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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第59回 クラシック音楽の問題点(15)
「2016年回顧」

寄稿:谷戸 基岩

2017年4月20日

 考えてみたら昨年一年間、この連載を一度も更新しなかった。色々と考えてはいたのだが一回としてまとめるほどの大きなテーマが無かったのが原因ではないかと思う。とはいえ2016年に何もなかったわけではない。そうこうしているうちに、2004年から毎年記してきた「音楽の友」誌の「コンサート・ベストテン」から2016年分は外されてしまった。他誌にピアノ限定の「ベストテン」を発表したという理由で掲載を拒否された2011年を除いてずっと続けてきたのだが・・・私は基本的にリベラルな立場だし、政治的な問題も含め言いたいことははっきり表明することにしている。歴史的に見てもクラシック音楽と政治・社会情勢は作品評価の問題まで含め実に密接に関係しているという現実があるからだ。また私は自分を評論家である以前にまず消費者として考えているので、自分が関心のあるコンサートしか聴きに行かない。ましてや業界のコンセンサスを作るのには全く興味がない。本来のクラシック音楽業界のコンセンサスは、評論家たちがそれぞれ自分の趣味に忠実に行動した結果得られたものでなくては意味が無いのではないか、と個人的には思っている。
 折角の機会なので、以前から考えていた私のような音楽評論家が好きな読者(希にいらっしゃるようだが・・・)にとって役に立つ「ベストテンの在り方」をこのコーナーで実践してみたい。まずは選者がどういう嗜好で、何を目的に一年間コンサートに通っているかが明示されるべきではないか? またベストテンの一覧を作るにしても、それぞれのコンサートを評価するポイントは演奏者名だけでは伝わらないケースも多々あるので、タイトル及び演奏者名の項目には長短が生じる。そして私の場合には他の評論家が聴きに来ていないようなコンサートも少なくないので、それぞれの公演をどうして選んだのかをちゃんと説明する必要がある。そんな訳で私なりに一年を総括し、優れたコンサート10公演をそれぞれの選考理由も含め紹介する。今回はそれと同時に昨年、評論活動をしていて印象に残った事柄もいくつか触れてみたい。

●谷戸基岩のコンサート・ベストテン2016
 「音楽の友」誌で2015年分まで記してきた記事との継続性維持のため、対象期間は2015年12月1日~2016年11月30日と設定した。

〔谷戸基岩の基本データ〕
★通ったコンサート数:270
〔年間240(つまり月平均20)を切ったら私はあらゆる形での「ベストテン」の公表を止めるつもり。先述の通り私は第一に消費者として自分を考えている。それゆえそんなレベルのコンサート通いでは、いつも会場で顔を合わせる方々、つまり原則としてチケットを買って通っているヘヴィー・コンサートゴーアーに対して余りにも失礼だと思うからだ。〕
★主に聴いたジャンル:室内楽、器楽(特にピアノとハープ)、古楽、現代音楽
★こだわって聴いているポイント:
 ①邦人アーティスト
 その理由:音楽評論家は自らが活動している国のアーティストに関して最も責任があると考
      えるため。「地球規模で考え、地域的に行動する」が私の行動哲学でもある。
      いつまでも外来アーティストを盲信するのではなく・・・。
 ②知られざる作品の探求
 その理由:何よりも価値観の多様性の確保。画一的な価値観の押し付けはクラシック音楽を
      「個人的な愉しい趣味」から単なる「一般教養」に劣化させてしまうため。
 ③優れた才能を持ったアーティストの発掘、確認
 その理由:自分もしくは妻〔小林緑〕の主催コンサートにご出演いただくアーティストを発
      掘および確認するための調査が必要なため。主催者は音楽家の評価を他人任せに
      するのではなく、自らの納得が行く者・団体を選ばなくてはいけないから。
 
○内門卓也 ピアノ・リサイタル 
 2015年12月4日 ムジカーザ
 若手の有望株として伴奏者としての活動ばかりが注目されているが、ソリストとしても作曲家としてのセンスを生かした解釈が面白い。この日はショパン「前奏曲集op.28」で同じ調号の長・短調のペアリングを重視して演奏。私はかつてニコラーエワによる実演に接して以来第24曲に関して「十字架上のキリスト」を表象していると思って来たが、この日の内門の演奏に接し第23曲は「奇跡を施すキリスト」を連想させられた。
 
○EXICITING ENSEMBLE 若手音楽家育成応援プロジェクト第5回
 /金木博幸(チェロ)、松本望(ピアノ)、藤江扶紀(ヴァイオリン)   
 2016年1月12日 カワイ表参道 パウゼ
 若手音楽家、特にアンサンブル・ピアニストの育成に力を注いでいる金木の室内楽シリーズ。注目株の松本がしっかりとパッセージが呼吸させつつ熱演。文字通りエキサイティングな「チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲」が圧巻だった。こうした若手・中堅ピアニストにベテランの室内楽経験を伝授するプロジェクトの重要性はもっと認識されるべきではないか。
 
○平野一郎:八幡大縁起、ほか
 /藏野雅彦指揮八幡市民オーケストラ、「八幡大縁起」合唱団、ほか
 2016年1月31日 八幡市文化センター(京都府)
 日本会議のような明治維新以降の近代国家神道を背景にした極右組織が政治に大きな影響力を振るう中、本来の神道とは、そして日本人古来の信仰は何なのか? このところ私はそうした問題に強い関心を抱いている。現代のクラシック音楽界では平野一郎が真摯に古代信仰と祭祀、そして音楽との関係について探求している。ここでは八幡神信仰が力強く取り上げられた。その創作活動はもっと注目されるべきだ。

○グリーグ:劇付随音楽《ペール・ギュント》
 /ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルハーモニー、石丸幹二(語り)、ほか
 2016年4月27日 東京オペラシティ コンサートホール
 なかなか全曲版で聴く機会が無いだけにグリーグ・ファンとしてこの公演はありがたかった。なおかつ「ソールヴェイの歌」の劇音楽版と管弦楽組曲版との違いを考慮に入れてハープの入った後者も別途組み込むなど、作品に対するプレトニョフの深い理解と愛情を感じさせた。石丸の語りもストーリーの理解には実に適切。寺西基之による曲目解説も秀逸だった!

○照らし合うものVol.1「パラフレーズの広場、再生の泉」(第56回定期演奏会)
 /アンサンブル・ノマド、吉川真澄(ソプラノ)、ほか
 2016年5月8日 東京オペラシティ リサイタルホール
 2014年にTHAADの一環としてXバンドレーダーが設置された丹後半島北端部の経ヶ岬。かつて沖で暴れた龍を文殊菩薩が鎮めた地で行われる好戦的な威嚇への抗議を表明した平野一郎の新作「龍を踏む者」の世界初演を含むプログラム。いつもながらの現代社会と音楽との緊密な関係性を問いかけるアンサンブル・ノマドの優れた活動からは目が離せない。

○第2回両国アートフェスティバル2016「四分音ピアノの世界」
 /藤井一興、黒田亜樹、須藤千晴、保屋野美和、小林侑奈(ピアノ)
 2016年8月7日 両国門天ホール
 四分音に対応するように調律された二台のピアノによるヴィシネグラツキーとアイヴズの3作品。耳がおかしくなった? 調律が狂っている? と思わされるような実に不思議な感覚の響きに圧倒された。長時間聴くのはしんどいが、このような機会は希であり、ありがたい。その場でアンリエット・ピュイグ=ロジェ・藤井一興組によるヴィシネグラツキーのCD(fontec 1987年録音)を購入。

○サントリー芸術財団サマーフェスティバル2016「佐藤紀雄がひらく」
 /佐藤紀雄指揮アンサンブル・ノマド、ほか
 2016年8月27日 サントリーホール(大)
 リュック・フェラーリの「ソシエテⅡ―そしてもしピアノが女体だったら」の狂気すら感じるほどに暴力的で騒々しい音楽がとても刺激的で面白かった。けれどもそれ以上に、興奮が覚めやらぬところでアンコールとして武満徹の「波の盆」の音楽を演奏した点が実に見事。私にとって武満の最高傑作ながら、なかなか実演で耳にすることの無い名曲だけに感謝感激だ!

○南紫音ヴァイオリン・リサイタル/須関裕子(ピアノ)
 2016年10月22日 府中の森芸術劇場ウィーンホール
 南に関しては優れたヴァイオリニストであることは以前から認識していたものの熱心に追いかけるには何か物足りないと感じていた。しかしこの日の演奏では感情がしっかりと表に出てきて心を打つようになった。ここ数年でとても成熟して来たことを実感させられた。室内楽界で目覚しい活躍を続ける須関共々、今後が大いに楽しみ。
  
○故入野義朗生誕95年記念コンサート
 /田中一結(ピアノ)、西川竜太指揮ヴォクスマーナ、多久潤一朗(フルート)、ほか
 2016年11月14日 東京オペラシティ リサイタルホール
 演奏されたほとんどの作品はCDが無く、これまで耳にすることの出来ないものばかりだったが、初めて魅力的な12音技法の作品を聴いたような気がした。12音技法が目的ではなく、自己表現に必要な書法を求めていくうちに12音技法になったというプログラムでの説明にも納得させられた。このライヴCDの発売が待ち遠しい。
 
○オール・アルカン・ピアノリサイタルvol.3/森下 唯
 2016年11月18日 すみだトリフォニーホール(小)
 やはり「餅は餅屋」というべきか、アルカンの作品を探求し続けて来た森下ならではの味のあるリサイタル。難曲「協奏曲」での作品を手中に収めた人ならではの見通しの良さで曲をより魅力的に提示していた。アンコールで取り上げた「サルタレッロ」の効果も圧倒的だった。アンコール・ピースとして定着させて欲しいもの。

○ハープ・リサイタル/山宮るり子
 2016年11月20日 りゅーとぴあ 能楽堂(新潟市)
 昨年恐らく最も熱心に聴いたハーピストが山宮。その高い演奏能力とハープのためのオリジナル作品に対するこだわりは大いに評価したい。この日は改訂初演となった新潟出身の小西奈雅子の「Dream of summer night」が特に印象に残った。ひとつ問題があるとするなら、黛敏郎の「ROKUDAN」がプログラムにあった点ではないか。極右組織日本会議の活動が物議を醸すこの時期に、その創設メンバーのひとり黛の作品をなぜ、わざわざ取り上げる必要があったのだろうか?

●私自身がチラシの推薦文あるいはプログラムの演奏者についてのコメントを書いたコンサート
 についての結果報告。

 あるコンサートに関して推薦文、コメント(各種記事も含めて)を書いた人間は執筆者としての責任があると私は考える。それをちゃんとコンサートで聴き、結果的にどうだったのかを報告するのは当然のことではないか? そして他人に薦めて良くなかったら謝罪する機会を持つべきではないか。読者の中には単なる「自画自賛」のように捉える方もいらっしゃるかもしれないが、以下に私なりの執筆責任として結果報告を記す。

○吉野直子(ハープ)
 2016年2月6日 サントリーホール(小)
 そう、やはりハープの本当の魅力を広くクラシック音楽界全体に伝えるにはルニエ、グランジャニー、サルゼド、トゥルニエといった優れたハーピスト・作曲家たちの作品をその作曲家名とともに広く知らしめる必要がある。後半が近代ハープ音楽史に多大な貢献を果たしたルニエのオリジナル作品ばかりという破格なプログラミングは吉野にとってさえもかなり大きな負担だったはず。しかしキッチリとこなすあたりが世界的名手の真の実力といえるだろう。

○イマジン七夕コンサート
 2016年7月6日 サントリーホール(大)
 宣伝チラシで私がその魅力について記した音楽監督の山田武彦、今回から新加入の山宮るり子、佐藤久成に関してはそれぞれの実力をしっかり発揮していたので、推薦文を書いた責任は果たせたのではないかと思う。それにしても佐藤久成と山田武彦との初共演、以前から「優れた伴奏ピアニストは?」と問われて故宇野功芳氏に山田をお薦めしていたのだが、とうとうお聴きいただけず本当に残念だった。

○エマニュエル・セソン(ハープ)
 2016年7月10日 兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
 最初にお断りを。”Ceysson”の”ey”もしくは”eys”は”è”と同じ発音なのでこの人のカタカナ表記は「セイソン」ではなく「セソン」が正しい。現在、世界最高の男性ハーピストがその圧倒的な実力を見せつけた。ただただ脱帽! その演奏・コンセプトともに優れた録音活動にも是非ご注目いただきたい。外来アーティストの公演ではこれを1位に挙げたい。ただ隣の女性のフライング・ブラヴォーの連発には怒り心頭で、終演後に注意した。

○古沢淑子生誕100年記念、井上二葉ピアノ演奏会/浜田理恵(ソプラノ)
 2016年10月16日三原市芸術文化センター ポポロホール(広島県)
 アーティストの人柄と魅力をしっかりと体現したリサイタル。フランス音楽の日本への紹介者としての古沢の功績を讃え、フランス音楽の黄金時代とされるルイ王朝時代のベルサイユ楽派と国民音楽協会設立以降の近代音楽からの選曲。いつもながらの作品それ自体に語らせる演奏、配慮の行き届いた解説は実に見事!

●コンサートに通っていて気づいたこと
 ここ数年ウィークデイの昼間に催されるコンサートの数が急速に増加している。そして実際に私も行く回数が増え、その盛況ぶりに驚いている。十数年前に私がある会議の席で「これからは平日の昼間のコンサートが重要」と発言したら出席者たちから冷笑されたことをふと思い出す。やはりこれは日本社会の高齢化の急激な進行という現実から当然の帰結ともいえるかもしれない。例えばデイケア・サービス、介護士の派遣などで家族の介護の心配をせずに出かけられる時間帯であることが受けているということか。と同時に今後は通常のコンサート時間帯における「託児あり」や「0歳から可」といった在り方と同様に、「介護あり」、「認知症可」(もっと適切な表現が必要だろうがすぐに思いつけなかった)といったコンサートの在り方についても考える必要があるのではないだろうか?

●佐村河内守事件のその後
 最近では佐村河内守ビジネスがいつの間にか新垣隆ビジネスへと変貌を遂げている現状に驚きを禁じ得ない。罪の償いという行為はそんなに短期間で済むことなのか? この事件に関連して改めて森 達也監督映画《FAKE》を見て強く感じたのは、日本のバラエティ番組制作現場のいい加減さとこの問題への疑問を理路整然と佐村河内氏本人に面と向かって厳しく問いかける海外のジャーナリストの真剣さ。ジャーナリズムに関与する人間の質のこの余りにも大きすぎるギャップがわが国の問題なのだと実感した。この事件に関連して聴覚障害の問題に真摯に向き合っている吉本浩二氏の「ビッグコミック・スペリオール」連載漫画「淋しいのはアンタだけじゃない」はこれまで私がほとんど知らなかった聴覚障害の実態を判りやすく丁寧に説明してくれていて大いにためになった。単行本にもなっているので、一読をお勧めしたい。

●「海道東征」騒動
 本稿はNPJの連載なので、ひとつの問題提起として「レコード芸術」誌昨年6月号の「レコ芸相談室」で読者の信時潔「海道東征」に関する質問への私の回答に対して、翌月号の同欄においてなされた俵孝太郎氏の反論(これらの詳細は同誌をご参照いただきたい)についてひとこと触れておこう。
 念のために私のこの問題(戦前日本のクラシック音楽の歴史と「海道東征」)に対する基本的な考え方は以下の通り。
(1)太平洋戦争以前の日本には「国民楽派」とも呼ぶべき優れたクラシック音楽が多数あった。
(2)しかし戦時中に多くの作曲家達が国威発揚・戦意高揚のための音楽を書いたことにより(「海道東征」もそうした作品のひとつと私は考える)、戦後になってから戦争責任の問題を棚上げするために一部の有名曲を除いて戦前の音楽の多くが封印され、あるいは過小評価されるようになり、語られなくなった。
(3)音楽の世界における戦争責任の問題をきちっと検証・整理し、作品の仕分けをしっかりした上で、我が国の戦前の音楽遺産をもっと世に広めていくべきだ。
(4)「海道東征」を聴くのであれば、この曲が国威発揚、戦意高揚のために使われていた時代に録音された木下保指揮東京音楽学校(合唱)・同管弦楽部、ほかによるSPの復刻盤を聴くのが最も推奨されよう。良かれ悪しかれそこにはこの作品が演奏される必然があったのだから。戦中日本の負の歴史の記憶と共にこれは聴かれるべきものなのだ。
 俵氏の反論を読んでいると、論点のすり替えといい、人を小馬鹿にして喚き散らすような論調といい、安倍首相の答弁を思い起こさせられる。政治・歴史に対する見方は人それぞれだから仕方ないとして、ひとつだけ俵氏の反論の問題点を指摘しておこう。それは戦時中に日本音楽文化協会などに所属し言論統制に加担したものの戦後において音楽評論家として活動した3人(文中ではイニシャルでY、S、Yと表記)を引き合いに出し、信時潔が戦後に活動を停止し沈黙したことを讃えている点。しかしそれならば引き合いに出すべきは、YはYでも戦前に権力をふるい国威発揚の音楽を数多く書き、戦後も活動を続けた作曲家の山田耕筰ではないか。それならば納得が行くし、俵氏の反論で唯一評価すべき点となったであろうに・・・。
 いずれにせよ、私は戦時中に特高によって何度も拘置されながらも徹頭徹尾反戦を貫いた吉田隆子の態度が作曲家としては最も立派だった、と考える。

●終わりに
 このところ「森友学園」問題などで政界・官界・財界それぞれのでたらめさが明らかになっている。そんな中、安倍昭恵氏が話題になる度に思い出すことがある。第一次安倍政権時代に海外で活躍しているある邦人アーティストのコンサートでのこと。トークの中で彼が突然、昭恵氏が客席にいることを自慢げに喋って聴衆の注目を浴びるように演出したのだった。当時は何と下品なトークをする男なのかと思ったものだった。しかし今になってみると、彼は昭恵氏もしくはその意向を忖度した人々から何らかの利益供与を受けていたのだろうか? それともただ自分と親しい人物の権威を誇示したいだけだったのか? そんな疑問が頭をもたげて来てしまった。
 クラシック音楽業界はその導入も含めた体質的な問題から、いやでも政界・財界・官界と関わり合いにならざるを得ないのかもしれない。ただ間違いなく言えることは演奏する作品は誰が、いつ、どの様な目的で書いたものなのか、そして今それを演奏することにどのような意味と効果があるのかは慎重に考察することが音楽家たちには求められている時代なのではないか、ということ。極右・独裁というに等しい安倍政権下の日本で、あらゆる方面での右傾化圧力の強まりの中、今まさにクラシック音楽自体の在り方が問われているのではあるまいか? 

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