「何でも見てやろう」 熟年版
段々畑の中にあるガイドの村に行く
4月3日(木) 快晴
7時半起床。ナクルに電話を入れ、8時頃にホテル前で会うことにする。カトマンズ・ゲスト・ハウスはネパール人を敷地に入れさせないのだ。
8:15ナクルに会い、歩いてバス停まで行くことにする。「歩いて大丈夫ですか」 と訊くので、10分かそこら歩くのだろう、とOKした。
ところが、これ以上速く歩けないという速度で、雨上がりのぬかるんだ道をサンダルが水溜りに入らないように注意しながら、35分間以上歩いた。
時速6.5キロくらいだったろうから、4キロくらい歩いただろう。
バスの発車予定時刻は過ぎているが、未だ来ていない乗客がいるのでしばらく発車しそうにない。お茶でも、と近くのレストランに入る。
トイレはどこか訊くと、「あまりきれいではないですが、あっちです」 という。
行ってみると汚物が溜まっていて、とても使う気にならない。「あまりきれいではない」 のではなく 「これ以上無く汚い」 と言うべきだ。
見ると、トイレの隣の物陰に女性がしゃがんでいる。女性の後で用を足す。
昨夜はワインを飲んでTVを見ながらいつの間にか眠っていた。朝方、何かシーツの中で体に触っている。パタパタして蛾のようだ。
寝たまま手で払いのけようとするが、足のほうに移動してまだパタパタやっている。
エイッと毛布をめくると、シーツの上に黒い楕円形の、長さ3センチくらいの虫が薄暗い光の下に見えた。夢中で払いのける。
あの形は蛾ではない。シーツの中にもぐりこんでいたのは僕の血を吸おうとしていたに違いない。
耳を澄ますと、カサカサという音に続いて何かが飛んで来て壁にぶつかるトンと言う音がした。あの虫だ。また、シーツの中に入ってきたら、と思うと眠れなくなった。
明かりを点けてみると、薄茶色の平凡な蛾が天井の光の周りを飛んでいる。ウーム、やっぱり犯人は蛾だったのか。
乗客15人くらいが揃い、マイクロバスでダディングに向け出発する。一人150ルピー。朝のラッシュで、なかなかカトマンズ市内を抜けられない。
ナクルにビジネスの心構えを教える。
@ Think
A Change
B PDCA Cycleを回す
昨日、飛行機から見ると、カトマンズは大きな都市である。ナクルによると人口100万人とのこと。
普通の乗り合いバスだと、ダディングまで125ルピーで安いが4時間半かかる。マイクロバスだと少し高いが、2時間あまりで着くという。
「だから、マイクロバスの方が一番人気があります」 と、また変な日本語を使う。
峠のレストランで昼食。チキン・ダル・バート90ルピー。ダル、漬物、ジャガイモの煮たもの、野菜や豆を煮たもの、を少量ずつとってライスの山に加え、
右手で捏ねて食べる。今度我が家でカレーライスを食べる時にやってみよう。
ガススタンドでガソリンを給油。1リッター56ルピー。
時折現れるヤギの群れを轢かないように注意しながら、クネクネと曲がる山道をひたすら走る。
1時20分。やっとダディング村に到着。道路の真ん中に胡坐をかき、片足で首を掻いていた犬が、マイクロバスが近づくと 「これはいかん」 と言うように、
起き上がって立ち去る。うろついているニワトリに気をつけながらバスはやっと停まった。
ナクルは、ここからチャーターする4WD車を探してくる、と出て行った。レストランでミルクティーを頼んで待つことにする。
ウェイトレスのお嬢さんに 「ボイニイ、ランブロ (お嬢さん、可愛いね)」 と言うと、微笑んでくれる。年齢を訊くと17歳。
4WDのチャーター料は2000ルピー。学校の先生の月給が3000ルピーの国である。ニワトリの飼料を3袋ほど買い込み、TATAの4WD車でのろのろと出発。
振動と轟音がすごい。村までの車が通る道路は10年前に京都のロータリークラブからの寄付で作ったとのこと。
約1時間半でナクルの村に着く。同居する2番目にお兄さんの子供と3番目のお兄さんの子供が出迎えてくれる。みんな女の子だ。
汚い服を着て裸足だが、目はきらきらしている。
ナクルの家は18人家族だ。お婆さん、お父さん、お母さん、2番目のお兄さん夫妻とその子供2人、3番目のお兄さん夫妻とその子供2人、
ナクル夫妻、妹、弟、寄宿している小学校の女教師その他である。2番目のお兄さんの奥さん、3番目のお兄さんの奥さん、
それに半年前に結婚したばかりのナクルの奥さんの3人は妊娠している。
とりあえずその辺にいた人たち10人くらいと記念撮影をする。荷物を置いて、ナクルの案内で、散歩に出かける。3番目のお兄さんも付いてくる。
ナクルの家族たち
家の近くにニワトリ小屋がある。100羽くらい飼っている。小屋の中で運動できるようになっている。肉用のニワトリで、成育すると一羽当たり270ルピーで売れる。
村の小学校も8年前に日本人の寄付で建てられ、運営費も日本人によって賄われている。日本の仏陀基金と石田さんという女性が出資者のようだ。
丁度、休暇を利用して増築工事中だった。約30人の村人が作業をしていて、16日間で完成予定。一人一日160ルピーの報酬。
一日50ルピーの畑仕事と比べてものすごく割がいい。学校の理事長であるナクルのお父さんと校長が現場監督をしている。
ネパールの家作りは簡単だ。学校のそばの斜面を掘り崩して石や土を取り出す。石を積んで隙間に土を塗りこめて壁を作る。
モンスーンで大雨が降っても溶けないのだろうかと心配になる。お父さん、校長と記念撮影。
ナクルのお父さんと校長
とうもろこし畑で若い女性たちが働いている。苗の周りの土を耕して、根が張りやすくしているのだ。僕も日本で農業をしている、といってクワを借りて少し手伝う。
女性たちと記念撮影。
畑でトウモロコシの世話をしていた女性たち
ビシュカルマ族の一家がクワを修理している。鍛冶屋はビシュカルマ族の専任事業なのだ。
一家の主の男性が真っ赤に熱した鉄の塊を右手に持った鎚で盛んにたたいている。
その隣で、フイゴで空気を送り込むのは85歳になるその人の父親。皮袋のフイゴを押すたびに、熾き火がパッと燃え上がり、鉄塊を熱する。
二人がかりで一日2個つくるのが精一杯とのこと。売値は一個当たり80ルピー。しかし、金払いの悪い農家もいて、場合によっては食物でチャラにされることもあるとか。
ビシュカルマ族の鍛冶屋
この村ではとびきりきれいな校長の家によってお茶をご馳走になる。この地方のお茶は薄くて、砂糖を一杯入れてある。
奥さんも学校の先生で、二人で月に14000ルピーの月給を取っているとのこと。暮らし向きも余裕がありそうだ。
14ヶ月の男の子がまだ母乳を飲んでいる。このあたりでは通常3歳くらいまで母乳を飲むそうだ。ナクルのお父さんは6歳まで飲んでいたとのこと。
校長の子供を抱いて
雷が鳴って、急に暗くなり、風が吹いてきた。雨が来そうだ。急いでナクルの家に帰る。
日中、鳥小屋で見たニワトリの一羽が僕の為のご馳走にされていた。小学校の理事長の父親が毛をむしっている。その後、竈の火であぶり、ナタでブツ切りにする。
板の間に筵をしいてくれる。片隅に竈があり、あかあかと燃えていて室内は暖かい。竈の反対側の天井に太陽電池で作った蛍光灯の弱い光を放っている。
お婆さん、お父さん、3番目のお兄さんと奥さん、2番目のお兄さんの娘たち (9歳と7歳)、3番目のお兄さんの娘たち (9歳と7歳)、
ナクルと僕が壁を背に薄暗い居間のような板敷きの部屋に座って、父親のニワトリの解体を見ながらおしゃべりをしている。
ナクルとお兄さんは奥さんが妊娠しているので、ニワトリの解体はできない。それで、父親がしているのだと言う。
いよいよ料理が始まる。3番目のお兄さんの奥さんが、菜種油と水牛の脂でぶつ切りのニワトリを炒める。灯油ランプに照らされた横顔がきれいだ。
隣に座っている3番目のお兄さんにお父さんの年齢を訊く。お兄さんは父親に確認して、教えてくれる。生年月日は2003年9月11日、日曜日とのこと。
2003年??。これはネパール暦で、今年は2064年だそうだから60歳である。ここでは、誕生日でも別におめでとうとは言わないそうだ。
手洗い用の水を入れたボールを出してくれる。僕とお父さんだけがビールを飲んでいる。ツマミはニワトリの肉とニンジン、キュウリ、大根のスライスだ。
ナクルもお兄さんも父親の前では酒を飲まないという。
お父さんの前には骨がない。ニワトリの骨を全部食べてしまったのだ。
酒が好きな隣に住む叔父さんを呼ぶことになった。酒好きのおばさんも付いてきたが遠慮して、後ろの席でお茶を飲んで控えている。
みな、ダル・バートを食べ始める。今日のメイン・ディッシュは、さすが地鶏だけあって、うまい。岩塩と唐辛子だけの味付けだが、力強いしっかりした味だ。
肉もうまいが、煮汁をご飯にかけると絶妙のうまさの猫マンマである。手づかみ。子供たちもダル・バートを何度もお代わりしている。お父さんもお代わりする。
薄暗く、食べ物の色も判別できない。皿にライスやおかずがなくなると3番目のお兄さんの奥さんが追加を入れてくれる。
ダル・バートは必要なだけ食べられて、合理的だ。
どっちのお兄さんの娘だか、7歳のお嬢ちゃんは竈に足を向け両手を枕にして眠ってしまった。
ここでは、「食べてすぐ横になると豚になるよ」と言う。子供はいつも8時頃に寝る。もう9時半。皆眠そうだ。
3番目のお兄さんの奥さんは給仕役で、皆が食べ終わってから食べる。日本でも昔はそうだったな。
トラはたまに家の近くまで来るが、お婆さんの記憶にも、トラが人間を食べたということはないそうだ。ジャッカルはいない。
犬が板の間に上がってきて、僕の食べ残しを骨ごとむさぼる。犬の首をなでてやる。3番目のお兄さんの奥さんが皿を持って外に出るのを追って犬も出て行く。
外気が入り込み、煙がたなびく。「あの犬はいままでにサルを15匹くらい食べたが、今は年老いてサルを捕まえられなくなった」、とナクル。
「風が吹いているので明日はヒマラヤが良く見えるだろう」、と誰かが話している。
隣の叔父さんが吸いかけのタバコを奥さんに渡す。奥さんは手をキセル代わりにして吸う。
この国では、水筒などから水を飲むのにも口を直接付けないで数センチ離したところから口に落とすが、タバコも直接口に付けないのだ。妙なところで潔癖である。
ナクルは週に1度くらいシャワーを浴びるが、父や兄は月に1度くらい。冬には半年くらい浴びない。冷水シャワーなので、冬は僕も浴びる気にはならないだろう。
4月4日(金) 快晴
ナクルに起こされて目覚める。5時40分。犬が吼え、ニワトリが鬨の声を上げる。雄鶏がコココ、バサバサと喧嘩し、ヒヨコが2羽水牛小屋から出てきて、
庭の石畳の上を漁っている。子供のサンダルが3個、あちこちを向いて散らばっている。3番目のお兄さんの嫁が砂のようなもので昨夜の夕食で使った皿を洗っている。
ヒマラヤを見物するために裏山に上る途中でナクルと四方山話。仔犬が尻尾を振って付いてきたが、ナクルが石を投げて追い返す。
ひどいことをすると思ったが、山奥に行くとトラに食べられる恐れがあるのだという。人間は食べられたと言う話は聞かないというが、物騒ではある。
お母さんは学校で3年生の科目の勉強を始めた。村のほかのおばさんと一緒に、夕方4時〜5時の間学校に行く。
1時間半掛けて近隣の村から通う子供もいる。その子の家の近くにも学校があるが、授業料が有料だし、ここの学校のように、学用品、衣服、
給食が無料提供されるという特典がないのだ。
田舎では給食制度は皆無。この学校がこの国で唯一の給食実施校らしい。
15分程度で裏山の山頂に着く。まずマナスルが目に入る。その右にガネッシュ。さらに右にランタン。左にはかすかにアンナプルナを望む。
道すがら、ナクルの話。
「昨夜、2番目のお兄さんの奥さんはカトマンズの病院で赤ん坊を堕した。3人目も女の子だったからだ。
父母は母体を心配して反対したが、折り合いが付かず、2番目のお兄さん夫婦は半ば父母と喧嘩状態でカトマンズに行っていた。母体はいまのところ大丈夫。
3番目のお兄さんの奥さんはよく不満を言って母親と対立する。農作業や炊事仕事が彼女一人に押し付けられるからだ。
『ナクル夫婦がやらないのなら、自分はもうニワトリの世話はしません』、と宣言したこともある。ニワトリ事業では、えさ代が高く、ほとんど人件費は出ないのも原因。
たまには子供に何か買ってやりたいのだ。2番目の兄一家と3番目の兄一家は近く家を出る。いろいろ意見が合わないことが多いのが原因。
弟は英語が上手だったが、脳の病気のために全然話せなくなってしまった。そのため、あまりきつい仕事もさせられない。
いずれ結婚させて夫婦で農作業をさせる積りだ。
父母とはナクル一家が弟、妹と一緒に住むことになるだろう。しかし、ナクルは農業に見切りをつけて、別のビジネスをしたいと思っている。
家族はマナスルなどの山の名前を知らないし、興味も無い。」
立ち寄った家のそばに子供が5、6人大きな目を見開いて僕を見つめている。「ナマステー」 を言うと、皆手を合わせて 「ナマステー」 を返してくれる。
子供たちを撮り、デジカメの画面を見せると群がってきて我さきに見る。
村の少女たち
ランブロ・ボイニイ (可愛い年下の女性) のおばさんの家で、ミルクティーをご馳走になる。今朝絞ったばかりという水牛のミルクも出してくれる。
ちょっと変な味。ここではヤギの乳は飲まない。
カトマンズでダンサーをしているという息子の写真が張ってあった。一回のステージで400ルピーを稼ぐ。中学生のお嬢さんの真紅のサリー姿の写真も貼ってある。
「お母さんがランブロだから子供たちもランブロだね」、と言ってナクルに訳してもらうと、笑って喜んでいる。
2番目のお兄さんの奥さんの堕胎の話が出た。「私も子供をおろしてから体が弱くなった。まだ28歳と若いのにそのまま生ませれば良かったのに」、と言う。
このおばさんはナクルとは遠縁にあたるそうだ。
話をしていると、子供たちが周りに集まってきて、おばさんの周りに座って聞いている。僕のノートも覗き込む。ヒヨコが歩き回り、子ヤギも来る。
家の中にニワトリのかごが見える。タライにわらを敷いた上に座っているニワトリがいる。22日間卵を抱くのだと言う。
壁にヒンドゥーの神々の写真が貼ってある中に、十字架の下にマリアとキリストが描かれた絵も貼ってある。子供が 「きれいだから」、と買ってきたのだそうだ。
地面から一段上がったところは床が朱色の泥で塗りこめられ、手すりに囲まれたベンチが設けられている。朱色の床に作り付けの石臼が見える。
自家製ジャールをご馳走になる。ビールと同じくらいのアルコール度。ツブツブが口の中に残り、ちょっとすっぱい味だ。顔をしかめると皆笑う。
薄暗い部屋に男が3人車座になって、朝からジャールを飲んでいる。僕も勧められ、一口飲むが、あまり美味いものではない。
この人はカトマンズでホテルのガードをしていて、この家には二人の奥さんが住んでいる。
休暇を取って家に帰ってきた1番目の奥さんと2番目の奥さんの子供が仲良く遊んでいる。二人の奥さんはたまに喧嘩しながら一緒に暮らしている。
「あんたが畑に行きなさい。私は家事をするから」。「いやよ、今日はあんたが畑に行きなさいよ。私が家事をする」 と言う具合。
ナクルのお母さんのお姉さんは元の夫の隣の家に住んでいる。息子の一人は村の学校の校長だ。2番目の奥さんはずっと若い。
60歳を超えて再婚した夫とは25歳以上年下で、ネヤル族の女性。披露宴はしなかったそうだ。
校長の家の庭で酒盛りが始まっている。校長は飲まない。一粒種の男の子を抱っこして、酒盛りの男たちのそばに立っている。
昨日会った、カングレス支持のビラを配っていた元コックの若者と、さっき薄暗い部屋でジャールを飲んでいた男がいる。
校長の家の庭はきれいで、日当りもよく景色もいいので、みんなが集まってくるのだ。選挙のことが話題になり、校長も参加する。
ナクルのお父さんに会う。学校の増築工事に行く途中だ。ダディングから村までの道路建設に80万ルピーかかったが、日本人がサポートしてくれた。
僕にこの村へのサポートを検討してくれ、という。日本人のIさんは年間どれくらい援助しているのか訊いたが、校長が知っているとのこと。
酒盛りに加わっている男にナクルの従兄弟がいた。彼はナクル兄弟と一緒に千葉に行って農家で研修と言う名目の労働をした。月3万円しかもらえないのはおかしい。
日本人以上に働いているのだから、日本人と同等の給料を出すように雇い主に要求し、裁判も辞さない態度を取ることで、一年分の給料として200万円をもらった。
その金で今は別に働かずにブラブラ暮らしている。ナクルと二人の兄は3年間働いたのだから、単純計算すれば、3人で1800万円もらえることになる。
ネパールではものすごい金だ。ナクルがやりたがっているレストランの開業資金は30万ルピーだから、十分すぎる額だ。
長い朝の散歩を終えて、ナクルの家に帰ると、お母さんがダル・バートと共にギーをミルクに漬けたものを出してくれた。
灰色のドロッとしたものがミルクに沈んでいる。ちょっと飲んだが気持ち悪くなり、仔犬に上げると喜んで食べてくれた。
いよいよお別れだ。もう一度記念写真を撮り、皆にバイバイとナマステーをする。
11時に出発。3番目のお兄さんが送ってくれる。彼にも日本での労働の正当な対価を求めるように助言するが、研修に行ったのだから月3万円でも仕方ない、
とあきらめている。「将来レストランをやりたいと思っているので、最初はカトマンズでウェイターでもやりたい。」
30分で茶店に着く。ここで4WD車が通るのを待つ。12時に車が通りがかった。運良く運転席に座れる。運転席にドライバーを含めて4人並んで座る。
ガタガタ道。サスペンションが悪いため、地面の凸凹に直接反応し、大きく振れ、乗り心地悪いことこの上ない。
揺れるたびにムキだしの鉄板の出っ張りに左肩がぶつかって痛い。ザックをクッション代わりにあてがってしのぐ。
見事な段々畑を撮ろうとカメラを出すために手を離したときに振られ、窓枠の鉄板で頭を打つ。「痛!」 血が出ているのでは、と手を当ててみる。
僕の隣座っていたナクルが見かねて、屋根の上へ移動してくれる。TATA製の4WD車は10〜15キロの速度でガラガラと進む。
鉄の塊のような車で、頑丈さだけが取り柄だ。
1時間半でダディングに着く。昨日のランブロ・ボイニイのいる茶店で17歳のボイニイちゃんと英語会話。「将来どこか外国で暮らしたい。兄の一人はカタールにいる。」
2時過ぎにカトマンズ行きのミニバスが出発。来るときと違い三菱製で快適である。サスペンションとシートがTATA製と全然違う。僕は特等席の運転席に座った。
ナクルも後部座席に座り、運転席は運転手と僕だけ。
しかし、出発してすぐに大柄な男が僕の隣に座ってきて、ずっと窓側に押し付けられたままだった。
おまけに、座席のすぐ後ろに背中合わせに別の人が座っているので、座席の背を倒すことが出来ない。直角の姿勢をカトマンズまで強いられた。
ミニバスは途中で全く動かなくなった。片側一車線の谷あいの道路は、どこまで続いているのか分からないほどの大渋滞。
この国には鉄道が無いので、皆バスで移動するのだ。はるか前方の路上でマオイストとUMLが衝突しているとのこと。軍の車が兵士を満載してその方向へ向った。
路傍のサトウキビ売りは大繁盛である。
僕たちの乗っているミニバスの運転手が右側通行して数十台をやり過ごす。うまく一台分が空いているところを見つけて割りこむ。
しばらくして、もう一度右側通行。沿道のブーイングを物ともせずまた数十台をやりすごした。人々はいらいらした様子もなく、腕組みをして待っている。
1台目が通過してから30分後にもう一台の軍の車両が通過。そのあとしばらくしてやっと動き出した。1時間以上全く動かなかった。
対向車線を走るバスに兵士がぎっしり乗っている。衝突現場付近にUNの車両が2台停まっていた。
雨が激しくなってきた。その後も渋滞は続く。カトマンズ市内でまた大渋滞。すでに6時半だ。直角の姿勢を続けていたので、腰が痛くてたまらない。
数メートル動いては又停まってエンジンを止めしばらく待つ動作を繰り返す。
業を煮やしてミニバスを捨てて歩き出す。ナクルもついてきた。暗い雨上がりのぬかるんだ路を、サンダルが泥に埋まらないようにヘッドライトで照らしながら、
ひたすら歩く。ナクルに 「この国の交通事情は世界最悪だ。この国には革命が必要だ!」 と八つ当たりしながら。信号を越え、車が流れ始めたところでタクシーを拾う。
タメルに着いたときには8時半。カトマンズ・ゲスト・ハウスで荷物を受け取り、チベット・ゲストハウスへ向けて荷物を引きずって歩く。
男が呼び止める。「ホテルですか?」、「どんなホテルをお探しで?」。「バスタブとテレビ付の部屋を探している」。「OK、こっちへ来てください」 「いくら?」。
「20ドルです」。「なんていう名前のホテル?」。「センター・ポイント。三つ星ホテルですよ」 男について歩く。
タメル・チョウクの角を左折して、サヌと会ったランブロ・ボイニイのいるローカル・レストランへ行く見覚えのある道だ。ホテルへ着き部屋を確認。
確かにバスタブとテレビは付いている。フロントに戻って値段を訊くと、25ドルという。「あの男が20ドルって言ってたよ」、というと20ドルでOK。すでに9時になっていた。
4月5日(土) 快晴→ウス曇り→一時雨
久々に熟睡した。9時間眠る。
裸で踊るカンドーマ (チベット仏教の女神) のタンカ (仏画) を探してタメルのタンカ・ショップを回る。まあまあのものがあった。
値段を訊くと、「300ドル」→僕が 「50ドル」→相手が 「100ドル」→「ノー」→「出て行け You go」
次の店は15000ルピー (225ドル)。50ドルなら買うよ、というと夜の9時に又来いとのこと。
結局、タメル・チョウクにある Naba Manandhan Proprietor という店でカンドーマを買う。最初の言い値が3200ルピー。あまりぼってはいない。
でも、一応値引き交渉はする。1000→3000→1500→2800→2500で妥結。
硬い紙で作った筒に入れてくれた。こんな親切なのは初めて。ここはお勧めの店だ。
こういう値段が付いていない店での買い物では (または付いていても法外な値段が付いている場合には)、何件か冷やかして相場を知ってから買うのがいいだろう。
昨年、インドで宝石を買った。「日本で売れば少なくとも3倍で売れる」 と言う言葉にだまされ、「旅費がただになる」、と思って買った。
ところが、日本で査定をしてもらうと買値の100分の1の値段しか付かない。それでも、購入時には、やっとこさ1割引してくれたのだった。
海外で宝石は絶対に買うものではない。もし買う場合には言い値の99%引きで買えば損はしないかもしれない。
しかし、査定してくれた店の話では、日本のある店で宝石を買い、すぐに別の店にもって言った場合でも、10分の1で売れればよい方だという。
だから、50%引きで特売をやっても店は損をしないのだ。
こうしてみると、儲けようとか、資産として持とうという目的には宝石は全く適さないものである。
唯一、純金を信頼のおける店で購入すれば、値上がりすることは期待できる。
アーユルヴェーダ・マッサージを受ける。小さなホテルの2階にあり、受付で1400ルピーと言うのを1000に負けさせる。
マッサーに僕が払う1000のうち君はいくらもらうのと訊くと、300とのこと。チップに50を上げると喜んでくれた。
オレンジとバナナを買う。オレンジはいくらだ、と訊くと、「1キロ80ルピー、ローカル・プライス」 との返事。「ノー、ローカルプライス60」→「OK70」となって、
まあ妥協して買うことにする。
バナナも買え、と言ってくる。小さな房を指して値段を訊くと 「全部で180だ」 「ノー」 「ソーリー120」 「ノー、100」 「OK」。
試食のバナナを食べていると、裸足でぼろぼろの服装の子供が3人寄ってきて、僕が食べているバナナをくれ、と言う。
買ってから上げようと思っていると、果物売りが二人の子供に一本ずつ上げてくれた。しかし3人目の子にはなぜか上げずに、こぶしを振り上げて追い払う。
その辺にたむろしている、ストリート・チルドレンにバナナとオレンジを配る。一人の子供が僕が上げた一本のモンキーバナナを他の子供に半分分け与えている。
近づいてもう一本、別の子供に差し出す。怪訝そうな顔をしながら受け取った。角にある神戸と関連がありそうな広告をしているパン屋で、
いくつかのパンを買いホテルに戻る。
タメル・チョウクの交差点で環境保護団体が募金活動をしている。その横を、1台の車を先頭にそれぞれがマオイストの旗をなびかせて、オートバイの一団が駆け抜ける。
選挙は5日後だ。
風呂に入ろうとしたが、お湯が出ない。フロントに電話を入れると、「明日の夕方になったら出る」、との返事。
今朝訊いた時には 「今日の夕方になったら出る」、といっていたのだ。「ふざけるな、今すぐお湯を出せ」、という。
「ちょっと待ってくれ」、と言って一旦電話を切って待っていると、しばらくして電話があり、「明朝には出る」 という。
「もし明日の朝出なかったら部屋代を払わないぞ」、と言って電話を切る。しばらくして、お前だけに特別に貸す、といってお湯を沸かす電熱ヒーターとバケツを持ってきた。
ものすごく時間を掛けてお湯を作り、風呂に入ることができた。
4月6日(日) うす曇り
6時半起床。顔を洗って、オレンジ、バナナ、パンの入ったポリ袋を持って街へ出る。いつも裸足の子供たちがたむろしている、T字路に着いた。パン屋が角にある。
薄汚い服装の少年が一人いた。僕が近づく。少年が僕の手元にあるポリ袋に目をやる。手を出す。渡す。ズシリと重い収穫にすこし戸惑ったような表情。
通りを渡って振り返ると、僕を見て少し微笑んだ。袋には食べかけの菓子パンも入っているのだが、彼の判断に任せよう。
僕が飢えていたら食べかけのパンでも食べるだろう。
コーヒーを飲もうと、昨日朝食を取ったアンナプルナ・ロッジに行くが、開店まで20分ほどあるという。近くのタメル・ホテルに移動。
この界隈では抜群の高級ホテルだ。テーブルには少し黒味かかった深紅のクロスがかけられていて、ボーイも清潔なワイシャツに蝶ネクタイを結んでいる。
壁には仏陀のタンカや風景画に並んで、マオイストの選挙用ポスターが掲げられている。客は欧米人ばかり。
スペイン語とフランス語でにぎやかにおしゃべりをしている。コーヒー40ルピー。
センター・ポイント・ホテルへの帰途、タクシーの運転手と目が合った。「空港までいくら?」 と訊く。「200ルピー」 「OK」
「僕はそこのセンター・ポイント・ホテルに泊まっているので、30分後に来てくれ」と言って分かれる。
部屋に戻ってパッキングをする。昨日買ったポーチ入りのお茶10袋がどうにもかさばるが、無理やり押さえつけて、何とかスーツケース・セットに収まった。
入りきらない場合には携帯式のビニール・ザックに入れて背負おうと思っていたが、なんとか収まってホットする。
渋滞なし。約10分で空港に着く。まず、両替所のような窓口で Passenger Service Charge を購入する。
アフガニスタン、バングラディシュ、ブータン、インド、モルディブ、パキスタン、スリランカの国民は1356ルピー。それ以外の国民は1695ルピー。
空港内の土産物店。昨日タメルで買った布のポーチに入った100g入りのお茶の値段を訊いたら、300ルピー。
僕は10袋まとめて1100ルピーで買ったから、まずまずのところだ。
スーツケースの検査を受け、チェックイン・カウンターに行ってみる。まだ時間が早いためか、チェックインを始めていない。「成都行き」 の表示もない。
ナクルの家に行ってから下痢気味である。今日起きてから4回目のトイレに入る。ポケットから航空券を出して、出発時刻を確認する。
あれ、11時45分だと思っていたが、10時45分と書いてあるではないか。もう、9時15分なのにまだチェック・インが始まっていない。
トイレを出て、Custom Service の係員に訊ねる。「きょうは Air China のフライトはない」、と言う。
今日の10:45発と記入された航空券を見せると 「このチケットはミステイクだ。 Air China のフライトは明日8時だ。いや、明後日かもしれない。
隣のビルに Air China のオフィスがあるから、変更手続きをしたらいい」 と教えてくれる。
Passenger Service Charge のチケットは明日も有効か、と訊いたら、「今日限りだ。私が払い戻してあげる」、と親切に払い戻してくれた。
隣のビルに行き、そこにいた女性に尋ねる。「ここには Air China のオフィスは無い。隣のビルのチェックイン・カウンターがある」 と言う答え。
航空券を見せて、チェックイン・カウンターには Air China の人間はいない、と訴える。「では、カトマンズ市内のラジ・マートにある Air China のオフィスに行け」、という。
念のため、ノートに場所名を英語とネパリで記入してもらう。
タクシーの運転手にメモを見せて、「ここにある Air China までいくらだ?」 と確認する。最初の運転手は500ルピーと答える。「No No, 300」 と言って次の運転手に移る。
次の運転手は 「250ルピー」 「OK,Go」。運転手は散々迷った末に Air China のオフィスに着く。
オフィスのドアに 「Closed」 という札が掛けられている。土日は休みらしい。明日来るしかない。しかし、オフィスは通常10時からオープンだ。
もし、明日の朝8時のフライトだとすると、間に合わないではないか。
ここまで乗ってきたタクシーにタメルのチベット・ゲストハウスまで行ってくれ、というと150ルピーの追加をくれ、という。「OK、Go」
昨年、瀋陽からハルビン行きの飛行機を HIS で購入していたのだが、そのフライトは無い、と言う事態に遭遇したことがあった。
国際電話で HIS に文句を言い、帰国後払い戻しをしてもらったが、手続きに3ヶ月以上もかかった。
今回、カトマンズ行きはこれが一番安かったので購入したのだが、しばらくは Air China は利用しないようにしよう。
C-trip という中国国内の格安宿泊サイトで予約した成都のホテルも急遽キャンセルしたが、前日なのでキャンセル料を取られるかもしれない。
チベット・ゲストハウスでバスタブ付きの部屋を見せてもらう。バルコニーに面したきれいな部屋だ。24時間ホット・シャワーがOKだという。
受付で価格を訊くと、20ドルとのこと。「地球の歩き方」 と見せ、20% off と書いてある、と迫ると、「もともと30ドルの部屋なので、すでに20%以上値引きしているからダメ」、
と言われる。
まあ、これが20ドルならば、今回のカトマンズで泊まったうちでは最高にリーズナブルだ。
ふるめかしい Blue Horizon Hotel もバスタブ付き20ドルだったが、元の値段が50ドルだなんて吹っかけている。
部屋に荷物を置き、50ルピー/Kg のランドリーを頼むことにする。洗濯物を入れた袋を持ってホテルを出て、ランドリーの看板を探す。一軒目。
出来上がりは明日の昼だという。1時間サービスと書いてあるではないか 、と言うと、停電で機械が使いないのだ、とのこと。
2軒目。出来上がりは明日の夕方、と言われる。あきらめてホテルに戻り、自分で洗濯をする。お湯が出るので快適だ。
このホテルでは本当に24時間お湯が出るようだ。この国では珍しい。
今日は雨が降ったせいか、とても寒い。夜、革ジャンを着て、インドで買った絹のマフラーを首に巻き、トレッキング中に買ったヤクの毛で編んだ帽子を被って出かける。
インドとネパールは良く似ているが少し違う。こっちの方が素朴で素直な感じ。悪者があまりいない感じ。この国では身の安全に不安を感じたことは無い。
もっとも、カトマンズに着いた最初の日の夜、ネット・カフェを出たら、街が停電で真っ暗になっており、道に迷ってホテルに帰れなくなった。
すれ違う人の顔も見えなくて少し怖かったが、実際には何も無かった。
カトマンズからラサに向う飛行機からのヒマラヤが一番すごかった
インド国境の街、ネパールガンジ
3月31日(月) 快晴→うす曇
6時起床。
8時に迎えに来たタクシーに乗って、World Peace Park へ。昨日は夕方ちょっとの時間しか見物できなかったので、ネパールガンジに出発する前にもう一度行くのだ。
日本山妙法寺。「廣供養舎利」と、ひん曲がったような文字が大書してある。「南無妙法蓮華経」 の文字も見える。
ドイツ・モナステリー。本殿にダライラマの写真。全体にチベット密教色が強い。ドームの天井にブッダの生涯が描かれている。すばらしい絵だ。
仏陀の乳房は女性のように豊かだ。
外壁にも一面にきれいな絵が描かれている。トラに自分の太腿を切り与えている絵も。残酷な地獄絵もある。庭もすばらしい。
直径2メートルの巨大なマニ車が四隅にある。このマニ車は力いっぱい引っ張ってやっとゆっくり回る。まさに楽園の景観。このドイツ館は他を圧倒する。
峠のレストランに運転手と入る。ここも、メニューはダル・バートだけだ。125ルピー。煮物、2種類のスープとチキンの煮たものが小皿に乗せられてきた。
初めて手でこねて食べる。ミネラル・ウォーターは売っていない。テーブルの上のポットに入れられた水を飲む。
かやぶきの広めの小屋の一角にかまどがあり、薪が燃やされている。入り口付近にちょろちょろと水が落ちている水道の蛇口が立っていて、食事の前後はこれで手を洗う。
UMLのデモ。小さな子供や女性が歩いているのが目立つ。この政党のシンボルは太陽がサンサンと光をふりまいているマーク。
最大政党のカングレスは葉を広げた一本の樹木のマーク。マオイストは緑、白、赤の三色旗。そのほかパラソルのマークなどさまざまである。
この辺の人は荷物を運ぶのに頭に載せて運ぶ。トレッキング中に見かけた人々は、額に紐をかけて背中の荷物を運んでいた。
1台のジープの側面と背面に人が取り付いて、鈴なりになっている。20人くらい乗っている。
行く先々で道路わきの山林が燃えている。大きな木はくすぶっているだけで燃えていない。何のためか、とタクシードライバに訊くと、
「ただ面白がってやっているのだ」 との答え。「マオイストは好きか」、といつもの質問。「王も嫌いだが、マオイストも嫌い。
以前ジャングルに潜んでいたときに村人から食料などを奪った。」
今朝ホテルを精算したときに夕食代を払ったが、6500ルピーが加算されている。ネパールガンジまでのタクシー代とのこと。
バスだと9時間かかると言われてタクシーをチャーターしたのだ。連日9時間のバスはつらい。このときにはうかつにも交渉なしで払ってしまう。
運転手はホテルから5500ルピーしかもらっていないという。1000ルピーはホテルのコミッションだ。
約5時間でネパールガンジに近づいた。運転手の携帯電話を借りて、ルドラの携帯に電話する。ルドラが待っているホテルを運転手は分からない。
何度か電話でやり取りをした。
ふと、目の前にオートバイが停まり、ヘルメットを脱いだ男が笑って手を差し出す。ルドラだ。1年半前に名古屋で会ったときの笑顔を思い出した。
アムネスティ日本のスピーキング・ツアーのスピーカーとして日本各地で講演をし、ネパールの現状を話してくれた。名古屋講演の翌日、僕がエスコートしたのだ。
2時過ぎにルドラが僕のために予約してくれていたバチカ・ホテルに着く。UNの車も停まっている。トヨタ・ランドクルーザーでピカピカの新車だ。
運転手にチップを渡そうとするが辞退される。この国でチップを辞退されるのは初めてのことだ。ルドラたちの手前、受け取りにくかったのだろうか。
ルドラの友人だというビシュヌを紹介される。この国には男も女もビシュヌがたくさんいる。政府の役人でネパール柔道協会の副会長とのこと。
国立公園にバンガローを予約してくれていて、ビシュヌのマイカーで行くつもり、という。「ここには2泊しかしないので公園ではなく、人々の生活を見たい」 といい、
バンガローはキャンセルしてもらう。
この街で、2週間前にUMLの候補者が殺された。深夜自宅を訪れた者に射殺されたのだ。犯人は不明。
ルドラのオートバイの後ろに乗り、彼の自宅に行き、奥さんに挨拶。少し郊外にある小奇麗な家だ。
トレッキングから下山したあくる日に数年前にニュージーランドで買った軽登山靴が壊れた。底の部分が左右ともはがれたのだ。
左右同時にはがれるとは品質が均一なのだな、と感心する。
履物屋を周り、700ルピーの中国製サンダルを購入する。2時間後に迎えに来てもらうということにして、ネット・カフェに下ろしてもらう。
日本語OKとのことだったが、日本語メールが文字化けで全く読めない。CDを使ってセットアップしてくれるが、なかなかインストールがうまくいかない。
やっとのことで日本語が読めるようになった。
隣の学校でトイレを借りる。学生たちがテストの最中。
ルドラのバイクでインドとの国境に行く。オープン・ボーダー。国境となる小さな門の下を、人や車が自由に行き来している。
すぐ近くに、マオイストに攻撃されたことがあるという、ネパール側の警察署があった。
ネパールガンジのオープン・ボーダー。後ろのゲートが国境
夕食はビシュヌと3人でガーデンレストランで。ものすごい数のカだ。テーブル付近に蚊取り線香を二つ置いてもらうが、まだ刺される。
池のそばのテーブルから屋根つきの小屋にあるテーブルに移る。天井にはファンが回っている。
ピーナッツ料理のバダムをスプーンでパッと口に入れる。シェクワというヤギ肉料理。ビシュヌとルドラはウイスキーを、僕はビールを飲む。
酒を執拗に勧めるのは日本と同じ風習。「飲酒運転は大丈夫なのか」、と訊いたが、「俺たちはゴルカ (族) だ、大丈夫」 とルドラ。
ビシュヌは果物を日本に輸出したいという。
4月1日(火) うす曇り
7時半起床。ふくらはぎの痛みは大分良くなったが、触るととても痛い。
8時からルドラ、ビシュヌとビシュヌの車で出かける予定だ。30分遅れる、と電話が入る。ホテルのロビーでルドラ達を待つ。
ロビー脇にビシュヌ神が祭られ、灯明と線香の煙が煙たい。朝から巨大な蚊がうろついている。BBCでダイアナ死亡原因に関してのいろいろな説が報道されている。
インド側に入るためにパスポートを持つ。
マオイストがコントロールしている (しかし、表面的にはマオイストとは無関係を装っている、とルドラの説明) FM局を訪問。局員にインタビュー。
「Change が必要。経済的な革命 Economical Revolution が必要。世界第二の水資源国だが、現在はインドと中国がただで使用している」 「観光も重要」
「政治問題 (貧困、教育、医療、飢餓) を解消する新しい計画が必要。政府は無策だった」 「一部の人々に富が集中している」
マオイストの支部を訪問。シンボルは旧ソ連と同じ鎚と鎌を組み合わせたもの。
地区シニア・リーダーのTuphan氏他にインタビュー。僕の英語の質問をルドラがネパリに変えてくれ、相手の答えを英語にしてくれる。
時には直接英語で質問も出来る。
●UML (United Marx Lenin) とマオイストはどこが違うのか?
→UMLは偽の共産主義者で我々は本物だ。
●今度の選挙に勝てると思うか?
→我々は人々から支持されているから、勝てる。
●僕は中国に何度も行って、多くの乞食がいるなど、マオイズムの悲惨な現実を見ている。現在の中国をどう思うのか?
→毛沢東は正しかったが、後継者が毛沢東主義を変質させた。また、一国社会主義なので失敗した。
●ミャンマーの軍事政権をどう評価するのか?
→我々はそれに答える立場に無い。ノーコメントだ。
●毛沢東も若いころは正しかったかもしれないが、権力を握って腐敗した。これはレーニン、スターリンも同じだ。
権力が集中しないようなシステム、互いに牽制しあうシステムが必要だと思う。三権分立はそのひとつの方法だが、日本も行政権力に司法が従属してしまっていて、
三権分立が出来ていないが、このことを何か考えているか?
→トップリーダーを交代制 (輪番制) にすることを考えている。
●昨日、タクシーの運転手に、マオイストが好きかと訊いたら、マオイストは嫌いだ。ジャングルに隠れて武装闘争をしていた時、
村人から強制的に食物などを奪ったからだ、と言っていたが、そのようなことを本当にしたのか?
→その運転手は他の政党のデマを信じ込まされている。もし、そういう不法行為を働いたならば、組織内部でその者を罰する。
●2週間前にこの街で深夜にUMLの候補者が自宅で害されるなど、今回の選挙に関してマオイストが不法行為を働いていると言われているが?
→我々がそのような不法行為を働いたと言う証拠は無い。
インタビューを終えた後、ルドラのオートバイにまたがってビシュヌのオフィスに移動。水資源部。ビシュヌのボスの部屋に行く。
ボスはネワール族で宗教はヒンドゥーだが、ネワール族には仏教徒もいるとのこと。エアコンが効いていて、ホワイトボードに灌漑を終えた面積が記入されている。
ヤスモトという日本人学者がネパールの地質学を始めたそうだ。
ビシュヌのオフィスで、ルドラ、ビシュヌと
ルドラの友人のラビンドラにバトンタッチされ、彼のバイクで近くの村へ。ラビンドラはミニマム・ファイナンスを行っている。
その顧客たちを訪ねる。道すがらATMで金を引き出そうとするが全部だめ。PLUSのカードは使えないようだ。ホテルに帰ってVISAカードを取ってこなくてはならない。
茅葺の屋根が半分崩れ落ちた小屋で男が横たわっている。
古いレンガつくりの土の床の上に座って女たちが線香を作っている。5人が共同オーナーの会社。彼女たちに9万ルピーを貸し付けたと言う。
ラビンドラと僕に線香を一包みずつくれた。いいにおいのする線香だ。
衣類の会社を作りたい、と言う男が5万ルピーの融資を申し込んでいる。OKするつもりという。女性にしか融資しないのでは、と問うと、彼の奥さんに融資するという。
男はあてにならないが、女性はしっかりしている、と言う。
借り手は Manpur Mahina Swabalamban Samur (マンプール女性支援組合) というグループに加入し、利息は10%。100%の回収率。
20人から40人の女性がグループを作り、リーダーを養成する。1グループにはグループ長、主任、会計の3人のリーダーがいて、
銀行とリーダーたちは組合員にビジネスが成功するように助言をする。
また、うまくいかないときには成功している組合員を尋ねて学習する。大体5万ルピーを融資する。貧困レベルは12ドル/月。10年間で14000人が内戦で死亡した。
UMLのリーダーがネパールガンジに来て記者会見をするというので、ルドラと一緒に参加する予定だったが、村の訪問が長引いて、記者会見には同席できなかった。
ルドラの話では新味の無い会見内容だった、とのこと。
ホテルで、ルドラの友人3人に会う。ロビーで僕が買ってきたみかんを食べながらのインタビュー。Prabhat Chalaune という男性はマオイストだと言うことで逮捕され、
1年間獄中にいて、死ぬほどの拷問を受けた。アムネスティなどの活動と平和協定によって出獄した。
この人の顔はアムネスティのニュース・レターで見たような気がする。革命的ジャーナリスト協会に所属する。
昨日ビシュヌの招きで行ったガーデン・レストランで、ルドラ、ビシュヌ、ラビンドラと食事。
今日は僕が招待した。ビシュヌの携帯がピャララーという音楽で鳴るたびに 「今度は3番目の奥さんからだ」 「いやガールフレンドからだ」 とからかう。
僕はエベレスト・ビール、ビシュヌたちは RAKSI を3、4本飲む。4人で飲んで食って2000ルピー足らず。
4月2日(水) うす曇
6:10起床。6:40分からホテルの庭でビシュヌと面談。果物とハーブを日本に輸出したいという。息子がカトマンズでやっている。以下を合意。
まず、息子がEメールで連絡をとる。
息子が日本に来て調査 (1、2週間)
ビジネス開始
ビシュヌ氏はなかなかの実業家のようだ。
ラビンドラのオートバイで国境を越える。パスポートとインド・ビザを持ってきたが、チェックは全く無い。ネパール側に戻ったときも同じ。
ゲートがあり、ただそこをくぐるだけだ。国境を越えても、兵士が着ているユニフォームが違うくらいで、風景は何も変わらない。
ラビンドラは商店でハミガキ剤を買った。ネパール側で買うと関税が20%〜100%かかるので、みな国境を越えて買い物をする。
たとえばオートバイは100%の関税がかかる。しかし、ナンバーをネパールで取らなければいけないので、インドで買うわけには行かない。
この街ではネパール・ルピー、インド・ルピーの両方が使える。
インド側には鉄道のターミナル駅があった。汽笛が聞こえる。道端に男が倒れていてまったく動かず、無数のハエがたかっている。
死んでいるのかと思ったが、帰りに見たら動いていた。酔っ払いだという。
BBCニュースでジンバブエの選挙が報道されている。
馬車に8人の人と荷物が乗った一頭立ての馬車。リクシャー、自転車、オートバイ、牛、歩行者が雑然と通行している。
ルドラがホテルに来た。これから何をしようか、と話し合う。予約していないが、カングレス、UMLの事務所を訪問してみようということになった。お寺見物よりも面白そうだ。
ラビンドラとビシュヌも来た。二人ずつ2台のオートバイに乗り、4人で出かける。
まず、カングレスのオフィス。どこの政党の事務所も似たようなものでみな埃っぽくて汚く、貧弱である。リーダー達もネクタイをしている人は皆無。ラフな格好である。
僕はといえば、数年前にバンコクで200バーツで買ったカーキ色の薄汚れたズボンと日本の通販で買った黒いシルクのシャツを外側にたらしていて、サンダル履き。
ズボンのベルトの代わりにトレッキングのロッジでくれた白い布を使っている、ルドラたちは靴をはいていて最もまともな格好。
「カングレス (Co ネパールガンジ ress のこと。ネパール人はこう発音します)」 シンボルは葉の茂った一本の樹。
中央青年部事務局長 (名前は訊き忘れた) にインタビュー。
●今度の選挙で勝てると思うか?
→当然である(Why not?)
●勝てると思う理由は?
→我々は民主的な政党である。また、マオイスト問題を解決することが出来る。
●マオイスト問題とは何か?
→彼らが銃で権力を奪取しようとしていることだ。
●僕が見たところ、この国には貧困、教育、インフラ、医療などの問題がある。これまで政権党であったカングレスはどうしてこれらの問題を解決できなかったのか?
→マオイストとの武装闘争で、ほかの事は何も出来なかった。
●マオイストは選挙に負けたらまた武装闘争を開始する、と言われているが?
→もしそうなったら、また何も出来なくなってしまうだろう。しかしマオイストも武装闘争を再開するのは困難だと思う。
●マオイスト、UMLを巻き込んだ政府を作るしかないのではないか?
→それは、今までも検討してきた。党の指導者が考えることだ。
●選挙に勝った場合、最重要な3つの政策は何か?
→まず、平和だ。その次は市民生活水準の向上だ。貧困、水、教育、医療問題を解決する。社会基盤を構築し、法治国家を作る。
●それらの問題を解決するには資金が必要だと思うが、それはどうするつもりか?
→我々の持つ資源(水、観光、農業)を産業化する。ネパールはブラジルに次いで世界第二の水資源保有国だ。市場の開放も進める。
●日本政府および国民に何か要望があるか?
→今回の選挙でも援助してくれているなど、日本の援助には感謝している。(選挙後の) 新しいネパールを支援してほしい。
次いでUMLの事務所へ。シンボルは太陽が照っているようなデザイン。
地区リーダー Ashok Koisala 氏にインタビュー。
●後ろに掲げている選挙ポスターの指導者がサングラスをかけているのはなぜだ?
→ネパールでは40歳を過ぎると目の障害を持つ人が多い。我々のリーダーも若くない。
●マオイストとUMLの違いは何か?
→マオイストは銃で政権奪取を考えている。我々は民主的政党だ。
●今度の選挙に勝てるか?
→人々が我々を好んでいるから勝てる。
カングレスは内部問題 (別々の路線を持つ二つのグループを内包している) があるので弱い。マオイストは暴力で寄付を強要するなどするので人々から嫌われている。
●最も重要な3つの政策は何か?
→民主的共和制の建設。
ネパールから王政を排除する (国王はすでに国の実権は無いと言われているが、軍を掌握しているので、油断できない)。
ネパールの再建 (reform)
インタビューの後、ルドラがホテルから、フライトの遅れが無いか電話で確認してくれた。今日は 「On Time 」 とのこと。フライトまであと35分。
先日ルドラに渡したデジカメのバッテリーを彼が家に置き忘れてきた。家に寄ってから空港に行っても間に合うと言うので、タクシーで彼の家に寄る。あと30分だ。
ルドラと別れてタクシーは空港へ。ゲートのチェック・ポイントで僕のチケットをチェックされ、運転手も何か手続きをさせられている。
あとフライトまで20分を切る。空港に入る。荷物検査で、「スーツケースを開けろ」、と言われる。係員に 「あと15分しかない」、というと 「30分遅れだ」 と言う。
ルドラは On Time と言ったが、30分遅れを見越していたのだろうか。
このネパールガンジ空港では荷物検査にX線は使わない。全て荷物を開けて手で調べる。荷物検査を終えボロボロの待合室へ。
窓ガラスはあちこちなくなっていて、ゲートのドアにはめ込まれていたガラスも一部なくなっている。イスも壊れている。
待合室にすずめが迷い込んでチュンチュン鳴いている。
突然、壁の台の上に置かれた大きなテレビが雑音を発し始めた。画面は砂嵐のままだ。近くにいた男が電源を切ってくれて静かになる。
小さなプロペラ機。右側が1列、左側が2列。ポカラからジョムソンへ飛んだ飛行機に毛が生えた程度。座席も全自由席。
しかし、バスだと24時間以上かかる距離を1時間で飛んでくれる。
客が座ると、安全設備の説明も無く、すぐに飛び上がった。隣のおばあさんが僕のノートを指差して何か言っている。キャンディーと耳栓用の綿が配られる。
ばあさんは片手に握れる限りのキャンデーをワシ掴みにし、耳栓も一部を使用し残りは手に抱えたバッグにしまいこむ。
ピーナッツの袋が配られる。ばあさんはこれをすぐにバッグにしまいこみ、キャンディーの一個を食べ始める。
僕の新聞を指して何か言っている。自分も欲しいと言っているようだ。僕がスチュワーデスに言ってやる。
ばあさんはネパール語の新聞を受け取るとすぐにバッグにしまい込んだ。お土産にでもするつもりか。
後でスチュワーデスが新聞の回収に回ってきて、ばあさんのバッグから新聞が半分顔を出しているのを見つけ、ばあさんは素直に差し出す。
このばあさんは、カトマンズ空港に着いて、バスに乗ってからも耳栓をしたままだった。
空港を出ると、プリペイド・タクシーの窓口が閉まっている。タクシーの客引きに声を掛けられる。「どこまで?」。「カトマンズ・ゲスト・ハウス」。「OK」。
「ハウ・マッチ?」。「450」。「ノー」。「400」。「ノー」。別の運転手が 「300。とても安いよ」 というので 「OK」。スズキの軽自動車だ。
シートベルトをしようとすると、「必要ありませんよ。だんな」 という。「俺には必要なんだ」 と締めようとするが、金具を留める受け側が無くなっている。
カトマンズ・ゲスト・ハウスで部屋を見せてもらう。バスタブ付、TV付、ノー・エアコン、とリクエストしたが、バスタブ付の部屋にはエアコンも付いているとのこと。
55ドルを40ドルに負けてくれた。部屋は古いが広々として快適そうだ。
レヌのレストランに行ったが、食べ物が全部品切れ。モモは20分あれば出来ると言われたが別のレストランへ。
ラシを注文したが、停電で出来ないといわれ、フライド・ライスとコーヒーを注文。
アンナプルナ・ジョムソン・トレッキング 2-2
3月26日(水) 快晴
6時半起床。昨夜はよく眠れた。明け方ネズミらしい物音がしていた。野菜オムレツ、小さいポットの紅茶、トーストを食べる。8時にロッジを出発。
10時に滝ビュー・ポイントのレストランでコカ・コラを飲む。500ml 110ルピー。
ロッジに同宿していたアストリアから来た若いカップルとスペイン語で会話しながらしばらく歩く。
2年間働いて、仕事をやめ、半年間アジア旅行に来ている。インドに2ヶ月、シッキム (インド北東部の、ネパール、中華人民共和国チベット自治区、
ブータンに囲まれた州) に1ヶ月、ネパールに1ヶ月と旅行中。ナッチョ (34歳) とサラ (26歳)。ナッチョは痩せて背が高いひげを生やした、もの静かな青年。
サラは小柄のよくしゃべる美人。サラに言わせると、ナッチョは人前では物静かだけれども、ものすごく活発で二重人格 double face なのだそうだ。
スペイン北部から来たサラ、ナッチョのカップル
3人でナクルを先生にしてネパリの勉強をする。小学生が使うネパリの教科書の切れ端があった。絵の説明文を指してこれはどういう意味か、と訊く。
ナクルが 「食べ物は大事です」 と日本語で言う。僕がスペイン語か英語に直して二人に説明する。
スペインでは子供が生まれる度に2000ユーロを政府がくれる、という話が出た。ナクルは 「政府に払うのじゃなくてもらえるのか、それなら20人くらい子供を作りますよ。
いい政府ですね」 という。サラは 「とんでもない、スペインは生まれたときに一度だけだが、
スウェーデンやノルウェーでは子供が20歳になるまで毎月養育費を出してくれる」、と言う。
サラが 「ネパールの人々の暮らしはシンプルで子供たちはとても幸福そうに見える。ネパールの子供たちを見るのが好きだ。
スペインでは TV,ゲームなどいっぱい物があふれているが、子供たちはもっと欲しいといって幸福そうではない。
ネパールの人々は家族を大切にしているがスペインでは家族を離れている」という。
僕が 「仏教では人間が持つ108の欲望を消すことが重要と考えられている。ムクティナートのお寺の108の水はそれを表している」 と説明する。
「キリスト教は、私は罪深い人間です。あれをしてはだめ、これをしてはだめ、という宗教」 と、サラ。
「ポーターがサンダル履きで重い荷物を担いでズンズン登っていたね」 というと、「重すぎる荷物を運んでいるのを見るのは嫌いだ、彼らは動物ではない。」 との返事。
12時半にタトパニのダウラギリ・ロッジに投宿。道すがら遭ったネパリのガイドがこのロッジが 「温泉にも近いし、きれいな庭があるのでお勧め」 と言っていたのだ。
温泉に入り、マッサージを受ける。1時間600ルピー。とても気持ちがよい。サラたちに倣って、離れになった2階の部屋に帰ってシエスタを楽しむ。
川の瀬音、乾いたそよ風がさわやか。
夕食のテーブルは英語が聞こえる。安いロッジに泊まり、まあまあの食事を食べ、ビールを飲み、友人たちとしゃべりながらゆったりと食事を取る。
これがヨーロッパ人の旅の楽しみ方だ。
サラたちの故郷のアストリアスはバスクと共にアラブに占領されなかった唯一の地域で、一時はスペインの首都があったそうだ。
山岳地域のためにアラブも攻めにくかったようだ。
僕はグレート・アドベンチャーにナクルの費用として一日当たり16ドルを払ったが、彼は一日500ルピー (7ドル) をもらうだけだと言う。
差額の一日あたり約9ドルはグレート社の懐に入る。カトマンズの普通の労働者の月収は2000ルピー。
3月27日(木) うす曇
7:45出発。寝過ごした。歩き出してすぐに、シマルの木に真紅の花が群れ咲いている光景にでくわした。シマルの花はもっともネパール的だ。
木の枝に大きな派手な形の真紅の花が群れ咲いていて、葉は全くない。
シマルの花
荷物をナクルに持ってもらい、息を切らせて石段を登る。僕の脇を、サンダルを履いた老人が両手を後ろに組んで悠々と追い越していく。
9時過ぎにサントッシュ・ヒル・トップに着く。ナクルがホテルの庭から拾ってきたミカンとサラがくれたビスケットで一息つく。ここからはしばらく下りだ。
ビュー・ポイント毎に休憩所がある。11:30にシカ Shikha の入り口のトラベルズ・ゲスト・ハウスに着く。ここで、アップルパイ、ゆで卵、トマトスープの朝食を取る。
ナクルの村では、9人くらい編成の楽団を600ルピーで呼ぶことができるという。結婚式や客が来たときには楽団を呼び、村中から50人くらいの人が家に集まって、
踊り、歌うそうだ。
二抱えもある、シャクナゲの大木が真紅の花を咲かせている。ネパールには紅い花が似合う。
黙々と石段を登る。地図で確認すると、シカまで標高差約750メートルを登った。さらに、ゴレパニ・ゲスト・ハウス Gorepani まで、
標高差900メートルを登らなければならない。
道すがら、庭にウサギのようにしゃがんだ婦人が、陽に焼けてしわだらけの顔から目を眇めて、じっと僕を見る。
乾いた埃っぽい土の上に汗が滴り落ちる。路上に落ちた家畜の糞に小さいハエが表面を真っ黒に変えて群がっている。
僕の靴が近くを踏んだので、ワッと飛び散る。クモの子かアリのように地面近くに広がり、すぐにまた糞に取り付く。
ドイツ人の若者グループに追いつ追われつしながら登る。男性2人と太目の女性1人のグループ。
女性に太目のボイニイ (妹) とあだ名を付け、彼女に負けてたまるか、と必死で歩き続ける。彼らが休憩を取っている間も歩き続け、これ幸いと距離を引き離した。
3時前に雷鳴が轟き、雨が降ってきた。30分でいったん上がり、雨にぬれたシャクナゲが美しい。真紅とピンクの二種類の花。
両手で一抱え以上もある大木があり、その下で雨宿りする。シャクナゲってこんなに大きくなるんだ。ネパリではラリグラスと呼ぶそうだ。
4時前にまた雷鳴が轟き、雨が降る。今度は本格的に降ってきた。4:10、ゴレパニに着く。雨の中を空き部屋を求めてロッジを回る。
三軒目のカマラ・ロッジで、やっと空き部屋を見つけて投宿。今日は標高差1700メートルを8時間かけて登った。疲労困憊。
雨が降ると、急に気温が下がってきて、ロッジ内ではストーブが焚かれている。みんな、その周りに座って暖を取っている。
昨夜のエベレスト・ビールのせいか、朝から下痢気味で食欲が無い。
サラとナッチョとはシカで別れたまま、とうとう会えなかった。明日は ABC (アンナプルナ・ベース・キャンプ) へチトレ Chitre から向かうといっていた。
また、いつかどこかで会えるだろうか。
ここのロッジのメニューは昨日のラトパニよりも高い。メニューの値段は高度に相関するというが、本当だ。
ノルウェー人の女性がガイドたちとトランプに興じている。ネパール帽をかぶった父親はそばで本を読んでいる。
「ノルウェー語はフランス語に音が似ていますね」、といったら、「ドイツ語に近い」 という返事。トランプをしているガイドの一人は顔が日本人にそっくり。
よく、「こんにちは」 と話しかけられるそうだ。祖先がモンゴリアンなのだろうか。
凍えながら、あまり十分熱くなく、水量も不十分なシャワーを浴びる。部屋でマッサージを受ける。
マッサージを受けている間も寒いので、タオルを体に掛けてくれた。色が黒く、小太りで、眉も濃く、もう少し背が高ければプロレスラーという体格のマッサー。
3年前ポーターとガイドをはじめたときには英語はまったくしゃべれなかった、トレッカーから英語を習った。3年で流暢な英語をしゃべれるようになったとは驚きだ。
読むのは少しできるが、書くのはだめだという。
マッサージもオーストラリア人などのトレッカーから学んだ。現在はマッサージをやりながら土産物のポーチや筆入れを妻と一緒に作って、マッサージ客に売っている。
ポーチは200ルピー、筆入れは300ルピー。「いい値段だね」、というと、「手にとって見ろ。ポーチが気に入ったのなら、特別に150ルピーにしてあげる」 というが、遠慮する。
今日は、タイから来た30歳の女性マッサーに、マッサージ料金の800ルピーのほかに200ルピーのチップをもらった。
2番目の客はイングランド女性で、僕が3番目の客という。一人800ルピーとして、一日3人、月30日働くと、72000ルピー。そのほかにみやげ物の売り上げもある。
この国としては目の玉が飛び出るほどいい収入だ。学校の先生の月給が3000ルピーなのだ。1時間800ルピーというのをナクルが700ルピーに値切ってくれた。
みやげ物は買わなかったが、50ルピーのチップ込みで750ルピーを支払う。
3月28日(金) 快晴
ナクルのノックで4:50起床。寒い。セーター、ダウンジャケット、ヤクの毛の帽子を着込んで、5:00にプーンヒルに向けて出発。ここの名物、ご来光見物だ。
ヘッドライトを照らしながら進む。途中、日本語が飛び交う。たくさんの人が歩いていて、途中から細い道が渋滞になる。
5:50、プーンヒルに到着。大きな展望小屋があり、板張りの屋上に人がいっぱいいる。そこだけで50〜60人いるだろう。
目の前にまず、アンナプルナ・サウスがドーンと巨大な姿を見せていて、頂上付近を雪煙がたなびいている。
その少し右にマチャプチャレがカブトムシの角のように尖ったピークを空に突き出している。アンナプルナ・サウスの左に少し低いニルギリ。
ずっと左に体を回転させると、サンスクリット語で 「白い山」という意味の、ダウラギリが8000メートル峰の威容を誇って、どっしりと座っている。
その右にはやや小さなトゥクチェ。
6:50頃に日の出。ダウラギリがオレンジ色に輝き、影の部分とのコントラストで険しさを際立たせている。
マチャプチャレが白くかすんで宙に浮かび上がったように見える。
陽光を浴びたアンナプルナ・サウスが輝き、雪煙がはっきり見える。
ダウラギリをバックに (プーン・ヒルにて)
6:30プーン・ヒルを下山。シャクナゲが満開である。チーチュチュと小鳥が鳴く。
素晴らしい眺めを満喫できたのは、昨日7時間の登りをがんばったかいがあったというものだ。
7時にロッジに戻る。デジカメのバッテリーが無くなった。予備を含めて5個のバッテリーを持ってきたのだが、うち3個は充電できていなかった様だ。
8:10ロッジを出発。
11:00頃、ウレリ Ulleri を通過。途中ビスケットと水の休憩を一回取っただけで、ひたすら石段を登る。シャクナゲの林を抜ける。
11:55ティケドゥンガ Thikhedunga の Indra ゲスト・ハウスにてランチ休憩。地図のコースタイムでは2時間のところを3時間30分かかった。
メニューの中から Breakfast を注文。ネパールのレストランは一日中朝食をサービスする。ナクルはいつものようにダル・バートを注文。
「水牛の肉があるけど、食べるか」 と訊かれて、「牛肉でもOKだよ」 とナクルが答える。
半分冗談で半分本気。事実、彼はヒンドゥー教徒でありながら、カトマンズのレストランで日本人と一緒に牛肉を食べたといっていた。
ステンレスの皿の上に黒っぽい肉の塊が載ってきた。「ヒンドゥー教徒がそんなこといって大丈夫か?」 と僕が訊くと 「大丈夫」。
レストランにいた男に、村の道路修理費用負担金として、ナクルが50ルピーを支払う。この男は村の税徴収人のようだ。
昨夜泊まったゴレパニでも50ルピー支払ったそうだ。不思議に外国人からは徴収しない。
ナクルの身重の奥さんはカトマンズとポカラの間にいる。昨日電話したところ、腹が痛いといっているとこのこと。
カトマンズまで帰らずに、明日、奥さんを病院に連れて行くよう助言する。
女性ポーターが3人、竹かごに入れた韓国人パーティーの荷物を降ろして休憩中。畑仕事では一日50ルピーだが、ポーターは一日400ルピーで、
場合によってはチップももらえるので、断然いい仕事なのだ。
男が二人、川で投網を打っている。口には長さが1メートルくらいのヤス (釣り具) を咥えている。
二人同時に投網を打つ。単独で打つよりも2倍の面積をカバーするので、魚を逃がさないのだろう。
魚とりを観ていると、2、3歳の子供が二人来た。洟をたらして汚い服を着ている。一人の子供はサンダルを履いているがもう一人は裸足。
「チョコレ」 と言って僕に手を出す。丁度2枚残っていたビスケットを一枚ずつあげる。「バイバイ」 と言うと、「明日も来るのか?」
この川の渓相は僕が魚釣りに出かける飛騨小坂の川にそっくりだ。川の瀬音も同じ。フト日本にいるような錯覚を覚える。
4時40分、フェディ着。5時タクシーでポカラへ。途中で知り合ったケニア人男性とそのガイドと4人で乗り、1200ルピーのタクシー代を折半する。
このケニア人は高卒後オーストラリアに渡り、パイロットの研修を受けてケニアに帰国。最初は小型機のパイロットをしていたが、ケニア・エア・ウェイズに就職し、
現在はボーイング777を操縦している。
タクシーは30、40年くらい前に製造されたと思われるトヨタ・コロナ。窓ガラスはいったん下げると上に上がらなくなる。ハンドルを回してもカタカタと空回り。
ドアを開けるときには、ロックボタン辺りを片手で押さえながらやる必要がある。もちろん、シートベルトは無い。
ガタガタ道なので、ドアをロックしたが、振動のためにいつの間にかロックが Off 状態に戻ってしまう。座席の背もたれのスプリングが出ていて背中にあたって痛い。
上体をずらしてそれを避けながら座る。しかし、エンジンはまだまだ大丈夫で、快適に飛ばす。
UML (United Marx Lenin) の集会に多くの人が集まっている。今度の選挙で、カングレス (ネパール会議派)、マオイストと三つ巴の主導権争いをしている政党だ。
名前からすると2つの大政党がコミュニストのようだ。しかし、この両者は仲が悪く、殺し合いをやったこともあるとのこと。
ケニア人パイロットのガイドの若者は、マオイストを支持する、という。理由は 「新しいことをしようとしているから」
ポカラ近くになると畑が広々としてきて田んぼに一面にレンゲの花が咲いている。ネパールには紅い花が多い。
6時にホテル着。またもバスタブ付の部屋で無いので、頭にくる。
旅行代理店グレート・アドベンチャーは僕にバスタブ付を用意したと言っていたが、ホテルにはデラックス・ルームを依頼していただけだった。
グレート・アドベンチャーから渡された用紙をちゃんと確認しなかったのが失敗の元。
それと、予定よりも3日前に下山したのだが、予定変更をホテル側に伝えていなかったのも失敗。
ナクルが、「今のシーズンは込んでいないので大丈夫」、といったのを真に受けたのだ。バスタブ付の部屋は満員なのだ。
ホテル・オーナーとけんか腰で話し合い、翌日をバスタブ付の部屋にしてもらい、料金も50ドルの部屋代を10ドルにしてもらうことでやっと折り合う。
ホテルの近くに、ナクルと夕食に出かける。ちょっと高級そうな感じの広々としたレストランに入る。トレッキングが終わったので、今日からは僕の支払いだ。
ナクルの話では、このようなレストランには一度も入ったことが無いネパール人がたくさんいるとのこと。
ビール1本の値段が4日分の畑仕事の労賃なのだから、アホらしくて入れないだろう。
エベレスト・ビールとタンドリ・チキンのフルサイズを注文。フルサイズというのはニワトリ一羽分である。
大量のチキンで、チャパティや野菜もたっぷり付いてくるので、二人で食べるのに十分な量だ。
11時近くになり、店員がガラガラと音を立ててシャッターを閉め始めた。「うるさいぞ。食事中にそんな音は聞きたくない。やめろ」 と怒鳴って中止させる。
ナクルもおろおろしている。
翌朝7時のバスでカトマンズへの途中の奥さんのところへ行くというナクルとホテル前で別れる。500ルピーをガイドのチップとして渡す。
ナクルはよく気が付く若者だが、ガイドとしてはちょっと頼りないところもある。
ポカラ、ルンビニ
3月29日(土) 快晴
9時におきだして部屋を替わる。やっとバスタブ付の部屋だ。バスタブの中で昨夜し残した洗濯をする。
ホテルの前にランドリーサービスもあるが、自分でチョコチョコとやる癖がついているのだ。汚れたものを荷物の中に持って歩くのは気持ちが悪いのだ。
僕は案外キレイ好きなのかもしれない。
停電のようだ。久しぶりのテレビも見ることができない。下に降りて朝食を取る。緑に囲まれたオープン・テーブルで気持ちが良い。
アゲハチョウが飛んでいる。レイクサイドにあるカルキ・ゲスト・ハウス。街の中心から離れているので不便だが、緑は多いし、部屋も清潔である。
昨夜はバスタブの件で大分言い合ったが、このホテルのオーナー夫婦は人がよさそうである。日本人客も多い。
天気の良いポカラの日中は高原の初夏という感じで、とてもさわやかである。ルドラの都合が良ければルンビニ (ネパールの南部タライ平原にある小さな村。
釈迦 (如来) の生まれた地として有名な世界遺産。仏教の八大聖地の1つ) 経由でネパールガンジ (インド国境に近く、
多民族が集まるネパール中西部の町) に行く予定だが、ネパールガンジはものすごく暑いと聞き、ゲンナリする。
昼近くなるとポカラも暑くなる。ネット・カフェで昨夜の続きのメールチェックをする。AsiaNews.it というサイトでチベットで殺害された人々の写真や、
ネパール憲法制定議会選挙のニュースを見る。
3月28日配信のニュースは、マオイストが敵対政党の Nepal Congress Party (NCP) を襲い、何人かが重傷を負ったという報道で、
燃え上がる車両の写真が添えられている。Nepal Congress Party はマオイストを名指ししているが、マオイストはマオイストを騙ったギャングの仕業だと言っている。
この数ヶ月間、NCP や UML がマオイストに殺害されていると報じている。
マオイストは今回の選挙が公正に行われないと危惧している。王政支持者と外国の干渉によって選挙が操作されると考えている。
一方、NCP は、このようなマオイストの暴力を排除しなければ、公正で自由な選挙は行えない、と非難している。
ネットカフェを出て、Hair Salon の看板の店に入る。「How Much?」。「100ルピー」。「他では80ルピーといっていたよ」。「うんうん」 とうなずくので、いすに座る。
道具はハサミが一本とクシ、カミソリ、それに食器洗い用のスポンジだ。このスポンジで顔や首についた髪の毛をぬぐい落とすのだ。
散髪を終わり頭、顔、首とマッサージしてくれる。
「マッサージ?」 と訊いてくる。「How Much?」。「One hour 600ルピー」。「No, No」。「How Much do you like?」。「200」。「500」。「200」。「400」で妥協。
散髪代100ルピーは約150円だからメチャクチャ安いのだが、炎天下一日の農作業代50ルピーと比べるとメチャクチャ高いのである。
40分くらいで 「Good?」 といって終わろうとするので、まだ20分残っているよ、というと仕方なしにまた再開する。
白髪のヨーロッパ人男性が立ち寄り、「Shaving How much?」。「50」。「No!」。「How much?」。「30」。「OK OK」 で妥結した。
マッサージを受けている間に曇ってきて辺りが暗くなってきた。雨が来そうだ。4月、5月とだんだん雨の頻度が上がり、雨季に入っていくのだ。
もう一人の男が入ってきて白髪のヨーロッパ人をもうひとつあったいすにかけさせる。
さっき僕がマッサージを受けるために顔を突っ伏していた布を取ってパタパタやり、ヨーロッパ人男性の体にかけた。
マッサージを受ける自分のふくらはぎが太った鯉の腹のようだ。腫れ上がっているのか筋肉が付いたのか。
夕方6時頃、3月22日にマッサージをしてもらったビシュヌのマッサージ小屋を訪ねるが、留守。
隣の家の前に座っていた二人の女性に手振りで尋ねるが、首を振るばかり。
来る途中でデジタルカメラ・ショップがあるたびに立ち寄って、バッテリーの充電を頼んだが、どこもだめ。
5軒くらい訊いた。買ったのは6年くらい前だから古い機種なので対応する充電器が無いようだ。
ペワ湖のほとりを散歩し、Lovers Nest Restaurant というしゃれた名前のレストランに入る。停電なのでラッシもトマトスープもできないという。
ベジタブルスープ40ルピー、チキンフライドライス60ルピーを注文。スープには大きなパンが添えられ、フライドライスも大量にある。スープだけで十分だった。
藁のような植物で部屋が区切ってあり、なるほど鳥の巣のような部屋だ。テーブルから夕暮れのペワ湖が見える。
遠くに行くにしたがって湖面の色が薄くなり、最後は雲と溶け合っている。湖の向こうに山の輪郭が幾重にも重なり、墨絵のような景色。
漁のためか小船が2艘動き出している。遠くで選挙宣伝の声が聞こえる。スローガンを叫んでいるのか、同じリズムで歌うように叫んでいる。
湖のむこうから聞こえてきた拡声器の声は、湖に沿って走る曲がりくねった道を通って、だんだん近づいてくる。
食事を終えてホテルに帰る道すがら、マオイストの旗を何本も立てたトラックの近くに、UN の大きな文字を書いた4WD車も2台停まっていた。
ネパールで見た最も立派な車だ。真っ白い車体に UN と大書してある。カミキリムシの触角のような巨大なアンテナを付けている。
3月30日(日) 快晴
6時に Wake up コールで起床。タクシーでルンビニ行きのバスセンターへ。100ルピー。基地の周辺で迷彩服の兵士の一団が走っている。朝の訓練か。
バスセンター着。出発まで30分ある。茶店のオヤジが 「お茶でもどうだ」 「シナモンは」 と売りに来る。「メニューは」 と訊くが、メニューは無いとのこと。
あまり空腹ではなかったが、ついミルクティー、シナモンパン、オムレツを注文してしまう。犬がテーブルの周りに来てウルウルの目で僕を見上げる。
シナモンパンを半分くらい犬達にあげる。
オヤジは勘定を払うときになって、120ルピーという。昨日の湖畔のレストランの豪華チキンフライドライスとベジタブル・スープよりも高いではないか。
まあ、日本円では180円くらいである、と自らをなだめる。500ルピー札と20ルピー札 (だと思う) を出す。
僕の手にあった5ルピー札を見つけてそれをチップにくれ、という。どうしてお前のような高い朝飯を売りつけたやつにチップなんか払わなくちゃいけないのだ。
400ルピーバックといっていたが、おつりを持ってきたら、380ルピーしかない。「No No」 「Sorry More 10」 といって10ルピー札を持ってきた。
僕が怪訝な顔をしていると、「お前は400ルピーと10ルピーを出した。プライスは120だ。」という。
どうして120の支払いに410を出す必要があるのだ。そもそも120だって怪しい。メニューが無いといったときに値段を確認すべきであった。
こいつはルピーの価値とお札の種類が良く分からない観光客をこうしてだましているのだろう。
市街地は大体舗装されているが、バスセンターの敷地はでこぼこの土で石もごろごろしている。スーツケースは転がせないので、手に抱えて持つ。
バスの屋根の上の若者がスーツケースを引っ張り上げてくれる。僕がよろけながら両手で差し出すのを片手でグイと引っ張りあげる。
普通の体格の若者だが、すごい力だ。
トイレは便器から床まで汚物があふれている。仕方ないのでトイレの裏あたりで済ませる。
カトマンズ→ポカラのバスは座席がフリーだったが、これは指定席だ。7:30頃出発。バス停に近づくたびに、
車掌役の若者が乗車口から身を乗り出して乗客の有無を確認する。客がいるとサッと飛び降り、手際よく客を誘導して乗せ、手の平でバンバンと2回車体をたたく。
発車オーライの合図だ。客がいなくて通過する場合もバンバンと2回たたく。
とあるバスセンターに停まる。ここも石ころだらけの広場だ。坊主頭の少年が乗り込んできて、客にメニューのような紙を見せている。
僕にも見せたが、ネパール文字がお経のように並んでいる。首を振ると別の客のところへ行った。子供の僧侶のような服装だ。
今度は明らかに物乞いの少年が空き缶を両手に持って乗客を回る。僕がそっぽを向いていると、空き缶でひじを突っつく。
裸足で汚い格好をした缶を持っていない子供も来た。
車体をバンバンやる係りと年配の恰幅の良い男が子供に向かって、「おい、もう発車だ。早く降りろ」 と言う感じで怒鳴っている。
この恰幅の良い男は発車時に切符を集めていた男だ。運転手を含めて従業員が3人でワークシェアリングしている。
隣席にネパール帽の痩せた老人。小学校教師だという。彼は60歳で、32歳、28歳、24歳の3人の息子がいる。「3人とも軍人で、長男は大尉だ」、と胸を張る。
ネパールの小学校の就学率は8割。ランチは持ってこない。ネパール語、英語、社会、科学、数学を教えている。
この教師の英語は発音も文法もかなり怪しい。自分でも 「My pronunciation is mistake」 といって笑う。「貴方は若い。私は年寄りだ」。
別れ際にも「Good bye , sir」 といってくれた。握手して分かれる。少し卑屈な感じもする、腰の低い紳士であった。
バスは 「ティロリロ、ティロリロ」 と、チャルメラの屋台が客寄せに吹く最初の部分のメロディーをクラクションで鳴らして客に知らせる。
背嚢を担ぎ、ヘルメットに迷彩服で銃を担いだ兵士の一隊がバスの両側を行く。
かやぶきの物置小屋。紅いビスケットの箱に入っていたフサフサの花が垂れ下がった木。バナナの葉。きれいな川の水。水浴や洗濯をしている。
大きなにぎやかな町に着いた。銃を持った兵士の姿。バスはまっすぐ南に向かって進んでいると思っていたが、
隣の男の話ではどうやら東のカトマンズに向かう道を走っているようだ。ムグリンという街で、カトマンズ行きの道とわかれて南西に向かうようだ。
デブガートというところで、ランチタイム。
広いレストランに入る。少年が来て 「Rice?」 と訊いてくる。メニューは無いという。「Lassi」 「Rice?」。「No、Lassi」。
「No Lassi」 というのでミルクティーが欲しいというと、隣の店に連れて行ってくれる。そこはテーブルが無かったので、「ここに座る」 と、元のレストランのテーブルに座る。
しばらくすると少年が隣の店からミルクティーを買ってきてくれた。10ルピー。
キューピーちゃんのように目の周りを隈取った可愛い坊やがヨチヨチと歩き出そうとする。それを、きれいな6歳くらいの姉が抱き上げる。
坊やはむずがり、体をよじって泣き叫ぶ。
盆の上に太いキュウリを立てに四つ切にしたものをきれいに並べてある。真ん中に緑色のものが入った小皿がある。これを付けて食べる。
トウガラシを混ぜた辛い岩塩だ。一皿5ルピー。
マオイストの宣伝カーを追い越す。隣席の男に、「マオイストは好きか」 と訊くと、首をクネクネと曲げて顔をしかめる。「Changing」。「ネパールを変えるのか?」。
「Change Nepal」 がキーワードのようだ。男は病院に行くといっていた。
すぐにヤラガンガートという街に着き、ここでネパール人客の大半が入れ替わった。僕を含めて2、3人の外国人らしい客はそのままだ。
広い遠浅な河で水浴や洗濯をしている。トウモロコシが穂を出している。山の畑ではまだ30センチくらいの高さでしかなかった。水牛が川の中で顔だけ出している。
木陰で寝そべっているのもいる。バス停は大きな木がパラソルのように葉を広げ、乗客はその下で待っている。
わらを集めて燃やしている香ばしいにおい。緑の中に紅い花が点在。マオイストの旗の色だ。隣に8歳くらいの女の子。
目の周りにはっきりと黒い色を塗って、額にも黒いティカ (ヒンドゥー教を表すマーク) をしている。「何歳?」。「アジェ?」。
手に植物の葉が出たビニール製の袋を持っている。「何?」。「アジェ?」。「アジェ?」 は 「何ですか?」 という意味だろう、と推測する。
午後1時。汗が背中にべっとりと張り付く。バスの最前列に移る。両側のドアミラーにマオイストの旗をくくりつけたトラックが黒煙を吐きながら坂道を上っていく。
オートバイもマオイストの旗を立てて走る。
大きな牛がゆうゆうと道を横切る。仔牛が母親の後を追う。バスが接近する。クラクションをならす。やっと仔牛が後退した。よかった。
道端にトラックが停まって、大きなタイヤを交換している。
サルが数頭散開して、何かを拾って食べている。
TATA のバスは、道路のちょっとしたでこぼこでも拾ってガタガタとゆれる。運転席の近くのウインドーにライオンに乗った神様が祭られている。
神像には赤と黄色の花輪がかけられている。
「Push Horn!」、「Horn Please!」 というメッセージがトラックの後部に塗られている。ここではクラクションを鳴らすことを奨励している。
3時。バスを乗り換える。タクシーの運転手が、「ルンビニまではバスだと2時間かかる。タクシーなら30分。500ルピーだ」 と誘うのを無視してバスに向かう。
バスの最後列にやっと席を見つける。バス代は30ルピー。隣の男にルンビニまでどのくらいかかるか、と訊くが、「ヒンディー」 と首を振るばかり。
満員のバス。母親に抱かれた子供が眠っている。この暑いのに、よく眠れるものだ。隣の男の体温が伝わってきて気持ち悪い。
男がオレンジ色のプラスチックケースを取り出す。中から茶色の物を左の手の平に空ける。ケースをひっくり返すとクリーム色の物が出てくる。
この二つの物体を手の平の上でこね、パッと窓から捨てた。何だろう。おまじないか。
表面が紫色の、真っ白い果肉の果物を食べている男がいる。みずみずしくて美味しそうだ。3時半にバスが動き出す。走り始めると少し涼しくなる。
この辺に来ると、体の色が白く、ラクダのようなこぶをもった牛が主流になる。インドと同じ風景だ。
4:20ルンビニ平和公園前に到着。屋根の上から荷物やら自転車やらが降ろされる。
リクシャーが乗れ、と誘うが、グレート・アドベンチャーで予約したシッダルタ・ゲスト・ハウスまで歩くことにする。
小さな子供が 「5ルピー」、「チョコレート」 と言ってどこまでもついてくる。道すがら、「ナムアジダーホッ」 といっては手を出す。「ナムアミダブツ」 のネパリだろうか。
オートバイの男が停まり、「シッダルタ・ホテルは俺のホテルだ。乗れ」、という。スーツケースを体ではさむようにして乗り込む。
この方向にはあまりホテルは無いので、自分のところの客だろうと推察したのだろうか。運が良い。4:30ゲスト・ハウス着。
The Birth place of Load Buddha, World Heritage Site, Nepal を散策する。チベットのなんとかリンポチェが寄進したという美しいガーデン。
巨木があり、木の中に小さな祠がある。これが、仏陀が生まれたときに母親が寄りかかったという木だろうか。どうやら、違うようだ。
大きな建物に靴を脱いで入る。仏が生まれたという石がある。後に、アショカ王がここに置いたという。警備員が立っている。杖をついて老婆が裸足で入ってくる。
そのまま出て行く。裸足では脱ぎようが無い。
土産物屋の列の裏手に小屋があり、小さなレストランがある。ファンタを頼む。ぬるい。他のビンもチェックしたが、冷凍室に入れてあるものもぬるい。
十分冷えたビールしか飲まない、うちのカミサンだったらなんと言うだろう。
ドネイション・ボックスがある。小銭入れを見ると、100ルピー札と1、2ルピーのコインしかない。思い切って100ルピーを寄進する。
ここの 「永久平和の炎」 を寄進したのはギャネンドラ王子、と記されている。兄一家を殺して自らが王になった男、とどのネパール人も言っている人物だ。
6時。遠くで鐘の音が聞こえる。New Temple。バラの花壇に囲まれた四角いプールのような池の中にハスが紫色の花を咲かせ、中央に仏陀が座っている。
通りかかった、ガネーシュという少年が自転車の後ろに乗せてくれる。Maha Bodhi Society という日本人女性が寄進した寺に着く。少年僧たちが読経している。
読経のあとでしばらく瞑想の時間になった。瞑想中に少年僧が振り向いて僕を見る。まだほんの子供だ。少女かもしれないと思った子は11歳の少年だった。
サルド君。他の子供にも年齢を聞くと、9歳から11歳。
仏陀生誕地の遺跡を巾100メートルくらいの池が堀のように囲んでいて、その外側の広大な敷地に各国の修道院が点在している。
隣の修道院との間隔は500メートルくらいあるだろう。
すっかり暗くなった道をホテルへの道すがら、子供がついてきて1ルピーをねだる。その子供がいなくなった頃、光るものが舞っていた。蛍だ。
ホテルで、オートバイに乗せて来てくれた若者に日本語を教えながら夕食。21歳で、以前カトマンズ・ゲスト・ハウスでウェイターの仕事をしていたという。
部屋用にモスキートマットをもらう。ウオーンという泣き声。今度は 「ヒャー、ヒャー」 とすぐ近くで聞こえる。ジャッカルだそうだ。
Chilly Chicken をつまみにエベレスト・ビールを飲む。床を巨大なムカデが這いまわっている。こんなでかいのは初めてだ。ベッドに入り込まれたらたまらん。
部屋には入らないというが、本当だろうか。やつらはどこでも這いまわれるはずだ。
ホテルのレストランからナクルに電話する。オートバイの若者が何度も何度もかけなおしてくれるが、何度電話してもつながらない。
この国では電話が一発でつながることは珍しい。

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