【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―
ビーバーテール通信 第 4 回 ウィルスと閉鎖社会
小笠原みどり (ジャーナリスト・社会学者)
前回「シャットダウン・カナダ」と題して、カナダ全土に瞬く間に広がった先住民の抵抗運動について報告した。ブリテッシュ・コロンビア州の先住民のリーダーたちがガス・パイプライン敷設計画に反対して座り込んでいることに共鳴して、他の地域の先住民や先住民でない人々があちこちで鉄道を封鎖し始め、アメリカとの国境にかかる橋や道路の通行を一時的に遮断する事態にまで発展した。この連帯行動が「シャットダウン・カナダ」と呼ばれたのは、パイプライン計画だけでなく、これまで長い間、ヨーロッパからの入植者たちが先住民を追い出し、天然資源を奪ってきた国のあり方そのものを問う動きへとつながったからだ、と紹介した。いわば西欧の植民地として歴史を内側から閉幕し、新たな時代を築こうとする意味での自発的「シャットダウン」だった。
ところが 1 カ月後のいま、国内の鉄道封鎖は解除され、先住民リーダーと政府の間で話し合いが続いているが、カナダにまったく別の強制的「シャットダウン」、国境封鎖が現れている。日本からおよそ1カ月遅れてやってきた新型コロナウィルス (COVID-19) ・ パニックだ。
いつもは多くの人で賑わう野外スケート場も閉鎖された= 3 月21日、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影
カナダ政府は 3 月16日、アメリカを除くすべての国々からの旅行者の入国を禁止する、と発表。なぜウィルス感染者が急速に広がっているアメリカを除外するのか、トランプ大統領の顔色をうかがっているのではないか、と批判されて、トゥルードー首相は翌日、アメリカからの不要不急の渡航者たちも入国を制限する、と変更した。カナダ市民と永住権を持つ人々だけは入国できるが、この人々にも「帰ってくる手段があるうちに戻ってくるように」と呼びかけたので、閉じられていく国境めがけて人々が殺到するパニックが生じている。
移民を積極的に受け入れてきたカナダは、出身国とカナダを行き来する人々がいつもいる。おまけに冬は、太陽を求めて南のビーチへ休暇に出かけるお年寄りや家族づれが多い。もちろん世界各地に留学中の学生たちも大勢いる。約300万人のカナダ市民が、常に世界に散らばっている状態なのだという。この人たちが滞在先で急遽、帰りの便を前倒しすることになったのだ。すでに国際便を次々にキャンセルしていた航空会社の運賃は高騰し、パリからモントリオールに戻ってくるだけで片道片道2000ドル (約16万円)、カルガリーへは片道4000ドル (約32万円)を払わなくてはならなくなった、と嘆く学生たちの話が新聞に掲載されていた。
しかし、帰途に着けた人たちはおそらくまだラッキーなようだ。滞在先で完全に孤立してしまった人たちがいる。高額の航空運賃を支払えないケースだけでなく、カナダへ戻るフライト自体がキャンセルされてしまった地域が出ている。ペルーを旅行中だったカナダの若者は、ペルー政府が国境を閉鎖してしまい、カナダへ向けて飛ぶ飛行機がなくなってしまった。街中のほとんどの店も閉まり、ホテルにも食べ物がないという。「怖いし、お腹がすいている」と全国紙グローブ・アンド・メールに話している。これは本当に怖いだろう。
カナダ政府は帰国の必要経費について財政的支援をすると打ち出したが、旅行中のエクアドルで、やはりカナダへ帰る便がなくなってしまった女性は怒っている。「これはお金の問題ではなくて、手段の問題なのだ」と。
政府は親切のつもりで「手段があるうちに戻って来い」と呼びかけたのかもしれないが、不穏な未来を予知するかのような発言が人々の恐怖に火を付けたことは間違いない。国境閉鎖は、いま必ずしもウィルス感染の危険に直面していない人々の間にもパニックを引き起こし、移動の手段を消滅させる動きを決定的にしたようにもみえる。旅行者が入国できないなら航空会社は飛行機を飛ばさない。多少の乗客がいても採算が取れないなら予定便をキャンセルする。少し前まで取材でアメリカにいた私にとっても、他人事ではなかった。最悪、家に戻れなかったかもしれない。
もちろん国境閉鎖はカナダだけで起きていることではない。アメリカはすでに中国やイランからの旅行者の入国を拒否していて、3 月13日からは欧州からの旅行者の入国を禁止した。欧州連合 (EU) はトランプ大統領の発表に「一方的な判断だ」と猛反発したが、ちょうど妻のコロナウィルス感染が判明したトゥルードー首相は、自分を隔離しながら、トランプ氏と同じような判断をした。17日には、その EU がアメリカを含む欧州域外に対して国境を閉じ、あとは世界はもう鎖国合戦と呼んでもいい状態に入ってしまった。人と物が絶え間なく世界を行き交うグローバル化の時代に、あっという間に「シャットダウン」のドミノ倒しが引き起こされたことは、驚きとしか言いようがない。
レストランは店内で食事ができなくなり、テイクアウトのみの営業をしている= 3 月21日、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影
私は感染症や公衆衛生の専門家ではないので、この世界規模の国境閉鎖が果たしてどれだけの科学的根拠に基づき、どれだけウィルス抑制の効果を上げているのかを、このパニックの渦中で判断することはできない。けれど、ひとつだけ言えることは、これはもう COVID-19 という生物学的な出来事の範疇を超え、政治的な判断の連鎖によって新たな社会関係、閉鎖社会とでも呼べるものが出現している、ということだ。事実、国境に始まって地域社会の様々な場所が閉じられ、私個人の生活もこの一週間で激変した。
ほんの一週間前まで、私は大学院のゼミに参加していた。「また来週 ! 」と言って年若いクラスメートたちと別れたら、翌日、クイーンズ大学はすべての学部授業を一週間中止すると発表し、翌々日には担当教授から大学院のゼミも中止になった、とメールが来た。私の暮らしている街キングストンでは、まだ一人の感染者も報告されていないのに、である。
さらに、オンタリオ州の小中学校は 3 月16日から一週間の春休みに入る予定だったが、子どもの通っている中学校から春休みは 4 月 3 日まで延長する、と連絡が来た。中学生だからもうあまり手はかからないが、3 週間の長さには備えねばと思って、図書館でDVDを何本か借りたら、翌日から図書館も休館。春休み初日、子どもを約束していた春スキーに連れて行くと、天気は最高だったのにゲレンデはすいていた。1 泊して帰りに近くの韓国料理店に寄って家に戻ってくると、翌日からスキー場もレストランも休業したと知った。行った先々で、後ろからジャン、ジャン、ジャンとシャッターを閉められている感じ……。その晩、トゥルードー氏が「すべての人々は家にこもっているように」と呼びかけているのをラジオで聞いた。自然公園が主催する 3 月の名物「メープルシロップ祭り」も中止。すべての公共博物館、映画館、劇場が閉鎖され、野外スケート場まで ! 要するに、人が外出したり集まったりする場は全部シャットダウンされてしまった。
スーパーマーケットのトイレットペーパーの棚はからっぽだった。残っていたのはペーパータオル= 3 月21日、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影
毎日、毎時、かつてないスピードで、行動の範囲が狭められていく。ここまで一斉に、カナダ社会が一つの方向に突き動かされるとは、想像もしていなかった。カナダでは 1 月15日に、すでに COVID-19 の感染者が確認されていたが、その時点で国境は開かれていた。中国や日本から戻った人たちを 2 週間隔離することに防疫上の意味があるのか、いや、ほとんど意味がない、という専門家の声がメディアで紹介されていた。2003年に流行したSARSの経験を振り返り、むしろ治療体制の充実に力を入れた方が有効である、という医療関係者の意見も報じられていた。また、中国出身者や、見た目は一緒である日本などアジア系の人々への差別的な扱いが蔓延しないよう、早々に注意を促す声明も行政から出ていた。さすがに多様性と個人の自由を尊重する社会だと、感心した。
しかし、鎖国のドミノに加わると、メディアから多様な声は失われてしまった。代わって現れたのは、戦争の比喩と「がんばれ、カナダ ! 」である。例えばグローブ・アンド・メール紙の社説は「ウィルスを止めるためにいま行動するか、後で悔やむか」 (16日)、「先回りしてウィルスを殺せ」 (17日)、「いい市民になろう、距離を保って」 (18日)、「ウイルスとの戦争の準備はいいか?」(19日) と連日、興奮気味に総動員体制を呼びかけている。同紙のコラムニストが「いま大事なのは COVID-19 との戦争だけである」と題した記事で、「現在のパンデミックをある種の戦争として考えることには、奇妙な心地よさがある。それは多くの私たちがすでに知っていて、よく理解できる概念だからだ。戦争なら私たちは前にしたことあるし、何を乗り越えなければいけないのか思いつく」 (19日) と書いているのには、ほとんど正気を疑った。
ここまで気楽に戦争の比喩を用いられるのは、カナダが爆撃を受けたことがなく、敗戦の経験もないからだろうが、トップダウンの強権発動を安易に肯定する考え方は、自分を「戦時大統領」と呼ぶトランプ大統領や、人々の外出などを制限する緊急事態宣言を出そうとする安倍首相にも見て取れる。閉じた輪の内側で、ウィルスとの戦争に「カナダなら勝てる」とか「カナダ人はお互いを思いやれることをいまこそ証明しよう」とかいう発言もラジオで流れるようになった。未知のウィルスに恐怖心が募るのは、よくわかる。けれど、それは世界共通の問題であって、どうしてそれが「カナダなら勝てる」 (あるいは「日本だから乗り越えられる」とか「中国は克服できる」) となるのか ? けれど一方で、パニックに対する集団的反応としては、どこかなじみのある感じもする。みんなの感情を慰撫するためにタダで根拠なく使えるものといえば、ナショナリズムである。
実際には、同じカナダ社会でも、家のない人、仕事のない人、健康保険制度から排除されている人は、ずっと深刻なウィルス被害に遭う可能性がある。それだけでなく、ウィルス対策としてのシャットダウンの結果、なんと 4 日間で50万人もの人々が職を失い、失業保険を申請している。つまり実際には、「カナダ人ならみんな一緒」ではない。美しい連帯の言葉とは裏腹に、その社会の欠点や差別的な構造が、危機にはむき出しになって弱い立場の人々に襲いかかることに、私たちは注意しなくてはならない。ナショナリズムは被害の違いを覆い隠す。恐怖からほんの一瞬気をそらさせてはくれても、本当の癒しも解決ももたらさないのだ。
閑散とした大学のキャンパスで、雪が溶けたばかりのフットボール・スタジアムに学生たちがまろび出ていた。サッカーボールを蹴ったり、バスケットボールを投げたりして歓声を上げている姿を見て、少しだけほっとする。冬をくぐり抜けた体が自然に求めるのか、シャットダウンへの反抗なのか。ウチの子は、キャッチボールに出掛けてしまった。恐怖に閉じ込めておこうにも、閉じ込められない若いいのち。春の光を胸いっぱいに吸い込むことが、長引きそうな閉鎖社会を生きる心と体に悪いはずはない。世界中、どこであっても。
〈了〉
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年5月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
新著に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版)。
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