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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ~アフリカ熱帯林・存亡との戦い
第5回 「保全業という仕事~コンサート指揮者のような役目」

2014年5月5日

ここ1-2年、民放等ほとんどすべてのテレビ局から次々と撮影の依頼があった。 「世界の果てに住む日本人」 にターゲットを向け、それを面白おかしく紹介するような企画。 もちろんそうした番組を作る人の狙いは、通常の日本人にとって珍獣奇獣のような対象である日本人を芸能人が取材する形で視聴率を上げようとし、 おそらく大方の視聴者も 「そんな辺鄙なところで、また、なんでまた、たいへんね~」 くらいの感想しか呼び起さぬ番組である。 中にはいきなりこちらコンゴにまで電話をしてきて、挨拶もろくにせずに、いきなり、 「あの~、もう企画が決まったので、あと2週間でそちらに行きますが、撮影許可や現地の交通手段など大丈夫でしょうか」 などと問うて来た番組担当者もいた。 こちらの都合を一切顧みないような企画の仕方、こちらの仕事や生活を尊重すらしない番組、一切お断りしている。 無論、われわれ 「野生生物保全」 に従事している者にとっては、 野生の地と野生生物を保全するのに役に立つようなメッセージを含むドキュメンタリー番組しか引き受けないので、 好奇心のみで個人を取材するような番組はもってのほかである。

国際NGOに属していて環境保全や野生生物の仕事 「保全業」 をしているという自分を、うらやむような人がいる。 特に、若い人には少なくない。憧れの職であるらしい。しかし、きっと多くの方は実際にどんな職業なのかを知らないであろう。 ひょっとしたら、すぐ身近に野生動物がいて、犬猫のようにかわいがって世話をしているといった光景を想像している人は意外に多いのではないだろうか。 あるいは、怪我や病気をした野生動物を引き取って、面倒を見た後、野生に復帰させる、そうした 「感動的な」 役職であるとでも思っているのであろうか。 少なくても、獣医と我々の仕事とは直接は関係がない。

「いやなら、やめてしまえ!」。ぼくはこの業界に入って、何度も自分に対してこう言い聞かせてきた。 すでに前記で述べたように、健康的な生活ではあるだろうが、日本のような便利のよい快適な生活ではない。 森の中は沼地だらけで、歩けば靴はドロドロになるし、場合によってはドブ臭いにおいもする。湿気が高いから、洗濯物もぬれた靴も乾かない。 高湿ゆえ食糧の管理も大変だし、村から数10km離れているがゆえ食糧補給も容易でない。 食糧は徒歩で担いで運ぶことが多いので、最小限のものしか運べず、長期保存ができる限られた種類のものしか食べられない日々。 無論、お酒や冷たいソフトドリンクもない。湿気のため、カメラなどの機械類のメンテもたいへんだ。 ぼくももう何台もパソコンやカメラをつぶしている。ときには雷雨が激しく雨具など役に立たず、ずぶぬれになることもある。

圧巻は虫。詳細はまた別稿に譲るが、たとえば、アフリカミツバチが襲来すれば食事どころではないし、 ハリナシバチの猛襲を受ければ目も開けられずその場にいられなくなる。 何百万の大群をなすサファリアリは、あっという間につま先から頭の上まで駆け上がり、容赦なくからだを強烈に噛み続ける。

大群を組んで行列で移動するサファリアリ © 西原智昭撮影

それだけではない。毒ヘビはいくらでもいるし、種類によって咬まれて即死のケースもある。 見通しの悪い森の中でマルミミゾウに出くわせば、驚いたゾウがこちらに突進してくる可能性もある。 病気になれば近くに病院などないし、通信手段も限られている。それは、いま常駐しているベースキャンプでもさほど変わるものではない。 いまでこそ、衛星アンテナ経由でネットはできるにしても、容量や速度に限りがあるので、容易にツイッターやフェイスブックが随時できる環境ではない。 笑い話ではないけれども、ネットのなかった10年以上前は、日本に手紙を送っても、 手紙よりも前にぼく自身が先に日本に一時帰国することなどよくあったものだ。

初期の森での生活はその繰り返しだった。

25年前、初めてアフリカに行ったときは、何もかも初めてだった。アフリカ滞在はもとより、3か月以上の海外長期滞在も初めて、 野生動物を対象にすることも初めて、本格的な調査研究も初めて、森の中での生活やキャンプ(テント)生活も初めて。 ことばも初めはできない。それでも、「完遂したい」 「いやならやめたらよいだけだ」 という気持ちだけがこれまでの 「生」 を支えてきた。 ときには、一年間の森の中での生活を経て、5kgも体重を増やして、日本にもどったこともあった。

25年前の森の中でのテント生活 © 西原智昭撮影

というのも、あるときから見方を変えたのが一つの契機だったのかもしれない。 湿気や雨、食糧、虫や危険な動物を患っているのは、その環境や生き物のせいではなく、自分のせいなのだと思ったことである。 われわれ自身は森への侵入者なのである。われわれは、研究や保護と称してわがもの顔に森の中に入るのは誤りで、 あくまで 「よそ者」 として入らせていただく、その変わり、そこで受ける不快さや危険はすべて 「自己責任」 だと。 その 「責任」 を転嫁することはできないし、「責任」 を全うできないなら立ち去るしかない。

そうした森での生活の期間-研究者時代(1989年から1993年)と、そのあとのコンゴ人若手研究者研究プログラム(1994年から1997年)-を経て、 今の国際NGOに属して国立公園基地などをベースに 「保全業」 を始めて、現在にいたっている。 その経緯の詳細は一筋縄ではなかったとだけここでは述べておくが、その 「保全業」 とは何なのか? 一言でいえば、地道な仕事である。

おおまかに言えば、国立公園管理に必要な諸活動(研究、パトロール、教育普及、ツーリズム、 地元住民や開発業との対話など)に必要な諸アレンジ業あるいはそのコーディネートだ。 目的はいかに国立公園を守り、そこに生息するや野生生物をそのままの状態で保全するかだ。だから、野生動物が常に身近にいるという仕事ではない。 そして、NGOとして、国立公園管理に関して、当地国政府をサポートすることなのだ。

たとえば、必要な助成金の申請、予算の編成、会計報告、諸活動の戦略書・データ整理と分析・報告書の作成、現地スタッフのマネージメント、 会議への出席など。言語は、だいたい現地公用語のフランス語で、場合によっては英語も必要になる。 とはいっても、単なる事務作業ではない。刻々と変わる現実を見据えて、その上で戦略や見通しを立てながら、作業を進めなければならない。 ときには、国立公園への訪問者につき添うこともあるし、密猟されたマルミミゾウの新鮮な死体を見に行くこともある。 交通手段は不便なので、移動だけで、一日の3分の1が費やされるのはごく普通のことである。 野生生物や密猟者には、土日も休日もないので、こちらも当然そうなる。

そうした日々の仕事の中での自分の役割は、それらの業務をスムーズに履行するための、専門家や現地スタッフからなるチームの 「監督者」 である。 各楽器演奏者の良さを引き出しながら、全体のバランスを取って名曲を演奏する 「指揮者」 に相当する。 そこには、厳しさもあるし、具体的で即応力のある解決策を見出すための激しい議論すらあり得る。しかし問題は、チーム内で敵対することではない。

もちろん野生生物やその生息地の保全が対象であるが、直接の相手は人間-それは現地スタッフであり、近隣の村人であるし、政府関係者であるし、 密猟者であるし、そして熱帯林伐採などの開発業者である。したがって、この職には、野生生物の知識はあって越したことはないが、 むしろ、対人関係やチーム・スピリットを維持できる作業や努力が問われる。常に、イヤホンをして音楽を聴いているようなタイプはまず失格である。 自己中心的な者もあり得ない。無論言葉の能力も必要だが、言語ができるがゆえに対人関係を崩し、国立公園管理を台無しにした例は数えきれなく見てきた。 むしろ言葉を習うという謙虚で真摯な強い意欲が重要であるといいたい。たとえ言葉は正確でなくても、誠意の通じた対話は可能なものである。

また、国際NGOに属しているとはいえ、所詮、NGOである。金の切れ目が縁の切れ目で、給料の金額やその安定性にはなにも保障がないということを、 こういう道を目指す方は心得られたい。安心した生活は望めないと言ってよい。 通信も限定されているので、日本にいる友人や知人を多く失いかねないことも覚悟しないといけない。決まった休みもない。 それと、「保全業」 なら1-2年でどうにかなるものではないので、プロとして仕事をしたい方は、10年くらいは現地に滞在するくらいの強い気持ちがほしい。 中途半端なら初めからやらない方がよい。

「お前、ほんとうにアフリカに行って来たのかよ」 と友人から言われたこともある。アフリカに行ったのに、「日に焼けていない」 からだ。 ただ、熱帯林の中なら、直射日光が当たらないので、日に焼けることはあまりないのである。雨量も年間 1500ミリしかない。 これは日本の年間降水量よりも少ないのだ。 これは、一年のうち三ヶ月間、ほとんど雨の降らない 「大乾期」 があるからである(だからアフリカの熱帯林は 「熱帯雨林」 とは呼ばないのでご注意を!)。 そしてその時期は朝晩気温がぐっと下がり、場合によっては厚着をしていないと、震えるくらい寒いのである。 「アフリカでは日に焼ける」、「雨ばかり降る」、「暑い」 という先入観は捨てるべきだ。地域によって違う。 メディアこそが、そうした自由の利かない通念を作り出している。そうした文脈でしかものを考えないからこそ、 「世界の果てに云々」 という番組などの貧相な発想しかできないのだ。

大乾期の早朝の寒い中ボートの中で凍える筆者 © 西原恵美子撮影

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