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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第72回 : コロナ禍での音楽活動はどのように?

2020年10月9日


◎はじめに : NPJ事務局への御礼
 台風、コロナ禍、炎暑がひとまとめに襲ってきたこの夏、しかし 9 月に入って、さすがにいくらか秋の気配も感じられるようになった。ところが “アベ居ぬきガス政権” があっという間に登場、この国はどうなっちゃうの・・・ ! ? と絶望的な気分を募らせながらも、9 月19日には「ヒロシマへ、ヒロシマから」という平和講座でお話しできた。竹内良男さんが実に綿密なリサーチの積み重ねから、最終的に平和に焦点化した企画によるこの連続講座にて、「音楽界から見えること」と題し放談三昧をお許しいただいたのである。お呼びいただいただけでも光栄なのに、NPJ通信の連載71回分すべてのタイトルリストと、竹内さんご自身が個人的に興味を持たれた回の全文コピーを当日の資料として配布していただき、実に嬉しかった。竹内さんと、そして全回のタイトル・更新日の整理をお願いした私のわがままに対応してくださったNPJ事務局に、改めて感謝申し上げたい。今回はそれをまずはお伝えし、年末にかけての私の関わる企画のご紹介などでまとめよう、と考え付いたところへ、とんでもない事態がおきた。

I. トランプ感染、学術会議任命拒否の暴挙
 まずは大統領選一か月を前に、トランプがコロナに感染、入院したという衝撃の一報。さらに国内でも、日本学術会議が選任した委員 6 人を、菅首相が任命拒否の挙に出たという。人事権を独り占めしてだれもが望まない悪政を積み重ねた前政権もびっくりの大胆さだ。学問研究だけは時の為政者から隔絶され、ある意味最後の聖域ともみなされていた感があったし、また半面、それだけ権威主義的な雰囲気も漂っていたから、私自身も、従来この組織が主催する各種企画は、敬遠気味だった。だが、そんなことも言っていられないほど、ことは重大だ。任命拒否された諸氏が、とりわけ軍事・防衛などにはっきり批判的意見の持ち主であったことを省みると、この先、ジェンダーや女性など、マイノリティをテーマとする研究者たちも、邪魔者はどけ ! とばかり、介入と封殺の対象となるであろうことは、容易に推察できるからだ。とりあえずは抗議の署名運動に連なり、怯むことなく自身の課題を追い続けるほかはあるまい・・・

II. コロナ禍のクラシック界
 実はアベの辞任表明の直後、“コロナ禍とクラシック音楽” をネタに自由に書いて、との提案をいただいたので、ここにその原稿を再掲させていただく (世界女性会議ロビイングネットワーク : 北京JAC [Japan Accountability Caucus for the Beijing Conference] の月報、第247号より) 。研究分野にも土足で入り込んできた政権の横暴さと、クラシックを取り仕切る業界のあり方が、規模の違いはあれ、何やらとても似ているところがあるから、この一文から上記の心配の因をくみ取っていただければ、と念じてのことだ。
 

 アベ逃亡後のコロナ禍とクラシック音楽

 この数年来、どこへ行くにも「アベ政治を許さない」というタグをズタ袋にぶら下げて動いてきた身には、何とも言い難い鬱屈感が残る。地元福島の原発被災地で今なお、「生業補償」を求めて的確・辛辣な批判情報を送ってくださる元NHKディレクターの表現をお借りするなら、『無名の大多数の国民の生命・・・誇りを根こそぎ奪い取ってきた追剥集団の棟梁の辞任表明』で、紙面を埋め尽くしているメディアの体たらくのせいである。
 同情を一切捨てて言ってしまおう。アベはにっちもさっちもいかなくなって、病気を口実にうわべばかりの辞任を表明したのではないのか。首相は辞めても、一議員として留まると明言しているのだ。森友問題が露呈した際、「自分と妻が関係しているのであれば、総理大臣も、議員も辞めますよ」とタンカを切った映像も繰り返し流されたというのに・・・どこまでも恥知らずな人間だ。辞めるなら責任取ってから辞めろ・・・これが大方のホンネだろう。
 のっけからクラシック音楽とは無関係なことを・・・ではない。「無名の大多数の国民」を置き去りに、最高権力者の動静ばかりを追う状況は、クラシック音楽界にもその通り重なるからだ。私の本業と決めている女性作曲家がいつまでも無視されている実態も、相変わらず・・・「大作曲家」ばかり手を祭り上げる音楽業界。海外から女性も含めこれまで名前を聞いたこともない作曲家とその作品の音源や楽譜が、それこそ連日飛び込んでくるというのに、専門誌の海外盤コーナーの記事を除けば、ほとんど見向きもされないままなのである。

 実は来る 9 月 2 日、ノヴァラの尼僧 / 作曲家イザベラ・レオナルダの生誕400年記念コンサートが予定されていたが、御多聞に漏れずコロナで延期となった。この企画、実はシチリア在住でイタリア・バロック音楽を専門とする日本女性が、昨年、一年早く生誕400年を迎えたヴェネツィアの歌手 / 作曲家バルバラ・ストロッツを顕彰するレクチャー・コンサートを東京で開催、大成功を受けての第 2 弾となるはずであった。そのストロッツィのプレ・レクチャーにお呼びいただいた私が「これぞ、この国の音楽界の “事件” では」と叫ぶも、音楽業界人たちは一切無視 ! その理由が、バッハに先立つ時期の女にまともな曲が造れるはずはないと思い込んでいたためなら、「ちょっとは勉強してよ」と諭すほかあるまい。

 国立歴史民俗博物館が初めて “ジェンダー” を掲げて日本史を見直すプロジェクトの音楽企画もオンラインとなった [歴博HP参照] 。主役は石井筆子。長崎の名家出身で、美しい装飾付きの「天使のピアノ」を嫁入り道具に鹿鳴館の華から一転、後半生は娘 3 人を喪う因となった知的障碍者の施設、滝乃川学園に献身するも「無名の人」とされてきた。だが筆子は、英仏の語学力と国際的人脈を以て、ナイチンゲールの偉業をいち早く日本に伝え、逆にデンマークの女性参政権運動に影響を与えた類まれな国際人だったのだ。盟友津田梅子が新 5 千円札に登場予定なら、筆子こそは “ノーブレス・オブリージュ” のお手本と称えてほしい。

 

 冒頭にあげた元NHKディレクターの方の福島生業訴訟は、なんとも嬉しいことに仙台高裁が国と東電への賠償責任を認め、ほぼ「完勝」の判決だった。だが例によって、最高裁で逆転敗訴、という憂き目を見ぬよう、祈るばかりだ。
 後段に触れたバルバラ・ストロッツィ (昨年第67回の連載でご案内済) に続く、イタリア・バロック女性作曲家生誕400年記念コンサートの第二弾、イザベッラ・レオナルダは上記の予告を裏切って、残念ながら中止 / 延期となったのかも・・・いまだ企画立案の佐々木なおみさんから確認情報が届いていないのだ。それにしてもまさに今、ベートーヴェン生誕250年の関連コンサートが、年末恒例行事と様変わりした第九の狂躁と相まって溢れかえっているこの国。そこに注がれる膨大なエネルギーが、400年前にすでに豊かな実績を積み重ねていた女性の音楽に、いくばくかは振り向けられないものか、と嘆かわしい限りである。

III. 改めて国立歴史博物館のイヴェントと石井筆子、そして北欧の女性たち


 『性差 [ジェンダー] の日本史』とのタイトルで 6 日から正式にスタートした本展は、歴博が初めて “ジェンダー・性差” を掲げた企画とあって、5 日の内覧会もかつてないほど取材申し込みも多く、国立の機関でももはや「ジェンダー」を避けて通ることはできなくなったのかと、感じられた。様々な偶然のご縁が生きて、企画代表者から、音楽の領域でも何か、とお誘いを受けた私は、民俗も日本も専門家ではないけど何とかできれば、との一念で、石井筆子を選んだ。死の二年前、回想録に書き込まれた「いばら路と知りて捧げし身にしあれば いかで撓まん撓むべきかは」―この31文字から筆子のめくるめく生きざまが言いようのない感慨とともに浮かんでくる。彼女については本連載第40回「近代化とは ? 石井筆子の生涯から垣間見たもの」 (2014/10更新) に募る想いを書き込んだので、この際、振り返っていただければ幸いである。

 連載執筆時には知らなかったことを、今ここで書き留めておこう。まずは長島要一『明治の国際人・石井筆子―デンマーク女性ヨハンネ・ミュンターとの交流』 (2014, 新評論) による新情報。いくつも実に興味深い事実が明らかにされているが、極めつけはヨハンネ・ミュンターというデンマーク女性に、かの国の女性参政権運動について助言を送っていた、という一件だ。筆子に関する最も重要な先行研究である「無名の人 石井筆子」 (2004,ドメス出版) が年表の1910年欄でしっかり記載しているものの、肝心の名前は “ヨハン・ムンター女史” とある。これでは男なのか女なのか、迷うではないか。思いがけぬ実績に出会うと、その発信主体が男と早合点するケースにはこれまでも多々ぶつかった。早晩本書の増補版で改訂されることを願いたい。

 本題に戻れば、まさか ! のデンマーとの結びつきが、歴博企画で筆子の遺品「天使のピアノ」による企画実現への決め手になった。現今のいかつい黒一色の威圧的なグランドピアノではなく、ガラスに焼き付けた天使の像と装飾豊かな燭台を備えた工芸品でもある筆子のアプライトピアノ。これにふさわしい曲目の選定に悩みつつも、ひそかにこれだけは絶対 ! と考えていたノルウェイの女性作曲家アガーテ・バッケル=グレンダールを取り上げる理由付けが得られたのだ。アガーテは画家の姉ハリエットとともに、祖国の女性参政権運動に参加、そのための女性合唱曲を作曲し、自ら指揮もして実演初演を果たしたのだから。このあたりは本通信第18回「社会参画と女性作曲家:グレンダールの場合」 (2010.10更新) で説明済みである。

 さらには北欧 3 国と一括されるスウェーデンにも、エルフリーダ・アンドレェという筋金入りのフェミニスト女性がいる。彼女はハリエット同様生涯独身で、教会のオルガニストおよび電子技師という、従来男性に限られて来た職域を女性に開放すべく国会に請願を重ね、見事そのポストを勝ち得た。二人の北欧女性作品に共通するのは、歴博で取り上げたような小品の枠内でも、すがすがしい生活の息吹で自然に根差す創作スタイルである。とはいえ、アガーテの高難度の技巧を要する華麗な演奏会用練習曲も出版・録音されてきたし、エルフリーダも、自らの楽器パイプオルガンによる壮大な規模の作品も多彩、このところCDリリースも重なっている。こうしたことをわざわざ書き足したのは、女には小品しか書けないのか・・・と勘繰る無知の輩を黙らせるためでもあった。

IV. 生誕200年のナイチンゲールと筆子
 再携稿でもちょっと触れたが、東京新聞 (2020/7/26 ) 朝刊の付録大図解の「ナイチンゲール ; 生誕200年」という大きな見開き記事のナイチンゲールの陰にも、筆子の存在がある。白衣の天使としてのみ思い浮かべるこのイギリス女性が、実は現今のコロナ禍への指南書となる理論を積み上げた素晴らしいケアの先駆者だった、というコメントだけでもびっくりだが、さらに番外として、津田梅子が写真入りで載っており、梅子がナイチンゲールとロンドンで面会した史実と、2024年発行予定の新5000円札には梅子が採用されると記されていた ! だがしかし、その梅子と筆子は親友同志、ともに1898年 6 月、アメリカでの万国婦人会議に日本代表として列席、英語でスピーチした実績がある。そればかりか、筆子は同年 3 月、ナイチンゲール存命中にその実績を詳しく紹介した一文を「大日本婦人教育会雑誌」に掲載していたのだ・・・これらを併せ考えれば、例の新聞記事に筆子の名前が全く出てこないのはなんとも奇妙だし、あまりにも恥ずかしいではないか・・・ !

 さて、歴博でのコンサートを見送る代わりに、ご当地滝乃川学園の礼拝堂―ここで筆子の葬儀もひっそり執り行われた―にて、「天使のピアノ」に拠りアガーテとエルフリーダを弾いてくださったのは三好優美子さん。彼女はすでにこのピアによるCDを作り、特殊な気配りが必要なこのピアノを弾きこなせる最適のピアニストだ。彼女の演奏姿を撮影した映像は歴博HPから、数日後には視聴可能になるはずである。私の出番は演奏の後、筆子とヨハンナとの関係も含め、二人の北欧女性の紹介などをコメントさせていただいただけ。例によって締まりなく話題があちこち飛んでしまい、お恥ずかしい限りだ。しかし日本人女性と教育・音楽をめぐって、私の後にコメントされた歴博教授の内田順子さんが、金井喜久子を軸にしっかり解説されている。素敵な演奏とともに、どうか繰り返しご覧いただきたい。

 すでにずいぶんと長く書き連ねてしまった。以下は今後の予定のメモにとどめたい。

A. 梨の木平和アカデミー連続講座・全 6 回 (原則として隔週木曜日 : 19時~21時)
「小林緑の音楽カフェ」と題して、フランスを中心に各回女性作曲家の音楽と社会について語り、音楽を聴いてもらう企画。オンラインで実際にどう音源を活用できるか、いまだ模索中。技術的に無理となれば話と図像のみの構成となるかも・・・
 日程は以下のように決定済み。お問い合わせは https:/npa-asia.net/
 お申し込みは (新) https://apply.npa-asia.net/

第 1 回 : 2020 / 10 / 29 ; 第 2 回 : 2020 / 11 / 12 ; 第 3 回 : 2020 / 11 /26
第 4 回 : 2020 / 12 / 10 ; 第 5 回 : 2021 / 1 /7 ; 第 6 回 : 2021 / 1 / 21

B. 平和の響きを織りなす女性作曲家たち
 第69回年末回顧でご報告した日本科学者会議の主催によるコンサート。
 今年も引き続き企画を依頼され、ライヴで講演も、との期待がやはりオンラインとなった。昨年来の流れで、歴博と重なる感じだが、今年は復興著しい北欧の女性作曲家を中心に、12月 5 日、19時より90分ほどの枠でお話しすることとなった。音源・動画がうまく活用できるか ? この閉塞状況、IT音痴の私にとってはどうにも先真っ暗なのだが・・・。

◎結びに代えて :
 「自民党は身を切る改革ではなく “水脈切る” 改革を」
   (日刊ゲンダイ、2020 / 10 / 3、「それでもバカとは戦え」) =適菜収
 「男性だけの会議は恥ずかしい」
   (『週刊金曜日、2020 / 10 / 2, 「女性登壇者データベース「SpeakHer」がスタート」) =小池モナ !
 以上は、いずれもほぼ定期的に入手している紙面から拾い上げたもの。こうした胸のすく発言もあるのだから、なんとか元気を取り戻していきたい。

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