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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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周辺事態法発動とその問題について(下)

2015年12月6日

今回は、前回(1)http://www.news-pj.net/news/32958での予告どおり、2009年北朝鮮の核実験を受けて、安倍内閣は周辺事態発動をどのように試みたのか、そしてそれが発動されなかったのはどのような背景があったのかについて論じたい。

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1718号決議の際に安保理議長国であった日本政府は、決議を受けて経済制裁に前のめりとなっていた。安倍政権内部ではさっそく、周辺事態法の適用と、特措法の適用という2段階の措置の検討を始めた。防衛庁は周辺事態認定が可能か内閣法制局と意見調整をすることとした。10月13日衆議院本会議で、石破元防衛庁長官が周辺事態認定で周辺事態船舶検査法を発動する、さらに船舶検査に強制力を持たせる特措法を制定することを政府に求めたことに対して、安倍首相は「政府としては常にあらゆる状況を想定し、いかなる対応が可能か検討する必要がある。」と答弁して石破質問に対して否定はしなかった。

周辺事態船舶検査法では、対象船舶を停止させるための武器を使用できず、乗船検査では船長の同意が必要であるなど、強制力が薄いものであるし、支援対象も米国だけで、その他の国の船舶検査活動への支援ができない。そのため、特措法制定が選択肢とされたのである。塩崎官房長官も同日の記者会見で「現行法制の中で何ができるか考えている。」と、周辺事態船舶検査法適用を検討していることを表明した。シーファー駐日大使も13日、米軍による船舶検査活動への日本による意味ある貢献を求める発言をしている。15日麻生外相は周辺事態認定が可能であることや、周辺事態法では強制的な船舶検査はできないので、当面は周辺事態法で対応し、特措法は時間をかけてきちんとやる、との二段階論を主張した。

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しかし政府与党内部では足並みが必ずしもそろっていなかった。防衛省、公明党は周辺事態認定には慎重であり、外務省は積極的であった。久間防衛庁長官や加藤紘一元自民党幹事長は、核爆発実験だけで周辺事態認定はできないと発言していた。

ここにきて問題は米国の対応に焦点が当たっていた。なぜなら、いくら日本政府が前のめりになっても、周辺事態法、同船舶検査法を発動するためには、周辺事態であることを認定したうえで、閣議で基本計画を決定し、国会の承認を経なければならないからだ。基本計画を作成するうえで、米軍がどのような活動をするかがわからなければ、基本計画は作りようがないのだ。

米国はライス国務長官を派遣して、日・韓・中との会談を行うことにしていた。米国は1718号決議を踏まえて、ブッシュ政権が提唱していた拡散対抗構想(PSI)を実行する方針であった。PSIとは、2002年12月ブッシュ政権が「大量破壊兵器と戦う国家戦略」の中で提唱したもので、北朝鮮やイランなどが大量破壊兵器と運搬手段である弾道ミサイルを開発・保有し、それを他国へひそかに輸出する活動を阻止するため、米国を中心にした有志連合により、公海上で船舶に対して船舶検査を行うという構想である。しかしこの構想に対しては、国際法上の根拠がない、国連海洋法条約に定められた公海の自由を侵害するなどの批判がなされており、日本政府は当初から積極的に参加していたが、韓国は参加していなかったものだ。ブッシュ政権とすれば、1718号決議はPSIに対して国際法上の根拠を与えるものと映ったのであろう。

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ライスと麻生との日米外相会談は10月18日開催され、1718号決議を実行するための日米の外務・防衛当局の事務レベルと、日米の軍レベルでの役割任務の調整及び、周辺事態法、船舶検査法適用に向けた調整を本格化させることを合意したと報道された。他方でライスは「米国は危機をエスカレートさせるつもりは全くない、決議は海上封鎖ではない。」と慎重な対応をすることも付け加えた。

米韓外相会談は10月19日に開催された。韓国政府はこれ以上北朝鮮を刺激することは避けようとしていた。韓国政府は米国政府から強く求められたPSIへの参加については同意しなかったようだ。

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北朝鮮が中国政府に対して、核爆発実験は複数回行うと通告したと米国のテレビが報道した。米偵察衛星も再度の核爆発実験の動きを察知していた。もし再度の核爆発実験を行えば、安倍内閣は周辺事態法、同船舶検査法を発動した可能性が高い。北朝鮮を巡る情勢は武力紛争の可能性をはらんで緊迫していた。これに対して、中国は外交のトップである唐国務委員、武大偉外務次官(6者協議議長)、戴筆頭外務次官などを10月18日に北朝鮮へ派遣して、異例の態勢で説得を試みることになる。ライス国務長官の訪中を前にした中国のこの動きは、北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、さらに核爆発実験を行った北朝鮮を、6者協議の席へ戻ることを説得し、米国からの譲歩(北朝鮮にたいする金融制裁解除)を引き出す動きと考えられた。6者協議議長国である中国として、事態の悪化を防ぐギリギリの動きであったのであろう。

中国のこの動きを理解するうえで、北朝鮮の核開発問題を巡る6者協議の経過を簡単に振り返る必要がある。そのことにより、2006年末頃から翌年2月にかけて、北朝鮮問題を巡り急速に緊張が緩和し、6者協議が一気に進展することで、日本政府が前のめりになっていた周辺事態法、同船舶検査法適用の可能性が失せたことを理解できるからである。

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2005年9月に6者協議は画期的な共同声明を発表し、北朝鮮の核開発問題が外交的に解決し得る道筋で合意した。しかしその直後から米国財務省は北朝鮮のドル紙幣偽造と違法資金洗浄を理由に、マカオの銀行に対する金融制裁と北朝鮮が保有する在米資産を凍結した。これはブッシュ政権内部での北朝鮮政策を巡る穏健路線と強硬路線の対立があり、米国政府の北朝鮮政策の混乱を反映したものだ。11月9日に第5回6者協議は何とか開催されたが、金融制裁解除を巡り決裂し、その後6者協議は開催できなくなった。2006年7月の北朝鮮による弾道ミサイル実験、10月の核爆発実験は、米国による金融制裁の解除を狙った北朝鮮による瀬戸際政策であった。2006年4月6者協議の北朝鮮代表金桂寛外務次官は「6者協議が遅れるのも悪くない。その間にわれわれはより多くの抑止力を作れるであろう。それが嫌なら金融制裁を解除すべきだ。」とその後の北朝鮮の瀬戸際政策を予感させる発言をしている。

ブッシュ政権の外交政策は、イラクとアフガニスタンで泥沼の武力紛争が続いており、イラン核開発問題では圧力をかけるだけで有効な解決手段を見いだせず、北朝鮮政策では危機を一層深めるだけという八方ふさがりの中で、11月中間選挙で与党共和党は大敗する。そのような背景の中でブッシュ政権は北朝鮮問題の外交的解決に向けて北朝鮮政策を大きく転換する必要に迫られた。

2007年1月に6者協議米首席代表のヒル国務次官補がベルリンで金桂寛と会談し、その直後にライスがベルリンへ入った。そこでライスはヒルから金桂寛との会談で合意された内容を確認したうえで、ブッシュへ同意を求めたようである。その際北朝鮮強硬派のチェイニー副大統領を外してブッシュと協議したと言われる。チェイニーが妨害することを避けたのであろう。それを受けてヒルは中国、韓国、日本を訪問し、金はロシアを訪問している。ベルリン会談で合意した内容を6者協議参加国へ説明して根回しをしたのである。ブッシュ政権は米朝ベルリン会談の段階で、それまでの北朝鮮政策(悪の枢軸路線)を決定的に転換した。朝日新聞が報道した米朝ベルリン合意の内容は、その後2月に開かれた6者協議で合意された「初期段階の措置」の内容ときわめて類似したものであったからである。以上の詳しい経過については自由法曹団通信1235号(2007年5月1日)「2・13 6か国協議合意文書をどう見るか(1)第三セッションへの途(上)http://www.jlaf.jp/tsushin/2007/1235.html#07」、同1236号(2007年5月11日)「2・13 6か国協議合意文書をどう見るか(1)第三セッションへの途(下)http://www.jlaf.jp/tsushin/2007/1236.html#06」を参照されたい。

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結局米国は2006年末ころから北朝鮮政策を180度転換して、金融制裁を解除して6者協議再開を図ろうとした。そのことから、安倍政権が進めようとしていた周辺事態法、同船舶検査法の適用という事態は避けることができた。

このような動きの中で周辺事態法、同船舶検査法の適用がされなかったことを、今回の安保法制発動を阻止するという観点から歴史を振り返ることは有益と思われる。その前にもう少し日本国内の動きを見ておく。民主党は当初小沢代表は反対を表明した。菅直人代表代行、鳩山幹事長も反対した。これに対して前原を中心にして、渡辺秀央が代表の民主党内の「国防省設置を早期に実現する議員連盟」所属議員などが反発し、周辺事態法、同船舶検査法発動を求めた。公明党は当初慎重であったが、10月19日幹事会で周辺事態法適用について執行部へ一任した。北側幹事長は、船舶検査で米軍へ協力すべきと発言したとのこと。このように国内政治では、米軍がPSIで軍事行動をとれば、周辺事態認定により軍事的協力をする方向性であったと考えられる。このような政治の動きに対して、市民の間では反対の動きはなかったように記憶している。

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安保法制が制定され、来年3月には施行されるという状況を前にして、これの発動を阻止するという観点から、2006年秋以降の北朝鮮問題を巡る動きを振り返れば、次のようなことを押さえておく必要があると思われる。

周辺事態法は法案審議の際に多くの市民の反対を受け、憲法違反の疑いをかけられながら成立させられた。しかし、それだけに周辺事態法を発動するには、それだけハードルは高くなったことは間違いないであろう。周辺事態法適用に前のめりになっていた安倍政権の動きに対して、政府内や政界でも慎重な意見が出ていたからである。

当時周辺事態法適用の動きに対して市民の反対運動が強まっていれば、政府や政界内の慎重意見はもっと強まっていたことであろう。しかしながら、当時国民は北朝鮮脅威論に強く影響を受け、世論調査では北朝鮮にたいする経済制裁強化を80%が支持するという事態であった。そのことが安倍政権の前のめりの姿勢を後押しした。もし南シナ海で中国との間で不測の事態が発生し、政府が重要影響事態認定に突き進もうとした場合、世論が中国脅威論に流されてしまえば安保法制の発動を阻止することはできないであろう。そのためには私たちが国際情勢を正確に認識し、中国脅威論に対して冷静に判断しなければならないであろう。

2006年秋から翌年2月にかけての北朝鮮問題を巡る北朝鮮を含む関係各国の国際政治上の動きは極めて複雑だが、逆にそれは単純に北朝鮮脅威論で動いているわけではないことが確認できる。南シナ海の不測の事態で中国脅威論に私達が向き合う場合も、それをめぐる関係各国、とりわけ米国とASEAN諸国の動きを注視しなければならない。中国脅威論や軍事的抑止論に流されてしまえば、国際政治の動きを敵と味方に峻別して見てしまう危険性がある。その結果日本自らが危機を深める行動をとってしまいかねない。

不測の事態に直面した際に、安保法制により軍事的抑止力一辺倒の対応が、事態の解決ではなく危機を一層深めるものであることを、2006年秋以降の北朝鮮問題を巡る動きが示していると思う。もし日本政府がPSIによる船舶検査を行うため周辺事態法、同船舶検査法を発動していたら、いかに中国が外交努力で危機を回避しようとしても、危機の深化と武力紛争への進展を防ぐことはできなかったかもしれない。日本は良くも悪くも東アジアでは大国の一角を占めている。危機に際して日本がどのような姿勢で臨むのかは重要なカギを握るのだ。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることがないように決意(憲法前文)」してことに当たるのか、それとも安保法制を発動して軍事的抑止力で対処するのかが問われている。

私たちが「腹を据えて」中国脅威論に立ち向かい、不測の事態を外交的に解決するという主権者の強い意思を示すことが必要であろう。

(筆者後注)

この論考は、当時の新聞記事をもとにして書いたものです。原資料にあたる能力はありませんので、誤った評価を含むかも知れません。また専門家が書いたものを参考にしたものでもありませんので、一面的な見方になっていると思います。それでも、朝鮮半島核危機をどのようにして回避したのかという大きな国際政治の動きが、周辺事態法、同船舶検査法発動という日本国内政治の動きを規定したことを理解していただけると思います。安保法制発動を阻止する運動にとって、このときの事態の進展は様々な教訓を与えてくれると思い書いてみました。

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