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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第86回「野生生物保全の観点から見た資源開発と国際支援」

2017年9月26日

※本稿は、“2015年度愛知県立大学公開講座 環境と資源から見る国際社会: 21世紀の世界と日本”をもとにして刊行された「愛知県立大学多文化共生研究所『共生の文化研究』(第10 号 pp.27-30)」に掲載された記事「野生生物保全の観点から見た資源開発と国際支援」より転載し、執筆者が一部加筆・修正したものです。

 

▼環境保全と野生生物保全

 まず「環境」あるいは、「保全」ということばを簡単に整理、再考・再検討し、注意を喚起しておきたい。

 昨今、地球のあらゆる場所で、人間による環境破壊の問題が問われている。それへの反省として、「環境保護」あるいは「環境保全」の危急性が謳われている。しかし、多くの人々にとって、それが具体的に何を指すのか、何をするべきなのか漠然としているのが実際であろう。それは、「環境」ということば自体がまず曖昧であり、「保護」と「保全」ということばもその意味の相違も明確にならないまま独り歩きしているのが現実であると思われる。その延長上でいえば、「環境教育」というのも定義は一様でないで想像できる。

 ここで「環境」ということばに対する辞書的な定義の議論は避けたいが、まず、「環境保護」あるいは「環境保全」、つまり「環境破壊」を逓減するということは、具体的に何を指しているのかと問いたい。それは、たとえば、適切なごみ処理、大気汚染の防止、反原発、気象変動の緩和、風光明媚の土地の維持、あるいは動物保護なのであろうか。場合によっては、動物保護がすなわち環境保護だと勘違いされていることもある。また、動物保護といった場合、ペットのような愛玩動物を守ることから、傷ついた野生動物を保護し野生に帰すまで人間の手元で動物を守ることまで、解釈は広く、曖昧である。しかし実際には、そうしたペットや獣医のような仕事とは全く無縁の形で、野生動物を守ろうとする方途もある。

 ここで、ひとつ明確にしておかなければならないことがある。微妙なニュアンスではあるが、「保護」と「保全」ということばには違いがある。いずれも、外来語を日本語に当て直した単語であろうと思われるが、「保護」という単語には、「回避できない事態から守る」(たとえばエイズから身を守る)あるいは「強い動機で有無を言わさず守る」(たとえば母性本能で母が子を守る)といった意味が強い。これに対し、「保全」という単語は、「守る」には違いないが、環境や野生生物に関するときは人間の諸活動をも含めた上で何かを保守するという意味が生じる。

 これを前提にして、生き物を中心に、「保全」ということばを使って小さなスケールから大きなものまで網羅すると、(生き物の)個体の保全、生物の種の保全、生態系(生物の種を構成するネットワーク全体)の保全、地域(生態系とその周辺部すべてを含む土地での)保全、環境保全、そして、地球環境保全となる。「野生生物保全」というのは、このスケールの中では、「生態系保全」に相当する。無機質の総体の中で生きる動物だけでなく、すべてのいのち(植物も昆虫もカビも微生物も含む)をセットとして保守することにほかならない。しかし、人間の諸活動を考慮に入れるという条件が付く。

▼アフリカ中央部熱帯林地域における資源開発とインフラ整備

 アフリカは天然資源が豊富なことから、石油や鉱物、木材といった天然資源を 諸外国へ輸出することで、近年経済開発を進めてきている。そうした天然資源を目当てに、日本を含む多くの先進国がアフリカに投資している。ほとんどの天然資源開発業は外資系企業であるのが実態である。それは、技術や投資に乏しい多くのアフリカ諸国にとっては逆に恵みであり、採集された天然資源の量に応じて税金をかけることで、国家財政を形成している。政情も安定しておらず経済発展が進んでいない多くのアフリカ中央部諸国においては、特にそうした傾向がある。

 熱帯林にその多くが覆われているアフリカ中央部諸国の主要な天然資源開発業は、熱帯材目的の森林伐採である。その熱帯材の需要は、欧米・日本などの先進国に由来し、昨今では経済発展の著しい新興国からもその需要は高まっている。日本がラワンなど東南アジアの熱帯材に高い需要があったことは知られているが、近年の資料では日本もアフリカの熱帯材を輸入している世界のトップクラスの国であることが示されている。アフリカの熱帯林に出入りしている日本の伐採企業は存在していないが、国際市場に出回った後、日本は買い付け、日本の消費者はそれを購入しているのである。

 熱帯の樹木が開発されることは環境や野生生物に対し、どのような影響を及ぼすのであろうか。直径が数mにも及ぶ樹木が切り倒されることにより、その周辺一帯の森林は明らかに元の状態が崩れる。そうした巨木が次々と伐採されることで、その熱帯林一帯がダメージを受ける。それにより、元来の熱帯林を構成している野生の生き物とそのネットワーク、つまり地球上の財産である豊かな生物多様性がその地域で消滅するのである。また「地球の肺」と呼ばれる緑豊かな原生林を失うことで、地球気象変動も加速され得るのである。

 さらに、切り出した熱帯材を運び出すために、それまで徒歩でしかアクセスできなかった密林地帯に、大型トラックが通れる道路が作られる。それは、これまで簡単には近づけなかった森の奥深いところまで人の出入りを容易にし、熱帯材開発が起こるまでその地域では起こり得なかった過剰な野生動物の殺害を可能にしたのである。それにより、食用としてのブッシュミートを目的とした商業レベルの違法狩猟や、象牙を目的としたマルミミゾウの密猟などが助長される結果になったのである。マルミミゾウは糞を通した種子散布により、次世代の植物の芽生えと成長を確実なものにするという、熱帯林生態系維持の中で多大な役割を演じているため、現在も進行中であるその頭数の劇的な激減は熱帯林そのものの将来を危ういものとする。

 結果的に熱帯林という森林だけでなく、それを構成する生物多様性までが損なわれるのである。昨年西アフリカで騒がれたエボラ・ウイルスも、熱帯林喪失による生態系の崩壊の中から顕現してきたものであるという説が有力となっている。熱帯林の生物多様性の崩壊は、エボラ・ウイルスという形で、人間にしっぺ返しを始めているのかもしれない。

 一方、こうしたアフリカ中央部熱帯林諸国では、インフラ整備の進展が急速に高まっている。それは、近代建築に始まり、空港、舗装道路や橋、水力発電のためのダム建設など多岐にわたる。いずれの国にとっても国力と経済の発展のためには必要不可欠な事業ではあるが、問題はその開発に伴う周囲の自然環境、すなわち熱帯林の保全に目を向けていない点である。

 たとえば、大概の建造物は周囲の環境配慮なしで進められる。ダム開発では、予想される森林の水没地域やその広さやダメージについての予備アセスメントがされない(写真330)。すでに述べたように、道路や橋などの建築によるアクセスの改善は野生生物への脅威を拡大する。問題は、そうした自然界や野生生物への危機的影響を考慮しないまま経済指向の開発が進む点にある。場合によっては、地域住民の伝統的暮らしや土地すら配慮しないケースもある。
    写真330:適切な環境アセスメントなしで進められたダム建設予定地©西原智昭

 
▼国際貢献の落とし穴~地球上の野生生物保全は為し得るのか

 とはいえ、国家としての経済振興の必要性を無視することはできない。それは、人間の安全保障問題とも関わってくるからである。経済の振興は、経済的貧困や食料不足の是正、保健・衛生の改善、平和維持などの分野に、必要不可欠な要素の一つである。アフリカの多くの途上国では、そうした人間の安全保障の課題が累積されており、世界各国から政府レベルの国際援助や、主に先進国に足場を置くNGOの活動による国際支援などが盛んである。アフリカ中央部熱帯林地域の国々もその例外ではない。

 たとえば、食料貧困対策の一環として、大々的な農地開発が挙げられる。留意すべきは、熱帯林地域の農地開発では大方の場合、熱帯林を開発することにより実施される。それは、自然環境破壊に直接つながることである。また焼畑農耕が通常であるため、その火入れ作業が不可欠である。それは、炭素ガスの排出を増進し気象変動をさらに進行させかねない。又、蛋白源供給改善は必須である。家畜事業が十全でないため、熱帯林地方の地域住民の多くは野生動物、つまりブッシュミートに頼る。昨今のブッシュミートの過剰なビジネスは生物多様性保全にも危機をもたらしかねない。しかしその一方で、大々的に家畜業を展開することも、熱帯林の場合はその自然環境を切り開いての事業になりかねないので注意が必要である。

 一方、経済的貧困の改善策の一つとして、自然資源開発やインフラ事業などを拡大し地域住民の雇用を拡大する。すでにこれまで述べてきたように、自然資源開発やインフラ事業では、自然環境や野生生物の保全を顧みない事業が後を絶たないのが現状である。

 このことは、国際支援と称する事業が環境保全と相反する可能性があることを示唆している。こうしたジレンマの中で、われわれ人類は一体どこに向かっているのであろうかと問わざるを得ない。むしろ、もっと根源的な問題に目を向けるべきではないのか。
 保健医療の充実も、医療設備や技術の行き届いていないアフリカの多くの地域では、人間の尊い命を救う国際貢献の事業の一環として重要であるのは疑いの余地がない。しかし、その結果生じるであろう人口の更なる増大に対応し得る食糧対策や経済貧困対策は事前に打ち出しているのであろうか。あるいは、必要に迫られ、結果的に環境配慮や野生生物を無視した形での国際人道支援となってはいないであろうか。

 近代教育も然りである。政府レベル・NGOレベルで、アフリカの途上国に向けた教育関係の国際貢献事業は少なくない。識字率の向上、人材の育成など、目的はさまざまである。しかし、それも、どの民族にも適用するような画一的な支援事業であってはならない。

 アフリカ中央部熱帯林地域の場合、森の中での知識や技能を活かし暮らしてきた森の先住民が存在する。彼らの生活様式は、代々を通じて長大な歴史の中で伝承されてきた。しかしながら、今や近代教育普及の名のもと、こうした先住民の子供たちも、半強制的に学校へ通わされることが多い。その結果、かつてのように、子が親から森の中で、その伝統的知識や技能を培う時間が大幅に激減してきているのである。これは彼ら先住民の文化が崩壊するという事態だけではなく、先住民の知識と技能を必要とする森のガイドがあってこそ可能となる熱帯林の野生生物保全活動すら将来危ぶまれることを意味する。熱帯林や野生生物のことを知るための調査研究としてのガイド、密猟者など違法な人間を排除するためのパトロール活動の中でのガイド、さらには、ツーリズムの中でのガイドとして、森の知識と技能を持った彼らの存在は必要不可欠なのである。

 その一方で、「人道支援」という事業のもと、こうした先住民の権利を守るべきだといった人権団体のあり方も問われよう。それは、先進国主導型の押しつけになる可能性もあり、先住民自身が望むところのこれからの未来のあり方を無視しかねないからである。ここにも、国際支援の落とし穴はある。

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