【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照
米中激突の歴史的深層
諸行は無常である。行く河の流れのように歴史はくり返さない。
現在、かつての米ソ冷戦体制とは質量ともに上回る激突が、世界規模で米中間でおこなわれている。こんなことは有史以来未曾有の事態だ。
激突は文明的性格を帯びて、その場面は、貿易、通貨などの民生面と併行して、軍事力を基礎とした覇権の対立の様相を呈している。
しかし、毎日世界中を駆け巡る大量の、マスコミやネット情報の真相・誤報・虚報・謀略などに翻弄されないためにも、現状の奥にあるところを諸行無常の縁起的歴史観から観察してみたい。
弁髪をした中国人労働者の風刺画(1899)(ウィキペディア)
A caricature of a Chinese worker wearing a queue an 1899 editorial cartoon titled “The Yellow Terror In All His Glory”
ちなみに縁起的な歴史観とは、人類の意識の総体をアーラヤ識といい、過去の様々な歴史的情念や負の遺産はすべて消去されずに歴史の内部で重層的に蓄積されている。
すべての過去の記憶の中でも、多数に共有された民族的情念、政治的イデオロギー、宗教的集合意識などは凝集的に蓄積されていて、それらが状況に応じて現在史に影響を与えてくる。
そこで縁起史観においては、歴史を図式的固定的に理解するわけではないから、歴史状況の洞察を不断に忍耐強く継続しなければならない。
さて現在、植民地支配によって地球規模に拡大したパクスローマーナ、その伝統を受け継ぎ原住民の虐殺と奴隷制とアヘン貿易で拡大してきたパクスブリタニカの大英帝国、さらにその情念を受けついでいるパクスアメリカーナの移民国家アメリカ合衆国、そしてそれらの拡大的支配情念に挑戦するかのようにかつては閉じた帝国であった中華文明が中華人民共和国・中国として、万里の長城を本格的に乗り越えてその存在を世界的に顕在化してきている。
しかも中国の影響は、軍事的には従来の陸上、海上、海中、空中空間を超えて、サイバー空間と宇宙空間にまで拡大してきている。本年1月3日には中国の無人探査機が月の裏側に着陸した。
これら6次元に当該国の指導者らの頭脳空間を加えれば現在、7次元の世界でインタネット技術の発達に加速されて熾烈な情報戦が米中間を中心に行われている。
さらに米中間の対立の間隙を縫うかのように、ロシアが欧州を中心に世界の様々な地域で軍事的または情報的介入をしているから世界の政情は複雑極まりない。
***
では、これまで世界の価値観、国際法などを支配してきた西欧の拡大的支配情念の本質はなにか。
ソ連の独裁政治の情念を深く洞察した『真昼の暗黒』(1940)の著者アーサー・ケストラーの指摘によれば、<銃と福音書が合体した真理で武装した征服者>(1)の情念である。
その情念の表向きの具体的なスローガンは、信教の自由であり人権であり民主主義であるが、その裏面では、密約があり、分断統治とカオス理論の策謀があり、具体的には、欧米の果敢なジャーナリストたちが指摘するように先進国の様々な情報組織による他国への介入・煽動・破壊工作がある。
ハンガリー出身のユダヤ人ケストラーは、<真昼の暗黒>の西欧政治の情念に絶望したかのように、精神的安堵を求めて1958年から59年にかけて巡礼の気分でインドと日本を訪問したが、ここでも安堵は得られなかったようだ。
病気のこともあるが、東西の文明的価値に絶望したかのようにケストラーは妻と共に1983年自死した。
***
西欧に特有の支配的情念は、今日においても、世界の政治的規範、文化的価値観、圧倒的な英語の普及、そしてなによりも西欧国家において共有されている<銃と福音書が合体した真理>という武装ソフトをもって、中国と対峙している様相を示している。
攻撃自体が目的化したような国際的反捕鯨団体とその活動を支える資金調達の情念も、ケストラーが指摘した西欧的征服の情念が偏執化した産物であろう。
このような西欧の情念を踏襲した人口3億2千700万余のアメリカ合衆国は、3億丁を超える銃が市民に所持され、銃が原因で年間約3万人以上が死亡し、1969年アイゼンハワー大統領が辞任演説で指摘したように、当時でも350万人の男女の雇用に関わっていた軍産複合体を維持し、ペンタゴンの軍事支出がアメリカの10%以上の人々の生計を支えている民主主義国家である(フルブライト上院議員<1969年5月20日米議会記録>)。
しかも軍産複合体とは、軍隊と産業といった単純な構成ではなく、実際は金融資本、産業資本、軍需産業、政府、官界、議会、産業別利益団体、有名大学を巻き込んだ学界、労働界、ほとんどの有名マスコミを含んだジャーナリズム界、広告・広報業界、退役軍人団体、各州地方の利益団体、さらには宗教界も包括した巨大な網状の複合体だ。
そして三軍の長である大統領は、就任宣誓の時、左手を聖書の上に置き、最後に「神よ、我を助けよ」と誓う。あまりに当たり前の光景だから世界中の人々はなにも言わないようだが、あらためて考えれば奇妙な光景だ。
アメリカは建国の当初から今日までも<銃と福音書の真理>で武装してきた支配情念が太い動脈のように国家意識を貫いていて、これをトランプ大統領も踏襲している。
これは善悪の問題ではなく、アメリカの一般市民に対する批判でもなく、西欧政治に特徴的な支配情念の事実だ。
***
そのようなアメリカの支配情念が、中国の台頭に明確な警戒感をもって気づきはじめたのはいつか?
『An Outline History of China(「中国歴史大綱」;pp.542)』(2)は中国史を概観した好著であるが、その序文に中国の台頭の可能性について概略以下のように記す。
「中国はアジアのバックボーンである、すなわち中国はアメリカにとって不気味な可能性を秘めた国である。中国が動けばアジアが動き、アジアが動けば、今世紀の世界が動くだろう。
中国とアメリカは、東洋と西洋の文化の最も不可欠の代表であるが、今世紀の歴史を作る国家に運命づけられている。・・・
われわれ(アメリカ人)はすべて学校で多くの時間を費やして、バビロニア、エジプト、ペルシャなどの歴史を学んでいるが、それらの諸国は忘却に沈んでしまっている。
われわれが、たとえ簡略であれ知るべき一層重要なものは中国人の歴史であり、それは太古に始まる不滅の生命をもった唯一の国家として、現在、文化的かつ商業的な交流をとおしてわれわれに対面している。・・・
中国が諸国家の中で、対等の地位に昇格することを円滑にすることは、アメリカ合衆国の主要なる責任であろう。」
中国は、アメリカと対等になる可能性があるが、それ以上になってはいけないようだ。
本書の最終ページはつぎのような、含みのある文で閉じられている。
「この半世紀、世俗世界は “白人の世界(white man’s world) ” であった。明らかなことは中国の完全な独立の回復は、アジアにおける白人世界の終わりが認識可能な範囲内におこることだ。
幸いなことに中国における様々な変動する事情によって、外国人が自分たちの様々な特権を放棄するすることを容易にならしめた。外国人は面子をつぶし、外国企業は一部の損失を被ったことはいたしかたないが、治外法権的特権が、伝道師とビジネスマンの双方にとって援助の役割をした古き時代は過ぎさった。・・・
ビジネスは益々中国人と外国人の間での個人的提携を通して行われるようになり、治外法権はほとんど意味をなさず、平等の立場での交流が大きな意味をもつようになった。宗教的努力と貿易の双方において、ビジネスはそれに価する中国人との個人的接触となってきた。」
共著による本書は、古代から1930年代にいたる中国史であるが、その発刊は1926年、毛沢東が中華人民共和国を打ち立てた1949年より23年前だ。
彼らの中国の台頭に可能性についての洞察力は敬服に価する。
共著者は、英国国教会の宣教師と安息日再臨派 (Seventh Day Adventist) の宣教師である。
時代は少しさかのぼって日清戦争中1894年9月の「黄海の海戦」後、日本軍の満州南部等での攻勢が明らかになると「中国在住のアメリカ人、とりわけ宣教師とその信者達を戦争の地域からどうして避難させるか、ということが緊急の課題となった。
彼らはいわば剣を持たない戦士達である。ちなみに一八九◯年代の初期における中国在住のアメリカ人宣教師の総数は、一九教派を合せて五◯◯名を越え、英国に次いで最も多かった。
彼らは、とくに中国内地の経済事情や資源開発状況についての、欠くことのできない貴重な情報源だった。」(3)
***
ケストラーが洞察した、アングロサクソンの拡大的支配情念の根底にある、それ以外に他の支配理念がないかのような、<銃と福音書が合体した真理で武装>している支配情念は、欧米人の地政学の根底をなすものであり、ペリー来航から『中国歴史大綱』の共著者を経てマッカーサーの日本支配まで一貫して現在にいたっているのだろう。
このような支配情念は、トランプ大統領と彼を支える人脈と彼を批判または反対する勢力にまたがって、民主共和の政権の交代にかかわらず今も生き続けて中国に対峙しているようだ。
一度も歴史的興亡体験の無いアメリカの政治情念は、<銃と福音書が合体した真理>という自己矛盾と、深層の罪意識を忘却しようとするかのように絶えず外国に対して、特に非キリスト教国にたいして<自由と人権>で他国に介入しなければ自己確認ができない性格をもっているのではないか。
宗教情念を帯びているアメリカの支配情念は、彼らの支配情念について妥協することはないだろう。
東アジアでは、パクスアメリカーナの叡智と奸智がない交ぜになった分断統治の戦略思考の下に、様々な戦術が国際舞台の表裏に亘って展開されているのだろう。
米中対決は、アメリカの支配情念にとっては智力と謀略が試され、軍産複合体にも歓迎される、米ソ冷戦を上回る複雑なビッグゲームだが、強力な<銃と福音書が合体した真理>に対して、中国はいかなる真理をもってアメリカに対処するのだろうか。
***
問題は米中両国の激闘の荒海に漂う日本だ。さきにアーサー・ケストラーに触れたが、彼はキップリングの詩をもじった次のようなメッセージを日本に送った。
「東は東、西は西というならば、日本はいずこに安住するのだろうか?」
では、日本は、アメリカと中国と、どのように外交関係をもてばよいのか?
日本の立場は、「天皇制」に非ざる<和国の伝統を保持する皇室>と共にある国民を守る、敵国を前提としない 非覇権体制を能動的に堅持することであり、自衛隊はこの目的の為にある。
自衛隊は憲法の条文に規定された組織でなく、日本が非覇権の和国であることを認知した国民によって内面的に深く支持され堅持された能動的実働隊であるべきだ。
日本人は覇権の世界史において、普遍的価値の指標としての「和の精神」を広く世界の市民たちに発信し認知させることだ。
日本人は、歴史を縁起的に深く内省して、明治150周年の断片的歴史を見る近視眼を捨て、聖徳太子以来1300年を貫く和国の歴史を遠望する大局観を持て。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)Koestler, Arthur, The Lotus and the Robot,1960.
(2)An Outline History of China , Herbert H. Gowen (an Anglican missionary
and orientalist; 1864 – 1960) and Josef Washington Hall (an explorer,
journalist, a Seventh Day Adventist missionary, etc; 1894 – 1960).
(3)曽村保信『ペリーは、なぜ日本に来たか』1987。
(2019/01/21 記)
こんな記事もオススメです!