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【NPJ通信・連載記事】メディア傍見/前澤 猛

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メディア傍見47
「知らぬが仏」だったモロッコの旅―景観と治安

2017年3月9日

「カサブランカ」に魅せられて

 ここ数年、私が旅する国は、帰国後にその多くが紛争や災害など、大きな惨事に見舞われています。四川(反日デモ)、エジプト(アラブの春の崩壊)、ネパール(地震)、トルコやパリ(連続テロ)など・・・
 それに懲りずに、2月半ばにモロッコに旅しました。今回は、国際ニュースを見る限り国情はまず平穏で、出発まで旅の安全についてはほとんど気にしませんでした。実際に現地では、空港内や、政府職員、警官などの撮影は禁じられ、幹線道路の所々で検問があり、時には緊張しましたが・・・。
 モロッコを選んだのは、戦後、どっと押し寄せた外国映画の中でもディートリッヒの「モロッコ」(1930年製作)や、イングリッド・バーグマンの「カサブランカ」(1942年製作)に魅せられていたからで、モロッコを訪れるのは、数十年来の念願でした。
写真1           映画「カサブランカ」のラスト・シーン(写真1)
写真2               カサブランカ空港(写真2)

 反ファシズム映画といえる「カサブランカ」のラスト・シーン(写真1)では、反ナチの男(ハンフリー・ボガート)が、かつて愛した女(バーグマン)をプロペラ機に乗せてカサブランカから脱出させ、自分は明日も知れぬ薄もやの空港に残る・・・。
 現在のカサブランカ空港は、モダンなターミナルとジェット大型機の頻繁な離着陸―近代的な大空港でした。しかし、ヤシの樹林など、アフリカらしい風情も残っていました(写真2)。

 
世界遺産の旧市街や自然景観を堪能
今度のモロッコの旅は、わずか(?!)2千キロの回遊でしたが、カスバや牧羊、砂漠や山峡など、歴史、景観すべてが変化に富んだ万華鏡のように多彩な国でした。
写真3                       (写真3)
              <春寒のサハラに灼い(あかい)日の昇る>

写真4                      (写真4)              
                <砂漠抜け峠越ゆればアマンド咲く>

 日の出を目指したサハラ砂漠の一角では、寒冷の暗闇の中、1時間近く砂山に足を取られ、難行苦行しましたが、砂山の頂で迎えた太陽の赤さは、まさに「灼」にふさわしく、目を奪われました(写真3)。
 雪に覆われた山なみは、アフリカの北西部を縦断するアトラス山脈で、最高峰のツブカル山は標高4,167mあります。そうした山なみの手前は深い谷とつづら折りの山岳道路で、ツアーバスは息を飲む2000メートル前後の峠を数回越えました(写真4)。

 
存在するテロの脅威
 実は治安については、不安がる友人もいて、まったく心配しなかったわけではありません。しかし、出発前の調べでは、外務省の危険情報はレベル①(十分注意してください)でした。これは、インド、ラオス、カンボジアなどと同程度です。
しかし、帰国後、モロッコ在日本大使館領事部のHPを開いたところ、以下のような危険情報が載っているのを知りました。

 
犯罪
 「1月22日(日)正午過ぎ、首都のラバト市で、日本人被害者が刃物を持つ二人組に携帯電話を強奪されました(後日、被疑者一人が逮捕され、電話は返還されました)」

 
テロの脅威に関する注意喚起
 「1月27日、モロッコ内務省は、政府関係者、外交団や観光施設に対するテロを計画していたグループの7名を逮捕し、他のメンバーに対する捜査が継続中です。逮捕の際、隠れ家から火器、弾薬や自爆ベルト等が押収されています」
「これまでもISILと関係を有するテログループの摘発が続いています。モロッコからは既に約1,600人が外国人戦闘員としてISILの活動地域に渡航し、同地から帰還した戦闘員がモロッコ国内でテロを実行する脅威が存在しています」

 必ずしも十分安全な地域とは言えなかったのです。「知らぬが仏」。ツーリストとしては満足しましたが、ジャ―ナリストリストとしては失格。事前調査不足のそしりを免れない、とほぞを噛んでいます。

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