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【NPJ通信・連載記事】エッセイ風ドキュメント 新しい日本の“かたち”を求めて/石井 清司

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エッセイ風ドキュメント 新しい日本のかたちを求めて
再開③「日米政府の責任と義務」
爆弾一発は殺傷のほか、おびただしい人の各人生まで支配した

2014年10月19日

- 3月10日、無くてもよかった東京大空襲犯罪の重さ -

(1)「(新日米政府の)戦争犯罪の責任と義務」

- 1945年3月10日、東京大空襲から -

1945年3月10日未明からの米機B29機編隊による東京大空襲で東京大森海岸に近いわが大森町も全焼し、われわれ一家6人も自宅を焼失、見渡す限りの焼け野原に無一文で放り出された。

その日を、世に報道されているように3月10日未明と思い込んできたが、実は3月10日は上野や江東など東京下町一帯の被爆のことで、10月12日、13日の次の東京空爆こそが大森、蒲田などを含む京浜工業地帯大爆撃だったかも知れない。しかし、実際の被爆はその3月10日未明一日だけで、戦争の記録にあるように2日(2回)にはわたらなかったように思う。故にわれわれ大森の被爆は3月12、13日ではなく、やはり3月10日だったと思う。

いずれにしても、私、8歳の少年は、その夜、生活のすべてを焼き尽くされ、私の”人生”はこれで暴力的強制的に”ゼロ地点”化された。

一般日本人生活者の生活を一挙に消滅させた米軍機の一連の爆撃が、日米戦争勃発に起因するにしても、一般日本人生活者への米の爆撃は、犯罪行為に当たる。

(2)「国民大多数は戦争被害者である」

- 戦争行為国家は、その犯罪の責任を一般国民生活者と共有できない -

故に不意打ちに空から爆撃された一般日本人生活者は、その焼失破壊された生活財及び安寧に対する損害賠償を、米政府に今なお、要求する権利立場を持続して有し、消滅していない。

日米戦争勃発の原因を旧日本政府が有している以上、米軍機の日本人生活者への無差別爆撃の原因と責任は旧日本政府も有し、われわれ一般日本人被爆者たちは、旧日本政府へその犯罪責任と損害賠償を求める権利を今なお有している。

「旧日本政府」に物心ともの損害を与えられたわれわれ一般日本人生活者への賠償能力が失われてしまったとしても、歴史上のその責任は厳として減じない。

旧日本政府は、米軍爆撃により、物心ともの被害、損害を一方的に受けた一般日本人生活者たちに対し、まず謝罪から始められなければならないし、その謝罪という重い義務は歴史の経由があっても消えることは無い。

連合国への日本無条件降伏という「断絶」のあとの日本占領という法的中断があって、新たな日本政府(日本国)が今日までも継続して存在している以上、旧日本政府の一般日本人生活者へのその犯罪と謝罪の義務と「無縁」であると強弁するわけにはいかない。「無縁」である振りも許されない。旧新日米政府と「両者」の関連性はけっして消え得ないし、消滅したふりをさせることもできない。

機関として国家というものの同国民への責任義務とはそういうことである。また、一般日本人生活者を無差別に爆撃した時の米政府と現米政府は歴史上連続しており、心身ともに多大の損害を受けた一般日本人生活者たちは旧米政府のその爆撃犯罪を訴追する権利と立場を今なお有し続けている。

旧米政府もまた、歴史がいかに経過したにせよ多大な損害被害を与えた一般日本人生活者へ、まず謝罪行為から開始しなければならないことは論をまたない。

一方、やはり日本軍により被害・損害を受けた米国一般生活者への謝罪と賠償の義務は、歴史の経過にかかわらず「旧日本政府」に存し続けることも一般日本人生活者に対するとともに変わらない。戦争行為者の国家とその国の一般生活者たちは行為者として一体ではなく、その戦争行為によって生じたことへの当事国としての責任と義務についても、一般生活者と一体ではなく、”彼ら”をそれへ”共犯者”として引き込むことはできない。その戦争行為が生活者国民の”同意賛同”によった”一体行為”だったと国側が強弁するには無理がある。

1945年3月10日未明。米B29機編隊に東京を空爆され、それまでの人生のすべてを”ゼロ化”された大森町。8歳の少年は、その空爆を引き起こさせた当事者日米政府に、その犯罪性と責任賠償の義務の存することをわれわれの唯一の人生への弁済を求めるものとして、いま考える。

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