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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第58回 遅ればせながら、昨年末コンサートのご報告など

2017年2月1日

今頃年頭所感とは…いつもながらの遅滞、恥じ入るばかりだが、どうぞお許しを。
本連載の読者の皆様も、おそらく同じ想いを抱きながら年を越されたことであろう。「予測不能の超大国」(東京新聞2017・1・22朝刊一面の見出し)の実現到来に慄き、うろたえて、私はこのところ、何も手につかない。こうした事態を少しは予防できるだろうと期待されたヒラリー・クリントン候補の敗因を、ズバリ「女性だったから」と喝破した文言にいくつか触れたことも、ますます暗澹たる気持ちを増幅させた。
だがここであきらめ、挫折してはならない。ともかく、新味も何もないが、自分でできることを無理なくやり続けること…これ以外に余生を全うできる方策はなさそうなのだから。
そこで、昨年12月6日に終了したレクチャー・コンサートの報告を書き終えたところなので、それに基づき、今年初めての更新に替えさせていただきたい(報告の原文は日本キリスト教婦人矯風会機関紙『婦人新報』2017年2月号に掲載予定)。
なお、前回(第57回)の予告通り、この12月6日に先立つ11月12日にも、女性作曲家をめぐるレクチャー・コンサートを青山ウイメンズ・プラザでのフォーラムの一環として企画・監修、無事終了していた。6月の近隣自治体からの依頼による3つと合わせ、なんと!昨年中に5回も女性作曲家の作品のみによるコンサートを実現できたことになる…貧困やヘイト言説が蔓延する現状に鑑みれば、何とも幸運なありがたい一年であったことを肝に銘じておかねばなるまい。ついでながら、前々回(第56回)の本連載で詳しく触れた『女性作曲家ガイドブック2016』も、もちろん、年末の二つのコンサート共用のプログラムとして活用した。したがってこのガイドブック、6月の3回と合わせ5回、総計約1000人のお客様の手に渡ったことになる。僭越ながら、これを基に従来のクラシック音楽の相貌を様変わりさせる一里塚となるよう、改めて願うものである。

前置きが長引いたが、上記予告でもお知らせしたように、年末の二つのコンサートでは、ともにハープを主役とした。そのようにした理由なども含め、演奏前のレクチャーで、いつもの独断と偏見を交えた(?)話の内容を文字化しておく必要もあろうと考え、まとめたのが矯風会機関紙への寄稿である。
以下、適宜原文を転用しつつ、削除・改変・追加修正を織り込んで、今回分とさせていただこう。まずはコンサート・タイトルと企画のねらいから。

 レクチャー・コンサート『見せない半分/聴かない半分
―クラシックの女性作曲家“不在”の理由』を終えて

「凄くよかった!実はクラシックのコンサートに行くのは、今回が初めて…それほど苦手意識があったのですが、事前のあなたの話で興味が掻き立てられ、そのあとで聴いたら、自分がハープの音色が凄く好きだ、ということに生まれて初めて気が付いた!こんな体験、今年最後の大収穫・・・」
コンサート終了後にいただいたメールの一部である。自慢たらしくご紹介したのは、クラシックのコンサートはどうも…と敬遠、ましてハープなんて知らないという方々にこそ聴いてほしいという企画の狙いが的中した、まことにうれしい反応だったからだ。終了後の質疑で、私が不用意に連発した“難曲”という言葉の意味は?とやんわりお尋ねくださったのもこのメールの主である。
実はこの女性、1970年代ウーマンリブのカリスマ的存在だったけれど、今は鍼灸師として弱者に寄り添う実践活動に切り替え、沖縄・高江へのスタディツアーも継続的に実施されている何ともすごいお方なのだ。そんな彼女のインタヴュー記事が昨年12月11日東京新聞朝刊「こちら特捜部」欄に掲載されたから、本誌の読者には目にされた向きも多かろう。私も11月22日から予定されていたツアーに参加のつもりで申し込みながら、このコンサート準備その他が重なり、泣く泣くドタキャン!お詫びのメールへのお返事に、無理しないで…矯風会館という場所にも興味あるからコンサートには行きます、と逆に慰めてくださったのだ。
新聞記事の中で引用された 「辺野古の新基地建設や戦争が、人間の生存の根幹である自然や伝統文化を破壊することも知るべき」という彼女の信念にはとりわけ全面的に共感!コンサートに先立つ講演も、自分は宗教とは無縁の人間、しかしあらゆる恵みのもとである自然の「緑」こそ神とみなしているので、その名をつけてくれた両親に日々感謝しているという個人的な事柄から始めたほどである。冒頭のメールは記事を見て感激した私のメールへの返信として頂いたものだ。

本題に入って、コンサートのタイトル「見せない半分/聴かない半分」の意を改めて確認しておきたい。「半分」とはもちろん、人類の半数とされる女性のこと。その女性が、クラシック音楽の作曲家としても無数に存在していたにもかかわらず、いまだにまるで一人もいないがごとき扱いがクラシック音楽全般にまかり通っている。この実態に憤激、爾来女性作作曲家を実演で紹介することに専心している私が、港区男女共同参画課の依頼により「見えない半分/聴けない半分」と題してレク・コンを企画したのが2006年。今回のコンサートプログラムとして参加者全員にお配りした『女性作曲家ガイドブック2016』にその経緯を書いたことを思い出し、ええっ、あれからもう10年も経ったというのに、女性作曲家は相変わらずちっとも知られてないじゃん!とさらに怒りが募った。そこで主催者側からチラシに「少し刺激的なキャッチ・コピーを」とお許しが出たので、標記のタイトルに決めたのだ。「見えない」と「見せない」、「聴けない」と「聴かない」。たった一字の違いに込めた私の想いとは・・・
前者、10年前の表現は、ようやく女性作曲家が多数実在した、という事実を私のような女性作曲家にこだわる超オタクが実感できた段階、それゆえまあ仕方ない、なかなか世間一般には女性たちの実像もわからず音源も届かないのだから、ともかく彼女らの存在を知ってもらえるだけで我慢しよう、と諦めに近い受け身のニュアンスで使った。
しかし後者、今年のそれは10年ひと昔の謂われもあるように、10年も経てば物事はよき方向に進み改善されるはず…との想い込みは見事に外れ!バックラッシュよろしくありきたりの作品ともちろん男性作曲家、つまり「有名大作曲家」の「傑作」群にまつわる情報であふれ反っているではないか。これではむしろ、意図的に知られざるものを隠蔽、耳もかさないという能動的・作為的な悪意が働いているのでは、と感じられた挙句に選んだ表現であったのだ。アベこべ首相―今や“でんでん首相”!?の歴史修正主義とも通じる音楽史研究歪曲の罪は本当に重い。

さて、上記『女性作曲家ガイドブック2016』についての詳細は本連載第56回に記しておいたので、改めてご覧いただければ、と思う。11月と12月の両コンサートでは、6月の14人に加え、
①ソフィア・コッリ=ドゥシェク(Sofia Corri-Dussek 1775-1831?)
②マリア・テレジア・パラディス(Maria-Teresia Paradis 1759-1824)
③マリー・ド・グランヴァル(Marie de Grandval 1828-1907)
④エカテリーナ・ワルター=キューネ(EkaterinaWalter-Kűne 1870-1930)
⑤アンリエット・ルニエ(Henriette Reniē 1875-1956)

の計5人を取り上げた。うち最後のアンリエット・ルニエは後述する通り、矯風会でただひとりの対とした女性である。
したがって2016年のコンサートでは、合計19人の欧米の女性作曲家を紹介できたのだが、なかには参照できる資料があまりに乏しいため小伝にまとめられず、ガイドブックへの収載をあきらめた女性(『乙女の祈り』のテクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカをはじめ、マリー・ヴィーク、エヴァ・デラックヮ、ソフィア・コッリ、マリア-テレジア・パラディス、エカテリナ・キューネ)が6人を数えたことを強調しておきたい。ついでに、ガイドブックの対象外としていた日本女性も、吉田隆子はじめ計6人を取り上げた点も、改めて付記しておく。
なお、本ガイドブック巻末に付した「女性作曲家の室内楽曲の手引き」は、谷戸が女性の作品もプログラムに入れたい!との志を持つ演奏家たちの参考に供すべく、室内楽を中心にリストアップしたもの。本体の26人の小伝はなかなか読み切れなくとも、手っ取り早い参考資料として演奏現場のお役に立つのでは…今やペトルッチなどのサイトでかなり入手できるケースも増えているため個々の作曲家の楽譜情報を省いたことと合わせ、お見知り置き頂きたい。

この直近のコンサートでは、ともにハープを主役に企画した。クラシックの楽器というとまずあの巨大なグランド・ピアノがイメージされよう。だがダヴィデの竪琴として聖書にも記され、ギリシャ神話では突出した主人公であるオルフェーオなど、男性高位者の持ち物[紋章]として名高いハープこそ、はるかに歴史は長く、重要性も高い。現今ではもっぱら女性が奏でる楽器と誤解されているが、実際、シュポア、ライネッケ、サーベルなど、作曲も演奏も、近代にいたるまで、実際にかかわったのは、ご多聞に漏れず男性が多かったのだ。
ところが宮廷やサロンなど女性性が色濃いフランス宮廷で花形となり、かつ歌が主導するオペラで重用される場合が多いハープは、交響曲やソナタなど抽象的な器楽曲で音楽の覇権を握ったドイツでは、プロの音楽家にとってやりがいのない楽器とみなされ敬遠されていく。曲線豊かで豪華な装飾も、黒一色でいかつい感じのピアノやオーケストラとはまさに対照的だ。決定的だったのが1871年の普仏戦争でのフランスに対するプロシャ=ドイツ帝国の勝利。これを機に軍国主義が推し進められ、18世紀的な男女協働の貴族性とは全く異なる男性像が固定化し、「西洋近化」として現在をも支配している価値観が不動のものとなったのだ。こうした知見を与えてくれたフライア・ホフマン著『楽器と身体』(1991/2004=邦訳)には、なんと、1973年の言説としてなお「いい大人の男がハープをいじくりまわしていると、女になったと思われかねないようになった」とある!

こうした偏見というか歪曲を一挙に覆す女性作曲家が、矯風会での唯一の主役アンリエット・ルニエ Henriette Reniē(1875-1956)である。ハープの作曲家、演奏家、教育者、伝道者として、これを凌ぐ存在はどうやっても見当たらない(詳細は『ガイドブック』25ページ)。にもかかわらず、現代最高のクラシックについての参考資料『ニューグローヴ国際音楽事典』(1980/2001年日本語版)には彼女の項目がない!まさにこれぞ「見せない/聴かない」の証左・主犯といえよう。
アンリエット・ルニエ(1)(2)
アンリエット・ルニエ Henriette Reniē(1875-1956)

当日のプログラムはルニエのオリジナル曲3つと、歌曲の編曲を1つ、最後は三重奏曲で締めくくった。前座でしかない私の講演に続き、最初の演奏はヴァイオリンとのデュオ『宗教的アンダンテ』。神童と噂された10歳過ぎ頃の作品第一号としても重要だが、世俗的イメージが濃いヴァイオリンをこうした曲目に使うルニエの意図はとても意味深い。編曲の元である『鶯』は、ポリーヌ・ヴィアルド(ガイドブック12ページ)がロシアからフランスに持ち帰り有名になった超絶技巧の歌。フランスの作曲家=演奏者としてルニエと双璧をなすヴィアルドが全ヨーロッパに影響力をふるった背後には、ロシアの文豪ツルゲーネフが終生熱烈なサポートをささげたという、文学と音楽を結ぶ興味深々の事実があったことも知っていただきたく、プログラミングした。一方3分余りの曲中にペダルを300回近くも踏み変えて音程を造らなければならない『小妖精の踊り』は、その技巧に加え、舞曲らしいリズムの敏捷さと幻想性を加味したオリジナルの名作。『黙想』は、夏ごとに逗留した城の礼拝堂で演奏するうちに完成されたルニエのソロ曲初の出版作品だが、その祈りの調べは何とも美しい。
矯風会コンサート(1)
優勝者を出さないこともある超難関の国際コンクールのハープ部門で第3位に輝いたばかりの景山梨乃さんが、期待通りの力量を発揮、楽器についての具体的な説明も皆様に満足感を与えたと思う。何よりうれしかったのは景山さんと同年輩のヴァイオリン伊東真奈さん、チェロ山本直輝さんのお二人がルニエは初体験ながら、作品のすばらしさに共感、一音一音心を込めて私が「難曲」と前宣伝した三重奏を弾き切ってくださったことだった。
矯風会コンサート(2)
革命以後の共和制とともに政教分離政策を徹底する国策に抗い、十字架の首飾りを決して外さなかったというルニエ。その強固な意志にあやかりたく、私も公的にお話しする場ではできるだけ「9条真珠」を身に着けるよう、心がけている。養殖真珠発祥の地伊勢湾の漁者の女性が手持ちの真珠と「9」の字を組み合わせペンダント用に手造りされた「9条真珠」。その存在を私が知ったのは、当日もコンサートに遠路駆けつけてくださった農業ジャーナリストにして地域に根付いた素晴らしい活動を展開されている女性のおかげである。3・11後二度目に訪れた福島の会合で偶然隣り合わせになり、拙編著『女性作曲家列伝』を話題にして下さったことから話が弾んだ。農業者としての立ち位置から、環境に悪いことは極力避ける、との意思に基づき、私同様ケータイも不使用!とのこと、こうした考えをシェアできる方に巡り合えるのは誠にまれなこと、すっかり意気投合して、以後コンサートのお知らせをお送りし続けるうちに、なんとお礼に、件の「9条真珠」を説明書きとともに送ってくださったのだった。
ルニエのみならず多様な女性の音楽を知らしめるために、こうした』素敵な小物も活用して世界中に平和がもたらされるよう、あきらめず頑張っていきたい。

最後にお知らせをひとこと:

「ガイドブック」はそろそろ在庫切れの状態になり、以前お知らせした銀座山野楽器での展示・配布も終了した。残念だが、しかし幸いなことに、NHK会長問題で落合恵子さんを推薦させていただいたご縁から、落合さんの本拠クレヨンハウスにてフリーペーパーとして置いていただける予定になっている。ごく少ない部数ながら、あの素敵な触れ合いの場で、女性や弱者に敏感な方々のお目に留まることができたなら、これ以上の喜びはない。

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