【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照
憲法改正と「天皇制」
平成28年8月8日、宮内庁は、
「戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。」
という言葉から始まる
「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」
を11分ほどのビデオで公開した。
そして平成30年を迎えた。
今年は様々な意味において、日本という国の在り方と、その将来の方向性が改めて問われる年だろう。
様々な意味とは、今上天皇の譲位であり、さらに安倍晋三首相が憲法の「あるべき姿を国民に提示し、憲法改正に向けた議論を深める」ことである。
ちなみに、退位といえば極端な場合は天皇の伝統の廃棄・断絶もありうるが、譲位であれば、退位の過程を含んで、しかも地位の継続性が担保されている。
数の上では、現在の自民党政権は安定しているから「憲法改正に向けた議論」が具体的に加速化される可能性を否定できない。
しかし、現在は世界的に、終戦時にはまったく想像だにできなかったような、予測のつかない価値観と様々な支配情念が渾沌と顕在化した状況にある。
国民生活の安定につながる政権の安定自体は原則的に悪い事ではない。
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現政権の安定を陰に陽に支えているのは、
国政上は、まず烏合の衆のごとき野党勢力だ。
さらに、
1)あたかも戦略的につくられたかのような米朝の対立の中で北朝鮮のミサイル発射による脅威環境 ①、
2)政治・経済・軍事上の影響力を、「ランドパワー」と「シーパワー」の両面において世界的に拡大している中国にかかわる脅威論、
3)それらの脅威と呼応するかのように育成されている、様々な思惑と地位にある政治家・官僚・知識人らの間にある「核の傘」下にある対米依存の心理、
以上の要素が綯(な)い交ぜになったような状況が、公明党を抱え込んだ自民党政権の現状の安定を支え、同時に憲法の、特に第九条の改変にはずみをつけている。
そしてアメリカ権力の中枢的勢力は、太平洋を超えた彼方にある日本列島に120 余箇所に及ぶ在日米軍施設を “不沈空母” の前線基地のごとくに配備して、分断された朝鮮半島と、それに隣接する中国とロシアを遠望している。
しかも、アメリカ合衆国の政体の内部に、これまでアカデミズムの国際政治学では論じることを憚られてきた「深層政府 ( the Deep State )」のグローバルな活動が最近顕著に浮かび上がってきている。②
かくて東アジア全体は分断化され、分断されたそれぞれの国家体制内部にさらなる分断化が進行している。
いわば「重層化された分断統治」の内部にある日本が “自立した国家” を目指すために憲法改正をするのだという。
このような世界の覇権的構造のなかに組み込まれている日本が、文明的な視座をもって百年後のさらに先の日本を構想せずに拙速に憲法改定をすれば、取り返しのつかない改悪になる可能性もある。
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憲法改正となれば国民投票があるが、いったい国民の何割が憲法を通読しているのだろうか。
国民投票に参加する圧倒的多数の有権者は、法学部の学生でもなければ、ましてや憲法の専門家でもない。
数年前に有権者の年齢が18歳に引き下げられる動きを聞いた時、いわゆる護憲派がどのような反応をしたのか記憶にない。
が、私には、情報操作しやすいネット世代の若年層を有権者に組み入れる意図が感じられた。
ちなみに、日本の人口減少に関連して移民の是非の論議があるが、憲法を論じる場合、外国人の日本国籍取得の事案も考慮すべきである。
外国人が日本人となるためには法的な通過儀礼として日本国憲法を遵守しなくてはならないからだ。
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現行憲法について、改正論議の中心でありかつ最重要な条項の筆頭は、特に第一章と第九条にかかわる事項であると思う。
自民党政権の憲法改正の動きに呼応して、それを批判する勢力が特に取上げるのは九条のようであるが、私見によれば天皇は日本の歴史全体にかかわっている歴史的実態としての伝統であるから、第一条「天皇」は 第九条よりも最重要の条項である。
九条が改正の本丸で最重要の条項と考えてしまうと、可能性の高い再度の改正の先の含意が見えなくなってしまう。
いわゆる護憲派の一部は、天皇に批判的で九条堅持を主張しているが、では「天皇」についていかなる認識をもっているのだろうか。
天皇に批判的であれば、憲法改正に同意しなければならないことになる。
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憲法の「天皇」について論じる前に「天皇制」という用語について注意しておかねばならない。
『文化象徴天皇への変革』( 村岡到) に「天皇制」の用語についてのまとまった解説があるのですこし長いが引用させていただく。③ (pp. 17, 18)
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・・・明治維新以前の日本史に「天皇制」が存在したかに思うのは、まったくの虚偽である「万世一系」宣伝に災いされたものである。・・・
「天皇制」について、菅孝之氏は、山辺健太郎を引いて明らかにしている。
「日本の君主制のことを『天皇制』ということばで現わしたのは、[ 日本共産党の ] 一九三一年の政治テーゼ草案からであって、それまでは『君主制の廃止』といっていた」(二八頁)。
針生誠吉氏は、「天皇制という社会科学上の用語は、一九三◯年当時、戦争に向かいつつある日本の国家権力、明治憲法体制の特質は何かという問題の実践的解明のなかから生まれた用語である。… 明治憲法体制下の権力の特殊な構造を示すものとして使われるようになったのである」と書いている(一五頁)。
つまり、その実態を批判的・否定的に捉える立場から、対象をより明確にして人びとの共通認識を拡げるために案出されたのである。社会科学における術語にはこのような創語が少なくない。
従って、どこに重点をおいて対象を捉えるかに応じて、同じ「天皇制」の語を用いてもその意味はさまざまとなる。・・・「絶対主義的天皇制」を初めとして、「天皇制ファシズム」「神権天皇制」「近代天皇制」「天皇制ボナパルチズム」「現代天皇制」「戦後天皇制」「国民主権象徴天皇制」「天皇制民主主義」などがある。「天皇制社会主義」すらあった。・・・
一八六八年の明治維新によって天皇制が成立した・・・(以上、引用)
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つまり「天皇制」とは、現実の「天皇」や「皇室」が具体的に意味する実態とかけ離れた、様々な論者の意向を反映した極度にあいまいで観念的な概念である。
だから「 一八六八年の明治維新によって天皇制が成立した」のは、ある面正しく、しかし実体的にはまったく実証できない。
ところで、いまでも一部の知識人がよく引用する丸山眞男は「天皇制」について次のように述べている。
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「私(丸山)は天皇制が日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしているという帰結に、ようやく到達したのである。」(「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」1989;『丸山眞男集第十五巻』岩波書店)
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ここで「日本人」とは、日本国民全員なのだろうか。
いつの時代からの「日本人」なのか。
「自由な人格形成」とはいかなることか。
「自らの責任を負う人間の形成」とは、どういう意味なのか。
「天皇制」をもたないどの国の国民が「自らの責任を負う人間の形成」をしているのだろうか。
いったい丸山の言う「天皇制」は、どの時期に、いかなる人物(たち)が、いかなる思想をめぐらして、いかなる制度設計をして日本に具体的に普及させて日本人の「致命的障害をなしている」というのだろうか。
「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」(1989)の中の文章だから普通の読者の立場で読めば、「天皇制」の中核にある昭和天皇が「日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしている」ということなのだろう
かつて「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号)を読んだが、大仰な観念的なタイトルの下に書かれている内容の、どこに論理やら心理が実証的に論述してあるのか、自分にはよくわからなかった。
批判精神の普遍性を是認するなら、丸山眞男の批判精神は、世界中の資源を漁り植民地を拡大していった大英帝国の国王たちと国民の責任について、いかなる批評をするのだろうか。
丸山も被害者の一人であったはずの大日本帝国の軍部の責任、関東軍の所業における責任も、すべて「天皇制」に帰結されるのだろうか。
その後「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」の内容を改めた著者の文章があれば指摘をうけて訂正したい。
ところで丸山の先輩であった南原繁東京大学総長は1946年4月29日の天長節の式典において今上天皇の戦争責任に言及していた。③(p. 42)
そこで南原は、陛下には「政治的責任」はなくても「道義的・精神的責任」があると発言。
「道義的・精神的責任」の意味の吟味が必要だが、それは措いて、精神的に責任をいかに感じ、いかに認識するかどうかは個人の内面に関わる問題である。
昭和天皇は余人には想像もつかない重責を感じていたに相違ないと拝察する。
しかし「道義的・精神的責任」が、結果としてのなんらかの政治的行動、たとえば退位を果たさなければならないとすれば、具体的政治的責任よりも過酷な責任である。
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西欧の知性が、ギリシャ哲学とユダヤキリスト教の宗教的情念を取り込んだローマ文明の内部で育成されたのと同様、徳川期の末期にいたるまで日本の知識人たちはすべて、儒教・老荘思想・仏教を内包した漢文に表現された中華文明思想の余慶のなかで育てられた。
しかし、維新の国家経営にかかわった人物たちは、有史以来はじめて中華文明とは異質の西欧の政治・文化に急激に対処しなければならなかった。
彼らは、英独仏の言語に習熟していたわけでもなく、政教一体の西欧の情念への深い理解があったわけでもなく、世界中に侵攻して植民地を作り上げて行った西欧列強の苛烈な戦争経験にもとづいた政治体制を表面的理解しただけだった。
ましてや、彼らが西欧の法制度の形而下にある実態についての理解が欠けていたとしても無理はなかった。
彼ら維新の元勲や知識人たちが、よかれと信じて精一杯の努力をして作文した「大日本帝国憲法」ではあった。
しかし、そこに伝統的天皇とは異質の、過剰なまでにいわゆる一神教的王権神授説的人格に祭り上げられる「天皇制としての天皇」の素地をもうけたのが、そもそも根本的瑕疵だったのではないのか。
その瑕疵は、かって江藤淳が主張したGHQ下でおこなわれた WGIP(War Guilt Information Program;「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」)などによって結果として補強されて、奇妙な負の遺産としての 丸山眞男的 “責任論” と結果して現在も日本の知識層に影響を与えていると思われる。
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さまざまな天皇制や天皇に批判的な見解があるが、最近『生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ』(堀内哲編)を読んだ。
帯広告は、「21世紀末、日本人は日本共和国に住んでいる!!
急速に浮上している「象徴天皇制」の限界を直視する」だ。
「天皇制」の廃止と共和制への法律的移行を主張するのであるから、自民党の改憲の意図には反対かもしれないが、改憲の勢力には賛成なのだろう。
このような「天皇制」をめぐる奇妙な言語空間が、さらに「天皇」についての基本的認識を共有しないまま、表面上は対抗しているかに見えるが、左翼・リベラル・進歩的知識人たちと国粋・保守的体制勢力との間に非生産的な補完関係を成立させている。
このことは、現在の野党勢力と与党自民党勢力との間にもみられるだろう。
ともかく「天皇制」という用語を使用する会議や論文や議論には、要注意である。
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① * VOLTAIRE NETWORK: North Korea attacks South Korea…or is it the other way around? (Video)/26 NOVEMBER 2010. * VOLTAIRE NETWORK: “THE ART OF WAR”/North Korea in the Great Nuclear Game by Manlio Dinucci/ROME (ITALY) | 5 SEPTEMBER 2017.
* Dissident Voice: North Korea vs. America: Trump’s Better Things to Do? /Jul 7, 2017
② “deep state” は直訳では「深層国家」だが国民不在であるから「深層政府」と呼ぶのが実態に即している。* VOLTAIRE NETWORK: PETER DALE SCOTT’S EXCLUSIVE INTERVIEW FOR VOLTAIRE NETWORK. The “Deep State” behind U.S. democracy; BERKELEY (USA) ; 6 APRIL 2011. ・・・This interview is a follow-up to the article “Afghanistan: Opium, the CIA and the Karzai Administration”, by Peter Dale Scott, Voltaire Network, 13 December 2010.
* The Fates of American Presidents Who Challenged the Deep State (1963-1980);アメリカの深層国家に抗した大統領の運命 (1963-1980)。The Asia-Pacific Journal: Japan Focus;Peter Dale Scott;
October 20, 2014;Volume 12 | Issue 43 | Number 4.
* 東京大学政策ビジョン研究センター主催(2018年1月24日)「ラカイン・ロヒンギャ問題の現状とミャンマーの今後」で David O. Dapice(John F. Kennedy School of Government, Harvard University)はミャンマーのロヒンギャ問題における the Deep State の介入に言及。
③ 「象徴天皇」については村岡到『文化象徴天皇への変革』(ロゴス、2015)を参照。
(2018/02/18 記)
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