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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第56回 自治体主催コンサートの共通プログラム
    ―「女性作曲家ガイドブック 2016」について

2016年9月7日

 6月に自治体からの依頼で企画した3つのコンサート、ともかく無事にすべて終了した。
 参加された方、広報に協力くださった皆様に、遅ればせながら、この場をお借りして御礼申し上げる。何しろ強大化する天変地異に加え、想定外の酷い人災や事件が、内外問わず頻発する世の中、予定通りにコンサートができるのか、私としては本当に心配でたまらなかったのだ。幸運にも恵まれた、と感謝するほかない。

 さて前回〈2016・6・20〉の最後に、次回は上記3つのコンサートの報告を、と予告させていただいた。具体的には、回収されたアンケート結果に基づいて・・・というつもりだった。しかしあまりにも日が経ちすぎ、賞味期限切れの感もある上に、アンケートのほとんどがお褒めの言葉―アンケートとはそもそもそういう形にならざるを得まい―であり、それをわざわざ再現するのも気が引けるので、これは止めることに決めた。どうぞご了解を。

 代わって先回も触れた「女性作曲家ガイドブック 2016」〈以後GB〉を紹介することとしたい。それぞれの自治体が主体的に発案、当方に企画を依頼してくださった、その有難くも貴い志に応えたいと考えて、3つのコンサートに共用のプログラムの一部として参加者に配布しようと、編集・作製したものである。以下の肖像(写真)はその表紙の両面、あわせて26人の女性たちだが、すべて18世紀前半から20世紀初頭に生まれた女性ばかりだ。この時代的スパンに限ったのは、一般の音楽ファンになじまれ、その作品が広く親しまれている「大作曲家」たちの活躍時期と重ねることで、そこに女性がいないことの不条理をアピールできるはず、と考えたからである。

女性作曲家ガイドブック2016表(小)

女性作曲家ガイドブック2016裏(小)

 GBの中身は、生年順に26人それぞれの肖像と略伝、CD情報、参考文献を合わせA4型1ページに納めた主部、付録として女性作曲家全般に及ぶ参考文献と楽譜情報のページ、そして「室内楽を中心とした女性作曲家主要作品ガイド」と題した2ページから成る。この最後の部分は、女性作品だけで、あるいは男女作品を交えてコンサートをしてみたい、との意思を持っている演奏家の方々へのヒントになれば…と願って編んだ。コンサート終了後も、できるだけ多くの方々の目にふれてほしいと、参加されなかった友人・知人たちに手渡しや郵送を続けている。ついでながら作成にかかる必要経費は、受信料をいくらかでも社会還元したいと、NHK経営委員時代の報酬で賄った。

 6月のコンサート3つで取り上げたのは26人のなかから11人。一番早い1804年生まれのルイーズ・ファランクから、ご存知ファニー・ヘンゼル、クララ・シューマンをはさみ、ポリーヌ・ヴィアルドやセシル・シャミナード、アガーテ・バッケル=グレンダール、エイミー・ビーチ、1892年で一番遅い生まれのジェルメーヌ・タイユフェールなど、本欄でもたびたび取り上げた名前に加え、メル・ボニス、ルイーゼ・アドルファ・ルボー、エルフリーダ・アンドレーなど最近ようやく実像がわかってきた存在も含む。ついでながら、(あの「乙女の祈り」の作者ボンダジェフスカなど)こうした略伝にまとめるだけの資料がない女性も3人。さらに武蔵野市でのコンサートでは、当初からGBの対象外とした日本の女性作曲家も吉田隆子ほか6人を取り上げた。いずれにせよ、ここではそれら個々の女性に触れることは控えよう。むしろ、このGB実物を手に取ってみていただきたい。

 実はあと二回、今年中に女性作曲家のレクチャー・コンサートができることになり、そこでもこのGBを配布することに決めている。関心をお持ちの方、是非参加していただきたい。まず11月12日(土)11時より青山のウイメンズ・プラザホール、ついで12月6日(火)、13時30分より大久保の矯風会館ホールである。詳細はまだ固まらないが、9月中の更新を目指している次回本欄でお知らせしたい。
 ちなみに、銀座山野楽器のクラシック・フロアでもこのGBを手にすることができる。同店が開催中の「女性作曲家・CD特集」に便乗し置かせていただいているのだが、興味を持たれた方には一部に限りお持ち帰りいただけるよう、お店側とも打ち合わせ済みである。

 30年以上音楽大学その他でさまざまな音楽史の授業を担当してきた私には、過去一万人近くの存在が確認されている女性の作曲家が21世紀に入ってなお、無視と忘却にさらされている事実は、たいへん唐突な喩えになるが、いわゆる「慰安婦」とされ沈黙を強いられてきた女性たちの現状とも決して無関係ではないと考える。女性+アジア+性的身体という3重の差別構造に根差すゆえ、女性問題でも最も解決困難なのがこの「慰安婦」とするならば、片やクラシック音楽の女性作曲家という存在に対しては、すぐれたフェミニストやリベラルな論客でさえ、ほとんど無知・無自覚に留まっているのだ。こうした実情が、この国の男性支配構造に起因することは余りにも明らかだろう。「女に創造力はない、だって女性作曲家なんていないでしょ」…こうのたまうたのが、日ごろ女性たちに対する低劣な差別発言が絶えなかった前東京都知事。2年前の2月、この御仁が当選を果たしたまさにその日、あのルイーズ・ファランクの交響曲の日本初演を、アマチュアのオーケストラが成し遂げた快挙など、知る由もなかったのだろう。
 ずばり、日本のクラシック音楽界は、一握りの「男の大作曲家」を有難がり、定番の「傑作」を繰りかえし取り上げることで成り立っている、といえよう。右傾化とポピュリズムが進む昨今はさらに、「第九」や「メサイア」、「モツレク=モーツァルトのレクイエム」など特定の作品を大勢で歌い、聴くイヴェントが目白押し、それを以ってクラシック・ブームと騒ぐ。NHKなどマス・メディアの影響力もすごい。だがそこで取り上げられるほとんどは、18・19世紀ドイツ語圏白人男性たちの作品。そしてそれらを信奉して日本のクラシック業界を牛耳っているのも、都知事のような権威筋の男性たちなのである。

 最後に難題沸騰の状況の中から、天皇発言に絡んで一言だけ触れたい。あの「お気持ち表明」の違憲性や政権側の思惑など、さらに天皇制の非常識さはさておき、どうにも解せないのが皇后たる女性の扱いだ。その存在理由が男子出産のみとされ、これを至上命令に生きるなど、誰が望もう?誰が認めよう?男女平等違反の最たるもの、時代遅れ、人権侵害の極みではないか。しかも、明治憲法と並ぶ最高位の成文法とされた旧皇室典範でさえ、その制定は1889年、わずか100年あまり前のことだ。そして女性作曲家を一括排除して成立した音楽史もそれと同じほどの浅い歴史でしかない。男性支配と女性の従属・無力化が、遙か昔からの国の成立や文化の根源にさかのぼる伝統と勘違いする。こんなところにも通底する国家主義とクラシック楽界のおめでたさ、愚かさには、もはや付き合いきれない。せめて、このささやかなGBを通して、こうした感覚をシェアできる人が少しずつでも増えてほしい、と願っている。

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