【NPJ通信・連載記事】ペルーの今を生きる人々/五十川 大輔
ペルーの今を生きる人々 第3回 一方通行の善意が社会を歪める
南緯12度、南半球に位置するペルーの首都リマは現在、夏にあたります。 暑いことには変わりがありませんが、南極付近より大陸に沿うように北上してくるフンボルト海流の影響で、緯度の割には比較的過ごしやすい気温が保たれています。
クリスマスの頃を境に、長い夏休み(新学期の開始は3月初旬)に入った子どもたち。 この時期、所得の低い家庭では、家計を助けるため、または新学期に向けて学用品を買い揃えるために働く子どもたちが多くなります。
雨季に入って農作業にひと段落ついたアンデス山岳部からは、現金収入を得るためにリマなどの海岸部各都市に長期滞在して働く子どもたちもおり、 路上では靴磨きや物売りに励む子どもたちの姿を普段より多く見かけるようになります。
先日、街を歩いていてあるポスターが目に付きました。ハイチの被災者に向けた救援物資呼びかけのポスターと比して小さなものではありましたが、 私にとってはよりインパクトの強いものでした。
- 物乞いの 「排除」 を呼びかけるポスター
施しは何の役にもたちません!!
本当に彼らを助けたいのなら、
物乞いや児童搾取を許してはなりません!
スローガンの下には、路上にしゃがみこんだ母子のイラストまで添えられており、外国人観光客に配慮してか、 ご丁寧にも英語版のポスターまで並べてつるされてありました。ここ数年、リマ市内の各所で同様のポスターを見かけるようになりましたが、 そのようなキャンペーンを行っているのは、なぜか決まって、貧しい人々が住むことのない、中・上流階層が集中して住まう各区ばかりです。
ペルーでは、2004年、路上で 「物乞い」 をする子どもたちを保護し、子どもたちに 「物乞いを強要する大人達」 を処罰する目的で、 「物乞い禁止法」 (Ley de la mendicidad)なるものが施行されました。 信号待ちのたびに車に寄ってくる物売りや窓拭きの子どもたちを見ていたたまれなくなったことが、同法令を発案するきっかけになったと、 当時国会で議長を務めていた某議員は述べています。
- ハイチ支援のポスターに隠れるように
労働人口に対して圧倒的に雇用機会の少ないペルーでは、他の多くの国々と同様、路上を経済活動の場として利用し、生計を立てている人々が少なくありません。 物売り、靴磨き、客引き、曲芸師等々、その職種は実に多様で、厳しい生活条件の下、日々の糧を得るために皆懸命に働いておられます。
基本的に、路上での経済活動は各区から正式な許可を得ない限り禁止されてはいるものの、 路上で働く以外に生活手段を持たない人が多い地区(むしろそちらの方が多いのですが)では比較的規制が緩慢なため、 これらの地区では街の至る所で雑多で躍動的な人々の生業を目にすることができます。 その一方で、中上流階層が住まう各区では厳しい取締りが行われているために、無許可で物を売り歩く人々の姿を見かけることは極端に少なくなります。
経済階層の異なる者同士の日常生活における接点は非常に希薄であり、あるとすれば、それは家政婦や庭師として雇用する場合、 もしくは路上で見かける物売りから新聞や炭酸飲料を買ったり、荒々しい運転で街中を駆け回る路線バスや乗合いタクシーを利用したりする場合などに限られています。 職場を共にするか、同じ大学に在籍して学友にでもならない限り、経済階層の違う人々の間に対等で深い人間関係が生まれることは稀なことのように思われます。
個人の能力や経済力を重視する競争社会が浸透してくるにつれて、完全になくなることはないものの、 一昔前のように人種の違いだけで人を差別するような風潮はここペルーでも徐々に崩れつつあるように思われます(勘違いしているだけかもしれませんが…)。 しかしながら、極端なまでに存在する生活条件の隔たりや、背負ってきた歴史の違いから生じる相互理解の欠如は依然としてなくならず、 それに輪をかけるように、路上での窃盗被害や路線バス運転手の非常識な運転などが、 貧困層全体に対する恐怖や嫌悪感といった偏見を増幅させるといった悪循環が繰り返されています。
差別するつもりはない、何とかしてあげたいとも思う。しかしながら、自分達とは何かが異なる人々の痛みを自己の痛みとして内在させることはできない。 その結果、多くの人々にとって何の福利をもたらすこともないこの社会構造を、非難するどころか無自覚のうちに支え擁護してしまっているのが、 この国の中産、及び上流階層ではないかと思われます。
- 繁華街で飴を売る少女
極端な隔たりが存在するがゆえに、道端で飴玉の袋を抱えて売り歩く子どもたちが、働いているのか、物乞いしているのかを区別することすら難しく、 懸命に働く子どもたちさえも 「ストリートチルドレン」 や 「児童労働」 などという、ネガティブなイメージを一手に引き受けたような言葉で一括りにしてしまう社会に対して、 なんの呵責も感じることがない。そして、行政により哀れみの対象として 「保護」 されるか、危険な存在として排除されるかして、 自分達の地区からこれらの子どもたちが姿を消すことが 「問題の解決」 だと錯覚しているような、 そんな安直な思考を身に付けた人々が徐々にその数を増しているようにさえ感じられます。
この、「物乞い禁止法」 に異議を唱え、撤回を求めて激しく抗議を続けたのは、 社会から見れば 「ストリートチルドレン」 であり 「児童搾取の犠牲者」 である働く子どもたちによって組織される運動体でした。 (=ペルー働く子ども全国運動、スペイン語の頭文字をとって MNNATSOP、日本ではナソップ運動として紹介)。 以下は、ペルー国会に対して提出された抗議文からの一部抜粋です。
「…働く私たちを処罰の対象とし、貧しいがゆえに社会から隠ぺいされることを容認しているこの法令を、私たちは全くもって理解することができません。 貧しい私たちは危険な存在なのでしょうか? 貧しい私達が、社会に対して悪いイメージを与えているというのでしょうか? 貧しさは私たちの親のせいであって、 それゆえに処罰の対象とされるのでしょうか? 私たちを目に見えないところに追いやることで、この国の貧困問題が解決されるというのでしょうか?…」
- ナソップ運動 国会での抗議行動
「物乞い禁止法」 の撤回を巡ったナソップ運動の動きに対して、オンブズマンや子どもの権利を扱う各種NGO団体等多くの市民団体が賛同し、 国会議員の中にも同法令に異議を唱える者が現れるなど、撤回を求める声は徐々に強まりをみせました。 その後、意見を異にする人々の間で数度の話し合いの場が設けられましたが、行政側が同法の撤回を固辞し続けたために、話し合いは決裂のまま現在に至っています。
子どもたちから投げかけられたせっかくの対話の機会を生かそうともせず、自分達の 「正しさ」 に基づいて一方通行の善意を押し付け続けた行政側の人々。 法律内に書き連ねられた美辞麗句とはうらはらに、行政が 「保護」 と称して行っていることといえば、 せいぜい外国人観光客の多い繁華街に警備員を増やして物売りを追い払うか、前掲のようなポスターを作製しては、 市民に対する 「啓発」 を行っていると思い込んでいるだけです。
自分が物乞い扱いされている、もしくは児童搾取の犯罪者と混同されていると知ったときに、 日々路上で懸命に働く女性や子どもたちが感じる屈辱や社会に対する失望、疎外感などを想う心が、子どもたちの訴え聞くことによって少しでも生じなかったのでしょうか。
真の対話を拒む社会、弱者の声に耳を傾けようともしないこの社会に、新たな価値観を伴った意識が根付くような気配は、今のところ感じられません。
2010.2.3私事で恐縮ですが、去る2010年2月5日、私たち夫婦の間に第一子(女児)が誕生いたしました。
NPJのご好意に甘えまして、娘の写真を掲載させていただきます。
- 「日系ペルー人」として生まれ育つ樹里
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