta)”の意味であると答える。

父は「汝は了解せり」という。

最後にアスラの息子に “Da” と問いかける。

アスラは、 “憐れみをもて!( dayadhvam)”の意味だと答える。

父は「汝は了解せり」という。

そこで雷鳴が “ダ、ダ、ダ!”と轟き、“シャンティ、シャンティ、シャンティ!” という祈りの言葉をもっては エリオットの『荒地』 は終る。

因に、“シャンティ”は仏教語で有名な涅槃(ニルヴァーナの音写)と同義の寂静の意味である。

***

「ウパニシャッド」の神話に示された父性の造物主・プラジャーパティの三人の息子たちの性格は、民族の別を超えて人類に普遍の性格であるが、西欧文明の歴史的情念を典型的に構成している人間の想像力・所有欲・闘争欲である。

仏教における煩悩(=生命欲・生存本能)についての洞察によれば、人間の根源的生命欲の発露である食欲と性欲にもとづいて想像力・所有欲・闘争欲の情念が働き、それを基礎として様々な文化的知的要素が構築されている。

しかし、この中で他の二つを兼ねて人間の欲望の最たるものは闘争欲の情念にもとづく権力欲・支配欲だ。

***

世界支配の独裁的権力とはなにか?

西欧の政治情念の病理を黙示的に解剖した G. オーウェルの政治文学 『1984年』によれば、「権力は手段ではない。それ自身が目的である (Power is not a means, it is an end.)」であるという。

しかし 想像力・ 所有欲・ 闘争欲に翻弄される息子たちに、

“自制せよ!、施せ!、憐れみをもて!”と諭した造物主・プラジャーパティのメッセージを聞かないのできたのが人類の歴史ではないのか。

***

歴史を概観すれば、 様々な歴史的条件のもとにコーカサス地方を民族の発祥地と想定・仮定される、言語学的に印欧語族に属する、いわゆるアーリア的集団は、ある時期に大きく東西北方に民族移動し拡散していった。

その一部は東漸してペルシャを経由し紀元前1500年頃インド亜大陸北部に侵入し原住民を隷属させて、現代のインド人に連なるバラモン階級の支配層となった。

また別の一部はヨーロッパを席巻してゆき、古代ドイツのアングロ・サクソンなどの部族となり、350年頃から彼らはさらに民族移動して、今のイングランド南東部に居住していた住民(かっては中欧ヨーロッパに起源をもつケルト系)を侵略してブリテン島を支配して今日のイギリス人の主流となった。

皮肉なことにかってアーリア人に侵略されたインド亜大陸は、16世紀にその “アーリア” 人の末裔である大英帝国によって再度侵略され植民地化されたわけである。

このような歴史の過程において、アーリア的原初の情念に、古代ギリシャ的な理性と、さらに312年にコンスタンチヌス・ローマ皇帝がキリスト教を公認したことにより、ユダヤ・キリスト教的宗教情念とが歴史的に結合し土着の民間信仰を圧殺しながら西欧を席巻し進化してきたのが、今日にいたる世界の政治史、技術史、文化史を支配している、いわゆる西欧の政治的情念だ。

ユダヤ・キリスト教的宗教情念とは世界史に介入する情念、すなはち神の歴史支配の思想である(‘God is in control of history.’( The Revelation of John; The New Testament in Modern English by J.B. Phillips)。

やがてブリテン島のアングロ・サクソンの “父” に反抗した一部の “息子たち” は1620年、メイフラワー号に乗って北米大陸に渡ったが、彼らが WASP に象徴される “アメリカ人” となった。

新大陸における彼らの侵略の手段は「自由・平等というソフト、キリスト教、銃(軍事力)」であった。

***

「我々は以下の真実を自明のものする、すはわち、すべての人間は平等に作られている。彼らには造物主によって一定の譲渡できない権利が与えられている。それらの中に、生命、自由、そして幸福の追求がある」(「アメリカ独立宣言」1776年7月4日)

しかし、ここに言う “平等” には黒人奴隷やネイティブ・アメリカンらが含まれていなかったことは周知のとおりだ。

一定の語の概念が、征服民と被征服民との関係において、優位と劣位に変容されるのは アーリアの語源史が示すとおりである。

因に啓蒙主義者モンテスキュー(1689-1755)は、『法の精神』で「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる」としている。

『自由論』で有名な、ジョン・スチュアート・ミルは、東インド会社の役員であったが、当時大英帝国がアヘン貿易に従事していたことは、もちろん熟知していたはずだ。

しかし、ミルにはアヘン戦争についての批判の言葉はないようだ。

***

西欧において、特にアングロ・サクソン的政治情念とは、自由・平等の理念のもとに、言外に対立の構図を常に理論化して温存が図られている―Divide and Rule―の支配精神である。

実際には、非征服住民内に、分裂と対立をつくることである。

分断された地域のそれぞれに、さらに分断化がなされているのが朝鮮半島だ。

対立関係の温存の思考は、今日の米人の指導層の性格にしみ込んでいるようである。

S.P.ハンチントンは1996年に「諸文明の衝突」を発表した。

原題は、「諸文明の衝突と世界秩序の再構築( The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order ) 」。

しかし、対立構造維持の思想に対して鋭く批判を加えるのも、歴史的に熟成されてきた西欧文明に内在する精神であり、ここが非西欧の政治情念と異なるところである。

衝突ではなく対話の必要を説くピッコ氏は指摘する。

「ハンチントン教授は「諸文明の衝突」と題する論文を、著名なアメリカの雑誌「外交問題」に発表した。

ただちに有名になったこの論文で、教授は新たな冷戦の現実の動的動きを描写しようとした。

ソ連はもはや存在しない、バルカンやコーカサス地域やアフリカでは内戦がぼっ発した。

新たな敵が必要だった (There was a need for a new enemy)。

彼の理論は、これらから提供される多くのものの最初のものだ。」 (Giandomenico Picco: ’A dialogue of civilizations’; Special to Japan Times ;10/10/1998).

ピッコ氏が批判的に指摘する敵の必要とは、新たな世界秩序のための大きな対立の枠組みのようだ。

内戦は、大きな対立の構図を支える内部の消耗戦のことだ。

***

西欧の近代において自由・平等の理念が育まれたが、これらの理念も、ギリシャの知性とユダヤ・キリスト教の宗教情念とが絡みあって醸成されてきた “アーリア的” 想像力・ 所有欲・ 闘争欲の情念が、さらに近代西欧の思想家たちによって洗練されたものである。

また、ユダヤ・キリスト教の宗教情念に融合したアーリア的情念は、哲学的には存在論に立脚する絶対的自己是認の組織的思想であり、これを維持するために、懺悔・自己批判と赦しの伝統があり、同時に自己の負の行為を巧みに上書きする様々なレトリック―情報操作―を歴史的に発達させてきたことは周知のとおりである。

アーリア的男性原理の西欧の政治情念とは、ゲーテの格言:

「見上げた男! わたしは彼をよく知っている。彼は先ず妻を殴っておいて、妻の髪をすいてやる」

を文明的規模で実践しているかのようである。

しかし、植民地主義、奴隷制、原住民の虐殺などを行ったからといって、西欧文明を一方的に批判はできない。

世界の人々が日々享受している、現代生活の様々な便利な道具ーパソコンから、自動車、飛行機、洗濯機などなどーすべて西欧の技術文明の所産である。

ノーベル賞、世界文化遺産、ギネス世界記録、格付け機関など、現代の経済・文化の価値基準と法整備を――善悪、正義、好意、偽善、支配欲をないまぜにして――不断に率先して計画・実践してゆくのも西欧の情念である。

中国をふくめて他の文明には見られない西欧で発達したゲームとしてのスポーツとは、いわば闘争本能の文化的昇華であるが、世界の人々は国籍を問わず、西欧のスピード感にあふれた身体的躍動感の魅力に抗しがたいのも事実だ。

***

目下の「パナマ文書」にかかわる開示過程では、プーチン首相、習近平主席、キャメロン首相にかかわる批判がマスコミの表紙にあらわれて、ピッコ氏の暗示する敵の姿がはっきりと現われているわけではない。

しかし、はっきりしていることは、大きな金の流れが、虚偽の世界の政治と経済と軍事を動かしていることだ。

想像力、所有欲、支配欲からなる人間の情念に対して、「自制せよ! 施せ! 憐れみをもて!」というプラジャーパティの誡めを無視しているのが、現在、想像力、所有欲、支配欲のそれぞれを肥大化させて金融が主導する対立維持の思想である。

***

「特集 強欲資本主義と決別せよ 日本人への警告」を読んだ。(『文藝春秋』平成28年6月号)。

警告する人は「世界一貧しい大統領 ホセ・ムヒカ元ウルグアイ前大統領。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。・・・私たちは軍事費に毎分二百万ドルを使っている。また、人類の冨の半分を百人ほどの富裕層がもっている。・・・西欧の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億~80億の人ができると思いますか。・・・グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。・・・世界のリーダーたちは常に平和に導くような解決策を模索しなくてはいけない。」

***

世界が覇権性の政治情念で支配されている現状にあって日本が世界に貢献する立場があるとすれば、豊かな想像力をもって所有と支配の本能を制御する日本文化であり、非覇権を本質とする日本の「和」の精神である。

(2016/06/19 記)

こんな記事もオススメです!

墓穴を掘ってはならない――外側から見る日本の総選挙

2020年改憲への賛否を問う

総選挙、9条改憲反対、安倍政権退陣の歴史的闘いへ

私たちは北朝鮮脅威論にどのように向き合うのか?―憲法9条護憲論の本気度が問われている (下)