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鈍い人権感覚と熟議なき改憲

寄稿:飯室 勝彦

2018年8月21日

 軍備増強に向かって改憲の旗振りには熱心だが党内の人権感覚の鈍さには無関心―こんなリーダーに先を争うように派閥ぐるみで擦り寄る自民党議員たち。人権感覚を欠いた安倍晋三氏の政権とそれを支える政治家たちによる、論議をつくさないままの改憲の危機が迫っている。

◎「熟議」なしの改憲を主張
 安倍首相がまた改憲スピードアップを主張した。地元山口県での講演で、憲法第9条に自衛隊の存在を明記するなどの自民党改憲案について「次の国会に提出できるよう取りまとめを加速すべきだ」と主張した。早期改憲は「戦後レジームからの脱却」を唱える首相の持論だが、改憲案の国会提出時期まで示したのは異例であり、しかも「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない」と議論打ち切り、“熟議抜き”を示唆した。“一強多弱”といわれる党内勢力図、3分の2強議席の国会勢力図をバックにしたおごりであろう。
 杉田水脈・衆議院議員(自民・比例中国ブロック選出)の寄稿問題に対する反応と比べてみれば、首相の関心の偏重の異常さがよくわかる。9条改憲にかける情熱と人権問題への関心の度合いには大きな格差のあることが明らかなのである。

◎子供を作らない=生産性ない
 杉田議員の雑誌への寄稿は『LGBT支援の度が過ぎる』のタイトルで「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない。つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することがいいのかどうか。」というものである。
 これが人権無視の暴論であることは多言を要しない。生産性を根拠とする優生思想によって正当化しようとしたナチスのユダヤ人虐殺や、「意思疎通のできない人間は生産性がないから生きている価値がない」と、被告が障害者殺害を正当化し続けている津久井やまゆり園事件を想起させる。各地で広範な人々が抗議運動を展開しているのは当然だ。
 しかし首相は「人権が尊重され、多様性が尊重される社会をつくっていくことは当然であろう。これは政府与党の方針でもある」と通り一遍のコメントしかしなかった。
 杉田議員は首相に目をかけられ、比例名簿の順位で優遇されて当選したといわれる。それなら首相にも暴論寄稿に一定の責任があるはずだが釈明、謝罪も、杉田氏に対する厳しい批判もいっさいなかった。
 自民党は広がる抗議に慌てて杉田氏を「指導した」と言うが、誰がどう指導したのか明らかではない。
 指導を受けたという杉田氏も「真摯に受け止め、今後研鑽に努めて参りたい」と言うだけで主張を撤回も謝罪もしていない。批判をかわそうと取り繕った形だけの「指導」に過ぎまいと、かえって怒りを覚えた人が多いのではないか。

◎政権も党も鈍い人権感覚
 「国会議員になってから研鑽」とは国民を馬鹿にした話である。権力を握る座には研鑽を積んだ人物が就くべきであり、政党は指導や研鑽を必要とするような人物を国権の最高機関たる国会の構成員候補として公認した責任を追及されるべきだろう。
 だが、自民党の二階俊博幹事長に至っては「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観もある」として寄稿を問題視しないことを早々と表明した。二階氏は「この問題は大騒ぎすべきではない」との趣旨の発言もしている。
 幹部がこうだから杉田氏の寄稿をめぐって政権内で大きな議論が交わされたこともなく、党内に波風も立たない。批判は野田聖子総務相と一部の若手議員に限られ、かえって「正しいことを言っているのだから胸を張っていればいい」と杉田氏を激励したベテラン議員もいるという。その渦中で、同性愛を想定して「趣味みたいなもの」と言い放った議員もいる。自民党が昨秋の衆院選の公約に掲げた、「性的志向・性自認に関する正しい理解の増進」「多様性を受け入れる社会の実現」を忘れてしまったかのようだ。

 自民党には、天皇の元首化、人権制限など復古調の主張を展開する日本会議系の議員、憲法に無知な議員、その他資質に問題のある議員が大勢いる。人権感覚の鈍さは安倍首相も、他の閣僚も、自民党議員たちも同列なのである。
 そうしたなか、秋の自民党総裁選に関し、派閥の多くが雪崩を打つように安倍3選支持を決めている。3選実現なら安倍首相による政権はこの先まだ3年も続く可能性がある。
 そうなれば、数の力を駆使する強引な安倍流政治に改憲慎重派の議員たちも引きずられ、首相の狙う熟議を省略した改憲が現実になりかねない。

◎「積み上げ」が無視される政治
 2018年8月6日付け毎日新聞東京版に次のような投書(要旨)が載った。
 「現今の国政は異なる意見の間で実りある議論がなされているとは到底思えない。議員たちが共通の知識を土台にしていないからではないか」「日本に民主主義が導入されて以降、積み上げてきた制度が最近は無視されている」
 政治の現状を見かねた投書者は現状をこう分析して「国会議員になるための立候補要件として、国政に携わるための最低限の知識の有無を見極める資格認定制度」の導入を提案している。
 論者がそこで求めている立候補要件としての知識レベルは「高校の公民レベル」の知識である。裏返せば高校生の知識レベルに達していない国会議員がいるとみていることになる。この指摘を現職の議員たちは真剣に受け止めるべきだ。
 もっともその議員たちを国会に送り込んだのは国民・有権者である。国民の選択権行使、あるいは選択権放棄の結果はブーメランのように国民自身に戻ってくる。
 英国の作家、サミュエル・スマイルズは「自助論」に「一国の政治は国民を映し出す鏡」と書いている。国民もまた問われているのだ。

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