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【NPJ通信・連載記事】メディア傍見/前澤 猛

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「坂の上の雲」 と 「真珠湾収容所の捕虜たち」

2014年5月7日

前号の拙稿 「白鳥事件」 で作家の故佐野洋さんのお人柄と慧眼に触れたところ、ジャーナリストの友人から次の感想を貰った。
「前澤さんは立派な先輩にも恵まれていたようですね」
確かに、私は新聞社内で素晴らしい多くの先輩、同僚に恵まれていた。 会社のトップから筆を折らされたことも何回かあったが、直接の上司は何時も私を励まし、自由に記事や論説を書かせてくれた。 退社後もそうした人々に囲まれて、ジャーナリズムに専心できた。文字通りの 「有り難い」 ことだ。

司馬遼太郎の遺言
友人は更に続けた。
「私たちの先輩といったら司馬遼太郎ですかね。作家としては間違いなく第一級に違いないのですが、歴史の認識者としては、 “?” の部分が多かったです。もっとも、彼自身は 『坂の上の雲』 などについては吟味のし直しを感じていたようですが。 その前にこの世を去り、未完に終わったのは残念です」
「私は 『街道をゆく』 (『週刊朝日』 長期連載。43回。1971~1996)にかなり目を通していましたが、<あ、司馬さんは “見方” を変えたな>と感じました。 この紀行文集を読むと、次の長編に備えた習作だったのか、あるいは人生をしめくくる 『遺言』 めいたものだったのか、余人にはうかがいしれませんが」
日本の政治家には、「坂の上…」 を愛読書に挙げる人が多い。そこから、「国威発揚」 や 「滅私奉公」 の思想を汲み取っているようだ。 しかし、同書は日本の近代化の過程を舞台としている。その後の 「八紘一宇」 の発想や植民地政策鼓舞の軍国主義を無視したら、 司馬遼太郎も眉をひそめるだろう。

司馬遼太郎没後10年シンポジウム(2006年5月)で、真野響子は、こう語っている。
「司馬さんの作品は、読むたびに得るものが違います。日本の侵略戦争について…考えながら 「坂の上の雲」 を読んでいくと、 あの時代のことがよく見えてきます。日本が、あの戦争から間違ってしまったということがよく分かってきます。 これは学校では絶対に教えてくれませんでした」(朝日新聞 2006年5月4日)

上記の友人の記憶に惹かれて 「街道をゆく」 のページを繰ると、以下の文言が浮かび上がってくる。
① 「他国を自国領にする営みは、基本的におろかしい」 (「同書40―台湾紀行」 朝日文庫。1994年刊。P.133。 児玉源太郎、後藤新平の台湾行政に関連して)
② 「私は、ほかの国を植民地にするのは、何よりも他民族の自尊心という背骨をくだくことで、国家悪の最たるものだと思っています」 (同。P.415。李登輝総統との対談)
中国紀行では、より直截に日本の誤りを衝いている。
③ 「侵略した、ということは、事実なのである。その事実を受け容(い)れるだけの精神的あるいは倫理的体力を後代の日本人は持つべきで、 もし、後代の日本人が言葉のすりかえを教えられることによって事実に目を昏(くら)まされ、 諸事、事実をそういう知的視力でしか見られないような人間があふれるようになれぱ、日本社会はつかのまに衰弱してしまう」 (「20―中国・蜀と雲南のみち」 朝日文庫。1983年刊。P.296。)
ここまで書いて、次の共同通信の速報を見た。

靖国合祀、二審も原告敗訴 韓国人遺族の控訴棄却
旧日本軍に徴用され戦死した韓国人9人の遺族と、生存する男性(88)が、靖国神社に無断で合祀されたとして、 国と神社を相手に合祀取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁(坂井満裁判長)は23日、原告全面敗訴の一審判決を支持し、 遺族側の控訴を棄却した。
判決は一審判決の内容をほぼ踏襲した上で、「原告は神社の宗教的行為で感情を害されたことを問題にしているが、 他者の信教の自由には寛容であることが求められる」 と指摘した。(2013/10/23 14:38 共同通信)

(24日の各紙朝刊も小さく報じたが、見る限り、産経と読売には見当たらなかった。 これまでも同種の請求訴訟が相次いで棄却されているから、メディアにとっての新規性に乏しい、という判断が働いているのだろう)

高裁判決の前日にも、靖国神社に合祀された韓国人の遺族27人が、同様の訴訟を東京地裁に起こしている。 原告の1人は 「兄は日本人でもないのに強制的に徴用され、犠牲になった。合祀対象者から外して欲しい」 と語った。
司法判断には現行法規に依るという限界があることを、ある程度認めざるを得ない。 しかし、先の戦争を中心とする日本の軍国主義がもたらした過誤と惨禍とを直視したとき、 犠牲者(内外の戦病死者)も戦犯も一緒に合祀している靖国神社のあり方は、政治的あるいは道義的に、もっと深刻にとらえられるべきではないのか。

「毅然」 とした戦前回帰的外交
ときあたかも19日から始まった靖国神社の秋季例大祭に当たって、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」 の百数十人が参拝した。 中には閣僚の新藤義孝総務相、古屋圭司拉致問題相、そして外務副大臣の岸信夫も含まれている。そして、彼らは口々にいっている。
「外交上の問題になるとはまったく考えていない」(新藤総務相)
「日本人として参拝することは当然と思っている。近隣諸国を刺激しようなどという意図はまったくない」(古屋拉致問題相)
「(外交に与える影響について)あるとは思っていない」(岸外務副大臣)
さらに高市早苗・自民党政調会長は、「毅然(きぜん)と、みんなで自然に参拝を続けることが、外交問題にしない唯一の道だ」 と挑戦的でさえある。
外交とは何か。
「外国との交渉・交際。国家相互の関係」(大辞泉)
「外国との交際。国際間の事柄を交渉で処理すること」(広辞苑)
政治家がただ 「毅然」 と自我、自説を通すばかりで、近隣諸国との親善外交が進展するだろうか。

朝日新聞の社説は 「戦後は宗教法人として再出発したが、A級戦犯14人を合祀したことで、戦争責任の否定につながる政治性を帯びた。 指導者が詣でれば、政教分離の原則に反する疑いが生じるとともに、靖国神社の歴史観を肯定したと受け取られる」(10月19日)と書いている。
読売新聞の社説は 「戦没者をどう追悼するかは、国内問題であり、他国から干渉される筋合いではない」 としながらも、 「だが、外交問題化している以上、首相の判断(秋季例大祭中の参拝を見送り、神前へ真榊(まさかき)を奉納するにとどめた)は妥当だろう」 「戦没者の慰霊をどう考えるかは、日本国内にも様々な意見がある。戦争指導者への批判も根強い。 だれもが、わだかまりなく戦没者を追悼できる国立施設の建立について議論を深めるべきだ」(同21日)と述べている。
(産経は 「首相は参拝すべきだ」 と論じている)

犠牲となった将兵の心は?
軍国主義のもたらした国内外の惨禍、そして、それに加担させられた形で戦没した日本将兵が、いまの靖国神社をどのように見るだろうか。 また、太平洋戦争の真実を知ったとき、将兵はどのように苦悩し、何を思うだろうか。
「英霊を尊崇する」 ならば、東条英機ら 「戦争指導者」(読売社説)と合祀される英霊の無念にどう答えるべきなのか。 それを知るためには、政治家に 「坂の上の雲」 と共に、「真珠湾収容所の捕虜たち」(筑摩文芸文庫。2013年7月刊)を紐解くよう勧めたい。 必ず答えが見つかるはずだ。
友人も賛同する― 「『坂の上…』 と 『真珠湾…』 を今、取り上げるのは絶好のタイミングだと私も賛成です。この二つの組み合わせも絶妙です。 私もいっぺんとりあげたいと思いながら果たせずにおりました」
「真珠湾…」 は、太平洋をまたぐ戦中派の友人数人が、著者の遺族と共に、1年がかりで復刻出版に取り組んだ本で、幸いに好評のようだ。 同書にまつわるエピソードは後日に譲り、今回は以下の豆解説の紹介に止める。

オーテス・ケーリ著
「真珠湾収容所の捕虜たち
―情報将校の見た日本軍と敗戦日本」

著者(1921~2006)は小樽で生まれ、生涯の大半を日本で送った。戦後、日本国際文化会館の設立に貢献し、同志社大学の名物教授だった。 28歳のときに巧みな日本語で書いた 「日本の若い者」(1950年、日比谷出版社刊)は、「戦後日本を震撼させた幻の名著」(半藤一利氏)で、 長く埋もれていたが、筑摩書房から新しい書名で復刻出版された。 戦時中は日本人捕虜を 「平等の人間」 として処遇し、戦後は日本の民主化に奮闘した著者の貴重な記録。 前澤猛の解説 「戦前回帰への警鐘」 を収載。(「メディア展望」 2013年9月号)

(2013年10月26日記)

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