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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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クラシック音楽界は超男性世界!? 第46回 クラシック音楽の問題点(13)
チェンバロのパラドックス
谷戸基岩

2014年7月19日

政治を含めてあらゆるジャンルに関して言えることかもしれないが・・・わが国ではマスメディアの異常な発達を背景にクラシック音楽の「歴史」というものをひとつの教養として捉え、後世の価値観を背景に単純化して語りたがる傾向が強まっている。そして様々な重要な事柄であっても現代のクラシック音楽業界にとって即効性のあるメリットが無いものであるなら、「マニアックな話題」ということで本質的な議論から排除される傾向も顕著だ。そしてこうした「マニアック」という烙印を押されたような話題に関しては、海外で優れた研究が発表されてもそれが日本には伝わらない傾向がある。とりわけ「演奏史」という問題に関しては現代の様々な利権とはかけ離れたものであるがゆえに、議論から除外される傾向が強い。そんなひとつの例として今回はチェンバロ(独語、伊語が「チェンバロ」、仏語では「クラヴサン」英語では「ハープシコード」)という19世紀には一旦廃れ、20世紀になって復興運動が盛んになった楽器について語ってみたい。

●モダン・チェンバロのパラドックス

まず「モダン・チェンバロ」の問題。20世紀前半に書かれたフランシス・プーランクのクラヴサン(=チェンバロ)協奏曲《田園の合奏》やマヌエル・デ・ファリャのチェンバロ協奏曲は本来20世紀におけるこの楽器の復興運動の立役者とされているワンダ・ランドフスカのための作品である。従って彼女が愛用していたプレイエル社のクラヴサンを使用することが前提となる。このプレイエル社の楽器は金属フレームを装備し、その強い張力に耐えうる構造ゆえに、17、18世紀の楽器を忠実にコピーしたいわゆる「ピリオド楽器」よりもより大きな音を出すことが可能であった。また作りが頑丈なので、楽器の移送が20世紀前半においても比較的安心して行うことが出来た。砂漠ではラクダの背に乗せ、ロシアでは橇に乗せて運んだという逸話も残っている。

ところが最近になってこの曲が稀に演奏される機会に恵まれても、本来ランドフスカが愛用したプレイエル社のモダン・チェンバロではなく、ピリオド楽器(すなわち17、18世紀の楽器の忠実なレプリカ)で演奏されてしまうのだ。音量が小さいのでマイクロフォンを使って電気増幅されることも少なくない。これはとても変な話だ。本来「ピリオド楽器」派のチェンバロ奏者たちは作品が書かれた当時の楽器やそれを模したレプリカで演奏するのが原則だ。それなのに彼・彼女はどうして20世紀のプーランクやファリャにおいてはその原則を無視しているのか?

実はピリオド楽器のチェンバロ奏者にとってプレイエル社のランドフスカ・モデルのようなモダン・チェンバロは鍵盤が重く、タッチが全く異なるので弾きづらいという事情があるようなのだ。つまりピリオド楽器のチェンバロとモダン・チェンバロとは全く別な楽器と考えた方がいい。しかしなまじ「クラヴサン(チェンバロ)のための・・・」いう楽器指定であるがためにピリオド楽器のチェンバロ奏者にお鉢が回って来てしまうのだ。それともうひとつの事情は1970年代あたりを分岐点にモダン・チェンバロよりもピリオド楽器のチェンバロの方が業界全体として優位になり、1990年頃には前者はほとんど淘汰されたかの感がある。今ではプレイエル社の「ランドフスカ・モデル」で演奏可能な楽器を探す方が、様々なピリオド楽器のチェンバロを調達するよりも困難になってしまっている。

しかしだからといってこれは一種のダブル・スタンダードではないか? 作品の本質に迫るにはピリオド楽器でなくてはと片方では言いつつ、20世紀のチェンバロ作品に関してはピリオド楽器(すなわちこの場合にはランドフスカ・モデルのプレイエル社のもの)でなくても良いというのは筋が通らないと考えるのは私だけであろうか? しかしこうした問題に疑問を呈する人は少ない。何故なら「モダン・チェンバロというのは劣悪な楽器だから廃れたのだ」という思い込みをしている人が圧倒的に多いからだし、多くの人がそういう風に歴史を刷り込まれているのだ。特に古楽の関係者にこうした人が多い。彼らは「モダン・ピアノ」は別な楽器として認めるにもかかわらず、「モダン・チェンバロ」はその存在自体が忌まわしいものであるかのように考えているのだ。ランドフスカ最後の門下生のラファエル・プヤーナのようにデビュー当時はランドフスカ・モデルの楽器を使用していたものの、ピリオド楽器にとっての環境が徐々に整うにつれて、後者をもっぱら使うようになった人が多かったのは事実だ。というのもピリオド楽器の運動が勢いを増すにつれて古楽の世界では、モダン・チェンバロを使い続けるのはチェンバロ奏者として怠慢といった業界の世論が次第に形成されて行き、それに逆らうのは相当な覚悟が必要になって行ったからである。

しかし間違いなく言えることは、少なくとも1960年代頃まではモダン・チェンバロにはチェンバロという楽器としての受容史があったということだ。ルッジェーロ・ジェルリン、ユゲット・グレミー・ショリアック、エメ・ヴァン・ド・ヴィールといったランドフスカ門下生をはじめとして、シルヴィア・マーロウ、ルチアーノ・スグリッツィ、ラルフ・カークパトリック、カール・リヒターといった鍵盤楽器奏者たちが、プレイエル社のランドフスカ・モデル、ノイペルト社のバッハ・モデルといった今日ではモダン・チェンバロに分類される楽器で数々の録音を行っていた。そうした諸々の録音・演奏を単に「モダン・チェンバロだから」という理由だけで無視して良いものだろうか?

●ポピュラー音楽の中でのモダン・チェンバロ

さらにクラシック音楽とは関係ないと言ってしまえばそれまでだが、ポピュラー音楽の世界におけるチェンバロの使用といえば1960年代までは圧倒的にモダン・チェンバロだった。ヤードバーズはランドフスカ・モデルの楽器をフィーチャーした「フォー・ユア・ラヴ」を発表し、この曲は全英ヒット・チャートの第3位まで上昇する彼らの最初のビッグ・ヒットとなった。エリック・クラプトン時代の録音だが、この曲は彼がヤードバーズを辞めるきっかけになった曲としても有名だ。録音に際してはゲスト・ミュージシャンのブライアン・オーガーがチェンバロを弾き、リード・ギタリストのクラプトンは不在で録音は進められた。ヤードバーズはその後も「ハートせつなく」でインドの民族楽器シタールを取り入れようとしたり(結局、ジェフ・ベックがシタールに音を似せたカッコいいギター・ソロで評判になった)、「スティル・アイム・サッド」ではチャントのスタイルを取り入れたりと斬新な感覚の音楽創りに意欲を燃やしていた。ロック・グループではヤードバーズ以外にもドアーズ、レフト・バンク、ピンク・フロイドなどがチェンバロを使用した楽曲を発表しているし、ジャズではベン・ウェブスター・クァルテットのLP「シー・ユー・アット・ザ・フェア」に収められた2曲(「ジャズ・ランドの子守歌」、「僕らが踊っている間に」)などがとても印象的だ。1950年代に盛んだったエキゾチック・ミュージックにも怪しげな異国情緒を掻き立てる楽器としてチェンバロは盛んに使われていた。マーティン・デニーの「りんご追分」など非日常的な響きとして、銅鑼などと一緒にチェンバロが使用されている。しかし何よりも最も有名なのはフランシス・レイが作曲した映画「ある愛の詩」のテーマ曲ではあるまいか。明らかにピアノ向きのメロディだが、チェンバロで演奏されるミス・マッチな感じが独特な味となっている。これらで使用されている楽器は特定できないが恐らく今日的な仕分けではモダン・チェンバロに分類されるものだったと考えられる。こうした音が今日一般的なピリオド楽器のチェンバロの音だったら・・・随分と音楽の印象は変わったものになるのではないだろうか? ちょうど1960年代のエレクトリック・オルガンの音が今日の楽器では再現困難と言われているのと同様に。

●チェンバロについてもっと語られるべきこと

私がこんなことを敢えて語るのも、実際に1960年代以降をずっと様々な音楽を聴きながら過ごし、チェンバロという楽器がモダン・チェンバロ優勢の時代からピリオド楽器派の勝利へと移行する過程において試聴体験を重ねてきたからに他ならない。ただ私はピリオド楽器運動推進と歴史的録音の尊重というどちらのサイドにもレコード・コレクターとして約45年間にわたり強い関心を持ち、レコード会社のクラシック担当者、ついで音楽評論家といった業界人として約35年間にわたり関与してきた。一見矛盾するように思えるが20世紀後半という時代において、クラシック音楽業界の趨勢に対し批判的な立場であるという点では共通していたのだ。その点で私は自分のことをウルトラ保守派、ウルトラ伝統派と考えている。

ここでもうひとつ歴史を単純化して語ることの問題点をチェンバロについて記したい。私は音楽家としてのワンダ・ランドフスカを20世紀が生んだ最高の音楽家の一人と思っているし、チェンバロという楽器の復興運動に大変重要な貢献を果たしたことは認める。けれども一般的に語られているように彼女が初期のチェンバロ復興運動の最初の、あるいは唯一の功労者とは全く考えていない。何故なら彼女以前にも重要なチェンバロの復興運動の歴史があったからだ。19世紀半ばには作曲家で音楽学者でもあったフランソワ=ジョゼフ・フェティスのように自らの「歴史的なコンサート」でチェンバロを使った人もいた。パリ音楽院ピアノ科の教授であったルイ・ディエメルは当時のフランスを代表するピアノ・メーカーであったエラール社とプレイエル社に新たにチェンバロを製作させ、1889年のパリ万国博覧会で繰り返し演奏。さらに作曲家のジュール・マスネにこの楽器のための作品を書かせているほどだったのだ。また英国、アメリカ、フランスなど各地で楽器製作と演奏の両面から古楽運動を展開したアーノルド・ドルメッチとその一族のチェンバロという楽器に対する貢献を忘れてはならない。その薫陶を受けたイギリスの女性奏者で、近年その評伝も出版されSP時代の録音が復刻されているヴァイオレット・ゴードン・ウッドハウスも大いに注目すべき存在だ。少し後の時代ではイギリスの優れた学者であり、高い音楽性も兼ね備えた稀有な奏者サーストン・ダートの存在も大きかった。あるいは自らのコレクションを駆使して徹頭徹尾レプリカではなくオリジナル楽器を修復して演奏することにこだわったドイツのフリッツ・ノイマイヤーのような人もいた。そうした活動を今日の楽器修復技術やレプリカ製作技術の向上、演奏様式研究の発展を背景に批判することは可能かもしれない。しかしもし仮にそうであったとしても楽器や演奏スタイルの正統性(オーセンティシティ)とその演奏の音楽としての価値は全く別物なのだ。

実はチェンバロの一番の問題は楽器それ自体と演奏様式が今日のトレンドに合致しているのかといった正統性にこだわるあまり、もっと本質的な、音楽としての評価という問題が疎かになりがちだということではないか? もっと判りやすく言えば、どんなにミスマッチな楽器を使っていようが魅力的な演奏は優れた演奏なのだ、ということである。あるいは多少メンテナンスの状態が悪い楽器で演奏していても、演奏様式が今日のトレンドに合致していなくても・・・。逆に言えば楽器がどんなに良く製作・メンテナンスされ、演奏スタイルも今日のオーセンティシティの要件を満たしていたとしても、演奏自体がつまらなければそのことは何の意味もないのだ。音楽として価値が無いのだから・・・

勿論、私はピリオド楽器による演奏に決して否定的なわけではない。素晴らしい音楽性を示してくれたピリオド楽器派のチェンバリストたちの録音や実演に数多く接して来た。ウィリアム・クリスティ、ブランディーヌ・ヴェルレ、ジョス・ファン・インマゼール、クリストフ・ルセ、スコット・ロス、オリヴィエ・ボーモン、ピエール・アンタイ、リナルド・アレッサンドリーニ、ジークベルト・ランペ、武久源造・・・

ある意味で、私は1960年代末あたりから現代に至るまで、歴史的録音にも最新の古楽演奏にも興味を持ってチェンバロを聴き続けたお蔭で、モダン楽器もピリオド楽器も分け隔てなく楽しめるようになったと言える。その点では音楽愛好家として本当にラッキーだったと改めて思う。

2014年7月20日 谷戸基岩

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