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五輪の在り方を見直すべきだ

寄稿:飯室勝彦

2020年3月28日


 世界中が新型コロナウイルスの脅威にさらされているのにオリンピックどころではあるまい。「感染防止」と国民にマスク着用を求めながら、そのマスクさえ満足に供給できない政府に五輪を開催する資格などない。延期は当然だが、いまこそオリンピックの在り方を見直すべきだ。

◎追い詰められた IOC
 2020東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まった。各国のオリンピック委員会 (NOC) や競技団体などから延期を迫られ、「予定通り今夏に開催」と言ってきた国際オリンピック委員会 ( IOC) のバッハ会長は追い詰められた形だ。
 カナダ、オーストラリアは「今夏開催なら参加しない」と決め、4年前のリオデジャネイロで121個のメダルを獲得した米国も延期を迫り、IOCには延期以外の選択肢はなくなっていた。多くの国で出入国の制限が行われ、ウイルス問題がいつ解決するか目途が立たない現状では延期はやむを得ない。

 もちろん延期にはさまざまな課題がある。競技会場を確保できるのか、せっかく確保した運営ボランティアの都合はつくのか、五輪後にマンションとして分譲する予定で一部では契約がすんでいる選手村の扱いなど、もつれた糸ほぐすような作業を求められる。なかでも難題は開催延期で生じる追加経費の負担の問題である。納税者は重大な関心を抱かざるを得ない。

◎難題は納税者の視点で
 報道によると大会組織委員会は大会開催の費用総額を予備費を除いて 1 兆3500億円としたが、関連経費も含めれば 3 兆円を超えるという会計検査院の指摘もある。追加経費がいくらになるのか現時点では予測できないが、IOC、組織委、招致した東京都、後押しした政府のどこが負担するのか。東京都と IOCの間の招致契約は IOCに極めて有利で、紆余曲折があっても最終的には東京都が国の支援も受けて負担せざるを得ないのではないかとの観測がある。
 そうだとすれば結局は税金であり、都民、国民にツケが回される。徹底した納税者の視点で問題と取り組まなければならない。招致運動から今日までの経緯や経費について、招致の主体である東京都の納税者でさえ十分納得できる説明を受けてきたとは言えない。追加負担については、決定内容はもとより決定に至るまでの経過についても丁寧な説明がいる。

◎肥大化、商業化した大会
 極めて残念なのは、延期か中止かといった議論のテーマに目を奪われ、五輪の在り方について深い議論がメディアでさえ行われなかったことだ。
 肥大化、商業化する一方の大会、巨額の費用負担が敬遠され冷めている招致熱、その一方で五輪ブランドに支えられて IOCが得る巨額の放送権料などの利権、その見返りとしての大会運営への放送局の強い影響力、IOCが開催都市よりはるかに有利な招致契約の不平等性、豊富な資金を背景とした IOCのスポーツ界支配など多くの問題点が指摘されている。かつて IOC委員などの処遇と振る舞いが「まるで貴族」と批判され一定の改革がなされたが、オリンピックに携わる人たちは特別の存在だ。

◎原点に戻って
 競技者、競技団体の現状も、オリンピック・ムーブメントの理念や、創始者であるクーベルタンが唱えたアマチュアリズムからかけ離れているのではないか。クーベルタンは「スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」としたが、先進国では有力な選手がスポンサーの援助や公費による強化費、時には高額の賞金さえ得て恵まれた競技生活を送っている。他方では競技用シューズさえ満足に入手できない途上国の選手がいる。「公平性」というキーワードで論じられることの多いスポーツだが格差は歴然としており、オリンピックは有力な国のメダル獲得競争、ある種の国威発揚の舞台となっている。
 行政などの大会招致提案が住民投票などで拒否されることが相次ぐのは、オリンピック運動の理念と現実との乖離に住民が疑問を抱いているからにほかならない。

 オリンピックは、スポーツはどうあるべきか。クーベルタンの唱えた原点に戻って住民・国民目線で現状を見直すべき時期だろう。

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