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受付をしていた Sonam という38歳の女性は英語が堪能である。僕のヒアリング力を心配してか、ノートにどんどん英語で書いて説明してくれる。
5時に祈念集会は終了し、皆が掃除やら跡かたずけを済まし、ほとんどの人がいなくなった。
暗くてノートの文字が見えなくなる6時半まで、1時間以上熱心に説明してくれた。言いたいことが尽きない様子。
以下は彼女が英語で僕のノートに書いて説明してくれた内容。
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まず、僕がこの運動に 100RPを寄付したことへの礼状兼領収書
中国政府は、悪い情報を絶対に中国人民に公開しない。
チベットには非常に多くの苦難が発生している。
リンポチェ (筆者注:チベット仏教の高僧) がラサの親戚からの電話で昨日聞いた話。
ラサの留置場に2000人がとらわれていた。
うち40人が解放されたが、全員負傷していた。
老人がまだとらわれている。
チベット人は中国の人々に対して怒っているのではない。中国政府に対して怒っているのだ。
何故、中国政府はジャーナリストを入れないのか? それは、中国政府が真実を開示したくないからだ。
ダライ・ラマ尊師 His Majesty The Dalai lama は宗教上の指導者であって、チベット人は自発的に闘っているのだ。
チベットと中国は何もかもが違っている。つまり、言語、文化、宗教、食物、行動様式が異なる。
警察は死体を家族に返さず、土の中に埋めたり、あるいは拘束した人を北京に連行している。
カナダ、アメリカ、インド、ネパール、ヨーロッパで抗議行動 shout out をしている。ラサの同胞は声を上げられない。
20人の人が抗議しても中国政府は無視するだろう。
200000人が抗議したら中国政府は無視できない。
中国は嘘をつき、チベット人は死ぬ
Chinese lies, Tibetan dies
中国政府は悪いことだけをチベットに持ち込んだ。今やチベットには安っぽいビールや売春がはびこっていて、ニセモノの発展 Artificial development があるに過ぎない。
ラサ空港に行けば中国語があふれている。この状態が永く続いているので、チベット人はチベット文化やチベット文字を忘れかけている。
1960〜70年代生まれの世代の人々はダライ・ラマ尊師がインドに作った学校に行った。
そこでは英語、チベット語、ヒンドゥー語 (又はネパール語)、歴史、科学、地理、数学を習った。その世代の親たちはネパール語も英語もしゃべれずに貧乏した。
チベット人は、チベットが絶対に中国の一部ではない (なぜなら伝統も文化も言語も全て異なる) ということを世界に知らせる機会として、
2008年のオリンピックを捉えている。
チベット難民はネパールにおいて、たとえ大学を卒業して学位を取っていても、銀行や政府の役人の高い地位に就けないし、選挙権も無い。
中国政府はダライ・ラマ尊師と対話をしに来ないし、時間を引き延ばして、ダライ・ラマ尊師の年齢のことを考えている。
しかし、我々チベット人の闘いは簡単に終わらない。
チベットから来る親戚は、(ネパールにおいても) ダライ・ラマ尊師の写真と一緒に写真をとられることを恐れる。
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(名前や写真を公表しても良いか、との問いに) 自分は死ぬことを恐れていはいない。何度も握手し 「ペオー」 と言って別れる。
Sonamと一緒に受付をしていた女性が暗くなった道をボウダ (筆者注:チベット仏教の大寺院。
ドーム中央から佇立する塔の四方の壁面に巨大な仏眼が描いてあり、参拝者を見下ろしている) まで案内してくれる。彼女の話を最後に紹介しよう。
難民の子供はインドの学校で寮に入って12年間 (6歳から18歳まで)勉強する。
インドには二つの種類の学校があり、一つはチベット亡命政府とインド政府の援助で作られた学校で学費は安い。
1世は英語もヒンディー語もネパリも話せず苦労したので、2世以降は教育を重視している。私の子供たちもインドで勉強させている。
一年に2ヶ月間休暇があり、その時には帰ってくる。
自分は主婦で、夫も現在無職でリンポチェが新しい寺を建てるのでそのサポートをボランティアでやっている。以前働いていたときの蓄えで食べている。
貧しいが充実している。
2008.4.26