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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ ~ アフリカ熱帯林・存亡との戦い 
第13回「マルミミゾウに攻撃され、しかし救われた者が野生生物保全への道を歩んだわけ」

2014年8月1日

先回の記事で言及したセスナ機の不時着事故から遡ること3年前の1996年ことである。

ポス・ドクであった1996年当時ぼくは、日本の大学に籍を置く形で、かつWCSの無給ボランティア協力者として、コンゴ共和国ヌアバレ・ンドキ国立公園の森林内に継続滞在していた。森の中のベース・キャンプから何日かかけて、広域生態学的調査を実施中であった。森の中での徒歩による長距離移動は食糧やキャンプ装備などの運搬の手間がかかるので、人数は少なければ少ないほうがいい。ぼくはコック兼キャンプ係のマルセルという強靭な男と、長年ぼくの調査を手助けしてくれたまさに「相棒」のような、森をくまなく歩ける先住民のガイド・ガスコの二人と一緒であった。

ゾウ道上で出会った子連れのゾウは数10m先にいた。無論、偶然である。ぼくと一緒に歩いていたマルセルとガスコのふたりがいち早く見つけたのだ。われわれに気付いたであろう子連れの母ゾウはいかにも神経質そうな様子で落ち着きがなかった。果たして母ゾウはぼくらの方にゾウ道上をいきなり突進してきた。考える暇もなくぼくらは散り散りに逃げた。どうやらゾウはぼくらを追えず、どこかに行ってしまったようだ。ぼくら3人は元の場所に集まって、「いや、危なかったな」などといいながら肩をなでおろす。一難が去った。

ところが、その直後である。ぼくらの背後にあった藪の中から別のゾウが出てきた。オスゾウだ。ぼくらは考える暇もなく、瞬時にばらばらの方向へ逃げた。ぼくは背中の重たいザックを下ろす間もない。数10mは走ったと思う。無我夢中であった。しかし行き止まりになってしまった。どうしようもない密な藪で先に進めない。現地語名で「バセレ」と呼ばれる鋭いトゲ付きのつる性草本類が行く手を完璧に阻んでいたのだ。

どうするか。じっと座っていよう。下手に動けばゾウがぼくの存在を察するかもしれない。しかし、まさか、まさか、オスゾウはぼくの逃げた方向へやってくるではないか。「どうか見つかりませんように…」と、祈るばかりであった。しかし、そのオスゾウはもうすでにぼくの気配に感づいたらしい。ぼくから10m先に止まって鼻を高々と上げては下ろす。それを繰り返す。匂いをかいでいる典型的な行動だ。

そしてとうとうぼくの匂いの方向を探知したのだろう。ぼくの方に正確に体の向きを変えた。こちらに正確に照準を合わせている風であった。「これは来るな…ああ、本当に突進してくる」と心の中でつぶやく。ぼくには身を引く場所がこれっぽちもない。「これはやられる。きっと死ぬな」と一瞬思う。

まず何か一撃を食らった。しゃがんでいたぼくを足か鼻で蹴ったのであろうか。もみくちゃにされる感覚。何がなんだかわからない。数秒後であろうか、ぼくが次に目をあけたとき、ゾウの鼻の先端を目の前に見、腰回りにきつく締め付けられているような感覚を覚えた。しかも、地上にいる様子でない。どうやらゾウはぼくのからだを鼻で巻きつけ、地上から持ち上げたらしい。瞬時でぼくはそう判断した。

直後、そのままぼくを締め付けた状態で2, 3度であろうか、ぼくを振り下げ振り上げた。地上にたたきつけられることによる痛みやショックは感じられない。きっとゾウの鼻自体が、そして背負ったままのザックがクッション替わりになっていたのだろう。もちろんぼくはそのときそんなことは冷静に考えていない。ただ覚えているのは、この「振動」中、ぼくは「ギャ-」と叫んでいたことだ。

「これでゾウに踏まれたら終わりだな。こりゃ死ぬな」。ぼくははっきりそう自覚した。こんな死に方か…。

ぼくの悲鳴を聞きつけたマルセルとガスコは遠くからこのゾウを追い払うべく、大声を出しながら、木をたたいたり手たたきをしたりした。これが奏をなしたのかどうか知らないが、ゾウはぼくを静かに地面に下ろす形で離し、そのまま森へ去って行った。

ぼくは急いで二人のいる方へ向かった。手足を点検する。骨も折れていないし血も出ていない。腰のあたりが少し痛い。鼻に巻かれていたためであろう。しかし問題なく歩ける。死ななかったのだ。息をはずませ、彼らに起こった出来事を話す。マルセルとガスコはぼくのからだを心配してくれるが、藪の中で切った耳の切り傷以外は何ともない、と答える。

一目散に逃げたときに、ポケットに入れていたフィールド・ノートをどこかに落としてしまった。一緒に藪の中を探しながら、ガスコはこういう。「本当にラッキーだったなあ。ふつうはあーやって、振り上げて振り下げて、ぐったりしたところを地上に落とし、踏んづけて、殺すんだよ」。ガスコはノートを探し出してくれた、そして、「でも、そのとき唯一逃げる方法があるんだ。地上に落とされたその瞬間、ゾウの足の間を這って、ゾウのお尻の方から逃げるんだ」とニコニコしながら、ガスコは話す。

ぼくらは、ベース・キャンプへ向け、また20kmの道のりを歩きだした。弱冠痛みのある腰を曲げるのはたいへんだし、ザックの着脱が容易でない。ただ気力で歩く。足が大丈夫で何よりだ。奇跡だとしかいいようがない。バセレとたたきつけられたときにすれたのであろうキズが痛い。ひどくはないが…。ついに丸木舟に乗る場所まで到達し、そしてベース・キャンプのある対岸へもどった。まさかのことが本当に起こったのだ。そしてぼくは生きている。死んでいない。腰と両肩のまわりが痛いのを除けば元気だ。

事故にあったのは、「モコレ・バイ」と呼ばれる湿地性草原近くのゾウ道を歩いている時であった。そのバイはヌアバレ・ンドキ国立公園の南西端に位置し、コンゴ共和国と中央アフリカ共和国の国境上にあった。バイに通じるゾウ道はバイを中心に放射状に伸びており、そのうちの一つはトラック一台が通ることのできる広いものであった。そのことからもこのバイは長い歴史の間ゾウがいかに繰り返し利用してきたかを物語っている。

ゾウによって長年の間に作られ維持されてきたケモノ道。人と比べゾウ道がいかに大きいかが見て取れる©西原智昭

ゾウによって長年の間に作られ維持されてきたケモノ道。人と比べゾウ道がいかに大きいかが見て取れる©西原智昭

「モコレ・バイ」は、マルミミゾウだけでなく、ボンゴやモリイノシシ、アカスイギュウなどが集まる野生生物の宝庫であったが、それゆえ、国立公園となる以前は特にマルミミゾウの密猟が激しかった、象牙目的である。主な密猟者は森の中の見えぬ国境を渡ってくる中央アフリカ人であった。国立公園制定後、徐々に動物もバイに再び集まり出すようになってきた。「違法行為に対する確固たるハンマー」としてのパトロールの実施などWCSプロジェクトの尽力が効を奏したのだ。ちょうどそうした時期のことであった。したがって、かつての密猟のことを記憶にもっている神経過敏なゾウがいることは承知の上での広域調査だったのだ。むしろ、「モコレ・バイ」の近況を調べるのも遠征の目的のひとつであった。

パトロール隊の努力によって日中の時間帯にモコレ・バイに集まるようになった野生動物(マルミミゾウほか、アカスイギュウ[右手]、ボンゴ[左手と中央]の姿が見られる)©西原智昭

パトロール隊の努力によって日中の時間帯にモコレ・バイに集まるようになった野生動物(マルミミゾウほか、アカスイギュウ[右手]、ボンゴ[左手と中央]の姿が見られる)©西原智昭

ぼくがたまたま難に会ったマルミミゾウも、そうした心の傷を抱えたゾウ、あるいはその血縁関係者であったのかもしれない。ぼくは、密猟者と形の変わらぬ人間であり、その人間を見たゾウが「密猟者」と判断し、「殺しにかかる」のも想像に難くない。しかし、死せずして、またこのモコレ・バイがパトロールの成果で動物が戻ってくるという劇的な経験も一つとなって、ぼくが「保全への道」を歩むようになったのは確かなことである。殺されなかった分、可能な限り、保全へ向けて何かしなければならない。そう思い始めたのだ。

「密猟をするアフリカ人が悪い」ということではない。その根源にある問題をわれわれは直視しなければならない。

象牙目的で殺害されたマルミミゾウの死体。首がないのは、象牙を採取する作業の時に手間を省くためである©Andrea Turkalo

象牙目的で殺害されたマルミミゾウの死体。首がないのは、象牙を採取する作業の時に手間を省くためである©Andrea Turkalo

ゾウにとっての癒えぬ傷あと。それを消せる日は一体いつ来るのであろうか? (続く)

 

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