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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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劣化した上級官僚の志

2018年4月25日

「私(わたくし)を背(そむ)きて公(おおやけ)に向(ゆ)くは、これ臣(やつこらま)の道なり。
すべて人、私あるときはかならず恨(うら)みあり。憾(うら)みあるときは、かならず同(ととの)ほらず。同(ととの)ほらざるときはすなはち私をもって公を妨(さまた)ぐ。(聖徳太子「十七条憲法)」

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インドと中国の二大文明国からの文明的英知を享受した古代日本を、部族社会を統合して独自の非覇権性の「和」国とし、中国の易姓革命の要素を除去した古代律令国家として設計したのが聖徳太子である。

『古事記(712年献上)』は、部族社会の様々な情念と思考を集積した文献であるが、推古天皇と摂政・聖徳太子の歴史記述をもって下巻を閉じている。

それを引きついで、古代日本の統一国家の「国体と政体」を統合して、中華文明から独立した理念のもとで記された国家経営の規範的歴史文献が『日本書紀(720年奏上)』であることは周知のとおりである。

規範的歴史文献であるから、歴史的事実と、適宜に当時の為政者が描いた国家理念が加えられていることは当然だ。

「聖徳太子は実質的な意味におけるところの、わが国の建設者である。
それ以前の日本は、いくつかの有力な豪族の支配の下に分割されていた。
ところが聖徳太子のときから、日本は統一国家を形成するようになった。
それとともに、日本は世界史のながれのなかに棹さして進むようになったのである。」
(中村元『聖徳太子 地球志向的視点から』 1990年)

安定した国家とは、公僕の精神を堅持した官僚が、国民生活の基本的安定要因である幅広い中産階級の育成に奉仕する国政が行われている国家のことである。

そのような国家機構の健全な運用を担っているのが官僚(国家公務員と地方公務員)である。
その官僚に対する基本的な遵守個条が「十七条憲法」であり、一定の時代的限定はあるものの、そこに盛られている理念は普遍的である。

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このところ、日本の官僚の志操の劣化が著しく顕在化している。

日本の官僚の偏差値的な優秀さは時々指摘されるところだが、人物的安心感については疑わざるを得ない。
特に問題なのは、重大な責任感が要請される金融行政にかかわる財務省における官僚の志操の劣化だ。

安定した中産階級の育成に対する責任のみならず、国政政治を動かし、軍隊を動かし、贈収賄で政治家も動かし、さらに法律さえも改変させてしまうのが金融の魔力だからだ。

そして、官僚がもっとも国家経営で矜持を保たなければならないのが、公文書の厳正な管理である。

「 もり・かけ」などと蕎麦屋の話のように揶揄されて、目下は学校法人森友学園の用地取得と学校法人「加計(かけ)学園」にかかわる問題を中心に、与野党の国会議員が議論している。

このままの調子でゆけば、「 もりとかけ」は延びきって煮ても焼いてに食えなくなってしまう、
と駄洒落を言いたくなるほどの状況である。

野党は、これを千載一遇の好機ととらえて公文書の厳正な保存・管理について与野党の合意形成に努力してほしい。

膨大なデジタル文書と従来のアナログ書類の双方で、公文書の保存・管理・公開の原則を確認すべきだ。

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国家公務員の大義名分は、国民の生活向上のために奉仕することであるが、国家公務員は営業成績という客観的な数値にあらわれる業績を上げることではなく、官僚組織の性格上、様々な部署で上司と部下との間でバランス感覚よろしく振る舞うことが要求される。

しかし、偏差値の高い大学の法学部を優秀な成績で卒業して国家公務員となった途端に、公僕の志を忘れさせるような官庁の人間関係のなかでは、妬み、嫉みがはびこりがちだろう。

出世に邁進することに生きがいを求める公務員がすべてではないだろうが、大衆の喜ぶ姿を直接見ることもない大方の公務員は、書類整理と人間関係の調整に全神経を集中させるほかはない。

公僕の代表は国会議員であるが、彼らは落選すれば公務に奉仕することで得られる様々な特権と報酬を手放すことになる。
しかし、国家公務員は犯罪でも犯さないかぎり失職することはないことがない。

「十七条憲法」は、国家予算で建てられた立派な建造物のなかで、倒産の危険のない職場において書類操作に専念する公僕たちが所属する官僚組織自体が、つねに公僕の精神を忘却させる要素を内在していることを、日本の国家建設の当初から指摘していたのである。

「六にいはく、・・・悪しきを見てはかならず匡(ただ)せ。
それ諂(へつら)ひ詐(あざむ)く者は、国家を覆(くつがえ)すの利器なり。人民を絶つ鋒剣なり。
また佞(かだ)み媚ぶる者は、上に対しては好みて下の過(あやまち)を説き、下に逢いては上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。」

もちろん「大乱の本」の総責任は、一国の宰相にある。

(2018/04/16記)

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