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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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築地市場移転問題後の課題

2017年7月5日

私事にわたるが、我が家は、享保4年(1719年)から築地に住んでいた。

いろいろと事情があって昭和40年に横浜の現在地に引っ越したが、私は築地に生まれ二十歳過ぎまで築地に住んでいた。

だから築地と聞くと「世の中にある人と栖(すみか)」の無常を述べる「方丈記」の一節を思いだすほどでもないものの、多少の感慨にひたらないわけでもない。

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ところで現在日本がかかえる憲法改正問題以前の最深刻の課題は、往々にしてマスコミから忘れられがちであるが、「日本の安全保障」と国民の安心に直結している「原発問題」である。

だから、築地市場の移転問題は地方的な問題であると考えて、宅配されてくる新聞の見出しを時々見るだけで、記事の中身をほとんど読んだことがなかった。

しかし、本日「築地 5年後めど再開発 小池氏、豊洲移転を表明」の一面の見出し(朝日新聞朝刊;6月21日)を見て、署名入りの本文(一面と三面)を読んでみた。

ほとんど築地市場関連の記事を読んだことがないので、すでに論じ尽くされていることや、私の誤認があるかもしれないが、以下は、「築地 5年後めどに再開発」の見出しを頼りに思いつくままの元住民の感想である。

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東京都は2001年に移転先を豊洲に決めた、という。

築地市場のどこに問題があったのか。
その問題に、だれがどの時点で気づいたのか。
問題に気づいた時点で、どのような対策をとるべきか、市場関係者全員に公開された議論があったのか。

以上、関係者に意見をお聞きしたいところだ。

一日の乗降客が数十万人の渋谷駅でも、電車と乗降客の流れを止めないで、安全に渋谷再開発の工事が行われているのだから、築地市場の営業活動を維持したままで再開発工事も可能であろうと思うのは、素人の愚見だろうか。

そのような議論の経過を踏まえた上で、
都のどの人物たちが関わって、どのような経過で、2001年に移転先を豊洲に決めたのか。

2008年に深刻な土壌汚染が発覚して、対策を講じることにして2010年、石原慎太郎知事(当時)が豊洲移転を決定、したという。

食の安全は、世界的な、しかも普遍的な人間の生存価値にかかわる課題である。

当時の移転に関わった当事者は、築地市場維持と豊洲新市場との食の安全を基本に比較検討を行ったのか。

築地の土壌の安全性に疑問が発見されていたのなら、それに代わる豊洲の土壌はもっと慎重に安全調査が行われるべきではなかったのか。

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「愛着のある築地に望むのは、ホッとする場外市場の風景を残すこと、晴海通りをはさみ、「聖」の築地本願寺と「俗」の市場があることが貴重。」(同記事;エッセイスト中野翠談)。

私は、五歳頃まで、築地本願寺の中に暮らしていたが、当時はよく進駐軍が見物に訪れてきた。

豊洲市場を「新築地市場」と名付けてはどうかという意見があるようだが、愚論である。
説明するのも馬鹿馬鹿しい。

一定の国家が維持している文化的価値の生成的維持を国政運営の基準と考えれば、小池氏の対策に対して選挙目当てと揶揄する意見もあるが、築地と豊洲にそれぞれの機能を持たせて、

「豊洲、築地を両立させることが最も賢い使い道だ」(小池都知事談)。

同感である。

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そもそも築地市場の移転はほんとうに必要だったのか。

2020年に東京五輪・パラリンピックが予定されている。

世界的にテロが横行しているが、福島の原発問題の根本的処理も未解決のまま、東京の地下に張り巡らされた地下的網は、安全保障上、最も脆弱な施設である。

小池氏に期待したいことは、2020年の東京五輪・パラリンピック後の日本の将来を視野に入れた首都東京の基本的在り方だ。

脱原発を国政の基本にすえて、東京一極集中のグローバリズムを脱却して、新日本の将来を考えてほしいと思う。

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