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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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原発問題は、日本の命運を決する分水嶺である

2018年7月2日

看板の標語は、双葉町が1988年3月、子どもたちを含む町民から集めた標語の一つ

日本は、地震列島である。

2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
この震災の悲劇性は、日本列島の有史以来の地震と津波にあるのではない。これまで日本人は自然災害に対してはそれが終息した後、地域住民が協力してゆく伝統が積み上げられてきた。徳川期までに築き上げられてきたこの伝統が日本の産業界の人的資源の底流にある。

東日本大震災の有史以来の悲劇性とは、福島第一原子力発電所で発生した放射能事故である。なぜ有史以来かといえば、日本の伝統とは異質の、無機質のグローバリズムの思想が内蔵されているからだ。

地震や津波が自然の大地と建造物や住宅を破壊したのではなく、人間の作った原発という構造物が人間の生活環境を破壊したことにある。
原発事故は地震や津波の物理的破壊力と違って、そこで発生した放射能は目に見えないし無臭だから、事故後には一般の人々は皮膚感覚で事故が実感できない。
この実感できない悲劇性が、風評被害を生み、被災地の人々への差別も助長する。

放射能事故は、常識的にも科学的にも終息の見極めが困難だし、現在も、現実的に終息していない。
世界の一般市民と科学者、軍事関係者などの専門家たちは、いまも「フクシマ」に注目していることを忘れてはならない。
原発事故は、ダムの決壊や火力発電所の事故などとはまったく性格の異なる深刻な人間生活を直撃する人災事故である。

「気にしすぎることはない、人生に事故は付き物だ」と問題を一般化して考えるむきもあるが、そういう人々は原発施設の近くで生活することを想像してみたらどうだろうか。

原発事故では、住民が、果敢に協力して事故を起した原子炉の周辺での処理に参加できない。そこでは大規模災害における伝統的協力体制が拒絶されている。ミクロの核分裂がマクロの人間関係全般の分裂に連動している。

                  ***

2011年8月、仲間たちと福島県の被災地の一部を視察し、仮設住宅の居住者たちにお会いして彼らの想いや悩みを聞く、いわゆる傾聴訪問をした。その後六ヶ所村の処理施設も見学し、その一部の施設に保管してある放射能の破壊力の激烈さを感じ、岩手県では自然再生エネルギーに取り組んでいる現場も訪れた。

それから7年たった。
今年の5月25日から27日に、渥美国際交流財団主催のグループに参加して飯館村を訪れた。参加者は渥美財団の元・現奨学生(スウェーデン、ネパール、アメリカ、オーストラリア、中国、台湾各1名)と日本人ボランティア3名、それに飛び入りの私である。

渥美国際財団のグループは、地元で活動している「ふくしま再生の会」(理事長・田尾陽一;副理事長・溝口勝・東京大学農学生命科学研究科教授)の活動に合流して、現地の汚染状況を体験し、困難な中にも自立して村を再生してゆこうとしている住民たちと田植えなどの作業を恊働した。
そして田尾氏らを中心にした再生の会の人々の課題解決思考にもとづく行動力と、明るく楽しくやろうという姿勢に感銘を受けた。

6月14日、「安全原発革命元年 使用済み核燃料を再燃焼できる! 第2回溶融塩炉推進総会」(衆議院第二議員会館)に参加した。徐洪傑(中国科学院上海応用物理研究所)、デービット・ホルコム(オークリッジ研究所)、山脇道夫(東京大学名誉教授)ら専門家による発表があった。

その総会の趣旨と専門的な発表内容とは別に、おもしろいことに気がついた。 各国の専門家たちが堂々と科学技術で競い合っていることだ。
米・中国・インドネシアなどが、マスコミにあらわれる政治的対立とは別に、各国の官民が混在し、連携し恊働し、同時に真剣に競争している現実である。もちろん科学者たちとは別に、熾烈な情報戦が背後でくりひろげられていることも予想されるが、日本と比較すれば、総じて中央集権体制の中国と、すぐれたアイデアと人物には果敢に資金を投入するアメリカ人たちに分があることは歴然だ。

しかし「使用済み核燃料を再燃焼できる!」技術はすばらしく、その研究開発はのぞましいかもしれないが、アメリカでも中国でもなく、日本自体がかかえる原発の根本的問題に直接答えるものではないようだ。

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6月18日午前零時の日本経済新聞・電子版(2018/6/18 0:00;日本経済新聞「思考停止が招く電力危機、原発「国策民営」の限界 日本の選択(1)」)を読んだ。
そして奇しくも18日午前7時58分ごろ、大阪府北部で震度6弱を観測する強い地震があった。

大量発電を前提にした原発は、自然災害に直面して、今後も人災の元凶となる可能性を想定せざるをえないことは当然である。

どんなことが常識的に想定されるのか。

・某国が日本を核ミサイルで攻撃するような事態は “起こりえないこと” は限りなく想定されるが、 サイバーテロを含めて、原発は今後も脆弱な利敵攻撃対象であることは限りなく想定される。
・「原爆」被害者の体験は、当該地の当時の地元民に限定されていたが、「原発」事故は多くの国民に持続的な被災感を与え続けている。
 再度の事故があれば、その心理的不安と大都市の一斉停電は、まさに日本沈没的事態とな
る。
・フクシマ原発の責任の所在について、未だに国民は道義的忘却のなかにいる。これは民情の劣化につながる。一般的に、国民生活に直結する深刻な事態における責任不在と公的文書改竄・破棄の状況は、政治機能を劣化させる。
・宗教的な観点からみて、国家神道とは非なる社稷の清浄を守る神道本来の立場からしても、水と土壌の汚染は、日本人の宗教情念の根底を劣化させる。

水と食糧は、戦略物資であると同時に、安心した日々の国民生活の基盤である。
農作物を育てる土壌は水と密接に連動していて、これらの生活の必須基盤に高濃度の放射能汚染は深刻な影響を与える。

しかし、一国の宰相が国民に対して原発廃止の決定を堂々と表明していれば、 万が一の事故が起こった場合、 国民は覚悟して再生へと努力することが期待されるはずだ。
宰相は、国難を救う栄誉を担ってほしい。
特に原発には、戦後未整理のままに放置されてきた、原発誘致の地元住民の対立感情も含めた社会的、経済的、さらに軍事的諸問題が集積し集約されている。
ここでは詳細にのべないが、原発に集約される問題とは、遠くは明治維新に近くは戦後にさかのぼる政治的な諸問題と、徳川期までに築きあげられてきた良 質の日本の伝統と智慧を破壊する様々な問題の異様な収納庫である。

                  ***

5月に増田善信氏(95歳、元気象研究所研究室長)の講演を拝聴した。
題して「戦争と天気予報」。
戦時下では、軍事と地震を含めた気象予報がいかに統制されるかについて客観的かつ体験的に語った。
地震は放射能と違ってだれもが直接に体感できるから、絶対に地震情報を改竄したり秘匿したりすることはあってはならないことだ。

以下のことを提言したい。

1.自然再生エネルギーがすべてよいとか、火力水力が悪いとかの偏見を排し て、 脱原発を基本にすえて、与野党結集して議論を闘わせ、日本の国土と国民生活全体を俯瞰した総合的エネルギー計画をたてる。
2.原発は国家管理とし、国立の核物理学と発電の研究所(仮称)を設置し、優秀な研究者に誇りをもって高度な研究に従事させる。この研究所を監督し説明責任を徹底させる第三者機関も併設する。
3.大量電源を前提とする東京の一極集中化を、国防上の観点をも含めて、長期的展望をもって漸進的に是正する。
4.電力エネルギーの発電と消費は基本的に地産地消の方針とし、「自然と人間の共生空間をつくる」理念をモデルとした各地の地方再生の活動を国は援助する。

国政に与る国会議員と官僚は公僕の覚悟を新たにして、日本国民の明るい将来のために決断をすべき時である。

(2018/06/20 記)

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