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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第61回 大急ぎのお知らせと、思い余ってのお伺い

2017年10月24日

☆3か月近くも更新を怠りながら、いつものように間際になっての女性作曲家絡みの企画を、大急ぎでお知らせさせていただきたい。なにとぞおゆるしください!
まずは以下、各所に送信済みの趣旨書をほぼそのまま、そしてチラシを再掲させていただく。
日時:2017年10月28日(土);10時より12時まで(開場は(9時30分)
場所:東京ウイメンズプラザ・ホール
   (表参道B2出口より、青山通りを渋谷方面に徒歩6分、国連大学の裏)
申し込み:unknownmusic@view.ocn.ne.jp
     事前申し込み制ですが当日も受けつけます。どうぞお出掛けください。
問い合わせ:知られざる女性作曲家&小林緑カンパニー
     03-3331-4010(TEL):03-3331-4478(FAX)
資料代:500円

 企画の趣旨: 2015年と2016年、東京都の最も重要な女性施設というべきウイメンズ・プラザ恒例のフォーラムにて、二年続けて女性作曲家を主題に、レクチャーコンサートを実施できました。二回で合計7人の女性作曲家(日本の吉田隆子を含む)を実演でご紹介しましたが、おかげさまで、“毎年この企画を続けてほしい”など、うれしい反応をいくつもいただいております。
 それにしても、「女に作曲はできない」という妄言は、一体どこから出てきたのでしょうか。それを知りたくて、試行錯誤してきた私ですが、結局、今もって明確な結論ないし解答らしきものに出会えていません。
 そこで今回は、音楽に限らず広く女性問題も視野に入れて、女性作曲家がかくまで無視されてしまう理由を、率直に、それだけに無知も丸出しのまま、あれこれ考えながらお話しすることとしました。したがって演奏家によるライヴのコンサートはありません。この点お許しください。
 過去二回は、演奏優先を心掛けたために、私自身の発言は最小限にとどめてきましたが、今年はこれまでに実施した女性作曲家の記録用CDやDVDをお聴きいただきつつ、参加者の皆様にも自由に感じられたことや気付かれたことをお話しいただくことにしました。
 当日は私家版として編成した『女性作曲家ガイドブック2016』を、全員にお配りしますので、それも有効にご活用ください。そして、どうぞ揮ってご発言をお願い致します。 
 初めて女性を知事に迎えての今年のウイメンズ・フォーラム。為政者が喧伝する“女性活躍の時代”を実効あるものとするために、ともに頑張りましょう!
                           
                              2017年10月15日  小林緑
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 10月半ばというのに真冬並みに近い寒さ、おまけに大手メディアに氾濫する選挙予報に、数日来凍り付くような気分に陥っているが、上記コンサートはその選挙結果がすでに出た後。
 おこがましいけれど、気分転換の一助にお出かけければ…と願うものである。

 ついでながら、11月23日(祝日・木)午後、杉並区の男女共同参画都市宣言20周年制定記念の一環として、女性作曲家をめぐる企画を担当した。そのチラシも載せていただく[図版2:11・23レクチャーコンサート]。  あっさりと『ピアノ・コンサート』と題しているが、実は一般的な4手にくわえ、珍しい3手、そして8手による連弾も加えたプログラミングだ。その狙いは、一人が屹立するソロ・リサイタルではなく、複数の女性たちが協調/共働する、融和的な社会の実現を、クラシック音楽を介して眺望する、というところにある。ただしこれは基本的に杉並区在住者が対象である点、お断りしておかなければならない。

☆さて「思い余ってのお伺い」とは、実は不在者投票ないし期日前投票に関することである。
 私の実母が101歳6か月、5年ほど前から近隣のケアハウスに入居しており、かなり気分や記憶の乱高下はあるものの、昨年までは、家族の付き添いの下、選挙公報の該当箇所を指さしながら、何とかハウス内での期日前投票を果たしてきた。ちなみに、これまで一度も棄権歴なし、が母の密かな誇りでもあったのだ。
 しかるに去る7月の都議選では、その期日前投票が何とも奇妙な形で行われてしまった。いつまでも連絡がないので、私が投票日直前になってやきもきしながらケアハウスに電話すると、あっけらかんと「もう終わりました」というではないか!今や眼もほとんど見えない母が自分で選挙公報から意中の候補者を選び出すことなど、できるはずもないのに…驚き呆れて、施設責任者とケアマネに怒りをぶちまけると、なんと「それでは施行済みの投票用紙は破棄し、再投票を行うから付き添ってほしい」。そんなことあり?と半信半疑のまま、しかし私の立会いの下でやり直しができるのならその方がましか…と自分に言い聞かせてその“再投票”を終えた。
 だがどう考えてもこれは合点がいかない…思い余って知人の区議経験者に顛末を語ると、やはり、それは大問題、せめて事象として公に伝えておかなければいけない、と一致。二人で区の選管担当者に、ついでその担当者のアドヴァイスに従って警察にも、事情を説明したのだが、両者とも、今からどうすることもできないが、ともかく事実関係を記録しておく、ということで、この件、打ち切りとなってしまった。当然ながら?選挙人つまり私の母の名前も、ケアハウスの名前も伏せたままである。

 そして目前に迫った衆院選。さきの都議選で私が釈然としないまま睨みを利かせていた効果であろう、余裕を持ったタイミングでケアハウスから期日前投票の所内実施日時案内の電話があった。私の付き添いの下、今回もあの”再投票”と同じく、母は車椅子で居室から仮設投票所に様変わりした交流室へ移動。立ち会う5人のスタッフの中から指定された代筆者によって、予め居室で母の一貫した反権思想を組んで私が印をつけた選挙区候補者名・比例区の党・最高裁裁判官の可否、が記されるさまを私が確認。ついで同じ代筆者によって、封筒に母の名前すなわち投票者名が記され、その封筒が施設長の持つ投票箱に投じられた…ここまでが私の見届けられたプロセスであった。あとは施設長がその投票箱を金庫に保管して、投票日の前日あるいは前々日に区役所に自ら運搬する、という取り決めなのだが、そこまでこちらが監視できるわけではない。スタッフの誠意・良心を信じるはかない。
 それにしてもこの問題、高齢者、障害のある方などが増える一方の将来にわたって、実に重大な要素を幾重にも孕んでいるではないか。何より自分で記入できない選挙権保持者が、頼りとする肉親やヘルパーに代筆してもらえず、選管スタッフに委ねるほかないとは、あまりに理不尽だ。
 現実に、自分の意志を見ず知らずの代筆者に打ち明けなければならぬくらいなら、投票は断念せざるを得ない、とした男性の例が、東京新聞に載っていた(2017/10/19 朝刊31面)。同紙は先立つ10月初めにも、「届かぬ声」と題し、3回連続で、置き去りにされる有権者の問題をしっかり調査報道している。同紙で人気の「本音のコラム」執筆者おひとりが、通りがかった選挙カーに自分が応援している候補者を見つけ、介助している相手に「あの方、いいですよ」と耳打ちしたくなるのをぐっとこらえたとか、体力に自信がないので投票に行けそうもない、と嘆く患者さんを、看護師であるのを幸い、期日前投票に連れて行ってあげたいとか…介助や看護の立場を利用しての選挙応援はもちろん厳禁だが、しかしこの大前提を簡単に破ってしまう同業者もいるらしい。投票所への送迎など、いともたやすく、しかもそれは善意なのだから、と信じ切っている…自分には絶対できない芸当だ、とはまさに本音であろう (2017年7月3日)。
 前回の都議選と今回の総選挙で、実母が絡んだおかげ?をもって、初めて問題の所在に気付いた私だが、母の場合はケアハウスのスタッフから、ご家族がこのように付き添っていただけたから、こちらも助かりました、と言われ、よかったぁ、と安堵するとともに、子供のいない私たち夫婦のような場合は、これからどうなるのか…にわかに恐ろしくなってしまった次第である。読者の皆様の周囲でも、このような事態に直面された方も多かろう。どのよう対処されたか、是非とも伺いたい。そして今後の大きな課題として、身近なところでも、率直な意見交換を自由に行えるような雰囲気になってほしいと、心より願っている。

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