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踏みにじられた民主主義

寄稿:飯室 勝彦

2019年12月18日

 安倍晋三首相の率いる政権とその与党による国会軽視は国民無視である。その先には踏みにじられ、自壊する民主主義の姿が見える。
 森友学園、加計学園、「桜を見る会」など重なる疑惑とそれに関してきちんと説明しない安倍政権の姿勢を単なる不祥事と矮小化すると危険だ。憲法と民主主義の視点から考え「お任せ民主主義」から脱却したい。

◎政府追及は議会の役割
 民主国家の基本は三権分立、勢力均衡である。日本国憲法でも大原則と定められている。政府のすることを監視し、憲法などの諸法規や行政目的に合致するかなどをチェック、追及する権限と責任が議会にはある。
 政府はこれに真摯に対応しなければならない。求められた資料を誠実に提供し、説明責任を果たすことが求められる。監視を十分なものにするため徹底した議論の場と手段が確保されなければならない。「言論・表現の自由は民主主義の基盤」だからである。さまざまな角度から問題に光を当てることで真実を掘り当て、あるいは「よりましな結論」にたどり着くことができるかもしれない。そのために情報は公開されなければならない。
 政権が過ちを犯したら責任を取るのも、政府の権限が国民から託されたものである以上当然である。
 安倍政権はこれらをことごとく踏みにじっている。都合の悪い資料を国会にも出さない強権的政治はこの政権の常套手段だが、相次ぎ浮上した疑惑でも、解明を阻み隠蔽に腐心する権力者と、それに媚びるように右往左往する官僚たちの姿が共通している。

◎念頭にもない「説明責任」
 資料を出さないだけではない。「書き換える」、「急いで廃棄する」ばかりか電子媒体に保存されたデータは「開示すべき行政文書ではない」と強弁して一顧だにしない。国会やメディアの追及からは逃げ回り、問題の核心である安倍首相が出席しなければならない国会の予算委員会の開催を拒否し、規則に基づく野党の開催要求も無視した。就任間もなく辞任に追い込まれた二人の閣僚に関しても首相は「任命した責任は私にある」と言っただけで後はだんまりを決め込んでいる。
 「説明する責任」のことなど安倍首相らの頭の隅にもないようだ。解明を阻み早期幕引きを意図した行動ばかりが目立った。
 国会における追及に真摯に対応しない安倍首相の強引な政権運営とそれに従う与党の姿勢は、国会軽視であり、議員の背後にいる国民を無視するものである。「政治の私物化」などの疑念は真実と受け取られてもしかたあるまい。
 安倍首相は憲政史上最長の在任記録を日々更新中だが、「権力は腐敗する。長期権力は必ず腐敗する」という格言を想起させる。

◎憲法に照らして
 メデイアの世論調査によると、70%から80%もの人々が「桜を見る会」問題に対する首相らの説明、対応に納得していない。「モリ・カケ・サクラ」と問題が連続した影響で内閣支持率も低下し、不支持率が支持率を上回った調査もあるが、それでも支持率は多くの調査で40%台で推移している。

◎不祥事と見るのは矮小化
 説明には納得していないが政権は支持する多くの人々は、森友学園などの問題を単なる不祥事、スキャンダルと考えているのではないか。
 しかし疑惑の数々、それへの安倍政権と野党の対応をスキャンダル、与野党対立などの次元で捉えるのは問題の矮小化であり間違いだ。事態は憲法レベルの問題であり、現出しているのは安倍政権と憲法、民主主義の対立である。いまや安倍政権は反憲法的政権と位置付けるべきだろう

 「任期中の改憲実現」に意欲を燃やす安倍首相だが、政府見解の逆転による集団的安全保障の容認、安保法制などで事実上の改憲は既に行われている。3つの疑惑に対する姿勢も憲法を踏みにじっている。憲法と民主主義を守ろうとしない政治家にこのまま任しておくと日本の民主主義は自壊しかねない。
 将来、「あの時がターニングポイントだった」と悔やむことのないよう、いまのうちに国民各自が安倍政権とその政治の一つひとつを、憲法と民主主義の原則に照らして主体的に検証したい。

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